君が奏でる部屋

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新婚時代の想い出

21 愛を深める

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 僕たちはパリに来て、お世話になった教授の奥様の家に滞在している。

 数日後のリサイタルのために、作曲家に縁のある家や墓地を尋ね、ルーヴル美術館でショパンの肖像画を見た。

 かおりは様々なことを吸収しているのがわかった。静かに、感動を自分の中に取り入れていた。それはきっと演奏に反映されるだろう。



 街を散策するのも楽しかった。空気、街並み、道行く人々。かおりは違和感なくそこにいた。小学校から私学でフランス語を学んだかおりは、その都度、僕のために通訳をしてくれた。僕を見上げる眼差しも声も、自然な所作も、どこか甘く感じた。結婚して何年も経つのにかわいくて、まだまだ恋人のようだった。


 初めて僕の友人に「まるで恋人だね」と言われた時のことを思い出した。あれはいつだっただろう。
 兄妹と間違えられることの多かった僕達は、かおりですら一度だけ僕のことを「お兄ちゃん」と言った。僕はかおりに優しく接していたが、その時ばかりは今までで一番厳しい言葉と態度で否定した。かおりが僕の父親にベタベタとくっつくように、無邪気に僕に触らなくなったのは、それが原因だったのかもしれない。もしくは、ほんの少しだけ女の子として成長したから……かもしれない。


 日本では、かおりから手を繋いだり体を寄せることはなかったのに、ここでは自然に寄り添ってくる。そう、恋人のように頬を近くに寄せて、内緒話をするように僕が喜ぶようなかわいいことを言う。この国の空気感がそうさせるのだろうか。僕はとても満足していた。


 リサイタルで着るためのドレスも買いに行った。豪奢なレースがふんだんに使われたドレスは一点物だろうか。個性的で、一着毎に主張する衣装がたくさんあった。日本ではサイズに迷っていたようだが、こちらでは気にせずに好みだけで選べるようだった。

 かおりにドレスを着せるのは楽しかった。恥ずかしがりながら僕に見せてくれた。かおりは、演奏のしやすさ……腕が動かしやすいドレスに決めた。僕は「これがいい」とは言わなかったが、それは僕が一番気に入ったものだった。かおりが、僕の反応を見ていたことがわかった。これも、今までになかったことだった。

 外に出て、公園のベンチに座った。かおりは僕にぴったりとくっついて座った。普通に座るよりも密着している。

「かおり、日本にいる時より大胆だね」

 僕は聞いてみた。

「え、だって……」
「何か理由があるのか?」


 かおりは僕に体ごと近づいて耳許でささやいた。

「日本では、慎一さんは人気者だし、慎一さんに憧れている人がたくさんいるし……結婚するまでは先生だったし」

 かおりは続けた。

「……ピアノは好きだったけど、先生が弾いてくれる音が好きだったの。先生が弾いていたから私も頑張れたの。先生のお父さんとお母さんも、私を可愛がってくれてうれしかったし……」


 そう。僕の父親も母親も、かおりのことを可愛がっていた。


「かおりを可愛がるお父さんには、何度も嫉妬したよ。小さい頃からかおりを抱っこしたり、かおりと一緒にお風呂に入ったり、かおりを着替えさせたり。ずっと羨ましかった。かおりも頬をつけていたし……」
「……お父さんはお父さんです……」

 かおりも、いつもなら言わないようなことも話してくれた。


「私のパパは、毎日帰ってきたら必ずぎゅってしてくれた。慎一さんのお父さんの愛情も嬉しかった。慎一さんのお母さんは、困ったことがあったらお話できる人だった。慎一さんは、私のこと、よく見てくれることはわかったから、お父さんや、パパから受け取る気持ちとは違う……先生が、生徒を大切にする気持ちなのかなって思ってた」

「うん、間違いなく大切に思っていたよ。僕の両親が、かおりの親のようにしていたのも、かおりのママを大切に思っていたからだ。かおりのママは普通に生活することが難しいから、皆で僕達を育てるように、僕の家で一緒に過ごさせたって、後で聞いた。僕は、かおりが大人になるまでに、かおりが自分で身の回りのことができるように育てて、大きくなるのを待った。かおりには才能があったから、本来の……心の成長よりも、ピアノで先に先にと急がせてしまったかもしれない。僕の予想以上だったし、教授が僕達にピアノを教えてくださる幸運にも恵まれた。僕は、かおりの心がつぶれないように、大切にしてきたつもりだ。これからも、それは変わらない。教授が亡くなって、辛かった時もあった。それでも、かおりが自分の意思で、ピアノを弾き始めたこと、嬉しいよ」


 かおりは僕の胸にくっついて、ゆっくり話した。


「私のママも、ママなりに一生懸命生きていて、絵を描いて、皆がそれを見守ってくれているのもわかった。皆がママを守ってくれているの、わかる。私も、ママに似ているんでしょう?……私も、守ってもらっているの……わかります。だから、いつか弾かなきゃって、心のどこかで感じてた。慎一さんも、皆も、待っていてくれたのも……わかってた。この、空気、景色、人々……亡くなったショパンも、他の音楽家も、ここで生きていたのね。教授もきっと、ここにも来ただろうし、ロシアにも行ってみたい。そうしたら、また何かに近づけるような気がする。だから……慎一さんは私に留学を勧めてくれたのね」


 わかってくれた。
 もう充分だ。

 僕はゆっくり抱きしめた。


「かおりがピアノを弾いてくれて嬉しい。僕達は、同じ師から芸術を受け継いだ同士だ。例え僕が先に死んでも、かおりは音楽と共に生きて。かおり、愛してる」


 青い空の下、明るい中だったけれど、僕達はどちらからともなく唇を合わせた。


 かおりがずっと抑えていた気持ち、自分の両親への気持ち、僕の両親への気持ち、僕への気持ち、ようやく聞かせてくれた。心の整理がついたのだろう。精神的にも成長した。


 新婚旅行に来てよかった。

 ここに来て、よかった。



















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