君が奏でる部屋

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新婚時代の想い出

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 また、かおりは眠ってしまった。考えすぎて塞ぐより、眠る方がいいかもしれない。奥様に会えて嬉しい反面、教授を思い出したのだろう。僕も辛い。でも、教授に教えていただいた音は、僕達が奏でる音色にある。だから、弾けば大丈夫。聴けば大丈夫。そう思いたい。音を聴いて、思い出して、前を向いて、音を出して生きてほしい。


 かおりは高等部三年の時に、コンクールでグランプリを獲った。短い期間で、教授に両側から抱えられるようにして急激に伸びた。それが一切なくなって、立っていられなくなったようだった。教授は、自分が長くないことを知っていたのだろうか。それで、かおりのことを急いで育てたのだろうか。僕を育てた過程では、もっと気を長くしてくれていたと感じたのに、かおりの時はそう感じなかった。


 糸が切れて、散らばったパールのネックレスのような状態だったかおり。壊したくなくて、辞めてほしくなくて、内心は必死だった。無理に繋ぎ合わせるように弾かせたくなかった。僕はパールを一つ残らず集めて、大切に保管し、かおりが自ら立ち上がるのを待った。



 だが、かおりは再びピアノに向き合う様子はなく、ママになりたいと言った。早い結婚、早い出産、子育てで、休学していた大学をついに中退した。

 およそ「普通」だとか「一般的」とは言い難い僕達家族。様々な出来事の中で、かおりは少しずつピアノを弾き出した。音楽教室のレッスンに復帰させ、慣れてきた頃、自分の趣味で弾くだけではなく、仕事として通用するレベルになるようにした。最早技術的なことではない。精神的に自分をコントロールし、自分自身を整えさせる為のサポートをした。


 僕の母親は、かおりのママのこともよく知っている。かおりのことも可愛がってくれるが、「危うい子」だと言ったことがある。僕が精神的に支えるように言われた。


 かおりを信じている。 

 一つ一つ乗り越えてほしい。

 ゆっくりでいい。

 必要なら、僕を頼ってくれ。







 夕方からはオペラを観に行く予定だ。
 僕はかおりを優しく起こした。
 かおりは目を開けてすぐに、
「一回、連弾を通す時間はある?」
と言った。

「もちろんあるよ」
 僕は答えた。

 僕達はショパンとドビュッシーの連弾曲を通して弾いた。かおりは弾きながら、少しずつ何かを取り戻していった。自然に調整できるようになったか。それとも、自分で意識して調整していったのか。
 その音を聴いて、奥様は優しく微笑んでいた。そして、オペラに行くためにかおりをドレスアップするからと、奥様の部屋に連れていった。






 支度のできたかおりが現れた。綺麗で、……驚いた。そのワンピースは、僕の父親がかおりに買ってくれたものだった。初めて見たドレスではないのに。髪もそんなに凝ったアレンジではないが、かおりは自分でそんなことをしない。メイクもしてもらったのだろう。何とも形容できないが、その表情も、僕のために綺麗にしてくれたのだと……自惚れた気持ちになった。嬉しかった。


 少し高いヒールの靴を履いたかおりは、静かに僕の腕に手を絡ませた。

「ありがとうございます。行ってきます」

 僕は奥様にそう言って、かおりを外へと誘った。




 日本では、オペラを全幕観たことがなかった。本格的な趣向を凝らした舞台に、かおりは声楽の伴奏をするようになったからか、とても熱心に観ていた。また、座席に寄りかからずに聴いている。
 僕より細かく味わって聴いているのだろう。僕はそんなかおりの真剣な横顔も好きだ。小さい頃から変わらない。普段、化粧をしないかおりの赤く塗られた唇も、ほんのり色づけられた頬も、アイラインを引いた目蓋も、綺麗だった。しかし、メイクしてあると、頬にも触れづらい。


 終幕になった時、かおりは音楽の感動を大切にするように胸に手を当てていた。僕はその手をとってキスをした。

「よかった?」 
「はい。とっても」

「綺麗だ。このまま抱きたいくらいだ」 
「Après que je sois rentré à la maison」


 僕はフランス語はそんなに詳しくない。それに、僕にはちゃんと言ってほしい。

「かおり、何て言った?」

「……家に、帰ってから、と言いました……」

「楽しみにしてるよ」

 僕は、腕を出した。かおりは僕の腕に、そうっと手を入れた。


 
 恥ずかしがりながら僕についてくる、可愛い妻。

 綺麗になった。















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