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新婚時代の想い出
7 悪役の正体
しおりを挟むかおりを一人で練習させて、僕は大学に戻った。
歩きながら平山に電話して、松本に関することを聞いてみた。
「平山?今話していい?何故松本はかおりを知った?」
「先輩。はい、大丈夫です。実は、松本先輩にお会いした時に、帰国したばかりで伴奏者を探していると、僕のところに相談されました。僕も……ちょっと女性に軽いイメージがあるから、どうしたらいい?っていう相談ですね」
「それは平山が結婚する前のイメージでしょ?それに、それは平山の本当の姿じゃなかったと……僕は思ってる」
「ありがとうございます。僕は、松本先輩の目的を聞きました。その上で、適任者は誰だと思うか聞かれたので、……すみません、かおりさんの名前を出しました。槇先輩の奥様だということは話しませんでした。松本先輩の誠意が槇先輩に伝われば、上手くいくと思っています」
「わかった。ありがとう」
僕は電話を切った。
松本はまだいるだろうか。
講師名簿に名前があったから電話番号はわかる。検索をかけようとした時、校舎のどこからか松本が発声している声が聴こえた。歌は声が響く。あっちの練習棟か……。僕はそちらに向かった。
僕は、同じ学年だった松本とそんなに親しかったわけではない。ピアノ演奏科と声楽科のオペラコースは共通の授業が少なかったし、僕は自分の練習と勉強とかおりのレッスンに費やしていた。大学院に行くつもりはなかったから、最後だと思って勉強した。伴奏もほとんどやらなかった。
伴奏は練習に時間を取られる。ピアノの仕事は、だいたい教える仕事か伴奏の仕事かのどちらかに別れる。両方は時間的に無理がある。頼まれる隙を見せないようにしていたし、実際に依頼はなかった。平山は教える方ではなく伴奏をしていた。仕事にした時に、教える方が収入になるか、伴奏の方が収入になるかは人による。松本は、学内でのオペラでは色男を演じる役が多かった。そういうイメージがある。手が早いというのも、学内の女の評判だ。あの顔とあの態度だ。容易に想像はつく。松本の本当の姿は知らない。松本の目的とは何だろうか。そのあたりが解れば……。
松本の声を辿って、練習棟のある部屋の前に着いた。やはりそうだった。
ドアの外にいると、練習内容が聴こえてくる。発声練習をしていた。それだけ聴いても、学生の頃より遥かに巧くなっている。大学院に進学し、留学して帰国したとか、羨ましいな。僕もかおりと一緒に留学したいと思っていた。
今は……かおりの望む幸せをサポートしていきたい。できれば、かおりが伴奏からでもいい。音楽の世界に戻ってきてくれたら……。かおりの意思で、自ら音楽への新しい扉を開けてほしい。きっかけは何でもいい。何かしてやりたい。もう一度、ステージでの音を聴きたい。
僕はドアの外から松本を見た。ドアのガラス部分から見ていたら、松本が僕に気づいた。松本は、すぐにドアを開けて僕を中に入れた。
「悪い、今の時間帯が一番コンディションがいいんだ。あと15分だけ発声させてくれるか?」
「あぁ、もちろん。中断させて悪かった」
僕は練習室の中で松本の発声を聴いていた。
ピアニッシモから、窓ガラスがビリビリするほどのフォルテまで。流石だな。本番よりも、練習を聴けば性格がわかる。真剣な表情、発声といえど意志のある音。真面目な男じゃないか?僕は声楽の専門的なことはわからないが、やはり基礎となる発声をこれだけ真剣にしていて、僕にはわからない微妙な何かを調整し、必死に会得しようとしているのがわかる。……あ、今の良かった。松本が一旦切った。
「今の、いいね」
僕は言った。
「ありがとう!まだ新しいことがすぐに上手くいかなくて。でも昨日よりすんなり出来た。ふう……そちらから出向いてもらって申し訳ない。コレが出来たら俺から槇に連絡しようと思っていた」
松本は僕に対して襟を正した。
「聞くよ。妻のこと、平山に聞いたそうだな」
「あぁ。槇、学生結婚したって噂、本当だったんだ?」
「卒業式の直前だけどな」
「で、彼女の名字になって旧姓で仕事してるの?女みたいに?」
「最後が余計だけど……そういうこと。恋愛相談?僕は平山からそこまで聞いてない」
「平山からは何て?」
「回りくどいな……お前の方が女みたいだ。平山は、伴奏の適任者に妻の名前を出したと。僕と『藤原かおり』がよく繋がったね」
「『藤原かおり』はピアノコンクール界で有名らしく、調べたらすぐに解った。そういうのには疎くて……失礼した。コンクール協会の年鑑には、指導者に槇の名前もあった。この大学の附属音楽教室に在籍していたから、伴奏依頼で問い合わせた。指導者にA氏と槇の名前があったし、大学事務からは生徒の個人情報は教えられないからと、槇の連絡先を教えてくれた」
「解った。松本の誠意を見せてもらいたい」
「……あぁ。俺、……師匠の娘が好きなんだ」
「篠原先生だっけ。娘さんがいるんだ?それで?」
「ちえみって言うんだ。ちえみも歌をやってて、今卒業したところだ。師匠は……多分、俺の歌の方は認めてくれてるんだが、娘の結婚相手としては『待った』をかけられてて……留学してこいって言われたんだ」
シューマンとクララとクララの父親の関係と同じか?
幸せな結末とは言い難いから言わなかったけど。
「で、留学して帰ってきたわけだ?」
「あぁ。一応、彼女とは口約束はしてあったんだ……。でもさぁ、……何年も離れてたから……ちょっと……今までのように……上手くいかなくて……、でも……プロポーズしたいと思ってるんだ。……彼女が待っててくれてるといいんだけど……自信がないんだ……」
松本はいつもの感じがなくなり、なよなよしだした。
「なるほどね。それで?」
「……それで、……俺も師匠も納得できるくらいのCDを作って渡そうと思ってるんだ……。それで、……その……伴奏者を探してるって訳なんだ……」
なよなよから更に変化して、病人みたいになった。
「あぁ、そういうことならこちらからも妻をお願いしたいくらいだ。今、練習させてる」
松本は目を見開いて、飛び上がるように元気になった。何なんだ?
「槇ぃ!ありがとおぅ~!お前は優等生でそつのない奴だから、何っにも参考にならなそうだけど、聴かせて!お前はどうやって彼女の両親に挨拶した?」
「いちいち何か引っ掛かる言い方するな。僕たちは幼なじみだったから『思ったより早かった』と言われたくらいだな。あ、ごめん。それは僕の父だ。妻のお父さんはこっちが拍子抜けするくらいあっさりしてた。妻にプロポーズするより先にお父さんに許可をもらったから、お父さんの前で妻に言ったよ」
「……やっぱり参考にならないな……僕はダメかも……どうしよう……」
また面倒臭い奴になった。
「伴奏……今から家に来る?」
「行く!いいのか?いいのか?」
また、たちまち元気になった。
「節操のない男だったら一切妻に関わってほしくないところだったけど、一途なのが解ったから許可する」
「よかったぁ~!やっぱり槇ぃ、いい奴ぅ!言っとくけど、アレだよ?俺が軽いイメージで通ってるのはさ、オペラでは外見上とか体格でそういう系をやっていきたいからさぁ、日常生活から実践してるだけなんだよ!師匠もそうだよ?」
僕は驚きと共に、真剣に呆れた。
「演技かよ……本当に歌の方々は、愛だの恋だの、死ぬの死なないのばかりだもんな。意外に真面目だってのは発声してるの聴いてよくわかった。お願いだから、僕の妻にソレやらないでくれる?妻には冗談も色仕掛も通じないけど、単に僕が不快だから」
「槇ぃ!それはぁ、無意識でぇ、習慣だからぁ、意識的に止めようと思っても止められないんだよぉ。……素の自分を出せるのは、師匠と彼女の前だけなんだ……本当の僕は、こんなだし……」
大袈裟に身振り手振りを加えて高らかに台詞をしゃべる。止めなければ台詞を歌詞にして歌い出しそうな勢いだ。
「本音で話せる相手に、僕も加わった?」
「あ……はい」
「その調子で、僕の妻も加えて」
「あ、わかりました……」
やれやれ。
松本を家に連れて帰った。まるで捨て犬を拾ったみたいだ。犬はまだ弱々しい。しかしこの犬に必要なのは餌じゃない。伴奏だ。音色の綺麗な前奏を与えれば、たちまちツヤが出るだろう。
「かおり、ただいま。伴奏弾けるようになった?」
「慎一さん、おかえりなさい!」
ピアノのところからパタパタと走ってきたかおりは、シャーベット色の上下もこもこのルームウエアだった。僕の好みで買ったものだ。上がちょっと大きくて、かおりが着ると、まるでショートパンツを履いていないように見える。白い太腿が目に眩しい。
僕は、急いで玄関のドアを閉めた。
「かおり!着替えて!」
「えっ?何に?」
「肌を出さない洋服を着て。早く。松本がいるから!」
「あ、はい」
松本に見えたか?
「ふぅ~ん?槇の好みのパジャマ?いいもの見せてもらって、得しちゃったぁ~。奥方、若くてスタイル良くて、美味しそうだったなぁ……槇が羨ましい……」
「さっきのキャラに戻れよ……」
「槇が取り乱した姿も、初めて。意外性抜群……。どっちが男役になる?うん?」
「やめてくれ……」
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