君が奏でる部屋

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講師時代の想い出

10 助言

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 僕は再び一人でターミナル駅の近くにある大型書店に来た。

 教育関係、保育関係……このあたりか。僕は『大人の発達障害』に関する本をいくつか手に取った。


 妻のかおりには、結婚する少し前に検査を受けさせた。何が苦手で、ちょっと出来ないだけなのか、ゆっくりならできるのか、努力しても難しいことなのか、いずれ出来るようになることなのか、専門家の言葉が聞きたかった。どんなサポートが必要なのか、気休めではない現実的なことが知りたかった。

 かおりはお嬢様学校の出身である。だが、同じ学校のお友達を見ると、他の子はお嬢様でもそれなりにしっかりしていた。それは幼稚部の頃から、明らかに違っていた。僕の両親と一緒に運動会を一日見学しただけでも、わかりすぎるくらいにわかった。同じ学年、同じような月齢でも個人差という言葉では測れない程の差だった。

 ただ、ピアノの技術の習得という面では個人レッスンで、こちらが根気よく見てやれば、ゆっくり何度でも繰り返すことが苦ではないかおりには、良い学習の機会と同時に、日々の楽しみとなった。

 かおりは学校の勉強も問題なかった。問題ないどころか、規則正しい生活、予習復習の習慣があり、真面目な授業態度で試験は満点、度々代表として挨拶の場に立つほどの女の子だった。応用問題をさせると、即対応出来る程ではなかったが、意味は理解しているので、時間をかければ一人でもできた。


 僕が大学三年生でピアノコンクールの一般部門に出場しグランプリを獲ったが、かおりは高校三年生でそれを手にした。コンクールが主催するリサイタルにも出演した。それはもうピアニストだ。所謂コンサートピアニストはできる。

 しかし、教えるのはどうだろう。おそらく人間を相手にするというのは難しいだろう。むしろ、子供相手の方が難しい。かおりは私学育ちで、小学校からフランス語を学んだ。お世話になったフランス人のピアニストからは通訳やアシスタントができるとお墨付きをもらっている。伴奏もできる筈だ。頼まれる機会があれば……。いや、難しいかな。伴奏と言っても、短期間でリハーサルもそこそこにやっつけ本番みたいな仕事は無理だ。誰に何を頼まれるか……だな。歌は移調を求められたりするが、何となくではなく、仕事として対応できるかどうかは読めない……。


 かおりはお嬢様育ちだが贅沢ではない。多くの女が欲しがるような「モノ」は欲しがらない。かおりに仕事をしてもらわなければ生活できないわけではないが……。やはりいずれはピアノを生かした仕事としての何かが人生を豊かにするだろう。もちろん、趣味としてのピアノでも構わないが……。


 『女の子の発達障害』というような本もパラパラとめくってみた。
 正直、男に免疫がないことは僕としては心配事が少なくてよかったが、かおりに対して感じた心配事は数え切れない程たくさんある。人を疑わない、走るのが遅い、力が弱い、おとなしすぎる、痴漢にあう、大きな声が出せない。それより、普通に歩いているのを見ているだけでもふわふわしていて隙だらけというか……見た目は普通と言えば普通と言えなくもないのだが、とても一人で外を歩かせたくないのが本音だった。かおりのパパも、ずっと僕を信頼してくれていたし、僕の両親も、意外に放任していたのは僕達が二人でやっていけるようにという配慮だったのだろう。


 結婚してから住んでいるこの街は、大学がいくつもある。女子大と音大があるから、女子が多い。昔からの商店街があり、人通りが多い。人の目も交番もある。かおりが一人でうろうろしても、この界隈は安心できる。


 女子大に入学してから、新しいお友達が増えるかなと期待したが、あまり話題に出てこなかった。マヤちゃんを始め、幼稚部から持ち上がりのお友達がたくさんいるだろうから『お友達』はいるのだろう。


 『発達障害児』、『発達障害者の配偶者』、そういった本も見た。僕達の子供がそういった特性を持つことは充分に考えられる。女の子ならばかおりを見てきたから、多少想像がつく……心配事すらも。男の子はどうだろうか……。それから、配偶者として注意すること……。


「あ、また槇君を見つけちゃった」

 声でわかった。


「見つかっちゃったか」

 如月さんだった。
 僕はゆっくり本を戻した。

 如月さんは小さな声で独り言のように呟いた。

「私は、教育学部の出身で、養護教諭を考えていたの。本当に、何かあったら友達として相談に乗るわ。もしくは、何もなくても、普段からカウンセリングに通うとか、いつでも相談できるカウンセラーを見つけておくといいわよ」


 なるほどね。嫌な気持ちにはならなかった。これだけでも、むしろ有り難かった。


「ストレスというと、ネガティブな言葉で不適切だけど、槇君は、たくさんの物を背負っているのでしょう?」
「そうだな。その通りだ」


「私、ピアノは続けていて、そのうち養護教諭になるか、音楽療法士とか、音楽関係の教育者になるか迷って、音楽教育の修士課程に来たの」
「ピアノ演奏科じゃなかったのか……」


「そうなの。ピアノは結構弾いたけれど、それほどでもないことは判ってる。でも、せっかくだから、学生のうちに機会があるものには挑戦したくてコンチェルトを弾いたの。初めてだったわ。本当に感謝しています」
「いや、僕は何も」

 真っ直ぐな、気持ちの良い人だ。


「それより驚いたな。如月さんの演奏……僕の知ってる人に似ていて、気になってたんだ。一応、僕が尊敬している人だよ」
「槇君のお母様?」

「知ってるんだ?」
「ええ。似てるって、やっぱり何人かに言われたの。そのうち、るり子先生の方から私に会いに来てくださったの。『私達の演奏が似てるんですって!弾きあいっこしましょうよ!』って。それはそれは無邪気に仰るものだから、こちらも笑ってしまったわ」

「そうだったんだ……」
 言いそうなことだ。


「ね、だから友達になりましょうよ!」

 この瞬間、僕はもう既に笑顔だっただろう。

「よろしくお願いします」



 こうして、僕に初めての「女友達」ができた。


















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