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講師時代の想い出
8 失態
しおりを挟むオーディションの後、僕は会場の後片付けで残っていた。
遅い時間というわけではなかったが、平山が妻を家まで送ると言ってくれた。住んでいるのは大学の教員住宅ですぐ近くだというのに、車や段差といった心配事は絶えない。妻から『家に着きました』というメールを見て、僕は安心して片付けの続きをした。
二日間の進行表、プログラム、参加者の出欠の用紙、座席や控え室の忘れ物がないか、あとは……僕は辺りを見回した。……もうないか。
「槇君」
如月さんだった。
「お疲れ様。試演会の時より、ずっと良かったよ」
如月さんは、持てる力を全て出しただろう。平山も同じだ。結果は、……僕が言うことではない。
「本当にありがとうございました。あの試演会がなかったら、ここまで出来ませんでした。お礼に、ささやかですが、カフェテリアで御馳走させていただけませんか?」
お礼なんていいのに。でも、ものすごく喉が乾いていた。妻も家にいる。
「お礼はいらないけど、カフェテリアには行きたい」
如月さんは、ふふっと笑って歩きだした。
敗北感いっぱいって訳でもなく、ちゃんと気持ちを整理して結果への覚悟を持って勉強している人だ。僕の母親もそうして勉強してきたのだろう。
如月さんはあっという間に自販機にお金を入れたみたいだ。
「槇君、何になさいます?」
僕はコーヒーのボタンを押しそうになってやめた。妻が妊娠したから、カフェインのある飲み物を一緒に控えようと思ったばかりだ。ルイボスティーなんて……ないか。あまり迷うのも変だ。オレンジジュースにした。
「意外……というより、今の葛藤は何でしたの?」
「えっ?」
「コーヒーにしようとしてやめて、他の目当ての物を探して、なくて、オレンジになさったでしょう?」
「鋭いな……」
僕は額に手をやった。
「困ってらっしゃる」
「よくわかるね」
「女ですから。これ以上詮索しません。ごめんなさい」
如月さんは微笑みながらもう一つオレンジジュースを押して、トレーに乗せてテーブルに運んでくれた。それが妻だったら、とても安心して任せられないが……僕はそんなことを考えて、少しだけ笑ってしまった。
「ありがとう」
僕はお礼を言った。
「槇君、私今、本番が終わってちょっとハイになってます。無礼講でお許しいただければと、予めお断りしておきますね」
「酒の席でもないのに、怖いな」
「あのね、槇君が持っていないもの、私知ってるかも。それで必要なければいいんですけど、持っていてもいいんじゃないかなって思って」
「クイズ?確かに僕は何でも持っているわけじゃない。何だろう。……いただきます」
僕はオレンジジュースを飲んだ。喉が乾いていたから、一気になくなった。
「ご自分で気づいていらっしゃらないか、一度も考えたことがないか、あえて持たないのか……」
「難しいな……」
僕は下を向いて目を閉じた。
何だろうな……。
「先生!」
「あ、かおり、ごめん何?」
僕は顔を上げた。
かおりじゃない女だ。あ……。
「お疲れのところ、ごめんなさい」
如月さんか……。
すまなそうな顔をしていた。
「参ったな。如月さんには、見られたくないところばかり見られた気分だ。如月さんは悪くないのに、こんな言い方して、すまない。無礼講でお許しいただければ……」
如月さんは笑った。
「ふふっ。あのね、槇君、私達、友達にならない?」
「え?」
「女友達、いらっしゃらないんじゃないかと思って」
女友達?
如月さんと僕が?
友達?
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