君が奏でる部屋

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 どうしよう。わからない。何がわからないかもわからない。先生のことが頭から離れなくて、何も手につかない。何も出来ない。

 先生に可愛いって思われたくて……。先生も今は卒業前だから授業はなくて、一日のうち数時間だけ、大学にレッスンや練習に行って、終わったら帰ってくる。すぐ近くなのに、追いかけたくてたまらなくなる。


 お仕事用のジャケット姿の先生は、私に、
「行ってくる」
って、玄関で優しく頬にキスをしてくれる。その後、しばらく動けなくなる。

 先生がいない時に、私は自分の練習しておかなきゃってわかっているのに、楽譜を見ても手が動かない。音と気持ちがぴったりしない。これは音じゃない。音楽にならない。

 先生が帰ってきて先生と一緒にいても、いつも以上に何も言えなくて、つい見つめてしまい、
「どうした?何かあった?」
って聞いてくれるけど、
「ううん、……何も……」
って答えることしかできない。

 先生は、私の頭をぽんぽんってしてから練習したり、家事をしたり、普通に生活している。先生が練習している間は、私はドレッサーで大学の予習をするけど、何故か捗らない。練習する先生をソファから見るのが一番落ち着く。隣に座って聴いたら邪魔だと思うし。もっと近づいてしまいたくなるから、ソファから見ている。

 今までは朝シャワーを浴びていたけれど、新居で生活するようになってから、シャワーは夜になった。先に先生がシャワーを浴びて、私もシャワーを浴びて寝室に行くと、部屋が暗くなっている。

 私は、暗いと落ち着く。暗いとよく見えないけど、先生は、普段誰にも見せないような目の色を私に見せてくれる。その眼差しに目が離せなくて、それなのに、いつの間にか目をあけていられなくなる。その時には、もう先生の腕の中にいる。


 先生はベッドの中で、
「かおり、好きだよ」
「かおり、可愛い」
「かおり、愛してる」
って言ってくれる。

 私は嬉しくて、身体中が泣いてるみたいになる。もう、知らなかった時みたいにこわくないし、力も入らなくて、先生のすることに、されるがままになる。

 先生は私のことを脱がすのに、後でまた着せてくれる。寒くないようにって。高等部のお友達からもらったネグリジェをずうっと着ていたけど、新しく先生が買ってくれたルームウェアが動きやすくて気に入って、今度はそればかり着ている。

 デパートのディスプレイで見た時は、ショートパンツが見えていたのに、上下セットで買ってもらって私が着ると、上が少し大きくて、まるで下を着ていないように見える。

 それを見た先生が、
「これは失敗したというのか、大成功というべきなのか、どっちだろう?」
と難しい問題を出してきた。そんなに違うならすぐにどちらかわかりそうだけど……。先生は、可愛いよって言ってくれなかった。失敗だったのかな……何が失敗?誰が失敗?そんなことでも、私はまた不安になった。

 ずっとずっと先生に片想いしていたから、まだ慣れない。だからつい先生って言葉が出てきてしまう。先生はいつも、とてもリラックスしていて、実家にいた頃と変わらなく見える。私といても、私みたいにドキドキしないのかな。

 あ!今わかった。私は、先生にドキドキしているんだ……。今、ピアノが手につかない。もっと頑張らないといけないのに。新しい曲が難しすぎるからかな。出来上がる気がしない。




 慎一さんの赤ちゃんがほしいって気持ちが強くなる。ずっと、ママになりたかった。先生のお母さんが「慎ちゃん」て呼んでいた、慎一さんみたいな男の子がほしい。小さかった私の手を握って、演奏会に連れていってくれた先生。こんな私じゃ、まだだめなのかな。

 マヤちゃんに会いたい。マヤちゃんとお話したい。なのに、話す勇気が出なかった。私はマヤちゃんのおうちの近くまで出かけてから、携帯でマヤちゃんに電話してみた。

「今日?大丈夫よ?今、そこにいるの?早っ!すぐ開けるね!」
 マヤちゃんのおうちの敷地はどこからどこまでなのか、ぐるっとしたことはないけれど、最短距離で別宅のところに行って呼び鈴を押した。

 マヤちゃんはすぐに出てきた。高橋さん、あ、平山さんも出てきた。
「やぁ藤原さん、こんにちは。僕は出かけるから、どうぞごゆっくり」
「こんにちは。お邪魔します」
「かおり、入ってー。今日はこっちの部屋にしよう?」

 マヤちゃんは、別宅の中のマヤちゃんの部屋なのか、いかにも女の子らしい色のインテリアの、小さな部屋に案内してくれた。ベッドと小さいテーブルと本棚がある。ワインレッドのヴァイオリンケースもある。

 マヤちゃんが、お茶とお菓子を持ってきてくれた。

「どうしたの?かおり、何か困ってる?」
「うん、あの……何から話したらいいか……」

「どこからでもどうぞ?急いでいないならゆっくりどうぞ?」
「……ありがとう……」


 困ったな……。何から聞こう……。よし。
「あの、大学の予習って、高等部の教科書の復習でいいと思う?」
「かおりはやらなくていいと思うけど?」

「そう、なの?……」
「はい、次は何かしら?槇さんのことじゃないの?」

「あ、うん」
「うんうん、なあに?かおりから私だけに相談なんて珍しいし、嬉しい」

「あのね……私だけが……先生のこと……すごく好きみたいな気が……するんだけど」
「え?本気でそう思ってるの?」

「他のことが、手につかなくて……困ってるの」
「はぁ……」


 あ、マヤちゃんを困らせてしまったみたい。
 ……マヤちゃんは、少し考えてから話してくれた。

「いや、正直。今までかおりがこれだけ好きなのに、槇さんは絶対わかっていて、大人なのにはっきりさせないし、なのにキスが2回ってどういうつもりなのかと思っていたわよ?」
「そうなんだ?」

「でも、かおりがコンクールで一位になった後、結婚することになって好きだって言ってくれたんでしょ?」
「うん」

「すぐに教えて欲しかった!私、かおりのこと大好きなんだからね!報告してくれなくて、ショックだったよ?」
「ごめんなさい、ありがとう」

「だから、槇さんはかおりが大きくなるのを待ってたんでしょ?」
「もうずっと前からこのくらいだけど……」 

「中身に決まってるでしょ!」
「中身……」

「結婚が決まってから、何度か槇さんを見るようになって、話すようになって、あ、本物の気持ちなんだなって思ったよ。今まで、槇さんもかおりのこと、とても大切にしていただけなんだなってわかった。だから、大丈夫よ。何て言うか、結婚してかおりを手に入れて、満足して落ち着いているだけじゃない?もともとお坊っちゃまで穏やかなお人柄でしょ?あまり変わらないんじゃない?」
「うん」

「かおりがもっと甘えていいと思うよ。喜ぶよ、きっと」
「そうなんだ?何したらいいかな?」

「そこまで聞く?うーん、どんな生活してるのか知らないけど、あなたたちは二人とも遊んだりしないで練習しなきゃいけない人達でしょ?」
「休憩もするけど、家事とか?」

「やっぱり演奏家ね。夜の時間を大切にしたらいいんじゃない?まさかまだ飽きていないでしょうから。飽きるほど……てないでしょ?」
 マヤちゃんには、綺麗なネグリジェをプレゼントしてもらった。

「パジャマ?」
 マヤちゃんに見つめられた。

「飽きたわけじゃないけど、新しいパジャマを買いました」
「よかったね」

「あと……ね」
「あと?」

 マヤちゃんに、本当に聞きたいことを話した。
「あの……、赤ちゃんていつできるかな?私は、いつママになっても大丈夫かな?」
「それは槇さんに相談することよ。かおりの希望は聞いてくれるでしょうけど、槇さんが決めて槇さんがすることだから」

「そうなんだ?ダメとは言われなかった。でも、『欲しかったら』って。欲しかったら何?ってその言葉の続きがわからなくて」
「わかったわかった。それは槇さんに聞いてね。慎二さんは大学に行ったから私迎えに行く。かおりも暗くなると心配だから、一緒に行こう?」


 マヤちゃんは大学まで行くと言って、私の新居に送ってくれた。















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