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34 応接室
しおりを挟む僕は一度、かおりのお父さんと二人で話をしたかった。
かおりのお母さんは、特に具合が悪いわけではなさそうに見えるのに外に出ない。僕が外で見たことがあるのは、かおりが産まれた時に病室にいたことと、かおりとの結婚が決まって両家の両親とレストランで会食した時、……その2回だろうか。少なすぎやしないか。
かおりのお母さんと僕の母親は同じ年で、幼稚部から高等部の同窓生だ。
かおりのお母さんは、レストランで会食した時にかおりと並んで座っていて、背格好はもちろん、雰囲気もとてもよく似ていた。おとなしいかおりより、もっとおとなしくて、笑うといってもほんの少し、儚いほどの僅かな微笑みだった。そして生活感が全く感じられないので、若く見え、かおりのお姉さんに見えないこともなかった。
僕の母親は別の意味で若々しい。音大のピアノ科とソルフェージュ科の講師で、明るく活発で、裏表なく言いたいことを言うのでストレスがないからだと解釈している。
先日、かおりがお友達に誘われたとはいえ、複数の男と出会いの現場を見てしまったのは看過できなかった。一瞬、かおりを一歩も外に出したくないと思ってしまったのだ。そこで、もしかしたら、かおりのお父さんは僕の気持ちをわかってくれるのではないかと考えた。
お父さんは、二人で話をしたいと言う僕に、会う時間をつくってくれた。僕の父親と、お父さんの会社の応接室だった。僕はスーツで出かけた。
僕はまず、かおりが先日のお友達と居酒屋で男女10人で会っていた話をしたら、想像以上に驚かれてしまった。
「いつかはそんな心配をすると覚悟していたが、まさか高校生で……」
お父さんは、僕が何を言いたいか理解できたらしく、テーブルに額をつけるようにしていた。
「お父さん、そんな、上げてください。その件は大丈夫でしたし、後でかおりに、僕がどういう心配をしたか話しました。ちょうど同じ時期に、保健の先生からも同じ心配をされて、かおり一人だけ居残りで補習を受けていたみたいです。ですから、自分がわかっていないという自覚はできたみたいです」
「かおりが居残り……」
「優秀だと聞いていたので僕も驚きましたが、本人もショックを受けていましたから、指摘しないであげてください。それで」
一旦、切った。
「改まって相談というかお願いなのですが」
勇気を出して続けた。
「これから結婚生活をしていくのに、最初はお父さんに助けていただくことも多いかもしれません。ですが、僕が過保護にしすぎず、かおりの適切なサポートをするためと、かおり自身のためにも、検査に連れて行ってもいいでしょうか」
「……検査?」
「かおりは成績優秀ですが、実は苦手なこともたくさんあるような気がします。例えば、幼稚部の頃から制服のリボンが結べないと聞きました。おそらく普通はだんだん慣れて問題なくなると思いますが、今でも苦手で苦労しているようです。何が苦手で、周りの者がどのように配慮したらかおりが暮らしやすく、伸び伸びと生きていけるか、専門家からアドバイスをもらいたいと考えています。かおりは学習能力が非常に高いので、自分で自分を伸ばしていく方法を獲得していけると思います」
「なるほど」
「本当はそのようなことはもう少し後で、と思ったのですが、……先日の演奏会の後、強いスポットライトを浴びて眩しくて、ステージで倒れたんです」
「何だって?」
「光が苦手なようです。僕もあれは眩しいとは思いましたが倒れるような程ではありません。演奏後で、僕がすぐ助けに行けました。あと、ちょうど同じ時に、僕とかおりがお世話になっていた教授が亡くなりまして」
「えええっ!」
「報告が遅くなって申し訳ありません」
「いや、いやいや」
「その事実をすぐにかおりに伝えるかどうかを躊躇してしまっていたもので」
「うん、……うん……」
「そんな時に、かおりが一人で教授の家に出かけて、教授の奥様からその事実を知った次第です」
「そうだったのか」
会社の者が入ってきた。
「失礼します、藤原部長。こちら……」
「……よろしく」
「失礼いたしました」
僕は確認した。
「それで、あ、お時間はもう少しだけ大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。すまないね」
「教授の奥様はフランスに行かれるそうです。僕たちは結婚後の新居に、大学教員住宅である、教授と同じマンションに住む予定でしたが、教授がお住まいになっていた部屋を使わせていただけることになりました。201の予定が101に変更になります。これは了解していただけますね?」
「わかった」
「それから、かおりは音楽大学附属音楽教室の特待生となり、教授と奥様の二人のレッスンを受けられるはずでしたが、そのような経緯で、新しくフランスからいらっしゃる高名なピアニストが担当してくださるそうです。担当教員は二人つきますが、もう一人は少なくとも一年目は僕が担当しますのでご安心ください。また、奥様がいずれ僕とかおりにフランスに勉強に来るようにと、お声をかけてくださいました。ですから、あの、かおりの一位とグランプリの賞金200万、保管しておいてください。僕もなんとか生活費は稼いでいく算段はありますので」
「若いのに立派だ。かおりの学費はもちろん、留学費用も心配ないから。他にも遠慮なく言ってくれ。私はわからないから」
「ありがとうございます。前にもお話しました通り、かおりは僕と同じ音大講師の応募資格があります。音楽教室講師も同様です。フランス人の奥様は、かおりはフランス語の通訳の仕事もできるし、ピアニストのアシスタントの仕事もできるからと」
「かおりに仕事ができるなんて……」
「お父さん、かおりはピアノもすごいんですけれども、フランス語もなかなかです。ロシア語も勉強していますし、いろいろな才能があります」
「ロシア語も?」
「はい。ロシア人の教授とちょっとしたやりとりはできていました。毎朝5時から勉強しているって。素晴らしいですね。いつからなんですか?」
「……いや、恥ずかしながら知らなかったよ。登校前にシャワーを浴びていることは知ってるが。長いことドライヤーを使うしね」
「陰ながらそんなに頑張っていたとは、僕も驚きました」
「いやいや、かおりがそんなに勉強していたとは知らなかったから、それで学校の成績が一番て、レベルが低いのかと思っていたよ。女の子だし、まぁいいかなと」
「お父さん……それはひどい!礼儀正しくて真面目な女の子ばかりの、いい学校じゃないですか」
僕は笑ってしまった。
「いやいや、驚いた」
お父さんも笑った。
「最後にこれを」
僕は、祈るような気持ちで居住まいを正した。
そして、3月最初の日曜日の、かおりのソロリサイタルの招待券を二枚差し出した。
「お父さん、お願いがあります。これだけは、是非お出かけいただきたいと存じます。かおりのピアノの音色は教授からの素晴らしい宝です。このような演奏会の機会はなかなかありません。どうか、どうか重ねてよろしくお願い申し上げます」
「わかった。必ず行こう。今まで知らないことが多すぎた。結婚式は、槇くんと私で準備するから、費用の心配はいらない。慎一くん、今日はありがとう」
僕は頭を下げたまま、心からお父さんに感謝した。
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