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再会(大学生・社会人)
恋をしている
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ふわりと雪が舞う。
降り始めの儚い白さに、胸が締め付けられる気がする。
なぜだろう?
いつも泣きたくなるような胸苦しさが込み上げてくるのだ。
まるで、忘れるなとささやくように。
誰を忘れてはいけないのだろう?
なにを忘れてはいけないのだろう?
雪が降るたびにこみあげてくる思いに、私はいつも戸惑う。
だって、泣きたくなるような辛い思い出も記憶も私にはない。
それとも、忘れてはいけない「何か」を、私はすでに記憶から消してしまったのだろうか?
考えれば考えるほど、思考の深みに落ちてしまう。
何の不自由もない暮らし。
お父さんとお母さんがいて、おじいちゃんもおばあちゃんもいて、兄弟もいる。
学校にも毎日通って、部活もして、特にこれって目立つエピソードも持っていなくて、大きなけがも病気もせず、今年、成人を迎えた。
退屈だねって笑われてもいい。
きっと、これが幸せなんだと思う。
若いのにって言われても、私の心が平穏を望んでいる。
何も特別な出来事が起こらない、今をかみしめるような強い想いに、再び戸惑うのだけれど。
町はずれに古い史跡があった。
小学校のころに斑活動で文献を調べたけれど、激動の時代には城があったらしい。
地元のお寺に資料がわずかに残っている程度の小さな城で、城主の名前を言っても地元民以外は首をかしげるだろう。
最後の若い城主は他国の姫を娶って一年足らずで、その姫の父によって討たれたらしい。
それほど珍しい話ではない。
戦乱のさなかに儚く消えた小さな夢の跡だ。
小山を利用したその場所はところどころにその当時の建物の跡が残っていて、桜や椿といった樹花も多く、今は自然公園として整えられている。
私はなぜかその史跡が大好きで、今日のようにフラリと気ままによく散歩していた。
石段を上って中腹の見晴らしの良い場所に出る。
パッと目の前が開けて、町全体が見渡せるお気に入りの場所だ。
当時は物見台があったらしい。
いつもはそこでひとりボーっとするのだけれど、今日は先客がいた。
背が高い、男の人。
私とさほど歳が変わらない気がする。
後姿だけなのに、ドキリと胸が鳴った。
思わず足をとめたけれど、ふとした拍子に振り返った彼もまた、ハッとした表情を浮かべて動きを止める。
ゆっくりと瞬きしながら、何かを確かめるように。
ただ、見つめあう時間。
知らない人だ。
はじめて見る人だ。
それなのに。
それなのに、息が詰まる。
頬を伝う感覚は、止まらない涙。
なぜ、涙がこぼれるんだろう?
あなたは誰?
そう言いたかったのに、こみ上げてくる感情が私自身を裏切った。
私はこの人を知っている。
「……龍之介様……」
唇が紡いだ私の知らぬ名に、彼は軽く目を見開いて、ふわりと笑った。
かみしめるようにつぶやく。
「覚えていらっしゃいますか?」
丁寧なその言葉に、私は首を横に振るしかない。
何も覚えていない。
こんなに苦しくて涙が止まらないのに、何も思い出せない。
それなのに、私の唇は彼の名を知っていた。
「何も分からないのに、あなたはこんなにも懐かしい」
彼は静かに歩みよってくると、無言で首を横に振り続ける私の右手を取った。
温かで大きな手が、私の湧き上がってくる悲しみごと包み込むようだった。
「お話ししましょう。その涙の訳を」
彼が紡いだのは遠い遠い時代の出来事。
父の手駒として嫁いだ姫と、彼女を愛した武将の話。
この場所で確かに生きた、熱い命の記憶。
一年足らずとはいえ、確かに姫を愛していたと彼は微笑んだ。
前世とか、生まれ変わりとか。
信じるも、信じないも私次第。
否定するのはたやすいのに、私のなにかが叫んでいた。
くりかえされる戦の中で。
血なまぐさい毎日の短い営みではあったけれど。
最後の戦の折も、彼を攻めるから帰ってこいとの父の命に背いたほどに。
姫もまた、彼を確かに想っていたと。
何から話せばいいかわからないけれど、とにかく言葉を紡ごうとして開きかけた唇に、スッと伸ばされた彼の指が触れた。
少しひんやりとした感覚が、そっと唇の輪郭をなぞる。
ドキリとして心臓が跳ねた。
この心の揺れは、理由のわからない涙の訳とは違って、現在の私自身の心の揺らぎだ。
そのことに、ドギマギした。
どれほど懐かしい感覚がわいたとしても、彼は初めて出会う人なのに。
「ずっとあなたに恋をしていました」
古の記憶を持つ彼は、はにかむようにそう笑ったけれど。
チラチラと風に舞う風花の中。
穏やかな彼の微笑みに、今の私が恋に落ちていくのだ。
【 終わり 】
降り始めの儚い白さに、胸が締め付けられる気がする。
なぜだろう?
いつも泣きたくなるような胸苦しさが込み上げてくるのだ。
まるで、忘れるなとささやくように。
誰を忘れてはいけないのだろう?
なにを忘れてはいけないのだろう?
雪が降るたびにこみあげてくる思いに、私はいつも戸惑う。
だって、泣きたくなるような辛い思い出も記憶も私にはない。
それとも、忘れてはいけない「何か」を、私はすでに記憶から消してしまったのだろうか?
考えれば考えるほど、思考の深みに落ちてしまう。
何の不自由もない暮らし。
お父さんとお母さんがいて、おじいちゃんもおばあちゃんもいて、兄弟もいる。
学校にも毎日通って、部活もして、特にこれって目立つエピソードも持っていなくて、大きなけがも病気もせず、今年、成人を迎えた。
退屈だねって笑われてもいい。
きっと、これが幸せなんだと思う。
若いのにって言われても、私の心が平穏を望んでいる。
何も特別な出来事が起こらない、今をかみしめるような強い想いに、再び戸惑うのだけれど。
町はずれに古い史跡があった。
小学校のころに斑活動で文献を調べたけれど、激動の時代には城があったらしい。
地元のお寺に資料がわずかに残っている程度の小さな城で、城主の名前を言っても地元民以外は首をかしげるだろう。
最後の若い城主は他国の姫を娶って一年足らずで、その姫の父によって討たれたらしい。
それほど珍しい話ではない。
戦乱のさなかに儚く消えた小さな夢の跡だ。
小山を利用したその場所はところどころにその当時の建物の跡が残っていて、桜や椿といった樹花も多く、今は自然公園として整えられている。
私はなぜかその史跡が大好きで、今日のようにフラリと気ままによく散歩していた。
石段を上って中腹の見晴らしの良い場所に出る。
パッと目の前が開けて、町全体が見渡せるお気に入りの場所だ。
当時は物見台があったらしい。
いつもはそこでひとりボーっとするのだけれど、今日は先客がいた。
背が高い、男の人。
私とさほど歳が変わらない気がする。
後姿だけなのに、ドキリと胸が鳴った。
思わず足をとめたけれど、ふとした拍子に振り返った彼もまた、ハッとした表情を浮かべて動きを止める。
ゆっくりと瞬きしながら、何かを確かめるように。
ただ、見つめあう時間。
知らない人だ。
はじめて見る人だ。
それなのに。
それなのに、息が詰まる。
頬を伝う感覚は、止まらない涙。
なぜ、涙がこぼれるんだろう?
あなたは誰?
そう言いたかったのに、こみ上げてくる感情が私自身を裏切った。
私はこの人を知っている。
「……龍之介様……」
唇が紡いだ私の知らぬ名に、彼は軽く目を見開いて、ふわりと笑った。
かみしめるようにつぶやく。
「覚えていらっしゃいますか?」
丁寧なその言葉に、私は首を横に振るしかない。
何も覚えていない。
こんなに苦しくて涙が止まらないのに、何も思い出せない。
それなのに、私の唇は彼の名を知っていた。
「何も分からないのに、あなたはこんなにも懐かしい」
彼は静かに歩みよってくると、無言で首を横に振り続ける私の右手を取った。
温かで大きな手が、私の湧き上がってくる悲しみごと包み込むようだった。
「お話ししましょう。その涙の訳を」
彼が紡いだのは遠い遠い時代の出来事。
父の手駒として嫁いだ姫と、彼女を愛した武将の話。
この場所で確かに生きた、熱い命の記憶。
一年足らずとはいえ、確かに姫を愛していたと彼は微笑んだ。
前世とか、生まれ変わりとか。
信じるも、信じないも私次第。
否定するのはたやすいのに、私のなにかが叫んでいた。
くりかえされる戦の中で。
血なまぐさい毎日の短い営みではあったけれど。
最後の戦の折も、彼を攻めるから帰ってこいとの父の命に背いたほどに。
姫もまた、彼を確かに想っていたと。
何から話せばいいかわからないけれど、とにかく言葉を紡ごうとして開きかけた唇に、スッと伸ばされた彼の指が触れた。
少しひんやりとした感覚が、そっと唇の輪郭をなぞる。
ドキリとして心臓が跳ねた。
この心の揺れは、理由のわからない涙の訳とは違って、現在の私自身の心の揺らぎだ。
そのことに、ドギマギした。
どれほど懐かしい感覚がわいたとしても、彼は初めて出会う人なのに。
「ずっとあなたに恋をしていました」
古の記憶を持つ彼は、はにかむようにそう笑ったけれど。
チラチラと風に舞う風花の中。
穏やかな彼の微笑みに、今の私が恋に落ちていくのだ。
【 終わり 】
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