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再会(大学生・社会人)
窓辺の彼
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改札を出た途端、ヒュッと冷たい風が通り過ぎた。
あまりの寒さに、思わず首をすくめてしまう。
息を吸い込むと、肺の奥からシンシンと凍えそうだ。
フルリと勝手に身体が震えてきたけれど、帰ってきたと強く思う。
北の国にしかない、痛いほどの冷たさが懐かしかった。
三月だというのに雪が降っている。
雪が完全に消えるのは四月になるだろう。
これが、私の故郷。
県外の大学に入学してあまりに遠かったから、年に一度ぐらいしか帰省していない。
これからは毎日ここにいる。
そう思うと不思議な気持ちになった。
懐かしさにかられて、フラリと歩く。
見知った場所もあったし、はじめて見る店もあった。
高校時代にバイトをしていた喫茶店に入る。
アンティークみたいなレトロな外観も変わっていなかった。
背伸びをしたい年代の学生が入り浸るような店ではない。
雇ってもらえただけで、大人の仲間入りをしたような気持ちになれた。
休憩中なのかカウンターの中にマスターの姿は見えなかったけれど、店内は記憶のままだった。
あの頃と同じようにピアノの優しい音色でジャズが流れている。
窓辺の席に座り、見慣れた手書きのメニューを広げる。
久しぶりのはずなのにこの店の中は記憶のままなので、タイムスリップしたみたいな気持になる。
明らかに違うのは、ここにいるのが高校生の私ではないということ。
そういえば、この席。
この窓辺の席には、いつも同じ人が座っていた。
一学年下の後輩。
カラリとしてワンコみたいな、人好きのする男の子。
話しかけると目をキラキラさせてストレートなしゃべり方をするから、高校生のはずなのにどこまでも少年だった。
学生には似合わない店なので、常連になってからも彼はものすごく違和感があった。
彼はこの席でいつも宿題をしたり、本を読んだりしていた。
「勉強なら図書館ですればいいのに」
そう言うと、同級生に邪魔されるんだよな~と困ったように肩をすくめていた。
確かに彼は明るいし人好きのする笑顔を持っているし、同級生に囲まれてもみくちゃにされているのを何度か見たことがあるので納得はしたけど。
家にはテレビがあって気が散るから同級生が絶対に来ない喫茶店で勉強をするなんて、もっともな理由だけど変わった子だなと思っていた。
大学が決まって、バイトの最後の日。
マスターに挨拶をして、これでもう終わりだと思うとなんだか泣きたい気分になって。
深々とお辞儀をして、ありがとうございましたと声を絞り出した。
なんとか泣かないうちに扉を開けた。
外に出たら、あの子がいた。
涙こそ流していなかったけれど、グスッと鼻をすすりあげた情けない顔を見られてしまった。
恥ずかしさでどうしていいかわからなくなっているうちに、あの子は私の胸に紙袋を押し付けてきたっけ。
じゃぁなって言ってあわてたように走り去る、あの子の耳たぶの赤さは覚えている。
どうして今まで忘れていたんだろう?
でも、すぐに悲しかったからだと思いいたる。
バイト中に、姿を見ると嬉しかった。
問題集を解く眉間のしわも可愛かった。
注文を取る時の、ちょっとした雑談が楽しかった。
でも、ただそれだけ。
あの子は喫茶店の常連さん。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
同じ高校でも、連絡先すらわからない。
紙袋の中には、ピンクのハート型したマカロンと制服のボタンがひとつ。
たったそれだけだった。
メッセージカードぐらい入れてくれたらいいのに。
ありがとうもサヨナラも言えなかった。
大好きなバイトを辞めるだけでも悲しいのに、中途半端なあの子との別れで胸の中にぽかんと大きな穴があいてしまった。
悲しすぎて泣きたくないから、この窓辺の席にくるまであの子のことを考えないようにしていた気がする。
「いらっしゃいませ」
いろいろと思い出してメニューを広げたまま動けなくなっていたら、いつの間にか店員が側に来ていた。
コトリと水を置かれ、まだ注文を決めていなかったことに焦る。
慌てふためいてメニュー表に顔を埋めたら、クスクスと店員が笑いだす。
「ご注文より先に、連絡先をお伺いしてもよろしいですか?」
明るいその声に、驚いて顔をあげる。
あの子だった。
ウェイターの制服を着ていたけれど、間違いなく窓辺にいた彼。
「おひさしぶりです。ここにいれば、いつか会えると思っていたから」
キラキラ光る少年そのままの瞳から、目を離せない。
言いたいことが多すぎて、言葉が出てこなくなるなんて。
どうしていいかわからない。
注文はあなたがいい、なんて気のきいたことは言えないけれど、人懐っこい笑顔につられ、自然に微笑み返していた。
私の心臓の鼓動だけが、勝手に走りだす。
会いたかったと言えば嘘になってしまう。
ここに戻ってくるまで、彼の記憶を封印していたから
だけど、会えてよかった。
本当に良かったと思う。
「ねぇ、仕事が終わる時間を教えて」
もちろん、と彼は笑った。
そっとアドレスを書いた紙コースターを私の前に置いた
落ち付いて見えていても、慌てたようなその文字が彼の踊る心情みたいだった。
香り高いコーヒーとピアノの優しい調べ。
懐かしいアンティークな喫茶店で、新しい想い出を重ねていく。
少し大人になった彼と今の私の恋が、もうすぐ始まる。
【 おわり 】
あまりの寒さに、思わず首をすくめてしまう。
息を吸い込むと、肺の奥からシンシンと凍えそうだ。
フルリと勝手に身体が震えてきたけれど、帰ってきたと強く思う。
北の国にしかない、痛いほどの冷たさが懐かしかった。
三月だというのに雪が降っている。
雪が完全に消えるのは四月になるだろう。
これが、私の故郷。
県外の大学に入学してあまりに遠かったから、年に一度ぐらいしか帰省していない。
これからは毎日ここにいる。
そう思うと不思議な気持ちになった。
懐かしさにかられて、フラリと歩く。
見知った場所もあったし、はじめて見る店もあった。
高校時代にバイトをしていた喫茶店に入る。
アンティークみたいなレトロな外観も変わっていなかった。
背伸びをしたい年代の学生が入り浸るような店ではない。
雇ってもらえただけで、大人の仲間入りをしたような気持ちになれた。
休憩中なのかカウンターの中にマスターの姿は見えなかったけれど、店内は記憶のままだった。
あの頃と同じようにピアノの優しい音色でジャズが流れている。
窓辺の席に座り、見慣れた手書きのメニューを広げる。
久しぶりのはずなのにこの店の中は記憶のままなので、タイムスリップしたみたいな気持になる。
明らかに違うのは、ここにいるのが高校生の私ではないということ。
そういえば、この席。
この窓辺の席には、いつも同じ人が座っていた。
一学年下の後輩。
カラリとしてワンコみたいな、人好きのする男の子。
話しかけると目をキラキラさせてストレートなしゃべり方をするから、高校生のはずなのにどこまでも少年だった。
学生には似合わない店なので、常連になってからも彼はものすごく違和感があった。
彼はこの席でいつも宿題をしたり、本を読んだりしていた。
「勉強なら図書館ですればいいのに」
そう言うと、同級生に邪魔されるんだよな~と困ったように肩をすくめていた。
確かに彼は明るいし人好きのする笑顔を持っているし、同級生に囲まれてもみくちゃにされているのを何度か見たことがあるので納得はしたけど。
家にはテレビがあって気が散るから同級生が絶対に来ない喫茶店で勉強をするなんて、もっともな理由だけど変わった子だなと思っていた。
大学が決まって、バイトの最後の日。
マスターに挨拶をして、これでもう終わりだと思うとなんだか泣きたい気分になって。
深々とお辞儀をして、ありがとうございましたと声を絞り出した。
なんとか泣かないうちに扉を開けた。
外に出たら、あの子がいた。
涙こそ流していなかったけれど、グスッと鼻をすすりあげた情けない顔を見られてしまった。
恥ずかしさでどうしていいかわからなくなっているうちに、あの子は私の胸に紙袋を押し付けてきたっけ。
じゃぁなって言ってあわてたように走り去る、あの子の耳たぶの赤さは覚えている。
どうして今まで忘れていたんだろう?
でも、すぐに悲しかったからだと思いいたる。
バイト中に、姿を見ると嬉しかった。
問題集を解く眉間のしわも可愛かった。
注文を取る時の、ちょっとした雑談が楽しかった。
でも、ただそれだけ。
あの子は喫茶店の常連さん。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
同じ高校でも、連絡先すらわからない。
紙袋の中には、ピンクのハート型したマカロンと制服のボタンがひとつ。
たったそれだけだった。
メッセージカードぐらい入れてくれたらいいのに。
ありがとうもサヨナラも言えなかった。
大好きなバイトを辞めるだけでも悲しいのに、中途半端なあの子との別れで胸の中にぽかんと大きな穴があいてしまった。
悲しすぎて泣きたくないから、この窓辺の席にくるまであの子のことを考えないようにしていた気がする。
「いらっしゃいませ」
いろいろと思い出してメニューを広げたまま動けなくなっていたら、いつの間にか店員が側に来ていた。
コトリと水を置かれ、まだ注文を決めていなかったことに焦る。
慌てふためいてメニュー表に顔を埋めたら、クスクスと店員が笑いだす。
「ご注文より先に、連絡先をお伺いしてもよろしいですか?」
明るいその声に、驚いて顔をあげる。
あの子だった。
ウェイターの制服を着ていたけれど、間違いなく窓辺にいた彼。
「おひさしぶりです。ここにいれば、いつか会えると思っていたから」
キラキラ光る少年そのままの瞳から、目を離せない。
言いたいことが多すぎて、言葉が出てこなくなるなんて。
どうしていいかわからない。
注文はあなたがいい、なんて気のきいたことは言えないけれど、人懐っこい笑顔につられ、自然に微笑み返していた。
私の心臓の鼓動だけが、勝手に走りだす。
会いたかったと言えば嘘になってしまう。
ここに戻ってくるまで、彼の記憶を封印していたから
だけど、会えてよかった。
本当に良かったと思う。
「ねぇ、仕事が終わる時間を教えて」
もちろん、と彼は笑った。
そっとアドレスを書いた紙コースターを私の前に置いた
落ち付いて見えていても、慌てたようなその文字が彼の踊る心情みたいだった。
香り高いコーヒーとピアノの優しい調べ。
懐かしいアンティークな喫茶店で、新しい想い出を重ねていく。
少し大人になった彼と今の私の恋が、もうすぐ始まる。
【 おわり 】
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