「きゅんと、恋」短編集 ~ 現代・アオハルと恋愛 ~

真朱マロ

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あなたを想う(大学生・社会人)

ベーコンレタスと魔女の鍋  ※注・BL風味

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「このままおひとりさまの人生が続くなら、正樹と一緒に住むのもいいな」

 ちゃぶ台に倒れこむようにして、拓海はベソベソと泣きごとを言っている。
 嬉しかったり悲しかったり、拓海にとって感情を揺らす何かが起こるたびに、一人暮らしの俺のアパートに逃げ込んでくるから、おなじみの光景である。

 高校時代からの付き合いである拓海は、大学を卒業して社会人になった今も、なにかと理由をつけては俺のアパートに突撃してくる。
 一人暮らしをしている気安さで追い出さない俺も俺だが、連絡も何もなく拓海が乗り込んでくるのはいつものことだ。

 そして、今日の拓海はまだお酒を飲んでもないのに、酔っ払いのようにくだを巻いている。
 交際半年の彼女に、またしても振られたらしい。

 最短一か月、最長一年半。
 今まで付き合った彼女は合計何人だったか忘れたけれど、それが拓海の交際期間の記録だ。

 告白したり、告白されたり。
 愛嬌があって明るい拓海は途切れることなく彼女ができるのに、お付き合いはなぜか長続きしない。
 性格もいいのに不思議なのだが、どうやらその性格がネックのようだ。

 いい人だから、と申し込まれて付き合い始め。
 いい人すぎる、と別れを切り出されるらしい。

 なんだそれ? と俺は思ったけれど、拓海本人も「なんだそれ?」と思ってるらしい。
 ただの友達に戻りたいのと訴えられ、その表情に親愛の情しかみえなくて、付き合うために必要な熱がすっかり消え失せていることだけはわかるのだという。
 その口調ひとつ眼差しひとつを見ただけで、何を言っても恋人としての時間は終わったのだとハッキリしていて、縋り付く隙もないから受け入れることしかできないのだと、拓海は寂しそうに笑う。

 いい人すぎて、もう付き合えない。
 なんて言われて、理解できる人間がいるのだろうか?

 たぶん、女心のそんな繊細さを意味不明だと理解できないままなので、同じ理由で別れを告げられているのだろうけど、あきらめが良すぎるというかなんというか。
 性格も雰囲気も違う彼女たちそれぞれから同じセリフをもらっているから、共通のなにかが別れを決断させたのだろうとは思うのだけど。
 意味不明な歴代彼女たちの心理なんて、俺もわからないから慰める言葉も浮かばない。

 ただ、この流れにも慣れていた俺は「そーかい」と適当に返事をしながら、冷蔵庫を開けた。
 冷えたビールとレタスを丸ごと取り出して、当たり前のように拓海に渡す。
 ちょうど夕食前だったので、働かざる者は食うべからずだ。

「とりあえず、手伝え」

 つめてぇ、などとぼやきながら、拓海は俺の側に立って洗ったレタスをチマチマとちぎりだした。
 親の仇のように睨みつけて、細切れにしている。
 やることがあれば少しは気がまぎれるのか、時々ビールに口はつけているものの真剣である。

 本気で傷ついているみたいだから、甘いシチューが食べたいという希望をかなえてやるつもりだ。
 俺は手土産に渡されたカボチャとサツマイモに手を付けた。
 さっくり切ったサツマイモの断面に、うわ! と思わず変な声が出てしまった。

「どした?」
 俺の手元を覗いた拓海も「なにそれ?」などと声を上げる。
「青ざめた芋だな! 俺の失恋がうつったのか?」

 語彙力が迷子の言い方に、思わず笑ってしまった。
 失恋した拓海に共感して、サツマイモが青ざめているわけではない。

「拓海、これ、紫芋だ」
「サツマイモのコーナーにあったんだぞ」
「ちゃんと銘柄を確かめろよ」
「安かったんだよ。他のが二本で三八〇円なのに、これは四本も入って二〇〇円だったんだ」

 それはそうかもしれないが、包装されたビニールを確認したらちゃんと紫芋と書いてある。
 まぁ、俺も切るまで普通のサツマイモと信じていたけれど、買うときに確かめないからこうなるのだ。

「値段だけ見ても仕方ないだろう」
 そういって笑いが止まらなくなった俺を見つめて、目を細めた拓海はふわっと笑った。
「正樹はそうやって笑ってくれるとこがいいよな」

 は? と思うよりも早く、正樹は手の中のレタスに視線を向けた。
 みじん切りサイズを目指すかのように、レタスは小さく小さくちぎられていく。

「今まで付き合ってきた彼女たちはさ、バカじゃないのって怒って、俺がゴメンってひたすら謝って、仕方ないわねってため息つかれるとこまでがお約束だったからさ。まぁ、そういうこと」
「そういうのって、謝る側のほうがしんどいだろ? この程度で死ぬわけでもなし、怒る必要があるのか?」
「う~ん、常に怒る側になるしんどさが俺にはわからないから、何回もダメになるんじゃね? 本当のところは知らんけど」

 それからなんとなくお互いに言葉を失っていた。
 かといってそれはイヤな沈黙ではなくて、コトコトと煮込まれていくシチューに似て、どこか優しい時間だった。

 妙に大人びた表情で、拓海はレタスをちぎり終えた。
 お皿に盛りつけて、何かが足りないと思ったらしく冷蔵庫からカット・ベーコンを取り出すと、シチューを作ってる横でカリカリに焼き始める。
 レタスの上にベーコンを散らすつもりのようだ。

 横に立つ拓海の妙に真剣な横顔を見ながら、俺はバケットも軽くトーストする。
 ベーコンとレタスのサラダと、焼き色のついたバケットと、少々出来上がりの予測がつかない紫芋とカボチャのシチュー。
 サツマイモならまだしも紫芋だという不安はあるが、まぁ、悪くない組み合わせだとは思う。

「そんなことより、正樹はどうなの?」
「どうなの? とは?」
「正樹が結婚するなら、おひとりさまの俺とは一緒には住めないな、と思って」

 不意打ちだな、と思いながら肩をすくめる。
 そんな心配なんて、する必要もないのに。

「言っただろ? 初恋の人が忘れられないって。俺はこのままでいい」
「高校時代に出会ったんだっけ? 俺、ずっと正樹と仲良かったのに、ちっとも気がつかなかったんだけど。ほんと、それ、誰?」

 チラリと横に目をやれば、拓海は心配だと言い出しそうな顔をしていた。
 ずっと仲良くつるんでいた俺の秘めた恋が、気になって仕方ないのだろう。
 ただ、何年も相手を濁し続けている状態から予測して、叶わぬものだと理解してくれているらしい。
 そのおかげで余計な言葉の追撃はなかったけれど、自分の失恋と重ね合わせて悲壮な表情になるのはどうかと思う。
 まぁ、こういうところが、良い人だと簡単に切り捨てられる要因なのかもしれない。

「拓海には想像もつかない相手だよ」

 そっか、と拓海は寂しそうに笑った。
 良い人である拓海は、善意の問いを拒絶の感情でねじ伏せて話したくないと示せば、この先には絶対に踏み込んでこない。
 口先だけの「ごめん」を言って、これ以上はつまびらかにしないという意思を込めて、俺は穏やかに微笑んでみせた。

 拓海は気を取り直すように「そろそろいいんじゃね?」と鍋を指さした。
 そうだな、と俺は軽く応えてパカリと鍋の蓋を開けたけれど、即座にカパンと蓋を閉める。
 なんだか、見てはいけないものを見てしまった気がする。

「どした?」
 一瞬のことで中身の見えなかった拓海は不思議そうだったけれど、俺は「心の準備はいいか?」と尋ねる。

「なに? 心の準備っているの?」
「いる。ちょっと、想像を超えたものになってる」
「マジで?」
「マジで。煮込む前からやばそうだったけど、想像以上にヤバイ」

 俺と拓海はしばらく見つめ合っていたけれど、いつまでもこうしていられないので「せーの!」の掛け声で蓋を開けた。

 グツグツと煮込まれているそれは、非常に美味しそうな匂いを漂わせているけれど、残念なことに視覚の暴力だった。
 うへぇっと俺と拓海はあらぬ方向へ視線を泳がせる。

 想像以上の、と言うべきか。
 想像通りの、と言う惨状か。

 濃いオレンジ色のカボチャと濃いパープルの紫芋が煮溶けている中で、惨殺された何かのようなチキンやニンジンが悲壮感を漂わせながら、得も言われぬ色彩の中でフツフツと煮立っている。
 ドロドロとした不気味な色にちょっとどうしていいかわからなくて、少しはましになるかと思ってホワイトシチューのルーを入れたら、色が和らぐどころかさらに表現しがたい色になった。

 これではまるで、魔女の鍋である。

 うへぇっとしか言いようがないその色におびえながら味見をすると、意外にも美味しかった。
 カボチャの甘みと、紫芋の甘みが調和して、ホワイトルーの優しさを引き立てている。
 味はいい。とりあえず、味はかなり美味しい。
 味見をした拓海も、なんとも言えない困惑の表情でいる。
 
「これ、牛乳入れたら、もう少しマシになるかな?」
「いや、余計ひどくなるだろ?」

 オレンジと紫の入り混じった形容しがたい色彩に、他の色を足せばどうなるか、考えただけで恐ろしい。

「とりあえず、完成」
「これで、完成? 魔女の闇鍋にしか見えない」
「仕方ないだろ。いじればいじるだけ、危険物になる予感がする」

 うへぇ! と言いあいながら、俺たちは盛り付けた料理をちゃぶ台に運ぶ。
 いただきますを言い合って、恐る恐る魔女のシチューを口に運んだ。

「うそーん」と拓海がスプーンをくわえて目を閉じる。
「うそーんってなにが?」と俺が笑うと、「危険物なのにうまい」と拓海も笑った。
 見た目を裏切る美味しさに、黙々と俺たちは魔女のシチューを口に運ぶ。

「将来はやっぱり、正樹と一緒に住むのもいいな」
「別に、将来じゃなくても、俺は構わないよ」
「今すぐってこと?」
「今すぐでも構わないってこと」

 拓海は驚いたように眼をパチパチと何回もまばたいて、その後でふにゃっと笑った。
 俺の好きな、あどけない子供みたいに綺麗な笑顔。

「正樹って、ほんと、俺に甘いよなぁ」

 今更だろ、といなすと、今更だな、と拓海は二本目のビールを空にした。
 そして、真顔になる。

「正樹には、幸せになってほしいんだ」
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ」

 俺たちは真顔のまま見つめ合い、そして、同時に噴き出した。
 さほど酔ってもないのに、笑いが止まらなくて、目の端に涙がにじんだ。

 拓海は知らないだろう。
 ニコニコとこうやって笑っていても俺の心の中は、魔女の闇鍋よりもドロドロとした感情が詰まっている。
 どうでもいい人間と一緒に住めないってことの意味を、拓海は本当にわかっていないのだ。

「まぁ、なんだ。叶わぬ初恋に延々と囚われてる俺の気がまぎれるように、拓海はひたすら甘えてればいいんだよ」
「なんだそれ? まぁ、実際に甘えてるけどさ」
「わからなくていい、というか、わかるな」
「何気にひどいコト言ってるよね?!」

 気のせいだろ、と言って、俺は笑うしかない。
 拓海との時間は優しい気持ちのままで、いつもこうやって過ぎていく。
 とんでもない色をした魔女の鍋すら、ご馳走に変えてしまうほど楽しくてたまらない。
 視線が交わる一瞬一瞬も、ため息の先にある優しい沈黙も、俺にとってはかけがえのないモノだから、些細なことにも感情が揺れ動く。

「まぁ、拓海と一緒なら、とんでもない色をしたシチューも美味しいから、俺は十分幸せなんだよ」

 甘くて、熱くて、やわらかくとろけるほどに、苦さを増す感情。
 苦しくはないし、悲しくもないけれど、直視する必要のない欲を押さえつける。
 気づかないでほしいと願いながら、俺だけに甘えていろとも望む傲慢は、友人という名の仮面でこの先も覆い隠せるはずだ。

 そう、付き合う相手が彼女ばかりの拓海にはわからなくていい事なのだ。
 俺が恋して愛する人は、異性ですらないのだから。

 ましてやその相手が、拓海だなんて、一生教えてやらない。


【 おわり 】
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