「きゅんと、恋」短編集 ~ 現代・アオハルと恋愛 ~

真朱マロ

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恋の始まり(大学生・社会人)

キスまでの距離

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 気がつくと、翔がずっと側にいた。

 親同士が仲がよく、新興住宅地に入居したお隣同士。
 生年月日だって三か月しか違わない。
 当然のように私たちは、生まれる前から一緒に過ごした。
 歩きだす瞬間も、幼稚園に入る時も、小学校への入学だって、私にはじめて訪れる人生の節目にはいつも翔がいた。

 笑ったり泣いたり、忙しいほどクルクル変わる季節の中で、翔だけは変わらなかった。
 もちろん背が伸びたり、声が変わったり、ぶっきらぼうになったり、成長した年月が増えていくぶん、翔にもそれなりの変化はあるけれど。
 翔が彼女を作ったり、違う大学に入学したり、彼女と別れちゃったとがっかりしたりと、少しづつ生活の基盤は違ってきても、気持ちの距離感って呼べるものはずっと変わらないままだった。
 たとえば翔に新しく彼女ができても、私に彼氏ができても、たまに会えば「相変わらずだなぁ」って笑って手をふるような関係が続いていく。

 きっとそれは、この先も変わらないだろう。
 甘くもないし苦くもないし、それが心地よくて。
 幼馴染ってそんなものだと思う。
 ずっとずっと、翔にはそんな存在でいてほしいと思う。

 それが私の勝手な思い込みだって知るのは、私が19歳になる誕生日だった。
 玄関のチャイムが鳴って、インターホンから翔の声がした。
 いつものようにおかずのおすそ分けかな~なんて思いながら扉を開けたけど、ポンと小さな箱を手の上に載せられる。

「おめでとさん」
 なんて言われて、私の誕生日プレゼントを届けに来たんだと知った。

 丁寧に包装された、かわいいリボンの付いた小さな箱。
 そのお店のロゴが最近噂になってるアクセサリー屋さんだったから、かなり驚く。

 毎年、私の誕生日にプレゼントはくれる。
 例年だとモコモコソックスとかお菓子をくれるけど、今日はなんだか勝手が違っていた。

「開けていい?」
 確かめると、うん、と翔はうなずいた。

 いつもより口数が少ない。
 と言うより、進学した大学が違ったので、こうやって直接話すのも久しぶりだ。
 久しぶりだからあれこれ聞こうと話しかけたけど、翔は不自然に視線をそらすばかりだ。

「どうでもいいから、サッサと確かめろよ」
 どうでもいいって……あいかわらず口が悪いんだから。
 変なの、と思いながらも私は包みを開けた。
 少し、驚いてしまう。
「これ……」

 私は言葉を失ってしまった。
 出てきたのは指輪ケースだった。

 まさか、ビックリ箱ってオチじゃないよね?

 日頃の付き合いを考えると、ないとは言い切れない。
 警戒しながらそっと蓋を開けると、リボンをモチーフにしたシルバーリングだった。
 可愛い。誰が見ても可愛いって断言できるデザインのリングだ。

 まるで彼女へのプレゼントみたい。

 そう思った瞬間、ドキリとした。
 ありえない。
 どうしてって聞かれても困るけど、これは私が貰うべきものじゃない。

 だけど、心臓は勝手に速度をあげる。
 ドキドキするのは、なぜだろう?
 打ち消したい勝手な思考なのに、リングをつまむとなんだか指先が震えた。

「高校の時、卒業前に欲しいって、言ってただろ?」

 言った。たしかに言ったけど。
 休憩時間の女の子同士の会話で、欲しい欲しいと盛り上がったけど、翔は加わってない。

 聞いてたんだ。
 まぁ、同じ教室だから、聞こえない訳がないけど。
 覚えているだけで、驚いてしまう。

 シルバーリングを19歳の誕生日にもらうと、その人と幸せになれる。

 彼氏にもらうのが前提の、恋のジンクス。
 根拠なんてないし、本当に信じてる訳でもなくて、恋に恋する瞬間を切り取るような、そんなおまじないだったのに。

 それだけに喜んでいいのか、途方に暮れていいのか、わからなくなる。
 だってシルバーリングは、彼氏にもらうものだから。

 頭の中が混乱してしまった。
 つい、もらえない、と返しかけた私の手を、翔は止めると同時に、サラッと言った。

「俺たち、付き合おうか」

 私はバカみたいに「え?」と言って、翔を見つめてしまった。
 本当に理解できなかった。

 付き合うって?
 戸惑いを置いてけぼりにして、私の心臓は勝手に鼓動を早めていく。

「だから、好きだっつってんの」

 語調がひどくきつくて、その意味が浸透するまでに時間がかかった。
 今、好きって言われてる。
 それは幼馴染としてではなく、異性としてだ。

 告白されてるはずなのに、言い方のせいか怒られてるのかと思った。
 何度まばたきして凝視しても、不自然に目をそらした翔の様子は告白の言葉が真実だと告げていた。
 耳が赤い。
 怒ったようにひき結んだ口元は、照れ隠しの癖だと私は知っている。

「返事は?」
 横を向いたままぶっきらぼうに聞かれた。
「急に、なに?」

 恋とか愛とか、そういうものを付きつけられるなんて思ってもみなかったから、ひどく動揺してしまう。
 こんなこと、想定外すぎて、どう反応していいのかわからない。
 言葉も見つからなくて、続ける言葉を見失った。

「なんで怒るんだよ?」

 怒ってるのは翔だと思う。
 私は戸惑っているだけだ。
 ずっと変わらない、不変の関係でありたいのに。
 今までと変わる位置に立つことを思い描いて、クラクラとめまいがした。

「なんで今更……」
「なんでって、好きだから」
「それはさっきも聞いたけど」

 よくわからない、と小さな声でもらす。
 ハッキリ言われて心には響いたけど、私の気持ちは揺れるばかりだ。
 動揺して、どう答えていいのかわからない。

「なに? 俺が好きになるのに、理由がいるわけ? あれもこれもって理由を、ドンドン並べりゃ、納得できるのかよ?」

 いえ、私が納得できないのは、翔がけんか腰になってるその訳なんだけどね。
 私が欲しいのは理由じゃない。
 何がこんなに気持ちをざわめかせるのか、それが見えなくて不安なだけ。
 だけどさっきから心臓は速度をあげて、痛いぐらいに脈打ってる。

 これが、嬉しいってことだろうか?
 自分の気持ちが、一番わからなくて、不安だった。

「お前、俺の嫁さんになるって言ってただろ?」

 キスまでした仲なのに、などと不意にすねられて、私はひどく狼狽した。
 記憶にまったくございません。
 してない、と言いかけたけど思いなおす。
 私よりも遥かに翔は記憶力があって、男女逆転だねってからかわれるぐらい、細かいエピソードを覚えている。
 ものすご~く幼い時の可能性だってあるから、問いかけてみる。

「いつよ、それ?」
「3歳の時」

 3歳……物心つくかつかないかまで遡るわけね。
 翔には悪いけど、私はまったく覚えていない。
 絶句していると「面倒だなぁ~」とごちて、翔はシルバーリングをヒョイと奪う。
 当然のように私の左手をとると、薬指にはめた。
 笑えるぐらいサイズが大きくて、クルクル回る。

 それがおかしくて、思わず吹き出してしまう。
 何これ! と笑うと、翔はひどくあせっていた。
 俺の小指に合わせりゃいいって店員が言ったんだ、とか何とか、必死で言い訳している。
 焦っているのはさっきまでの挙動不審ではなくて、普段の翔の顔だった。

 翔には悪いけど、思いきり笑ったことでやっと縮こまっていた気持ちが解凍した。
 こんな時間は、私のお気に入りだ。

 だから、ああそうか、と気持ちがストンと好きに収まった。
 簡単に好きだって言って、幼馴染から彼女になってしまうと、いろんな未知の気持ちが生まれて揺れるのが嫌だったんだ。

 付き合うって、やっぱりいいことばかりじゃない。
 幼馴染ならよかったねって言えることも、付き合って近づくと一喜一憂する原因になってしまう。
 それが怖かった。
 
 だけど。
 私のはじめては、いつも翔と一緒だった。

 この先もそうならいい。
 それはきっと、好きだってことだろう。
 
「ゴメン、笑って。これからもよろしく」
「これからって、オッケーってこと?」
「うん、そう」

 よし、とガッツポーズをとるので、かわいいな、と思ってしまった。
 でもそのまま肩をつかまれたので、油断していたからひどく焦った。
 翔の顔が近付くから、思わず顎に手をかけて力いっぱい押し返した。

「いきなり、なに!」
「ファーストキスの再現」
「知らないわよ、そんな昔のことは」
「忘れるか、普通?」
 
 突っ込まれて、返事に詰まる。
 確かに、忘れにくいものだとは思う。
 でも、一切記憶にございません。

 ムードも何もなく、自宅の玄関でいきなり襲われたくない。
 それに私は誰とも付き合ったことがないけど、翔は中学と高校で彼女がいた。
 思い出して、なんとなくイラッとした。

「なによ、翔は他にも彼女がいたじゃない」
「だから、なに? いつのことだよ?」

 ああ、と翔はにやりとする。

「妬いてんの?」
 
 違う、と言いかけたところで、翔が自然に身をかがめた。
 塞がれた唇が、別の生き物みたいに熱を持った。

 私は思わず目を閉じる。
 あ、なんとなく思いだした。
 庭で遊んでいる時、デージーで指輪を作って、結婚式のまねごとをした。
 その時、確かに誓いのキスをした。

 思い出したことで、胸が震えた。
 あたりまえだけどあのころとはまるで違って、翔は背が伸びて、肩幅も広くなっていた。
 子供の頃はキスまでの距離が、もっと近かった気がする。

 触れあった翔の唇は、かすかにふるえていた。
 壊れ物を扱うみたいに、そっとしか触れていないのに。
 私の八つ当たりも不満もいら立ちも、すべて吸い取って離れて行った。

「今度は忘れるなよ」
「……バカ」

 別に、回り道をした訳じゃないけど。
 好きが近すぎて、今まで見えなかった。
 キスまでの距離は、遠くて近い。

 怖くて、嬉しくて、笑いたいのに、泣けそうで。
 人生、二度目のキスははじめての感覚だった


【 おわり 】

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