「きゅんと、恋」短編集 ~ 現代・アオハルと恋愛 ~

真朱マロ

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恋の始まり(高校生)

恋に落ちる五秒前 ~ レモンウォーター ~

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 思わず膝を抱えて、泣いてしまった。
 ベンチにこもって泣くなんて、情けないとは思う。
 県大会の予選で転倒してしまったぐらいで、たそがれてしまうなんて。

 自分のせいじゃない。
 800m走で混戦から抜け出そうとしていて、目の前の選手が転びそれに巻き込まれたのだ。
 右足をくじいてしまって棄権するなんて、それほど珍しい話でもない。
 だけど、あんなに練習したのに! という思いが消せない。

 ああ、もうやだな。
 そんな気持ちが止まらなくて、本戦の応援をする気も起きなくて。
 タオルをかぶったまま、閉会式まで泣こうかな。
 それでいいのかもしれない。

 不意に、ふわりと風が動いた。
 ピタリ、と冷たい物が腕に押し当てられた。
 無視したかったけれど、強引に握らせようとするので、顔をあげる。

 山崎君がいた。
 短距離走の選手で、もうしばらくしたら最終レースが始まるはずだ。
 ウォーミングアップもせずに、こんなところでなにをしてるんだろう?
 そんな疑問がわいたけれど、フイッと山崎君は目をそらす。

「おまえの分も僕が走るから、泣くな」

 ぼそぼそっとそれだけ言って、レモンウォーターを私の手に押しつけると、逃げるように去って行った。
 驚きすぎて、涙が引っ込んでしまった。
 普段が無口で黙々と練習をしている人だから、こんなふうに気づかわれるなんて思ってもみなかった。
 特に仲が良かった訳じゃないのに、走り去る山崎君の耳の赤さが目に焼き付いて離れない。

 どうしよう?
 このぐらいで動揺するなんて、我ながら免疫がなさすぎると思うけど、ドキドキしてきた。
 泣き顔まで見られちゃって、なんだか照れくさい。
 そうだ、 応援、しなきゃ。

 立ち上がって、山崎君のレースが見える場所に移動する。
 泣いたばかりで不細工な顔になってる自覚はあるけど、力いっぱい走る山崎君を目に焼き付けよう。
 心のファインダーに、今日を残そう。
 ちょっと恥ずかしいけど、頑張れって叫んでいいよね。

 スタートラインに立った山崎君と、一瞬だけ目があった。
 軽くうなずくしぐさに、ドキンとする。
 真っ直ぐな瞳が「見てろ」と告げるようで、心が動いた。
 大丈夫、あなたならできる。
 そう言いたくなるぐらい、綺麗に澄んだ瞳だった。

 高まる緊張感に息が詰まる。
 レースが始まる前の緊迫感を壊したくなくて、小さな声で何度も「頑張れ」とつぶやいた。
 手のひらにじんわりと汗をかいてしまう。

 青春の一ページなんて、きっとこんなふとした瞬間の寄せ集めだ。
 手の中にあるレモンウォーターみたいに、爽やかな記憶として滑り込めばいい。

 そして、スタートの合図が、今、鳴り響く。

【 おわり 】
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