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本編・月の綺麗な夜でした

そのなな 山賊

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 幾つもの篝火を掲げ、夜闇の中をその一団は王都へと進んでいた。
 照らせる範囲は狭いけれど炎を手に手に掲げ、年季の入った幌馬車の周囲を騎士の一団が馬で駆けている。

 頑丈ではあるが粗末な幌馬車の車輪はガラガラと大きな音を立て、激しい振動を伝えてくるので、乗せられた者たちは一睡もできない。
 まるで気を失うようにまどろむだけの強行軍に、一週間も過ぎれば幌馬車に乗る者すべてが疲れ切っていた。
 木製の車輪から伝わってくる大きな振動で眠ることはできないし、たまに石に乗って跳ね上がる木の床に、身体を打ち付けて青あざを作る者もいた。
 治癒師がいるとはいえ、その治癒師自身も疲労困憊で、余力のあるミントは休憩時間に出来るだけ多くの人を癒すようになった。

 先頭の幌馬車に乗せられているミントは、敷き詰められたクッションの山に埋もれ、毛布にくるまっていた。
 眠れなくとも目を閉じて横になれば、少しは体力を維持できる。
 柔らかなクッションに顔を埋めれば、懐かしいパン屋の香りがした。
 甘くて香ばしい小麦の匂いにウトウトとまどろんでいたら、今日までのアレコレが水泡のように浮かんできた。

 ローが姿を消してから通常生活に戻ったミントだったが、田舎街の人たちはお節介で人情に厚かった。
 ダンナが迎えに来るまでしっかりおしと言って、アレコレと気を回し世話を焼いてくれた。
 必要なものを早々により分けたミントの、不必要な私財や家財道具を高めに引き取ってくれたり、今まで看ていた患者さんたちを引き継いでくれたり、思いつく限りのことでいたせりつくせりだった。
 そして親切にしてくれる人たちは全員、ミントが幸せになるためにこの街を去ると信じていた。

 戦が起こることを言い出せないのも心苦しかった。
 ごめんなさいと言えず目を伏せても、未来への不安と勘違いしてくれる人たちの優しさに泣きたくなった。
 近く別れてしまう事よりも、真実を言えないもどかしさが胸をふさぐ。

 だから、ローが言っていた通りに王都から騎士だけの一団が訪れ、戦に召集されることが確定したとき。
 民間人を招集するなら常なら居るはずの兵士の姿がない事に、ミントは不審がられない程度に騎士団を観察する。
 所属を示す腕の腕章は、国王陛下直属の紋様が刺繍されていた。
 通常の王国騎士団を差し置いて、近衛も兼ねた国王陛下直属の騎士がこんな僻地まで、ただの人材集めに来るのは異常事態である。

 どういうことかしら? と思考を巡らせかけたところで、騒ぎが起こった。
 迎えに来た騎士たちに「この子は新婚で旦那がもうすぐ迎えに来るし、子供もできてるかもしれないから、戦なんて無理だ」と街の住人が食って掛ってくれたので、驚くと同時に心から思ったのだ。

 逃げなくて良かった。
 街からも、この人たちからも、逃げなくて良かった。
 たとえローとの約束を守れなくなったとしても、この人たちを一瞬でも守れるなら本望だ、と。

 驚いたことに、出立までには、一晩しか与えられなかった。
 王命での召喚対象は、ミントの他にも壮年の治癒師もいたし、防具屋や鍛冶屋の職人まで同じように王都まで運ばれることになった。

 ミント以外の人たちは心の準備もなかったので、家族との急な別れに戸惑いながら悲しみをあふれさせたし、その家族の嘆きは更に深かった。
 それほど縁を結んでいなかったミントでさえ、自分の娘が奪われるほどに嘆いてくれて、もらい泣きをしてしまった。

「あんたの旦那が戻ってきたら、どこに行ったかちゃんと伝えてあげるし、あのにーちゃんならどっかでこの話を聞いて、直接迎えに行くかもしれない。だから、気をしっかり持つんだよ」

 まとめていた荷物を背負って、ミントは自分から幌馬車に乗った。 
 肉屋のおばさんはワンワン泣きながら毛布を数枚押し付けてきて、パン屋のおじさんはいくつもクッションを運んできた。
 そんな行動を見て他の人たちもそれにならったおかげで、がたつく幌馬車の中でも床に叩きつけられることが減り、ミントと同じ幌馬車に乗車した者は移動中でもほんの少しぐらいだけど眠ることができる。

 まどろみながらも、これはやっぱり、おかしい状況だとミントは思う。
 治癒師や防具職人のような技術職を僻地から集めているのに、この状態では王都につくまでには体調を崩す者がほとんどだろう。
 まだ若いミントでさえ疲労困憊である。
 それに王国騎士団には直属の職人や治癒師がいるし、そもそも王都にはそういう人材も豊富だ。
 いったい何が起こっているのか、得体のしれない不安がわきあがる。

 三食の食事時間と、馬を休ませるための休憩時間以外は、王都に向かってひた走っている。
 ひとつの幌馬車にふたつの街の招集者を乗せ、途中で合流しながら三台になっても速度を落とさない強行軍だ。
 それに戦が始まると言いながらも、どこと戦をするのかが、王命に示されていなかった。隣国との戦争ならば、兵士となる若者も同行せねばおかしいが、騎士たちにはそんな素振りすらなかった。
 とにかく急いでいるのかもしれないけれど、ローから戦の話を聞いてからそれなりに時間がたっているので、チグハグに感じるのだ。

 けれど、すぐに思いいたる。
 もともとおかしいのは、ローだ。
 国の中枢である騎士団さえ、慌ただしく準備もないまま動いているのに、それよりも早く情報を掴んでいた。
 どこまでも正体不明の、不思議な男である。

 師匠に頼まれたと言っていたけれど、師匠そのものも謎が多いから、いったいどこの誰との縁で互いに知り合ったのかも謎でしかない。
 それにふたりとも普通ではないので、そろって簡単に他人を信じたりしないタイプの人間だ。
 それなのに互いに信用し合っていることが、ローの行動の端々から見えた。
 養父である師匠はミントに対して親バカを発揮して、他人に託すことすら稀だから、彼が一人で訪れただけで信用度がわかる。
 ミントに手を出したのを知ったらとんでもない報復をしそうな師匠だから、関係を持ったとバレた時のローへの処遇を想像し、ちょっぴり背筋が寒くなってしまった。

 そんな風に思考を巡らせているうちに、獣に似た獰猛なローの笑みを思い出し、キュウっと胸の奥が傷んだ。
「最後までしぶとく生きることを考えろ」という言葉は、まだ、ミントの中で生きている。

 だけど、王都に向かう道筋の中で、最大の難所である峠を越えるのは今夜だ。
 峠を越えてしまえば、監察官に素性を調査され、偽りが露見する確率が上がる。
 周囲も疲れ切っている今なら、ついうっかり死を選んでも、戦への不安や恐怖だと勝手に想像されて、不思議がられないだろう。

 ふと浮き上がる、そんな誘惑。
 だから、もう一度会いたいと思った。
 気まぐれで、飄々としてつかみどころのない、猛々しい瞳をして、獣のように魅惑的な、愛しいあの男にもう一度会いたい。

 ふわりと意識が浮き上がり、ミントはまどろみから目覚めた。
 なぜか、言葉にならない予感がして、頭の芯から冴えてくる。
 ミントはその予感に従い、静かに身を起こすと身だしなみを手早く整えて、抱えて眠っていた荷物を背中に背負う。

 息をひそめて、幌馬車内で身を伏せたまま、外の様子を伺った。
 なにかが起こると、胸のざわめきが教えてくれた。
 その刹那である。

 コォォォォォォォォン。
 澄んだ鋼の音が、夜闇に響き渡った。

 コォォォォォォォォン。
 硬質の金属音は研ぎ澄まされ、向かう先にある岩肌に反響し、夜も揺らす。
 乱れる馬の足並みと、幌馬車の急停止によって壁に叩きつけられた人の悲鳴。

 コォォォォォォォォン。
 風に乗って巡る澄み渡る鋼の音は魔力を帯び、刃の鋭さで夜闇を切り裂いていく。
 崩れる隊列と、未知の状況に混乱する人々の狂乱。
 混乱し恐怖する馬は走るのをやめて逃げ出そうとし、それをなだめる騎士たちの怒号が響く。

 激しい混乱の中でもわかる。
 この気配。この冴えた感覚。

 愛しくてたまらない、獰猛な獣のような男。
 間違えようのないその人の気配がして、胸が昂る。
 怒声や悲鳴と泣き声が満ちる幌馬車の中で、横倒しになっても投げ出されないように支柱にしがみついていたミントは、気配を感じても信じられない思いで扉代わりの垂れ幕を上げた。

 今まで走り抜けてきた道の果てに、男が一人立っていた。
 黒々とした夜闇を背負い、中天の半月から降り注ぐ銀光に輪郭を浮き上がらせて、顔は見えずとも静謐な夜に同化している。
 ただその静謐さも仮初で、手にある長い漆黒の槍が近くにある岩を軽く打つたび、魔力を帯びた鋼の音が岩壁も透過して闇まで震わせていた。

「何者だ!」
「山賊だよ」

 誰何する騎士の声に、槍を持つ男は低く笑った。
 岩を打つ槍をクルリと回して、流れるように柄を肩に当てた。喰い千切る獲物を前にした獣の酷薄さを瞳に宿し、獰猛な面差しからは戦意がほとばしる。

「この道を通りたけりゃ、対価を貰うぜ。幌馬車全部、置いていけ」
「断る! 山賊風情がぬけぬけと……その命であがなえ」

 前に出る騎士の動きとは相反して、解放された馬たちは目の前の男を恐れるように後退していく。
 かといって逃げるでもなく、幌馬車の近くでオロオロと怯えるばかりだ。

 恐慌している馬から降りた騎士たちは、男の煽る言葉と態度に気を昂らせ、スラリと剣を抜く。
 任務を妨害されたうえに、山賊は平常時でも討伐対象であるから、行動にも迷いがない。
 多勢に無勢であるのに、男は愉しそうにただ笑う。

「抜いたな、剣を。俺に向けたこと、後悔するぜ」
「貴様一人で、我ら一団に敵うとでも思っているのか?」
「はっ! 俺は強ぇぞ、覚悟しな」

 肩先から流れ落ちた槍が鮮やかに空を舞い、つむじ風を生みながら回る重い鋼が、軽やかにヒュンと鳴いた。
 流れるように槍を構えたその男は騎士たちを敵とみなし、穂先まで満ちた魔力が漆黒の魔槍を炎のように彩り揺らめき始める。

 そして、凄惨にぶつかりあう夜が始まるのだ。
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