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雪降る夜に
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あの日、雪が降っていた。
「佐竹さん? 佐竹課長代理じゃないですか?」
後ろからかけられた声に、しゃがんでいた俺は驚いて飛びあがってしまった。
振り向くと、真琴が立っていた。
自宅に戻る途中なのか、両手には野菜や日用雑貨を色々と持っている。
まさか、残業した帰りに立ち寄った公園で、会社の人間に出会うとは。
ばつが悪くて、立ちあがった。
そのまま後ろも見ずに去りたかったけれど、真琴が俺のしゃがんでいた場所を見てあららと苦笑したので、立ち去り損ねてしまった。
見つかってしまっては、言い訳もできない。
「ダメですよ、飼う気もないのに餌なんてあげちゃ」
目ざといなって、当たり前か。
真新しい猫缶に顔突っ込んでる子猫なんて、隠しようもないから。
わかってるよ、そんなことは。
飼えないから、こんなところで餌をやるなんて中途半端な行動をとっているんだ。
だけど、仕方ないじゃないか。
見つけちまったんだから。
俺の脚に頭をこすりつけながら、子猫がニャァと泣いた。
懐くな。真琴の前で。
会社では仕事人間で通して、無駄口すら叩いていないんだぞ。
口から出るのは嫌み中心の、非情で冷たい人間で通っているのに。
ハートフルに子猫と戯れている現場を見られてしまうとは。
実に最悪のタイミングだ。
「この懐きっぷりは今日がはじめてじゃないんですね」
真琴はそう言ってクスクスと笑った。
わかるか? まぁ、わかってしまうよな。
俺は心の中で降参と手をあげた。
言い訳のできない状況だ。
今この瞬間、真琴の中で俺は勝手にいい人認定されている。
そのぐらいはわかるけど、口には出してやらない。
「最初は四匹いたんだよ」
一週間ほど前に見つけたときは、じゃれあうようにして身を寄せ合っていた。
だけど、一日たち、二日たち。
いつのまにか他の兄弟ネコは消えてしまった。
他の奴はきっと拾われたのだ。
見るからに元気そうだったし、こぎれいな顔立ちもしていたから。
気がつくと、一番小さくて貧弱そうなこいつだけになっていた。
兄弟ネコに比べて目が小さくて、顔つきが少し不細工だけど、愛きょうはあるのに。
一匹だけになった夜、ポツンと公園の隅に座っていた。
通り過ぎる人には目もくれなかった。
兄弟ネコとじゃれ合っていた日のような、無邪気さも忘れているようだった。
俺も同じように空を見たけれど、暑く重なった雲ばかりで月すらなかった。
何もない、曇天の夜空だった。
それでも目をそらすことなく、あんまりまっすぐに空を見ていたから、俺は素通りできなかったのだ。
子猫用の猫缶を買ってきて餌をやると、あまり警戒せずに近づいてきた。
むしろ人懐っこすぎて、誰にでも愛想よくふるまいそうだ。
目ヤニの付いた顔をふいて、少し綺麗にしてやった。
誰かに拾われることを願いながらその場を後にしたけれど、子猫には救い主が現れなかったようだ。
俺のマンションはペットを飼えないし、生き物を飼えるほど時間の余裕もない。
残業続きで留守番をさせるよりは、お人よしの家族連れにでも拾われることを願いながら、ここ数日は猫缶を与えていたのだけど。
まさか、会社の人間に見つかってしまうとは。
同じ駅を使っている奴がいることすら、知らなかったのに。
「買い物袋と、子猫とどっちがいいです?」
「は?」
仕事用のバックと買い物袋で両手がふさがっていることを見せるので、俺は戸惑った。
「ついて来てください。私の家、近いから」
「飼うのか? こいつを?」
いえ、と真琴は曖昧に微笑んで、少し目を伏せた。
少しだけ言い淀む。
こんな煮え切らない態度は初めて見るかもしれない。
しばらく真琴はためらっていたが顔をあげて、いつものように微笑んだ。
「一時預かりですよ。猫の保護と譲渡をしている知り合いがいるんです」
里子に出すまではちゃんと面倒は見ますから、と言って先に立って歩き出す。
おい、と呼びとめようにも、真琴が「早く」とうながすのが早かった。
どうやら、断る権利はないようだ。
俺はため息をひとつついて、子猫を抱きあげた。
お前、今夜は暖かい場所で眠れるみたいだぞ。
心の中でそう言いながら腕の中を見ると、子猫は気持ち良さそうに目を細めてニャァと返事をした。
小さくても暖かい。
なんて感じている場合ではなかった。
スタスタと歩く真琴の歩みは想像よりも早い。
俺とさほど身長が変わらないから、一歩が大きいのだ。
手加減すらない速度に、俺も小走りでその背中を追いかけた。
それが、思いがけない一夜になるとも知らぬままに。
「佐竹さん? 佐竹課長代理じゃないですか?」
後ろからかけられた声に、しゃがんでいた俺は驚いて飛びあがってしまった。
振り向くと、真琴が立っていた。
自宅に戻る途中なのか、両手には野菜や日用雑貨を色々と持っている。
まさか、残業した帰りに立ち寄った公園で、会社の人間に出会うとは。
ばつが悪くて、立ちあがった。
そのまま後ろも見ずに去りたかったけれど、真琴が俺のしゃがんでいた場所を見てあららと苦笑したので、立ち去り損ねてしまった。
見つかってしまっては、言い訳もできない。
「ダメですよ、飼う気もないのに餌なんてあげちゃ」
目ざといなって、当たり前か。
真新しい猫缶に顔突っ込んでる子猫なんて、隠しようもないから。
わかってるよ、そんなことは。
飼えないから、こんなところで餌をやるなんて中途半端な行動をとっているんだ。
だけど、仕方ないじゃないか。
見つけちまったんだから。
俺の脚に頭をこすりつけながら、子猫がニャァと泣いた。
懐くな。真琴の前で。
会社では仕事人間で通して、無駄口すら叩いていないんだぞ。
口から出るのは嫌み中心の、非情で冷たい人間で通っているのに。
ハートフルに子猫と戯れている現場を見られてしまうとは。
実に最悪のタイミングだ。
「この懐きっぷりは今日がはじめてじゃないんですね」
真琴はそう言ってクスクスと笑った。
わかるか? まぁ、わかってしまうよな。
俺は心の中で降参と手をあげた。
言い訳のできない状況だ。
今この瞬間、真琴の中で俺は勝手にいい人認定されている。
そのぐらいはわかるけど、口には出してやらない。
「最初は四匹いたんだよ」
一週間ほど前に見つけたときは、じゃれあうようにして身を寄せ合っていた。
だけど、一日たち、二日たち。
いつのまにか他の兄弟ネコは消えてしまった。
他の奴はきっと拾われたのだ。
見るからに元気そうだったし、こぎれいな顔立ちもしていたから。
気がつくと、一番小さくて貧弱そうなこいつだけになっていた。
兄弟ネコに比べて目が小さくて、顔つきが少し不細工だけど、愛きょうはあるのに。
一匹だけになった夜、ポツンと公園の隅に座っていた。
通り過ぎる人には目もくれなかった。
兄弟ネコとじゃれ合っていた日のような、無邪気さも忘れているようだった。
俺も同じように空を見たけれど、暑く重なった雲ばかりで月すらなかった。
何もない、曇天の夜空だった。
それでも目をそらすことなく、あんまりまっすぐに空を見ていたから、俺は素通りできなかったのだ。
子猫用の猫缶を買ってきて餌をやると、あまり警戒せずに近づいてきた。
むしろ人懐っこすぎて、誰にでも愛想よくふるまいそうだ。
目ヤニの付いた顔をふいて、少し綺麗にしてやった。
誰かに拾われることを願いながらその場を後にしたけれど、子猫には救い主が現れなかったようだ。
俺のマンションはペットを飼えないし、生き物を飼えるほど時間の余裕もない。
残業続きで留守番をさせるよりは、お人よしの家族連れにでも拾われることを願いながら、ここ数日は猫缶を与えていたのだけど。
まさか、会社の人間に見つかってしまうとは。
同じ駅を使っている奴がいることすら、知らなかったのに。
「買い物袋と、子猫とどっちがいいです?」
「は?」
仕事用のバックと買い物袋で両手がふさがっていることを見せるので、俺は戸惑った。
「ついて来てください。私の家、近いから」
「飼うのか? こいつを?」
いえ、と真琴は曖昧に微笑んで、少し目を伏せた。
少しだけ言い淀む。
こんな煮え切らない態度は初めて見るかもしれない。
しばらく真琴はためらっていたが顔をあげて、いつものように微笑んだ。
「一時預かりですよ。猫の保護と譲渡をしている知り合いがいるんです」
里子に出すまではちゃんと面倒は見ますから、と言って先に立って歩き出す。
おい、と呼びとめようにも、真琴が「早く」とうながすのが早かった。
どうやら、断る権利はないようだ。
俺はため息をひとつついて、子猫を抱きあげた。
お前、今夜は暖かい場所で眠れるみたいだぞ。
心の中でそう言いながら腕の中を見ると、子猫は気持ち良さそうに目を細めてニャァと返事をした。
小さくても暖かい。
なんて感じている場合ではなかった。
スタスタと歩く真琴の歩みは想像よりも早い。
俺とさほど身長が変わらないから、一歩が大きいのだ。
手加減すらない速度に、俺も小走りでその背中を追いかけた。
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