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その果実は甘く

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「ご機嫌はいかがですか?」
 控えめな態度でお茶の時間を選び、私の元に訪れたのはグレン第三皇子。
 しおしおと背中を丸めているが、黒獅子と呼ばれるほど誉れ高き人物である。
 馴染みの訪問なので、私も侍女も笑顔で受け入れた。
 手土産を持参してくるのもいつものことだ。

「ありがとうございます、嬉しいですわ」
 直接手渡してくれるかわいらしい包みを受け取るときに軽く指先が触れ合えば、驚いたようにビクリと急ぎひかれた。
 持てる限りの笑顔を向けたのに、目が合うとグレン様は視線をあらぬほうへと泳がせる。
 あ~とか、う~とかよくわからないうめき声をあげ、手にしていた絵本を掲げるようにして私から顔を隠す。
 ちなみに少しだけのぞいた耳が真っ赤なので照れているだけだ。

「ヴィスカ姫、よ、よろしいですか?」
 ゴホンと妙な咳払いをしながら律儀に確認を取ってくるので、私はゆっくりうなずいた。
「ええ、お願いいたします」
 まったくグレン様ときたら! と言いたいけれど、それは態度に出さない。

 野ネズミとウサギが手をつないでいるかわいらしい絵柄と、厳つい顔のギャップに吹き出しそうになるのもいつものことだ。
 朗々とした太い声が読み上げる物語は、野ネズミとウサギの婚礼の物語。
 戦場にふさわしい野太い声ははっきりとして、物語の幸福感とともに綺麗な発音ごと胸に刻まれていく。
 慣れない国で暮らし始めた時間の中で、これは穏やかに流れる幸せな瞬間に違いなかった。

 私が遥か南国からグレン様の元に嫁いできたのは一か月前。
 辺境のちっぽけな弱小国である我が国が、グレン様の父君が治める皇国へ庇護を求めるための、立派な政略結婚だった。
 数カ月かけて北の皇国にまで移動してきたけれど、私の国とは比べ物にならないほど絢爛豪華なすべてに圧倒された。
 世界随一の繁栄を誇る皇国は、一般市民の暮らす街でさえ洗練されている。

 王位には関係ないとはいえグレン様は皇子である。
 しかも国王の自慢である黒獅子である。
 我が国の産出する果物と茶葉が決め手になったようだけれど、グレン様のパートナーを狙う数多の姫君を差し置き婚礼を結べたことは奇跡のような話だ。
 婚礼の場で初めて姿を見たグレン様の凛々しさに、私は政略結婚ということを忘れて胸をときめかせてしまった。

 しかし。
 婚礼の夜、グレン様は寝所に来なかった。
 これはいったいどういうことなのかしら?
 衝撃を受けるほど私の容姿が気にいらなかったとか?

 確かに姿絵しか交わしていなかったので、顔を合わせたのは婚礼の会場が初めて。
 政略結婚の打診の際に送る姿絵は私も確認したけれど、背後に国特産の花は散らしてあったけれど欲目修正のない正直さだったから、嘘はかけらも含んでいない。
 それに政略結婚なのだから段取りはすべて決まっていて、お互いに感情を除外している前提なのに。
 そこまで自分の姿をひどいとは思っていなかったので、かなりショッキングなすっぽかしであった。

 混迷を極める私の元にグレン様が訪れたのは、翌日のお茶の時間である。
 前触れもなく現れた夫に、私はさらに混乱する。
 なぜ、初夜を逃亡しておきながら、こんな時間に茶菓子を手にやってくるのか?
 もともと湾曲な腹の探り合いは苦手なので、私は「どうしてですの?」と真っ正直に問いかけてみた。
 うぉ~とかはぅ~と唸った後で、つま先を見つめながらグレン様がトツトツとした調子で朴訥に語ったのは、私にとっては目を丸くする内容だった。

 殴り合い、斬り合い、血を見る場でしか他人を触ったことがないと、最初に太い眉をしかめていた。
 そのうえ鍛錬に明け暮れ女性と目を合わせることもなかったから、厳つい男以外とどう接していいかわからない。
 北の国の人間はそろって骨格が太く大柄なうえに、グレン様は獅子とも呼ばれる武人である。
 それに比べて私は子供のように細く華奢な南国らしい骨格そのままで、普通に接しただけで破壊する自信がある。

 姿絵で一目惚れしたものの生身はさらに衝撃の美しさで、まともに見る勇気が出ない。
 見慣れぬキャラメル色の肌にグリーンの瞳は伝説の妖精みたいだし、あまりに綺麗だから触れると露みたいに消えてしまいそうで怖かった。
 と、いうことらしい。

 私が絶句したのは言うまでもない。
 グレン様は黒獅子と呼ばれるほど武勇に名高い人ではあるが、とんでもないトウヘンボクだった。
 トウヘンボクでなければ、根性無しである。
 一目惚れしたから、姿を見る勇気が出ないなんて、そんな話は聞いたことがない。

「わたくし、妖精でもありませんし、触れたぐらいで消えるほど貧弱でもありませんわ。少々小柄でも、グレン様と同じ人間でしてよ?」

 コンコンと諭しても、お互いの距離をまず縮めましょう、と申し入れられた。
 すでに公式の夫婦であるのだから、これ以上縮めるために必要な何があるのか?
 気づかいは無用ですわ、と手を握ってみたら、ふぉぉぉぉ~! と叫んで卒倒しそうになったのも驚愕である。
 黒獅子と呼ばれる人が真っ赤になって、プルプルと小動物のように震えている。

 私がグレン様に夫婦のなんたるかを懇切丁寧に説教すればするほど、グレン様が逃げ腰になってしまう。
 あれこれと言葉を交わしていると、お互いに憎からず思っているのがわかり、この状況をさらに情けないものへと変えてしまった。

 こんなこと、想定外だ。
 このままでは私が押し倒さなければならないのかしら? なんてあせったものの、真実押し倒したりしたらグレン様は心不全を起こす可能性がある。
 話しあったけれど埒が明かず、やり取りを見た侍女たちが必死に笑いをかみ殺していて、落とし所もなく不本意だった。

 どこまで平行線が続くのだろう?
 混迷を極めたころ、グレン様が譲歩した。

「ヴィスカ姫は我が皇国の文字も言葉も不慣れでしょうから、俺が茶話会の時間に教えて差し上げます。その間にお互いの距離に慣れるというのはいかがなものか?」

 いかがなものかもなにもない。
 無骨な皇子はどこまでも純情なのかしら? とあきれるだけだが、小さく丸まった背中がかわいらしく見えて「良い案ですわ」と私は受け入れた。
 そう、この絵本読み聞かせという奇妙な状況は、そこから始まったのである。

 次の日、皇子が喜び勇んで持ってきたのは、二階から下に落とせばぶつかった人の首が折れてしまいそうな分厚い辞書だったが、優秀な補佐官が慌てたように追いかけてきて回収された。
 代わりにおかれたのは、美しい挿絵の絵本だった。
 絵本にちなんだ菓子もグレン様に押し付けたので、かなりできる男だ。
 あの補佐官は女性にもてるだろうなぁと思ったら、すでに妻帯者だった。
 やはりそうなのね、と思っていたら、グレン様は絵本を手にガクガクと震えていた。

「これを俺が読むのか……」
 そんなふうにつぶやきながら青ざめていたけれど、意を決したようにいきなり音読を始める。
 前置きも何もないのがグレン様らしい。
 小さな花の妖精が旅をして風の国の王子さまと結ばれる恋物語が語られる図は、笑ってはいけないけれど無骨な皇子には不似合いだった。
 勇猛果敢な黒獅子とはとても思えない。
 自分でもそう思っているのか声が羞恥で震えていた。
 しかし、さすがは武人、初志貫徹である。
 最後まで詰まることなく読み終え、私も侍女たちも精一杯の拍手とねぎらいを贈った。
 ほっとしたようなほほ笑みは、今も目に焼き付いている。

 それから今日まで一カ月。
 ときおり仕事で訪れない日はあるけれど、時間を見つけてはグレン様が絵本を手に私の元へと訪れる。
 優秀な補佐官が選んだ恋物語と、それにちなんだお菓子を手にして。

 それでもまだ目が合わない。
 軽くぶつかる程度で、いつまでもグレン様は初々しいまま。
 もちろん、手すら握らない。
 さすがに私もじれてきた。

「今日はわたくしからもグレン様に御馳走したいものがありますの」
 読み終わったころ合いに侍女に合図を出して、飲み物を用意させる。
 運ばれてきた透明なグラスに、おお、とグレン様は声をあげた。

 透き通った淡いブルーのドリンクは、私の国の花びらを蜜に漬けたものを炭酸で割った特別なものだ。
 細かな泡に可憐な花びらが翻弄されている様は、幻想的ですらある。

「これほど美しい飲み物は初めてだ」 
 喜んでそのままグラスを手にするので、私は手を伸ばし指先でそっと押しとどめる。
「この飲み物は、まだ完成ではありませんの」

 不思議そうな顔をしたグレン様と視線がからみ、私はあでやかな笑みでそれに応えた。
 テーブルの上にたくさんの菓子と一緒に並んだフルーツの中から、ライライの黄色の実を選んでつまみあげる。
 南国特産のライライは親指の先ほどの大きさで丸く、薄い皮の下はやわらかく甘酸っぱい果肉が詰まっている。
 私が目の前で軽く果実をつぶし、ポトンとグラスに落としたら、さらに目を丸くして驚いた。
 果汁がユルリと溶けだせば、そこからやわらかな紅色に染まるのだ。

「これはすごいな! 青から紅に色が変わるのか」
 瞳をきらめかせ、子供のように純真な感想を述べる。
 見る間に変化したグラスを日にかざし、まじまじと観察していた。
 炭酸の中で翻弄される花びらとライライの実が、忙しく揺れていた。

 どうぞと勧めるとそのままグイとあおり、そのまま眉根を寄せて「甘い」と一言つぶやいた。
 苦手な甘さのようで、その情けない顔がおかしくて、思わずクスクスと笑ってしまった。
 花びらの蜜漬けを薄めたものだから、本当に甘いのだ。

「この果実は、恋を叶える魔力を持っておりますの」

 グレン様は一瞬驚いて「恋?!」と素っ頓狂な声をあげた。
 私は涼しい顔で続ける。
「南の国では新婚の寝屋にて酒で割り、終生変わらぬ愛を結ぶ習わしがあるのです」

 寂しい青が、黄色の甘さに照らされて、燃える命の連鎖を望みつつ。
 あなたの胸に落ちる光が、私の微笑みの甘さでありますようにと願いながら杯を交わす。
 命の炎を繋ぐ古くからのおまじない。

 グレン様は返す言葉を思いつかなかったらしい。
 その手に持った絵本がプルプル震えているので、内心はかなり動揺しているらしい。
 まるで私が困らせているみたいだ。

「お酒で割っていませんから、お気になさらないで」
 すでにわたくしたちは夫婦ですから、とささやきながら、その分厚い唇にひっそりと張り付いた花びらを、指先でかすめ取る。

 ガタン! と大きな音をたてて、グレン様が立ち上がった。
 よろっと一瞬よろめいたけれど、すぐに背筋を伸ばして仁王立ちに立つ。
 そして、私をひたと見据えた。

「ヴィスカ姫、また来ます。今度は我が国の銘酒とともに、必ず」
「ええ、お待ちしていますわ」

 力いっぱいの宣言に、私は微笑みを返した。
 しっかりと見つめあったまま、意味をもった会話を交わしたのは初めてかもしれない。
 ふぉ! となにやら動揺した後で、グレン様は「では」と軽く会釈をしてそそくさと退室した。

「お慕いしておりますわ。グレン様」

 扉を閉める背中にそう声をかけると、部屋を出たすぐのところで、ガシャンと何やら物に激突した音がする。
 今日は仕事にならないかもしれない。
 天下の黒獅子の恋煩いだと、補佐官は嘆いていることだろう。
 奥方に患ってどうするんですか? などと説教されているはずだ。
 その姿を想像したらあまりにかわいらしくて、思わず笑い転げてしまった。

 今夜からはライライの実と花の蜜漬けを用意しなくては。
 武人らしく「男に二言はない」などと言いながら訪れ、寝台の手前でグレン様が挙動不審になる様子が目に浮かぶ。
 それはそれでかわいらしい姿だと思う。

 確かに夫婦らしくなるには時間が必要だけど、遠い異国に嫁ぎ、政略結婚だからと緊張していたころを思えば、なんて幸せな日々なのか。
 グレン様を想っただけで、胸があたたかくなるのが嬉しい。

 黄色く丸いライライの実。
 その果実は甘く、恋を永遠に私の胸につなぎとめる。





2015.06.01

尾岡れきさんとの「異世界スイーツ企画」で書いた作品
純情なグレン様はお気に入り( *´艸`)💛

本番に混乱して挙動不審のグレン様
混乱に乗じ奇襲をかけるヴィスカ姫

「この日が来るのをお待ちしておりましたわ、愛しい貴方」
「近い近い! ひ、姫ー?!」




~一夜明けて~

補佐官「……もう二・三日、休んでも構いませんよ?」
グレン「俺はもうだめだ」
補佐官「そーですか、それはよかった」←仕事の邪魔だと思ってる
グレン「他人に遅れを取ったのは生まれて初めてだ」
補佐官「そりゃーよかった。素敵な奥様で何よりです」
   (この人、ブルブル震えちゃってるよ)
グレン「俺はもうだめだ……遅れをとったうえに手ほどきされるとは」
補佐官「あなたにピッタリな奥様で良かった。次は戦場みたいに襲い掛かったらどうです? 皇子、奇襲は得意分野でしょう」
グレン「奇襲だと?! この俺が! 今夜、俺から奇襲だと!!」←想像だけで混乱中
補佐官「まぁ、アレだ。がんばってください」←奥方に恋煩いしてるんじゃね~よ、と面倒くさくなってる(笑
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