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第4章
第1話(2)
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たしかに途中で講師も変わり、告知内容も直前で変更になっている。中止寸前だったイベントに、そこまで人が集まることはないかと莉音も気を取りなおした。なにより、イベント用に会場も押さえてあって、材料もすべて発注済み。今日のぶんはすでにスタジオのほうに配達されているとあっては、いまさらやめるわけにもいかない。
今回の話が決まってから、莉音は準備期間が短い中で、参加者に少しでも楽しんでもらえるよう、自分なりに精一杯考えて献立を決めた。
家に常備してある食材やスーパーで簡単に手に入るものを使って、手軽に、けれどもほんの少し家庭料理の域を脱したレシピ。
優子に頼んで過去のイベントの資料を提供してもらい、そこで扱われたメニューとかぶらないよう配慮しつつ、当初講師を務めることになっていた、料理研究家の意向も最大限に尊重するよう努めた。
土壇場で辞退することになったのはこちらの落ち度であるから、後任の人には自由にやってもらってかまわない、ということであったようだが、プロならではの視点から作られたメニューの草案は、莉音にとっても勉強になる。それに合わせて食材の発注準備も調えていたということなので、大まかな部分は変更せず、そこに自分のアイディアを盛りこませてもらう形で何パターンかのメニュー表を作ってみた。それを優子に渡して部署内で審議にかけてもらい、決裁が下りたものでイベントを執り行う、ということになった。
まさに怒濤の日々だったとあらためて思う。
大体の予定が決まったところで、莉音は日程ごとの進行表を作成した。ヴィンセントの妹であるリサと、お互いの国の料理を教え合うことは何度かしてきたが、自分が講師の立場で参加者に実習体験をしてもらう、というのははじめてのことである。どういう段取りで、どう説明しながら調理を進めてもらうか、頭の中でシミュレーションしながら何度も吟味していった。
田中家の人々と夕食会を開いてから、莉音は以前にもまして父の勉強部屋にこもることが増えたが、それまでのような鬱々とした気分はもうなかった。ただ、自分を信頼して任せてくれた優子や、参加費を払って来てくれる人たちの期待に応えたい。それだけだった。
祖父も祖母もなにも言わず、莉音が自分の役割を果たそうと打ちこむ姿を見守っていてくれた。
ヴィンセントからも、日々、他愛ない日常を記すメッセージが届きつづけている。
彼に会いたい。電話でもいいから声が聞きたい。自分がいま、なにを思って、どんなことに挑戦しようとしているのかを聞いてほしい。
想いは募る一方だったが、まだ、なにも結論は出ていない。送られてくるメッセージを繰り返し読みながら、まずはいま、自分にできることを全力でやってみようと思った。
そうして迎えた料理教室初日。
優子は莉音の予想よりほんの少し多い程度だと言ったが、実際に参加者が集まってみると、二十人を超える賑わいとなっていた。
緊張のあまり足がふるえて逃げ出したい衝動に駆られたが、ここで逃げたら自分はこの先、どこにも進めなくなる。なにより、この日のために準備してきたのだ。
莉音は己を叱咤してスタジオの中央前方、講師専用の調理台に立った。
挨拶をする声がふるえる。精一杯浮かべた笑顔が硬張る。それでも、料理の楽しさやたくさんのレシピを伝授してくれた母に喜んでもらえる自分でいたい。自分の目指しているものがなんなのかを、祖父母にもわかってもらいたい。だれの目を気にすることなく、胸を張ってヴィンセントの横に並べる自分でありたい。
ちゃんとこのイベントを成し遂げることができたら、もう一度きちんと祖父と話してみようと莉音は思った。
莉音は壇上から、自分が本来この場に立つはずであった講師の代理であること、これから専門職を目指す予定ではあるが、現時点では資格もなにも持たない素人であることを最初に伝えた。それでも今日、そんな自分を信頼して貴重な機会を与えてくれた人たちの期待に応えられるよう頑張りたい。一緒に楽しい時間を過ごしましょうと呼びかけた。
スタジオ内にあたたかな拍手がひろがる。
悔いのない結果を残して、新たな一歩を踏み出せるように。
莉音は深く吸いこんだ息をゆっくり吐き出すと、今日のメニューと手順について説明をはじめた。
今回の話が決まってから、莉音は準備期間が短い中で、参加者に少しでも楽しんでもらえるよう、自分なりに精一杯考えて献立を決めた。
家に常備してある食材やスーパーで簡単に手に入るものを使って、手軽に、けれどもほんの少し家庭料理の域を脱したレシピ。
優子に頼んで過去のイベントの資料を提供してもらい、そこで扱われたメニューとかぶらないよう配慮しつつ、当初講師を務めることになっていた、料理研究家の意向も最大限に尊重するよう努めた。
土壇場で辞退することになったのはこちらの落ち度であるから、後任の人には自由にやってもらってかまわない、ということであったようだが、プロならではの視点から作られたメニューの草案は、莉音にとっても勉強になる。それに合わせて食材の発注準備も調えていたということなので、大まかな部分は変更せず、そこに自分のアイディアを盛りこませてもらう形で何パターンかのメニュー表を作ってみた。それを優子に渡して部署内で審議にかけてもらい、決裁が下りたものでイベントを執り行う、ということになった。
まさに怒濤の日々だったとあらためて思う。
大体の予定が決まったところで、莉音は日程ごとの進行表を作成した。ヴィンセントの妹であるリサと、お互いの国の料理を教え合うことは何度かしてきたが、自分が講師の立場で参加者に実習体験をしてもらう、というのははじめてのことである。どういう段取りで、どう説明しながら調理を進めてもらうか、頭の中でシミュレーションしながら何度も吟味していった。
田中家の人々と夕食会を開いてから、莉音は以前にもまして父の勉強部屋にこもることが増えたが、それまでのような鬱々とした気分はもうなかった。ただ、自分を信頼して任せてくれた優子や、参加費を払って来てくれる人たちの期待に応えたい。それだけだった。
祖父も祖母もなにも言わず、莉音が自分の役割を果たそうと打ちこむ姿を見守っていてくれた。
ヴィンセントからも、日々、他愛ない日常を記すメッセージが届きつづけている。
彼に会いたい。電話でもいいから声が聞きたい。自分がいま、なにを思って、どんなことに挑戦しようとしているのかを聞いてほしい。
想いは募る一方だったが、まだ、なにも結論は出ていない。送られてくるメッセージを繰り返し読みながら、まずはいま、自分にできることを全力でやってみようと思った。
そうして迎えた料理教室初日。
優子は莉音の予想よりほんの少し多い程度だと言ったが、実際に参加者が集まってみると、二十人を超える賑わいとなっていた。
緊張のあまり足がふるえて逃げ出したい衝動に駆られたが、ここで逃げたら自分はこの先、どこにも進めなくなる。なにより、この日のために準備してきたのだ。
莉音は己を叱咤してスタジオの中央前方、講師専用の調理台に立った。
挨拶をする声がふるえる。精一杯浮かべた笑顔が硬張る。それでも、料理の楽しさやたくさんのレシピを伝授してくれた母に喜んでもらえる自分でいたい。自分の目指しているものがなんなのかを、祖父母にもわかってもらいたい。だれの目を気にすることなく、胸を張ってヴィンセントの横に並べる自分でありたい。
ちゃんとこのイベントを成し遂げることができたら、もう一度きちんと祖父と話してみようと莉音は思った。
莉音は壇上から、自分が本来この場に立つはずであった講師の代理であること、これから専門職を目指す予定ではあるが、現時点では資格もなにも持たない素人であることを最初に伝えた。それでも今日、そんな自分を信頼して貴重な機会を与えてくれた人たちの期待に応えられるよう頑張りたい。一緒に楽しい時間を過ごしましょうと呼びかけた。
スタジオ内にあたたかな拍手がひろがる。
悔いのない結果を残して、新たな一歩を踏み出せるように。
莉音は深く吸いこんだ息をゆっくり吐き出すと、今日のメニューと手順について説明をはじめた。
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