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第4章
過飽和の要因(3)
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「おそらくリュシエルは、あなたのまえでは、なんでもないように振る舞っていたのでしょう。むろん、それは我々に対してもおなじです。だが私は、気づいていました。彼の顔色が優れないことも、食欲がずっと落ちつづけていたことも」
ルシアスはなにかに耐えるように、一度口を引き結んだ。
「ここ数日は、とくにその傾向が顕著でした。あなたはそのことに、ちゃんと気づいていましたか? 気づいていたとして、なにか手段を講じてくださいましたか? 口にも態度にもあらわさないその裏で、リュシエルがどれほどの苦痛に耐えていたか、あなたは本当に理解していましたか?」
淡々としていた声が、次第に熱を帯びていく。ぐうの音も出ない正論。
気づくはずがない。俺は、それ以前のリュシエルを知らないのだから。そしてなんの力も持ち得ないただの人間で、突然こんなことになって、自分のことで手一杯だったのだから。
こっちの世界で目覚める以前の記憶もないし、もとの世界のもとの自分に戻る術さえわからない。だがそれが、いったいなんだというのか。
いま頭の中で並べ立てた事情はこっちの都合で、ただの言い訳にすぎないことくらい、俺にだってわかる。たった数日のこととはいえ、いちばん近くでいちばん長い時間、リュシエルと過ごしたのはこの俺なのだ。倒れるほど具合が悪かったことぐらい、気づいてやるべきだった。
「……本当に、申し訳ない」
たしかにこれは、目の敵にされてもしかたのないことだったと痛感する。
話を聞いていれば、この男がどれほどリュシエルを大切に思っているのかよくわかる。その大切な従弟を蔑ろにされ、粗略に扱われればおもしろいはずもない。俺の態度は、この男の目から見て、ぞんざいで不遜極まりなかっただろう。
いくら人目のある場所では振る舞いに気をつけていたとしても、これだけ目端の利く人間ならば察する部分もあったに違いない。そしてそれ以前に、盟主候補の役目を果たせずにいたエルディラントのことも、リュシエルを苦しめる存在として目障りに映っていた。おそらく、そういうことなのだとようやく理解した。
冷たい対応は、しかたのないことだったのだ。
いまの俺には、ただ謝ることしかできない。おそらくエルディラントも、おなじだったのだと思う。だから余計に自分のことも責めていた。そしてそれを知るリュシエルもまた、必死に己の不調を押し隠していた。
活路の見えない堂々巡り。だがそこで、あることに気づいた。
力のやりとりができないことで、リュシエルは倒れるほどの不調を抱えていた。それなのに俺は、どこもなんともないのだ。
その事実に、愕然とする。
たしかにこの世界で目覚めた直後、俺は意識を失っている。その俺を、リュシエルは屋敷に移して介抱してくれた。最初のうちは、ひどい眩暈がして気分も悪かった。それが、自分でも気づかないうちに、いつのまにか治まっていた。げんにいまも、なんの問題もなく過ごしている。というか、すっかり喉もとを過ぎていたので、いまのいままで不調だったことすら完全に忘れていた。
そういえば襲撃を受けてエルディラントが泉に落ちた際、リュシエルは救助のために力を使ったと言っていた。ひょっとして、いまの俺がなんともないのは、リュシエルがなんらかの処置をしてくれていたということなのだろうか。
「それは、私に言う言葉ではないのではありませんか?」
「え?」
またしても氷のように冷ややかな声を浴びせられ、咄嗟に素で反応を返してしまった。
『エルディラント』の仮面をかぶり忘れたことに気づいて、あわてて表情を取り繕う。だが、たちどころに金茶色の瞳に射竦められ、無惨な敗北を喫することとなった。
「詫びる相手が違うのではないかと申し上げたのです。まるで他人事のような顔をするのですね」
「あ、いや、そんなつもりは」
「もう結構です。あなたがどのような心づもりでいらっしゃるのかは、よくわかりました」
や、それは違う! 断固違う。完全に誤解されてる!
内心であわてるも、さすがにこれ以上己の首を絞めるわけにもいかない。どうしたものかと空回りしそうになる思考を、それでもフル稼働させようとしたところで鼓膜が細い声をとらえた。
「…シア……」
ハッとして振り返ると、寝台に横たわるリュシエルがこちらを見ていた。
ルシアスはなにかに耐えるように、一度口を引き結んだ。
「ここ数日は、とくにその傾向が顕著でした。あなたはそのことに、ちゃんと気づいていましたか? 気づいていたとして、なにか手段を講じてくださいましたか? 口にも態度にもあらわさないその裏で、リュシエルがどれほどの苦痛に耐えていたか、あなたは本当に理解していましたか?」
淡々としていた声が、次第に熱を帯びていく。ぐうの音も出ない正論。
気づくはずがない。俺は、それ以前のリュシエルを知らないのだから。そしてなんの力も持ち得ないただの人間で、突然こんなことになって、自分のことで手一杯だったのだから。
こっちの世界で目覚める以前の記憶もないし、もとの世界のもとの自分に戻る術さえわからない。だがそれが、いったいなんだというのか。
いま頭の中で並べ立てた事情はこっちの都合で、ただの言い訳にすぎないことくらい、俺にだってわかる。たった数日のこととはいえ、いちばん近くでいちばん長い時間、リュシエルと過ごしたのはこの俺なのだ。倒れるほど具合が悪かったことぐらい、気づいてやるべきだった。
「……本当に、申し訳ない」
たしかにこれは、目の敵にされてもしかたのないことだったと痛感する。
話を聞いていれば、この男がどれほどリュシエルを大切に思っているのかよくわかる。その大切な従弟を蔑ろにされ、粗略に扱われればおもしろいはずもない。俺の態度は、この男の目から見て、ぞんざいで不遜極まりなかっただろう。
いくら人目のある場所では振る舞いに気をつけていたとしても、これだけ目端の利く人間ならば察する部分もあったに違いない。そしてそれ以前に、盟主候補の役目を果たせずにいたエルディラントのことも、リュシエルを苦しめる存在として目障りに映っていた。おそらく、そういうことなのだとようやく理解した。
冷たい対応は、しかたのないことだったのだ。
いまの俺には、ただ謝ることしかできない。おそらくエルディラントも、おなじだったのだと思う。だから余計に自分のことも責めていた。そしてそれを知るリュシエルもまた、必死に己の不調を押し隠していた。
活路の見えない堂々巡り。だがそこで、あることに気づいた。
力のやりとりができないことで、リュシエルは倒れるほどの不調を抱えていた。それなのに俺は、どこもなんともないのだ。
その事実に、愕然とする。
たしかにこの世界で目覚めた直後、俺は意識を失っている。その俺を、リュシエルは屋敷に移して介抱してくれた。最初のうちは、ひどい眩暈がして気分も悪かった。それが、自分でも気づかないうちに、いつのまにか治まっていた。げんにいまも、なんの問題もなく過ごしている。というか、すっかり喉もとを過ぎていたので、いまのいままで不調だったことすら完全に忘れていた。
そういえば襲撃を受けてエルディラントが泉に落ちた際、リュシエルは救助のために力を使ったと言っていた。ひょっとして、いまの俺がなんともないのは、リュシエルがなんらかの処置をしてくれていたということなのだろうか。
「それは、私に言う言葉ではないのではありませんか?」
「え?」
またしても氷のように冷ややかな声を浴びせられ、咄嗟に素で反応を返してしまった。
『エルディラント』の仮面をかぶり忘れたことに気づいて、あわてて表情を取り繕う。だが、たちどころに金茶色の瞳に射竦められ、無惨な敗北を喫することとなった。
「詫びる相手が違うのではないかと申し上げたのです。まるで他人事のような顔をするのですね」
「あ、いや、そんなつもりは」
「もう結構です。あなたがどのような心づもりでいらっしゃるのかは、よくわかりました」
や、それは違う! 断固違う。完全に誤解されてる!
内心であわてるも、さすがにこれ以上己の首を絞めるわけにもいかない。どうしたものかと空回りしそうになる思考を、それでもフル稼働させようとしたところで鼓膜が細い声をとらえた。
「…シア……」
ハッとして振り返ると、寝台に横たわるリュシエルがこちらを見ていた。
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