上 下
31 / 52
第4章

過飽和の要因(3)

しおりを挟む
「おそらくリュシエルは、あなたのまえでは、なんでもないように振る舞っていたのでしょう。むろん、それは我々に対してもおなじです。だが私は、気づいていました。彼の顔色が優れないことも、食欲がずっと落ちつづけていたことも」
 ルシアスはなにかに耐えるように、一度口を引き結んだ。

「ここ数日は、とくにその傾向が顕著でした。あなたはそのことに、ちゃんと気づいていましたか? 気づいていたとして、なにか手段を講じてくださいましたか? 口にも態度にもあらわさないその裏で、リュシエルがどれほどの苦痛に耐えていたか、あなたは本当に理解していましたか?」

 淡々としていた声が、次第に熱を帯びていく。ぐうの音も出ない正論。
 気づくはずがない。俺は、それ以前のリュシエルを知らないのだから。そしてなんの力も持ち得ないただの人間で、突然こんなことになって、自分のことで手一杯だったのだから。

 こっちの世界で目覚める以前の記憶もないし、もとの世界のもとの自分に戻るすべさえわからない。だがそれが、いったいなんだというのか。
 いま頭の中で並べ立てた事情はこっちの都合で、ただの言い訳にすぎないことくらい、俺にだってわかる。たった数日のこととはいえ、いちばん近くでいちばん長い時間、リュシエルと過ごしたのはこの俺なのだ。倒れるほど具合が悪かったことぐらい、気づいてやるべきだった。


「……本当に、申し訳ない」

 たしかにこれは、目のかたきにされてもしかたのないことだったと痛感する。
 話を聞いていれば、この男がどれほどリュシエルを大切に思っているのかよくわかる。その大切な従弟をないがしろにされ、粗略に扱われればおもしろいはずもない。俺の態度は、この男の目から見て、ぞんざいで不遜極まりなかっただろう。
 いくら人目のある場所では振る舞いに気をつけていたとしても、これだけ目端の利く人間ならば察する部分もあったに違いない。そしてそれ以前に、盟主候補の役目を果たせずにいたエルディラントのことも、リュシエルを苦しめる存在として目障りに映っていた。おそらく、そういうことなのだとようやく理解した。

 冷たい対応は、しかたのないことだったのだ。


 いまの俺には、ただ謝ることしかできない。おそらくエルディラントも、おなじだったのだと思う。だから余計に自分のことも責めていた。そしてそれを知るリュシエルもまた、必死に己の不調を押し隠していた。

 活路の見えない堂々巡り。だがそこで、あることに気づいた。
 力のやりとりができないことで、リュシエルは倒れるほどの不調を抱えていた。それなのにエルディラントは、どこもなんともないのだ。
 その事実に、愕然とする。

 たしかにこの世界で目覚めた直後、俺は意識を失っている。その俺を、リュシエルは屋敷に移して介抱してくれた。最初のうちは、ひどい眩暈がして気分も悪かった。それが、自分でも気づかないうちに、いつのまにか治まっていた。げんにいまも、なんの問題もなく過ごしている。というか、すっかり喉もとを過ぎていたので、いまのいままで不調だったことすら完全に忘れていた。

 そういえば襲撃を受けてエルディラントが泉に落ちた際、リュシエルは救助のために力を使ったと言っていた。ひょっとして、いまの俺がなんともないのは、リュシエルがなんらかの処置をしてくれていたということなのだろうか。


「それは、私に言う言葉ではないのではありませんか?」
「え?」

 またしても氷のように冷ややかな声を浴びせられ、咄嗟に素で反応を返してしまった。
『エルディラント』の仮面をかぶり忘れたことに気づいて、あわてて表情を取り繕う。だが、たちどころに金茶色の瞳に射竦められ、無惨な敗北を喫することとなった。

「詫びる相手が違うのではないかと申し上げたのです。まるで他人事ひとごとのような顔をするのですね」
「あ、いや、そんなつもりは」
「もう結構です。あなたがどのような心づもりでいらっしゃるのかは、よくわかりました」

 や、それは違う! 断固違う。完全に誤解されてる!

 内心であわてるも、さすがにこれ以上己の首を絞めるわけにもいかない。どうしたものかと空回りしそうになる思考を、それでもフル稼働させようとしたところで鼓膜が細い声をとらえた。

「…シア……」

 ハッとして振り返ると、寝台に横たわるリュシエルがこちらを見ていた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

異世界ぼっち暮らし(神様と一緒!!)

藤雪たすく
BL
愛してくれない家族から旅立ち、希望に満ちた一人暮らしが始まるはずが……異世界で一人暮らしが始まった!? 手違いで人の命を巻き込む神様なんて信じません!!俺が信じる神様はこの世にただ一人……俺の推しは神様です!!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

今日も武器屋は閑古鳥

桜羽根ねね
BL
凡庸な町人、アルジュは武器屋の店主である。 代わり映えのない毎日を送っていた、そんなある日、艶やかな紅い髪に金色の瞳を持つ貴族が現れて──。 謎の美形貴族×平凡町人がメインで、脇カプも多数あります。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

さよならの合図は、

15
BL
君の声。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

処理中です...