だから僕は音楽をやめた

那須与二

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2019 8/25 「だから僕は音楽をやめた」

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「拝啓、エルマ

 この手紙を君が見つけてくれるまでにどれほど時間がかかっただろう。待ちくたびれたよ。


 まず、あの日、何も言わずに君の前を立ち去った事を謝りたい。決して、君に失望したわけじゃないんだ。君に落ち度があった訳でもない。完全に僕の勝手だ。

 僕は嘘つきだった。でも、分かってくれ、エルマ。理解は出来なくたっていい。僕だって、未だに考えたって分からないし、ただ、今は青空の下で君の次の言葉を待つことしかできない。

 僕は芸術っていうものは美しければ美しいほど、引き換えに大事な何かを失わなければならないと思うんだ。
僕はこれまで、美しい言葉を生み出すのにあまりに多くのものを失いすぎた。もう、何も残ってないんだ。君以外もう、何も無い。

 でも君はまだまだこれからだ。僕がいなくなったところで大したものと交換出来るわけじゃないだろうけど、何かを、新しい何かを掴んで欲しい。

 僕が最後に、君に何か与えることが出来るかもしれない、そう思った。だから僕は音楽をやめたんだよ。


 終わりのない小説なんてものは詰まらない。どんな傑作でも、終わり方が大事なんだ。だから、人生の真の価値は、常に終わり方にある。

 でも、それは"終わるしかない人間"への教訓であって、エルマ、君のことじゃないんだ。

 君の指先にも、喉元にも、神様がいる。でも、君の価値を君は知らない。芸術の神様だけが本当の君を見ている。エルマ、君のしたいことは何だ?君が本当に見つけたいことは。」

彼女の視界はぼやけて、揺れていた。


エイミー、私は───

段々と、手紙の文字が薄くなっていく。


「これからどうなるのか、その進み方を僕は教えることは出来ない。そんなこと僕に分かるはずもないんだ。でも、大丈夫だよ。だって、」


最後に掠れた、しかし靱やかな、薄い花緑青の文字でこう書いてあった。



「エルマ、君だけが僕の音楽だからさ。これまでも、これからも、ずっとそうなんだよ。」



夜紛いの夕暮れが、水平線を焼く。
彼の姿を追い続けるだけの彼女の姿はもうそこには無かった。



砂浜をずっと歩いていくと、碧色のインクが入っていた痕跡がある空き瓶が半分、砂に埋もれているのを見つけた。
その先を見ると、あの時と同じような桟橋があった。


彼のギターケースだったのだ、そこにあったのは。
ギターの元へ駆け寄る。
ケースを開けると彼の深い木の色のギターはそこにはあった。弦は錆付き、長い間放置されてるようだった。
ギターケースに彼の思い出が蘇り、抱きついて、泣いた。

中に入っていたギターを取り出すとなにかの紙がひらひらとケースの中から舞ってきた。

題名のない、詩だった。



「さよならの速さで顔を上げて
 いつかやっと夜が明けたら
 もう目を覚まして。見て。
 寝ぼけまなこの君を
 何度だって描いているから」



空の茜は遂に海も、街も、思い出も、この詩も、エルマも、全てを焼き尽くさんばかりに燃え上がって最期の輝きを放っていた。

それはまるで後に続く月へ光を継承しようとするような、己の身も、心も、魂も、何もかもを捧げて、月へ希望を託すかのような美しさだった。

ギターを抱き抱えて、詩を呟く。
最後に彼女が付けた題名をギターに囁く。


8/25、夏は今、小さな音を立てて、終わりを迎えようとしていた。









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