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おうちで映画館
しおりを挟む「あ~疲れたー」
長時間画面を見つめていて肩や首がこってしまった。オンライン上での打ち合わせに慣れて来たものの、職場に出向いて仕事をしていた時より体へのダメージが大きい。
新種のウイルスが世界中に蔓延してから半年が経った。人々は出来るだけ他者との接触を控えながら手探りで生活している。
俺は一度立ち上がり伸びをしてから、机の脇にあるヘッドセットを手にとった。数日前から楽しみにしていたものにようやく手を付けられる。
不要不急の名の下に制限を強いられてきた映画業界が新たな取り組みを始めた。『おうちで映画館』と題したプロジェクトだ。ヘッドセットを付けるとVRの映画館が目の前に現れるという。映画そのものではなく、実際に映画館で観るような感覚を味わえるのが売り文句だ。
俺は椅子に座り直して恐る恐るヘッドセットを頭に取りつけた。
途端に視界が真っ暗になる。数秒待つと、次第に目が慣れてきた。
まず目についたのは非難経路を示す緑の人型だ。次に地面をジグザグに走る細いライトが目に入った。まさしく映画館だ。
視線の高さからみて、俺は既にシートへ座っている設定のようだ。なお、座り心地は自宅の椅子だ。触覚まで再現するのは不可能らしい。
突然スクリーンの前を何かが横切った。その後耳をつんざく泣き声が聞こえて来た。声のするほうを見ると、子供が床に倒れて泣いていた。どうやら走っていて躓いたようだ。辺りにはポップコーンが散乱している。
「何やってるのよもう!」
母親らしき人物が駆け寄って子供を立ち上がらせた。子供はまだぐずっている。騒ぎに気付いたスタッフが近寄って来てポップコーンの片付けを始めた。
まだ本編は始まっていないから良しとしよう。俺は騒ぎの収束を眺めていた。
片付けが終わった頃、二人組が俺の前のシートに座った。若い男女だ。ひそひそ声で話してはいるが、どうも気に障る。そのうちにイチャイチャし始めた。
さすがに注意しようと思ったが俺は耐えた。もうすぐ本編が始まる。そうすれば、このカップルも映画に集中するだろうと考えたからだ。
まもなく映画が始まりカップルは静かになった。しかし俺は集中できなかった。どうも面白くない。宣伝がよく出来ていたから期待し過ぎていたようだ。仕事の疲れもあり、俺はまぶたが段々重くなっていくのを感じていた……
「おい!」
片耳に響く低音で意識を取り戻した。寝てしまったらしい。横を見ると、中年の男が険しい顔をしている。
「あんた、いびきがうるさすぎるんだよ。映画を観る気が無いなら出てけ」
男に注意され、俺は無性に腹が立った。自宅でのんびり映画を楽しんでいるのだ。ちょっと居眠りするぐらい良いじゃないか。
「ちょっと寝ちゃっただけでそこまで言わなくてもいいでしょう」
「なんだと。マナーを守っていないのはそっちだろうが」
映画はそっちのけでヒートアップしてきた。前のカップルが煩わしそうにこちらを見ている。
「だいたいね、こっちは色々とストレスが溜まってるんですよ。家にいるばっかりで」
「そんなのお前だけじゃない。偉そうに言うな」
俺は我慢の限界に達した。男に掴みかかろうと立ち上がり前に出た。
すると体に強い衝撃を受けてその場に倒れ込んだ。目の前が真っ暗になる。顔に手をやろうとするが目まで届かない。顔を覆っているものを外すと、そこには小物が散乱した俺の部屋が広がっていた。壁にくぼみが出来ている。ここにぶつかったらしい。
「ふざけんな!」
俺は手にしていたヘッドセットを放り投げた。確かにリアルな体験だった。もう二度とやらないが。
了
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