交えた拳は永遠に

おぜいくと

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プロローグ

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「マスターに会ってみたかった」

ベッドで横になっている男が呟いた。

「師匠にも指導役みたいな人がいたのか?」

俺は目の前にいる男に尋ねた。幼い頃に圧倒された大きな体は二回り小さくなっている。

「まあな。まずは何事も真似るところから始まるんだ」

師匠は返事をしたが指導を受けていたのかという問いには答えていないように思える。もっとも、俺も師匠から何か教わったというわけではない。師匠という呼び名は単なるあだ名のようなものだ。

「センゴクさん、そろそろ体拭きましょうか」

看護師さんが病室に入ってきた。どうやら俺は邪魔らしい。

「それじゃ今日のところはこのへんで」

俺は男に声を掛けて病室を出ていこうとした。

「トオル、元気でな」

男の呼びかけを俺は背中で聞いた。いつもの挨拶だから、名残惜しんでいても仕方がない。また会いにくればいい。

病室を出てスライド式のドアが閉まるのを見届ける。ドアの脇にある部屋番号を示すプレートの下に、他の患者の名前と共に書かれている千國剛(せんごくつよし)の名前が目に入った。

千国剛は俺の遠い親戚に当たる男で、正月になると両親に連れられて千国剛の家に遊びに行っていた。俺としてはお年玉を貰うために行くという感覚でいた。
千国剛は自宅の一室を道場にしており、千国流という武術を教えていた。俺は半ば強制的に千国流の武術を教わる事になった。

「稽古中は俺の事を師匠と呼びなさい」

そう言われた俺は素直に従った。無暗に反抗してお年玉が貰えなくなったら困るからだ。小学校の高学年にもなると、道場に行くのに抵抗感が生まれた。どうやら自分の行っている習い事が周りの友達とは大きく異なる事に気付き出す。中学に上がると武術を教わらなくなった。千国剛には自分の気持ちを伝えていて、無理にやらなくてもいいんだと言ってくれた。その後も師匠という呼び方は変えなかった。そう呼ばれると師匠は嬉しそうな顔してお年玉をくれるのだ。


しかしもうとっくに成人を迎え、今では大学三年生だ。お年玉を貰う歳ではなく、就活という一大イベントがすぐそこまで来ている。憂鬱な日々を送っている中で母から連絡を受けた。師匠が入院したと。詳しい内容を尋ねると、しばしの沈黙の後に母は言った。

「道端で転んで背中を打ったらしくてね動けなくなっちゃったんだって。慌てて救急車を呼んで診てもらったら、背骨が折れてるそうで。それで入院することになったの」

「師匠でもヘマする事あるんだな」

俺は冗談交じりに答えた。大した怪我ではないと思ったからだ。

「骨折だけで終われば笑い話で済んだのかもしれないけど」

母は含みのある言い方をした。

「まずい事でもあったのか」

「入院してから誤嚥性肺炎を起こしちゃってね。だいぶ弱ってるの」

初めて聞く病名だった。肺炎の仲間だというのはなんとなく想像がつく。

「だからとりあえず、顔を見せてやって欲しいのよ」

こうして一人暮らしの自宅から直接病院へ向かい師匠と対面した。弱った師匠の姿が信じられない。
病室での会話が妙に頭に残っている。なぜなら、俺が師匠と交わした最後の会話となってしまったから。

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