17 / 77
〈ガダルカナル島からの手紙〉前編
しおりを挟む
ガダルカナル島……日本から南に約5千キロ以上離れたソロモン諸島の島……
晴れた日は空も海も真っ青でとても美しい島であるが、日本にとっては地獄のような惨状が繰り返された辛く苦しい悲劇の島になってしまった。
米国と豪州を分断する拠点として日本軍が建設していた飛行場が完成したばかりの1942年8月7日……
アメリカ軍は約1万1000人をガダルカナル島に上陸させて飛行場を占領した。
大本営の見積もりが甘く1万人以上いた米軍の規模を約2千人と判断し、日本軍は精鋭部隊900人を逆上陸させて飛行場奪還を目指したが、正面攻撃を受け部隊は壊滅……
その後も増援部隊を送り込んだものの、物量に勝る米軍との消耗戦となり、補給の続かない日本軍は飢餓に苦しんだ。
日本は夜間の奇襲攻撃作戦を行ったものの、日本軍が使用していた銃剣と米軍の機関銃では威力がまるで違い、激戦地となったムカデ高地は血染めの丘と呼ばれるようになった。
食糧を輸送しようとした海軍の潜水艦や輸送船は攻撃を受け沈没……
補給を絶たれた日本兵は、ジャングルの中で飢えとマラリヤや赤痢に苦しみながら死んでいった。
最初のうちは配られていたお米も底をつき、寝ている間に盗まれたり食糧の取り合いで日本人同士の撃ち合いになることもあった。
それもなくなるとヤシの実やヘビやトカゲを食べて命を繋いだり、極限状態の中で生きるために死体の肉に手を出した者もいたという。
8月8日の第1次ソロモン海戦、8月24日の第2次ソロモン海戦、10月11日のサボ島沖海戦、10月26日の南太平洋海戦……
そして11月12~15日の第3次ソロモン海戦に日本は敗れ、制空権制海権は完全にアメリカに握られた。
負傷した日本兵の一部は、手当をしようと救いの手を差し伸べた米兵に対して手榴弾で自爆攻撃を実行した。
日本軍に降伏という選択肢がないことを悟ったアメリカ軍は、横たわっている日本兵がいると生きていようが死んでいようが戦車のキャタピラで踏みつぶすようになったそうだ。
ガダルカナル島は孤立して日本の守備隊はジャングルに逃げ込まざるを得なくなり、陸軍は船舶増徴による救援を要求したが、12月31日に大本営はガダルカナル島の放棄を決定した。
しかし情報が漏れることを恐れた大本営は、命令の伝達を無線ではなく人づてで行ったため伝わるまでに2週間余りかかり、撤退命令を知らないまま多くの隊が壊滅した。
結局ガダルカナル島に上陸した日本軍約3万人のうち2万人以上が亡くなってしまった。
そのうち戦闘ではなく餓えとマラリアなどの病気で命を落とした者が1万5千人にものぼり、ガダルカナル島は「ガ島=餓島」と呼ばれた。
大本営が撤退を命じ、実際に撤退できた者は約1万人……
痩せこけて骨が浮き出たおびただしい数の遺体にはハエがたかり、歩けない者は置き去りにされ、負傷者は自決……または処分を余儀なくされた。
ガダルカナル島の戦いは、補給の軽視、情報収集の不徹底など連戦連勝で慢心していた日本軍が敗北を喫し攻守が逆転するきっかけとなる歴史的な悲劇の戦いになってしまった。
そして2月9日、大本営はガダルカナル島からの「撤退」を「転進」として発表した。
新聞は、戦況の悪化にもかかわらず有利であるかのように戦果を水増しすることが常態化しており、反対に被害は少ないことにして虚偽の発表を行い続けることに葛藤して心苦しかったことだろう。
同じく1943年2月、日本政府は「軍需造船供木運動」を開始……急速に進む鉄不足で鋼船に代えて木造船を緊急増産する必要があるため、山林だけでなく屋敷林・社寺林・並木・公園・海岸林の木々が一斉に伐採された。
桜は薪や下駄の材料にもなるため、1年前に「来年も一緒に見ようね」と約束した神田明神と宮本公園の桜は、その花を咲かせる前に伐採されてしまい……お花見は中止となった。
そんな1943年5月のある日、珍しくいつもの三人が外出していたので播磨屋で一人で食事をしていると突然、見知らぬ兵隊さんが訪ねてきた。
晴れた日は空も海も真っ青でとても美しい島であるが、日本にとっては地獄のような惨状が繰り返された辛く苦しい悲劇の島になってしまった。
米国と豪州を分断する拠点として日本軍が建設していた飛行場が完成したばかりの1942年8月7日……
アメリカ軍は約1万1000人をガダルカナル島に上陸させて飛行場を占領した。
大本営の見積もりが甘く1万人以上いた米軍の規模を約2千人と判断し、日本軍は精鋭部隊900人を逆上陸させて飛行場奪還を目指したが、正面攻撃を受け部隊は壊滅……
その後も増援部隊を送り込んだものの、物量に勝る米軍との消耗戦となり、補給の続かない日本軍は飢餓に苦しんだ。
日本は夜間の奇襲攻撃作戦を行ったものの、日本軍が使用していた銃剣と米軍の機関銃では威力がまるで違い、激戦地となったムカデ高地は血染めの丘と呼ばれるようになった。
食糧を輸送しようとした海軍の潜水艦や輸送船は攻撃を受け沈没……
補給を絶たれた日本兵は、ジャングルの中で飢えとマラリヤや赤痢に苦しみながら死んでいった。
最初のうちは配られていたお米も底をつき、寝ている間に盗まれたり食糧の取り合いで日本人同士の撃ち合いになることもあった。
それもなくなるとヤシの実やヘビやトカゲを食べて命を繋いだり、極限状態の中で生きるために死体の肉に手を出した者もいたという。
8月8日の第1次ソロモン海戦、8月24日の第2次ソロモン海戦、10月11日のサボ島沖海戦、10月26日の南太平洋海戦……
そして11月12~15日の第3次ソロモン海戦に日本は敗れ、制空権制海権は完全にアメリカに握られた。
負傷した日本兵の一部は、手当をしようと救いの手を差し伸べた米兵に対して手榴弾で自爆攻撃を実行した。
日本軍に降伏という選択肢がないことを悟ったアメリカ軍は、横たわっている日本兵がいると生きていようが死んでいようが戦車のキャタピラで踏みつぶすようになったそうだ。
ガダルカナル島は孤立して日本の守備隊はジャングルに逃げ込まざるを得なくなり、陸軍は船舶増徴による救援を要求したが、12月31日に大本営はガダルカナル島の放棄を決定した。
しかし情報が漏れることを恐れた大本営は、命令の伝達を無線ではなく人づてで行ったため伝わるまでに2週間余りかかり、撤退命令を知らないまま多くの隊が壊滅した。
結局ガダルカナル島に上陸した日本軍約3万人のうち2万人以上が亡くなってしまった。
そのうち戦闘ではなく餓えとマラリアなどの病気で命を落とした者が1万5千人にものぼり、ガダルカナル島は「ガ島=餓島」と呼ばれた。
大本営が撤退を命じ、実際に撤退できた者は約1万人……
痩せこけて骨が浮き出たおびただしい数の遺体にはハエがたかり、歩けない者は置き去りにされ、負傷者は自決……または処分を余儀なくされた。
ガダルカナル島の戦いは、補給の軽視、情報収集の不徹底など連戦連勝で慢心していた日本軍が敗北を喫し攻守が逆転するきっかけとなる歴史的な悲劇の戦いになってしまった。
そして2月9日、大本営はガダルカナル島からの「撤退」を「転進」として発表した。
新聞は、戦況の悪化にもかかわらず有利であるかのように戦果を水増しすることが常態化しており、反対に被害は少ないことにして虚偽の発表を行い続けることに葛藤して心苦しかったことだろう。
同じく1943年2月、日本政府は「軍需造船供木運動」を開始……急速に進む鉄不足で鋼船に代えて木造船を緊急増産する必要があるため、山林だけでなく屋敷林・社寺林・並木・公園・海岸林の木々が一斉に伐採された。
桜は薪や下駄の材料にもなるため、1年前に「来年も一緒に見ようね」と約束した神田明神と宮本公園の桜は、その花を咲かせる前に伐採されてしまい……お花見は中止となった。
そんな1943年5月のある日、珍しくいつもの三人が外出していたので播磨屋で一人で食事をしていると突然、見知らぬ兵隊さんが訪ねてきた。
2
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる