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最後の日記編
第44話■最後の日記⑨~暗号の想い~
しおりを挟む○年○月○日
今日は50年後の約束の日。
今までの日記を読んだ後、公園のベンチの上でこれを書いている。
夕日に照らされたベンチ……
いつかの場面と同じ……
私はこの光景を、1年前に倒れて目を覚ました日、
病院のベットの上で悠希くんのクマと私のクマを握り締めた瞬間に一度見ている。
前と違ってぼんやりとして、所々しか分からなかったけれど……
一人ぼっちで見上げる空、
夕日に照らされたベンチ、
心臓の発作……
それと……
仏壇に備えられた私のであろう位牌に書いてあったその日付……
だから、これから自分に起こることも分かっている。
だからこそ、本当の最後の日記を書きたくなった。
本当は悠希くんが来てくれて、直接言えたらいいのだけれど……
そして、出来れば私がどうやって生きてきたか、日記を読んで知って欲しかった。
もしかして私はそのために日記を書き始めたのかもしれない。
日記を読んで……二つのクマのおかげで過去の自分と繋がって……
たくさんの無駄や失敗に見えることが、本当は未来のよかったに繋がっていると気付くことができた。
言えなかった言葉……
手紙に書いたけど消してしまった言葉……
いつかの叶わない約束……
「もっとそばにいたかった」
「ずっと会いたかった」
「また一緒に桜を見たかった」
「一緒に花火…………はいいや、あの子が叶えてくれたから……」
本当は色んな所に一緒に行きたかった……
話したいこといっぱいあった……
伝えたいこと伝えたかった……
もし私がもっと素直なら、こんなことを思って苦しむこともなかったかもしれない。
思い出のクマを何度も何度も握り締めながら泣くこともなかったかもしれない。
「もしも、もう一度昔に戻れるのなら……」
それでも私は今の人生を選んだと思う。
そして同じことをしたと思う。
そうした先に進んだ未来にもらった悠希くんの言葉が宝物だから。
『私ならきっと大丈夫』
悠希くんがくれた魔法の言葉。
馬鹿にされるのに慣れて、すぐに諦めてしまいがちだった私にとって……
それは様々なことで悩んだ時に、自分を信じて前に進もうと思える魔法の言葉だった。
小さなぬいぐるみのクマ達の存在は、折れそうになる心を支えてくれた宝物だった。
会えなくなったからこそ、いつかまた会うことを希望にして生きてこられた。
思い出さないようにしていたはずなのに、
どうしても忘れることができなくて……
記憶の中でずっと悠希くんが生きていた。
目を閉じると昔、また一緒に見ようと約束した桜が……
空の透き通った青さが今でも浮かんでくる。
二度と戻れない、かけがえのない瞬間……
会えなかったからこそ生まれた、いくつもの宝物。
振り返ると全てが繋がっていた。
遠くにいる彼を想いながら、いつか見上げていた空と同じように……
「悠希くんは幸せだったかな?」
「私の人生は幸せだったよ」
大げさかもしれないけど、あなたの「大丈夫だ」という一言が、何度も私を救ってくれた。
あなたと出逢って生まれた明るい希望が……
私の人生を何度も救い、支え続けてくれていたことに日記を読んで気が付いた。
悠希《はるき》くん
君は名前の通り、
私にどこまでも続く、はるかな希望をくれました。
あなたと確かに出逢えたこと……
それだけで十分だったこと……
それをどうしてもあなたに伝えたかった。
7月7日。
七夕。
悠希くんの誕生日……
そして私の命日。
もうあの子の声は聞こえないけれど、
死ぬ前にあなたに会えるかな?
ありがとうやおめでとうを言えるかな?
伝えたいことちゃんと伝えられるかな?
もし君が来てくれても、伝えることができなかった時のために……
もし来てくれなくても、せめて違う世界では君に届くように……暗号を残します。
あの約束の日
笑顔《えがお》で君に
手《て》を振って名前を
呼《よ》ばれる未来が
叶《かな》うといいな
伝《つた》えたい想いが
たとえ届かなかったとしても
もうだいぶ日が落ちてきた……
そう言えば七夕は七月七日の夕方のことを言うんだっけ……
昼過ぎから待ってるなんて私はバカだよね。
もうすぐさよならの時間……
最後の七夕……
どうせ叶わないと今まで自分のことを願うことをやめてきたけれど、
もしも今日だけ願いが叶うなら……
もう少しだけ生きていたい
たくさんのありがとうやおめでとうを言うために……
生きていたい
あの小説に書いてあった言葉を伝えるまでは……
生きてもう一度……悠希くんに会いたい
せめてもう一度だけ
声が……聞きたいよ
~~~~~~~~~~
最後の日記は、会えるか分からない未来の僕への「手紙」だった。
暗号で何を伝えたかったのか……
昔、彼女に似たような問題を出されたことがあるからすぐに分かった。
何よりもあの時、初めて日記を読んだ日に聞こえた君の声と同じだったから。
本当の最後の日記まで読めたからこそ、今までの全てが……
彼女の不思議な言葉の本当の意味が分かった気がした。
君に教えてあげたかったな……
言えなかったけど、本当は言おうとしていた沢山の言葉……
いつかの七夕の夜、君が自分よりもみんなの幸せを願ったからこそ、あの日の僕の願いが……未来の君の願いと一つになって叶ったってこと。
君が辞めていった日、君の幸せを願って言った言葉が、巡りめぐって僕に幸せを運んでくれたこと。
僕も、七夕の日に生まれたからこそ気付いたことがあるんだ……
僕達の生きてきた世界は、沢山の願いの先に生まれた世界だということ。
平和な世の中を願って消えていった人達……
家族や自分の幸せのために一生懸命働く人達……
見知らぬ誰かや未来のために何かを頑張ろうとしている人達……
みんなが誰かの幸せを願っている。
沢山の願いの先に今の世界がある。
だから願うことをやめてはいけないんだということを……
ふと思い立ち、昔、彼女から貰った手紙を改めて開くと、
何年も経った後だから分かる、消しゴムの跡があった。
「忘れないでね」と書かれていたであろう、その場所を指でなぞる。
あの日あの時、彼女は確かに生きていた。
この手紙に書けなかった想いを抱えて、日記と曲の中だけに閉じ込めて……
平凡でとりとめのない文章がこんなにも愛おしいなんて……
不思議と涙は出なかった。
悔いなく生きた彼女の最期の瞬間に、僕だけが立ち会えたのだから。
最後の声を聞くことができ、最後に彼女の目に映るのが僕であったことに幸せを感じたから。
何億何千万の人達がすれ違う中で……
僕達は確かに出逢うことができた。
生まれたくても生まれなかった命がある中で……同じ時代に生まれ同じ瞬間に笑った。
学生時代や退職後、何度もすれ違いながらも再び出逢うことができた。
そのこと自体が奇跡だったということを、身をもって知ったから……
だから僕は泣かない。
「別れがつらいのはそれだけ幸せだった」という、いつかの歌のように……
何十年も想い続けられる相手に出逢えた幸せに気付いたから。
君のそばにいない人生だったからこそ得た幸せがあり、悲しい寂しい虚しい思いをしてきたからこそ気付くことが、沢山あったから。
「君がいる人生で幸せだったよ……」
彼女が何度も何度も握り締めたというクマのぬいぐるみは、少しボロボロになって黒ずんでいた。
そのクマを今度は僕が握り締め、親指の腹で頭を撫でる。
「おまえが逢わせてくれたんだな……」
明希《あき》という名前の僕が貰ったクマのぬいぐるみの隣でふと、彼女が持っていたクマが少し寂しそうに見えた。
いつの間にか珍しく降っていた何年振りかの雪が、いつか一緒に見た日の桜のように舞い降りる……
不意にそのクマに名前をつけたくなった。
「雪……ゆきか…………優しい希望で優希《ゆき》なんてどうかな?」
「君に似て、優しい響きのいい名前だろ?」
なぜだか分からないけれど、目の前で彼女が微笑んでいる気がした。
1月7日。
今日は君の誕生日。
昔覚えているのが恥ずかしくて、わざとみんなの前で違う日付を言ったけれど……
一度も忘れたことなんてなかった。
「誕生日の日はいつも休みをとっていたから、当日に言ったことはなかったね……」
誕生日プレゼントはサクラ色の折り畳み傘にした。
選ぶのは初めてで、彼女が好きだった空色や花火柄にしようか迷ったが……
サクラ色が一番似合う気がした。
何よりも春香……春が香るという君の名前にふさわしい気がしたから……
不意に昔一緒に見た映画のエンディング『BIRTHDAY』の一説を思い出し、彼女に伝わるよう、こう付け加えた。
「誕生日おめでとう……また逢おう……」
今まで出したことがない、人生で一番優しい声だった。
顔を上げ、現実にはいないはずの彼女を真っ直ぐ見つめながらずっと言えなかったその言葉を言った後……
手紙を日記の最後のページに挟んで閉じた。
テーブルの上にサクラ色の折り畳み傘を置き、日記と古ぼけた二つのクマのぬいぐるみを揃えて並べる……
そして、久し振りに聞きたくなった曲が入った音楽機材のスイッチを入れ、ゆっくりとソファに腰掛ける。
そうして僕は静かに目を閉じた……
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