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中編
しおりを挟むカフェテリアでは出来ない話だから、と移動した場所は学園内にあるリドリー殿下の執務室。ここならば区画一体が出入りできる人間が限られているので、誰かに話を聞かれることもない。
メイドが淹れてくれた紅茶の良い香りが鼻腔を擽る。いつもなら緊張をほぐしてくれる香りも、今日ばかりは緊張のほうが勝ってしまう。
ソファーに向かい合わせに座る殿下の方をチラリと見ると目があって、慌てて視線を紅茶に戻した。
「───それでクリスタ、お願いってどうしたの?珍しいね、クリスタが何かをお願いしてくるなんて。」
どう切り出そう、と悩んでいたら、紅茶に口をつけた殿下の方から話しかけてくださる。きっとわたくしが躊躇ってるのに気づかれて気を使ってくださったのね…。
でもそんなに珍しい事だったかしら?何度か夜会でのパートナーをお願いしたりしたわよね?
「あの、珍しい、でしょうか?」
「そうだよ。いつも欲しい物はない?って聞いても何も強請らないでしょう。おかげで贈り物を選ぶ為に君の侍女に情報を流してもらっているんだよ。」
「え。」
信じられない。殿下の一月に何度もくださる贈り物は、いつもわたくしの趣味趣向に合った物ばかりだった。それも婚約者が通常贈るドレスや宝石よりも、わたくしが好む可愛らしい小物や珍しい茶葉、甘いお菓子といった物ばかり。不思議に思ってたけどまさか侍女が協力してたなんて…。
「そ、れは、必要な物は十分に持っていますし、殿下にはたくさん贈り物を頂いておりますもの。強請る必要がないだけです。」
「そうかな。クリスタは自分の事より人の事ばかり気にして、いつも自分の事は我慢をしちゃうでしょう。」
「……そんな事、ありません。」
カップを握る手に力が籠る。
我慢出来ていたなら、こんな事にはならなかった。貴方を傷つけてしまうこともなく、わたくしからオードリー伯爵令嬢へ貴方の気持ちが動くこともなかった筈。
わたくしが至らなかったから。全ては自分のせいで。
「殿下、お願いです。……わたくしとの婚約を、解消してくださいませ。」
「───聞き間違いかな。婚約解消、とか、聞こえたけど……?」
長い長い沈黙の後。
聞いた事もない殿下の地を這うような低い声に、思わず身体が竦んでしまう。お、怒らせてしまった?何故?
「殿下もお聞きになったでしょう?王宮でこの婚約は最早望まれておりません。」
「……。」
「それにわたくしは殿下を長年傷つけてばかり。婚約者失格なのです。オードリー様や他の…可愛らしいご令嬢とご、…ご一緒に、なられた方が…っ、殿下はッし、幸せになれる筈っです……!」
言えた。途中から涙が止まらなくなって嗚咽交じりになったけれど、言いたいことは伝わった筈。
殿下はずっと沈黙したままで、わたくしも顔を伏せて黙り込んだ。
静寂が、暫し部屋を支配する。───破ったのは殿下だった。
「言いたいことは、それだけ?」
それだけ、とは?何か伝え忘れた事があっただろうか?
「なら私は絶対に、婚約解消なんてしないよ?」
「……え?」
「私達の婚約は魔術で誓約されたもの。お互い以外が解除するのは不可能だし、クリスタだけで解除も不可能。誓約がある限りクリスタは私以外と子を成す事は出来ない。私は婚約を解消する気など微塵もないし、君は私との婚約を解消など出来ないよ。」
「!? 何故ですか!こんな、貴方を傷つけてばかりの女よりも可愛い女性は沢山います!先程だって、殿下はオードリー様に愛しそうな笑顔を向けられていたではありませんか!」
見てたんですから!
憤慨するわたくしですが、殿下は少し困った様子で。
「それはさっきも言ったでしょう?誤解だって。クリスタが見たのはきっとオードリー嬢にクリスタの愛らしさを語ってた時じゃないかな。露骨にアピールしてくるから、牽制も込めてね。」
「………。」
………わたくしの、勘違い?
思わず黙り込んだわたくしの傍に殿下が座り直し、優しく濡れた頬を手の甲で拭われる。
「ねぇ、クリスタは私が嫌になった訳じゃないんでしょう?」
「も、勿論です!殿下をお慕いしております!!……でも、わたくしは本当に貴方を傷つけてばかりで。殿下は優しいからお許し下さいましたが、きっといつか愛想を尽かされてしまいます。そうなったらわたくし……っ」
わたくしの言葉は、殿下の広い胸に顔を押し付けられた事で途切れた。ギュッと頭と背中に周った逞しい腕がわたくしを抱き締める。
「あのね。そんな事で嫌いになるなら、もうとっくに嫌いになってるよ。私のクリスタへの愛がそんなことで無くなるわけがないでしょう?もっと私を信じてよ。」
「わ、たくし…わたくし…、殿下のこと、諦めなくてよろしいんですか?」
「むしろ諦める事を私が許すと思う?」
近距離でわたくしを覗き込む殿下。
そのお顔はオードリー伯爵令嬢に向けた顔よりも、遥かに愛おし気で、蕩けた微笑みで。
「…リ、ドリー様……。」
恐る恐るその背に腕を回すと、殿下が増々わたくしを強く抱きしめて。
まるで、それがわたくしを心底欲しているのだと言われているようで、嬉しくて。
「リドリーさまあぁぁぁぁぁああっ!!!」
ボキパキペキパキポキィッ♪
「ぐあっ!!!」
───……つい、力を入れ過ぎてしまったのです。
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