政略結婚だなんて、聖女さまは認めません。

りつ

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32.言いがかり

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 知らない人である。だがメイベルは誰かに似ていると思った。そう、自分がよく知っている人間に――

「公爵閣下」

 メイベルははっと振り返った。ハウエルが立ち上がり、驚いた表情で男性を見ている。

(そうだ、アクロイド公爵。私が本来なら嫁ぐ相手だった男性……!)

 メイベルはもう一度、目の前の男を見た。白髪が混じった金色の髪。目尻が下がった緑の目。

(サイラスと似ているわ……)

 そしてそれは思いのほかメイベルに衝撃を与えた。

 メイベルの想像の中では、ずっとアクロイド公爵は中年の醜く太った男性だった。顔つきもローガン陛下やサイラスとは似ても似つかないほどの残念なもので、女性から疎まれて仕方がないというものだった。

 けれど公爵は醜くなかった。どちらかといえば整った部類に入るであろう容姿をしている。

(どうしてこの人は私と結婚したいなどと思ったのだろう……)

 他にいくらでも相手はいただろうに……。

(いいえ。それよりどうして彼がこんな所に……)

 メイベルが危機感を抱くより先に、公爵が押しのけるようにして部屋の中へ入り、扉を閉めた。彼の目と視線がかち合った時、彼女はとっさに恐怖と生理的な嫌悪感に襲われた。公爵の目には自分を蔑む感情がはっきりと浮かんでいたからだ。

「メイベル様!」

 ハウエルがこちらに近寄ってくるより早く、公爵の手が伸ばされ、メイベルの顎を掬い上げた。

「よくも私に恥をかかせ、のこのこと他の男へと嫁いだな」

 男の言葉にメイベルはめいいっぱい目を見開き、意味を理解すると同時に頭がかっとなり、次いで勢いよく男の腕を払い落していた。

「何か勘違いしているようですが、私はきちんとあなたのもとへ嫁ぐ予定でしたわ」

 それを、とメイベルは笑った。

「あなたがだめにしたのでしょう? 約束を待つことができず、満足な護衛もつけず馬車に乗らせ、とにかく私を奪おうとした。いったい誰のせいなのか、もう一度よく考えればすぐにわかるはずですわ。こちらに責任を押し付けるのはやめてくださらない?」
「だまれっ!」

 男の手が振り上げられる。メイベルはとっさに目を瞑った。最低だ。正論を述べただけですぐに暴力を振るうなんて。しかも女相手に。

(こんな男に叩かれた所で――)

 メイベルが心の中でそう悪態をついた時、力強く抱き寄せられ、ばしんと、力強い音が響いた。

「ハウエル様……」

 彼の腕の中でメイベルは呆けたように呟いた。叩かれたのは自分ではない。ハウエルであった。彼の傷一つない肌は、真っ赤になっていた。彼は言葉を失うメイベルをちらりと見て、大丈夫だというように頷いた。そして落ち着きなさい、とも彼は言っている気がした。

(ああ、私。我を忘れていたわ)

 彼はメイベルを腕の中に閉じ込めたまま、アクロイド公爵に向き直った。

「図星を突かれたからと言って女性に暴力を振るうなど、貴族の振る舞いとは思えませんね」

 ハウエルの口調は丁寧なものであったが、ぞっとするほどの冷たさを孕んでいた。

「どのような経緯であろうと、メイベル様は私と結婚しております。彼女に手を出したとあれば、教会も議会も……陛下も、お許しにはならないでしょう。どうか、ここは穏便に引き下がってはくれないでしょうか」

 これ以上事を荒立てたくないのならば、大人しく引き下がれ。

 ハウエルが言っていることはそういうことだった。

 だが自分よりもうんと年下の相手に諫められたのが気に食わなかったのか、ぶるぶるとアクロイド公爵は肩を震わせ、血走った目でハウエルを睨みつけた。

「だまれっ。そこの女は私のものだっ! ローガンの馬鹿息子からようやく奪い取ることができたというのにっ、おまえのような青二才に横からかすめ取られ、領地に謹慎させられ、私がどれほどの屈辱を味わったか……ぜんぶ、ぜんぶおまえのせいだっ!」

「そうでしょうか。身寄りのない女や子どもを使用人として雇う振りをして、外国へ売り飛ばす手伝いをしていなければ、柄の悪い人間が貴方の近辺をうろつくこともなく、私が見回りを強化することもなかった。メイベル様も下賤な輩に襲われず、貴方のもとへきちんと嫁いだかもしれない。いえ、そもそも出来の良い兄にくだらないコンプレックスなど抱かず、日頃から勉学に励んで、真面目な性格を今日まで装っていれば、陛下も慈悲深く、またその息子も、叔父に対して不信感を抱かず、議会も貴方を有力な後継者として見てくれていたかもしれないのに……本当に、責任を他人に転嫁するのはお上手だ」

 ハウエルはそう言ってにっこりと微笑んだ。それはもう、すがすがしいほどの笑みで。

(いやいや、ハウエル様! それめちゃくちゃ相手を煽っていますから! アクロイド公爵血管ブチ切れそうなほど青筋立てていますから!)

 というか人身売買とか、サラッととんでもないことを口にしていた。

(この人、そんなことまでやってたのね……)

 何でもできるローガン陛下と比べられて性格がねじ曲がってしまったのは同情するが、だからといってやっていいことと悪いことはある。

「メイベル様を傷つけようとしたこと、今度こそお優しい陛下でもお許しにはなられないでしょう」
「だまれ、だまれ、あいつが悪いんだ。あいつがいるから私は必要とされなかった。……そうだ。私はまだやり直すことができる」

 公爵の目がメイベルを捕えた。ハウエルが彼女抱きしめたまま、後ろへ下がった。それを追いつめるように公爵が近づいてくる。

「おまえがいれば。おまえの治癒能力さえあれば……!」

 アクロイド公爵がメイベルに襲いかかるようして飛びかかってきた。ハウエルがぱっとメイベルを離し、後ろへ突き飛ばした。そして公爵の懐に躊躇いなく飛び込んで彼をあっという間に床へと転がした。

 そこまでは、よかった。問題は公爵が一体いつから手にしていたのか刃物を右手にしっかりと握りしめていたこと。無防備になったハウエルの腹部へ、思いっきり下から突き刺したことだろう。

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