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9.突然のプロポーズ
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「は?」
(何言ってるのこの人……?)
頭おかしいんじゃないの? とはさすがに初対面相手には言えないのでごくりと唾を飲み込んだ。
「あの、もう一度おっしゃってくれます?」
今日あったばかりの人間と結婚して欲しいだなんて。しかも他の相手に嫁ぐ真っ最中である。非常識にもほどがある。これでは略奪。駆け落ちのようなものじゃないか。
「聞き間違い、したようですから」
「いいえ、聞き間違いではありません。私はメイベル様に結婚して欲しいと申し上げたのです」
今度こそメイベルは絶句した。笑みを浮かべてこちらを見つめる男に、頭が痛くなってくる。サイラスとはまた別の類の痛みだ。こめかみを押さえ、とりあえず落ち着くのよと自分に言い聞かせる。
「……理由をお聞きしても?」
「貴女の花嫁姿に一目ぼれしました」
「冗談はいいですから」
ばっさり切り捨てれば、おや、というようにハウエルは目を丸くした。
「冗談ではないのですが」
「か弱い女性を容赦なく囮に使うような人間は、一目ぼれなんかしません」
「やっぱり怒っていますか?」
怒っていない。ただ無理があるだろうと思っただけだ。
「……とにかく、あなたはその手の冗談で結婚を決めるタイプには見えませんから」
そんなタイプは、今のところ馬鹿王子くらいだ。
「あなたに何かしらのメリットがあるからそんな話をするのでしょう? 包み隠さず正直に話して下さい。そうでないと私もあなたを信じる気になれません」
お茶の用意を、と言い渡された使用人はまだ戻って来ない。最初からハウエルと二人きりにさせるのが目的だったのだろう。
というか、賊に襲わせてメイベルを助け出し、恩を売ったことも、すべてこのためだったのではないか?
(なんか、とんでもない人の所に連れて来られたかも……)
だが後悔しても遅い。メイベルはもはや敵陣地の真っただ中である。敵の大将はすぐ目の前。逃亡は絶望的である。
「ふふ。さすが未来の王妃様にと望まれただけはあります。あっさりと騙されてはくれないのですね」
「もう王妃ではないわ」
「おや、これは失礼しました」
(この人絶対腹黒ね。お腹の中真っ黒よ。イヴァン教皇みたいに……!)
わざとらしい言い方は、大司教たちを相手にしている気分になってくる。こういう場合、感情を露わにした方が負けだ。辛抱強く、あくまでも対等だという態度をとらなくては。
「……それで、どうして私と結婚して欲しいの?」
「私はご覧の通り、若くして辺境伯の地位を継ぎました。ですから何かと周囲に舐められることが多くあるのです」
父を亡くしたのが二十歳の時だったらしい。最初の一年は彼の親類が跡を継ぐべきだと揉め、それはそれは大変だったようだ。
(どこも変わらないのね……)
ハウエルは相当なやり手だと思うが、それでも認めない人間がいるということにメイベルはちょっと同情した。
「だから聖女である私と結婚して、箔をつけたいということ?」
「ええ、その通りです」
それなら、とメイベルはため息をつく。
「別に私でなくともよいのでは? どこか有力な貴族のお嬢さんを妻に迎えればいいわ」
ハウエルの美貌なら、女性は喜んで妻となってくれるだろう。
「ただの貴族の娘では意味がありません。聖女であるからこそ、意味があるのです」
聖女。誰も彼もが、そう言って自分たちを特別扱いしてきたが、本当にそれほどの価値があるのだろうか、とメイベルは疑問に思う。腑に落ちない彼女に、ハウエルはあることを尋ねる。
「メイベル様はこの地の歴史をご存知ですか」
「……いいえ」
国の歴史は知っているが、地方までは詳しく知らない。
「この土地、ウィンラードは昔、隣国のラシアと頻繁に戦争を繰り返していました」
ラシア国。メイベルたちのグランヴィル国より教会の権力が強く、聖女を神のように崇め立てている国だ。聖女が一時期、王に代わって政権を担っていたこともある。
「ラシア国は聖女という存在を武器に、我が地を奪わんと猛攻撃を仕掛けてきました。疲弊したウィンラードの民はなすすべなく、もはや降伏するしかないのかと絶望して――ですがそんな時、一人の聖女が現れたのです」
彼女は傷ついた兵や民を不思議な力で癒し、我々は決して負けないと諦めかけていた彼らを鼓舞したという。
「彼女の言葉に勇気付けられたウィンラードの民はラシア国の兵を見事退け、戦争を終結させる条約を結び、この地には長い平和がもたらされました。そういう歴史が、この地には永く受け継がれているのです」
「聖女はその後、どうなったの?」
「この地を治める領主の妻となりました」
つまり聖女という存在は、この土地の人々にとって大変特別な存在であり、メイベルを妻に迎えたハウエルは、きっといい領主になるだろうと彼らは思うわけだ。
「言いたいことはわかるけれど……」
「貴女だって、本当にアクロイド公爵に嫁ぎたいと、心から願っているわけではないでしょう?」
「リーランド様」
咎めるように言っても、だってそうでしょうとハウエルは言った。
「サイラス殿下という若く美しい男性が婚約者だったのに、突然三十も離れた男の妻になれだなんて……そんなの私だったら耐えられません」
メイベルが決して口に出すまいと我慢していた胸の内をあっさりとハウエルは口にする。おそらくわざとこちらの心情を揺さぶる言葉を投げかけているのだろう。
(そうはいくものですか……!)
伊達に何年も教会と王家の人間を相手にしてきたわけではないのだ。
「お話を持ちかけられた時は驚きましたが、もともとは誰かに嫁ぐ予定だったのです。相手が誰に変わろうと、私は気にしません」
だからどうか諦めて欲しい。メイベルがきっぱりそう断ると、しばし沈黙が流れた。ようやく終わりか、と思いかけた時――
「……貴女が私と結婚して下されば、私は貴女に自由を与えます」
「自由?」
はい、とハウエルは胸に手を当てて、誓うように言った。
「貴女は今まで教会の言いなりだった。自分の意思など、何一つ通らなかった。好きなことも、やってみたいことも、すべて許されなかった。でも、これからは違います。私の妻となっていただければ、貴女は何でも好きなことができます。誰もそれを阻む者はいません。自由に、生きられるんです」
「自由に……」
メイベルには縁のない言葉だった。教会。聖女。王太子の婚約者。正妃。自分はいつだって誰かに従い、こうあるべきだと定められてきた。
「……たしかに魅力的な提案だと思います」
「では――」
だけど、とメイベルは首を振った。
「やはり、無理です」
「なぜ?」
「私があなたと結婚すれば、代わりに他の聖女が公爵閣下のもとへ嫁ぐことになります。私にはそんなこと、できません」
メイベルの言葉に、ハウエルは不思議そうな顔をする。
「もともと結婚の許可は降りていなかったのでしょう? それを教会と閣下の独断で行い、結果的に貴女を危険な目に遭わせた。陛下たちは彼らに対してたいへん腹を立てて、そんな簡単に次の結婚を認めるとは思いませんが」
「でも、教会は……」
「教会だって馬鹿ではありません。今回のことでしばらく分が悪くなるでしょうし、しばらくは大人しくしていると思います。……その次の聖女とは貴女と同い年くらいなのですか?」
「いいえ。まだ十四ですわ」
なんだ、とハウエルは笑った。
「結婚できるようになるまで二年もあるじゃないですか。それに貴女でさえ年の差を気にして陛下は結婚を渋っていた。それより下の者を許しはしないでしょう。たとえ許可が降りたとしても、二年先まで閣下は生きているかわかりませんし、なんとかなるでしょう」
「そんな楽観的な……!」
「大丈夫ですよ」
それまでの柔らかな雰囲気を変え、獲物を仕留めるかのように薄っすらとハウエルは微笑む。
「権力を盾にいつまでも悪事が見逃されると思ったら、大間違いです。――何も心配することはありません。覚悟を決めて下さい」
はい、という答えを言え。ハウエルの金色の目は、そう命じていた。
(――結局、あなたも脅しているようなものではないの)
自由を、という耳障りのいい言葉を使っておきながら結婚をするよう命じるハウエルにメイベルは冷めた気持ちになる。これならばまだ一目ぼれしたという嘘を突き通して欲しかった。
(聖女という枷からはしょせん抜け出せないか……)
ならばせめて、とメイベルは顔を上げた。
「――わかりました。お受けしましょう」
「本当ですか? ありがとうございます」
「ですが条件があります」
何でしょう? とハウエルは微笑んだ。快く引き受けるつもりだとその顔には書いてある。
「あなたの妻となるからには、きちんとこの屋敷の女主人として振る舞わせて下さい。お飾りの妻ではなく、本当の妻として」
メイベルの願いが意外だったのか、ハウエルは少し目を丸くした。
「ええ、いいですよ。愛せるかどうかはわかりませんが、貴女のことは大事にするつもりです」
(そこは嘘でもわかりました、って言っておきなさいよ!)
怒鳴り返したいのをぐっ、と堪え、なんとか微笑む。
「ありがとうございます。それから……」
「まだ何か?」
これが最も大事なことだった。
「何があっても、サイラス殿下を支持すると誓って下さい」
ハウエルは目を瞬いた。
「私はてっきり……貴女はサイラス殿下のことを恨んでいると思っていました」
「恨んでいない、と言ったら嘘になります。けれど、権力の渦巻く場所では何が起きても不思議ではありません。最初から覚悟はできておりました」
ただ式の一週間前に暴露されたことが死ぬほど非常識だと思っただけだ。サイラスの心変わり自体、悲しくはあるが仕方がないことだと諦めている。
「私情で国の行く末を曇らせるなんて、愚かなだけですわ」
サイラスを王位から引きずり下ろし、代わりに第二王子のケインやアクロイド公爵の子どもを後釜に据えようなど、メイベルは恐ろしいことだと思っている。
「王家が揺らぐということは、民の生活もまた揺らぐことに繋がります。私はそんなこと望んでいません」
サイラスの立場は今非常に不安定だ。陛下や宰相の後ろ盾はあるものの、王子の勝手な振る舞いに納得していない貴族は少なからずいる。もちろん教会も。
「辺境伯のあなたが味方につけば、バランスがとれるのではないかと思うのです」
辺境伯の功績は大きく、一目置かれている。王家との繋がりもないので、教会のよからぬ企みも潰える。……はずだ。
(とにかく、アクロイド公爵と結婚するよりマシなはずだわ!)
「――なるほど」
メイベルの頼みに、いいでしょう、とハウエルは笑みを浮かべた。
「片方だけに利があるのは、不満が出ますからね。私は自身の地位の安定のために、貴女はサイラス殿下――この国の平和のために、辺境伯である私と結婚する。それでいいですか?」
「ええ。陛下や殿下が認めてくれれば、ですけど」
「大丈夫ですよ」
大丈夫。ハウエルが言うと、今や不思議と、怖いくらいの説得力があった。
「貴女のような女性が妻になってくれて、私はとても心強いです」
(私、やっぱりとんでもない人と結婚しようとしているんじゃ……?)
けれど後悔しても遅く、メイベルとハウエルの結婚は、その日のうちに王都へ伝えられることとなった。
(何言ってるのこの人……?)
頭おかしいんじゃないの? とはさすがに初対面相手には言えないのでごくりと唾を飲み込んだ。
「あの、もう一度おっしゃってくれます?」
今日あったばかりの人間と結婚して欲しいだなんて。しかも他の相手に嫁ぐ真っ最中である。非常識にもほどがある。これでは略奪。駆け落ちのようなものじゃないか。
「聞き間違い、したようですから」
「いいえ、聞き間違いではありません。私はメイベル様に結婚して欲しいと申し上げたのです」
今度こそメイベルは絶句した。笑みを浮かべてこちらを見つめる男に、頭が痛くなってくる。サイラスとはまた別の類の痛みだ。こめかみを押さえ、とりあえず落ち着くのよと自分に言い聞かせる。
「……理由をお聞きしても?」
「貴女の花嫁姿に一目ぼれしました」
「冗談はいいですから」
ばっさり切り捨てれば、おや、というようにハウエルは目を丸くした。
「冗談ではないのですが」
「か弱い女性を容赦なく囮に使うような人間は、一目ぼれなんかしません」
「やっぱり怒っていますか?」
怒っていない。ただ無理があるだろうと思っただけだ。
「……とにかく、あなたはその手の冗談で結婚を決めるタイプには見えませんから」
そんなタイプは、今のところ馬鹿王子くらいだ。
「あなたに何かしらのメリットがあるからそんな話をするのでしょう? 包み隠さず正直に話して下さい。そうでないと私もあなたを信じる気になれません」
お茶の用意を、と言い渡された使用人はまだ戻って来ない。最初からハウエルと二人きりにさせるのが目的だったのだろう。
というか、賊に襲わせてメイベルを助け出し、恩を売ったことも、すべてこのためだったのではないか?
(なんか、とんでもない人の所に連れて来られたかも……)
だが後悔しても遅い。メイベルはもはや敵陣地の真っただ中である。敵の大将はすぐ目の前。逃亡は絶望的である。
「ふふ。さすが未来の王妃様にと望まれただけはあります。あっさりと騙されてはくれないのですね」
「もう王妃ではないわ」
「おや、これは失礼しました」
(この人絶対腹黒ね。お腹の中真っ黒よ。イヴァン教皇みたいに……!)
わざとらしい言い方は、大司教たちを相手にしている気分になってくる。こういう場合、感情を露わにした方が負けだ。辛抱強く、あくまでも対等だという態度をとらなくては。
「……それで、どうして私と結婚して欲しいの?」
「私はご覧の通り、若くして辺境伯の地位を継ぎました。ですから何かと周囲に舐められることが多くあるのです」
父を亡くしたのが二十歳の時だったらしい。最初の一年は彼の親類が跡を継ぐべきだと揉め、それはそれは大変だったようだ。
(どこも変わらないのね……)
ハウエルは相当なやり手だと思うが、それでも認めない人間がいるということにメイベルはちょっと同情した。
「だから聖女である私と結婚して、箔をつけたいということ?」
「ええ、その通りです」
それなら、とメイベルはため息をつく。
「別に私でなくともよいのでは? どこか有力な貴族のお嬢さんを妻に迎えればいいわ」
ハウエルの美貌なら、女性は喜んで妻となってくれるだろう。
「ただの貴族の娘では意味がありません。聖女であるからこそ、意味があるのです」
聖女。誰も彼もが、そう言って自分たちを特別扱いしてきたが、本当にそれほどの価値があるのだろうか、とメイベルは疑問に思う。腑に落ちない彼女に、ハウエルはあることを尋ねる。
「メイベル様はこの地の歴史をご存知ですか」
「……いいえ」
国の歴史は知っているが、地方までは詳しく知らない。
「この土地、ウィンラードは昔、隣国のラシアと頻繁に戦争を繰り返していました」
ラシア国。メイベルたちのグランヴィル国より教会の権力が強く、聖女を神のように崇め立てている国だ。聖女が一時期、王に代わって政権を担っていたこともある。
「ラシア国は聖女という存在を武器に、我が地を奪わんと猛攻撃を仕掛けてきました。疲弊したウィンラードの民はなすすべなく、もはや降伏するしかないのかと絶望して――ですがそんな時、一人の聖女が現れたのです」
彼女は傷ついた兵や民を不思議な力で癒し、我々は決して負けないと諦めかけていた彼らを鼓舞したという。
「彼女の言葉に勇気付けられたウィンラードの民はラシア国の兵を見事退け、戦争を終結させる条約を結び、この地には長い平和がもたらされました。そういう歴史が、この地には永く受け継がれているのです」
「聖女はその後、どうなったの?」
「この地を治める領主の妻となりました」
つまり聖女という存在は、この土地の人々にとって大変特別な存在であり、メイベルを妻に迎えたハウエルは、きっといい領主になるだろうと彼らは思うわけだ。
「言いたいことはわかるけれど……」
「貴女だって、本当にアクロイド公爵に嫁ぎたいと、心から願っているわけではないでしょう?」
「リーランド様」
咎めるように言っても、だってそうでしょうとハウエルは言った。
「サイラス殿下という若く美しい男性が婚約者だったのに、突然三十も離れた男の妻になれだなんて……そんなの私だったら耐えられません」
メイベルが決して口に出すまいと我慢していた胸の内をあっさりとハウエルは口にする。おそらくわざとこちらの心情を揺さぶる言葉を投げかけているのだろう。
(そうはいくものですか……!)
伊達に何年も教会と王家の人間を相手にしてきたわけではないのだ。
「お話を持ちかけられた時は驚きましたが、もともとは誰かに嫁ぐ予定だったのです。相手が誰に変わろうと、私は気にしません」
だからどうか諦めて欲しい。メイベルがきっぱりそう断ると、しばし沈黙が流れた。ようやく終わりか、と思いかけた時――
「……貴女が私と結婚して下されば、私は貴女に自由を与えます」
「自由?」
はい、とハウエルは胸に手を当てて、誓うように言った。
「貴女は今まで教会の言いなりだった。自分の意思など、何一つ通らなかった。好きなことも、やってみたいことも、すべて許されなかった。でも、これからは違います。私の妻となっていただければ、貴女は何でも好きなことができます。誰もそれを阻む者はいません。自由に、生きられるんです」
「自由に……」
メイベルには縁のない言葉だった。教会。聖女。王太子の婚約者。正妃。自分はいつだって誰かに従い、こうあるべきだと定められてきた。
「……たしかに魅力的な提案だと思います」
「では――」
だけど、とメイベルは首を振った。
「やはり、無理です」
「なぜ?」
「私があなたと結婚すれば、代わりに他の聖女が公爵閣下のもとへ嫁ぐことになります。私にはそんなこと、できません」
メイベルの言葉に、ハウエルは不思議そうな顔をする。
「もともと結婚の許可は降りていなかったのでしょう? それを教会と閣下の独断で行い、結果的に貴女を危険な目に遭わせた。陛下たちは彼らに対してたいへん腹を立てて、そんな簡単に次の結婚を認めるとは思いませんが」
「でも、教会は……」
「教会だって馬鹿ではありません。今回のことでしばらく分が悪くなるでしょうし、しばらくは大人しくしていると思います。……その次の聖女とは貴女と同い年くらいなのですか?」
「いいえ。まだ十四ですわ」
なんだ、とハウエルは笑った。
「結婚できるようになるまで二年もあるじゃないですか。それに貴女でさえ年の差を気にして陛下は結婚を渋っていた。それより下の者を許しはしないでしょう。たとえ許可が降りたとしても、二年先まで閣下は生きているかわかりませんし、なんとかなるでしょう」
「そんな楽観的な……!」
「大丈夫ですよ」
それまでの柔らかな雰囲気を変え、獲物を仕留めるかのように薄っすらとハウエルは微笑む。
「権力を盾にいつまでも悪事が見逃されると思ったら、大間違いです。――何も心配することはありません。覚悟を決めて下さい」
はい、という答えを言え。ハウエルの金色の目は、そう命じていた。
(――結局、あなたも脅しているようなものではないの)
自由を、という耳障りのいい言葉を使っておきながら結婚をするよう命じるハウエルにメイベルは冷めた気持ちになる。これならばまだ一目ぼれしたという嘘を突き通して欲しかった。
(聖女という枷からはしょせん抜け出せないか……)
ならばせめて、とメイベルは顔を上げた。
「――わかりました。お受けしましょう」
「本当ですか? ありがとうございます」
「ですが条件があります」
何でしょう? とハウエルは微笑んだ。快く引き受けるつもりだとその顔には書いてある。
「あなたの妻となるからには、きちんとこの屋敷の女主人として振る舞わせて下さい。お飾りの妻ではなく、本当の妻として」
メイベルの願いが意外だったのか、ハウエルは少し目を丸くした。
「ええ、いいですよ。愛せるかどうかはわかりませんが、貴女のことは大事にするつもりです」
(そこは嘘でもわかりました、って言っておきなさいよ!)
怒鳴り返したいのをぐっ、と堪え、なんとか微笑む。
「ありがとうございます。それから……」
「まだ何か?」
これが最も大事なことだった。
「何があっても、サイラス殿下を支持すると誓って下さい」
ハウエルは目を瞬いた。
「私はてっきり……貴女はサイラス殿下のことを恨んでいると思っていました」
「恨んでいない、と言ったら嘘になります。けれど、権力の渦巻く場所では何が起きても不思議ではありません。最初から覚悟はできておりました」
ただ式の一週間前に暴露されたことが死ぬほど非常識だと思っただけだ。サイラスの心変わり自体、悲しくはあるが仕方がないことだと諦めている。
「私情で国の行く末を曇らせるなんて、愚かなだけですわ」
サイラスを王位から引きずり下ろし、代わりに第二王子のケインやアクロイド公爵の子どもを後釜に据えようなど、メイベルは恐ろしいことだと思っている。
「王家が揺らぐということは、民の生活もまた揺らぐことに繋がります。私はそんなこと望んでいません」
サイラスの立場は今非常に不安定だ。陛下や宰相の後ろ盾はあるものの、王子の勝手な振る舞いに納得していない貴族は少なからずいる。もちろん教会も。
「辺境伯のあなたが味方につけば、バランスがとれるのではないかと思うのです」
辺境伯の功績は大きく、一目置かれている。王家との繋がりもないので、教会のよからぬ企みも潰える。……はずだ。
(とにかく、アクロイド公爵と結婚するよりマシなはずだわ!)
「――なるほど」
メイベルの頼みに、いいでしょう、とハウエルは笑みを浮かべた。
「片方だけに利があるのは、不満が出ますからね。私は自身の地位の安定のために、貴女はサイラス殿下――この国の平和のために、辺境伯である私と結婚する。それでいいですか?」
「ええ。陛下や殿下が認めてくれれば、ですけど」
「大丈夫ですよ」
大丈夫。ハウエルが言うと、今や不思議と、怖いくらいの説得力があった。
「貴女のような女性が妻になってくれて、私はとても心強いです」
(私、やっぱりとんでもない人と結婚しようとしているんじゃ……?)
けれど後悔しても遅く、メイベルとハウエルの結婚は、その日のうちに王都へ伝えられることとなった。
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