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ロイド② 祖父との会話

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 リディア・ヴァウルという少女は変わっている。

 変わっているというか、ついてない。変な人間に絡まれやすい。で、トラブルに巻き込まれがち。不幸体質。苦労性。それでも諦めない性格で、なんだかんだ放っておけないお人好し。

 ロイドから見て、リディアはそんな子だった。

「坊ちゃま。お帰りなさい」
「ああ、ただいま」

 馬鹿でかい門をくぐり、玄関で何人も待ち構えていた使用人たちに頭を下げられ、ロイドは実家であるハウレス家へと帰省していた。

「遅かったじゃないか」

 自分の顔をうんと老けさせた顔が、屋敷へ入ると出迎えた。ハウレス家の現当主であり、ロイドの祖父でもあるギルバートであった。

「お前のことだからまたなんだかんだ理由をつけて帰って来ないかと思っていたぞ」

 帰らなかったら帰らなかったで迎えを寄こすじゃないか。それが嫌だからわざわざ出向いてやったんだ。……という文句が喉元まで出かかったが、ロイドはぐっと我慢してなんとか微笑した。

「俺も大人になったということです。お爺さま」
「なんだ気持ち悪い。私によく似た顔で微笑むな」

 ひくりと頬が引き攣る。

(そりゃこっちの台詞だ!)

「報告は昼食をとりながら聞く。準備が整ったら食堂へこい」

 挨拶は済んだとばかりにギルバートは背を向けた。

「……なんなの、あれ」
「坊ちゃまが珍しく素直な物言いをなさったので動揺したのでございましょう」

 隣で翻訳してくれた家令の顔をちらりと見て、ロイドはもう一度、深くため息をついたのだった。

 一年生の冬休み。学園に通う大半の生徒が自分の故郷へと帰る。ロイドはできることなら寮で年を越したかったのだが、夏季休暇の際にいつまでも帰って来ないロイドに業を煮やしたのか、公爵家から使いの者が何人も送られてきてはロイドを説得をし、寮の先生からも帰ったらどう? と悲しそうな顔で言われ、結局帰省するはめになったことを踏まえれば、自分から大人しく帰った方がまだましだと思い直したのだった。

(それに……)

『きっとお爺さまも本当は会いたがっているはずですよ』

「それで、どうなんだ?」
「えっ?」

 ここにはいない少女のことをつい考えていたロイドは、脈絡なく発せられた公爵の言葉に反応が遅れた。当然、ギルバートは眉間に皺を寄せる。

 どうでもいいが、細長いテーブルに向かい合って食事をするというのは毎回気まずいものがある。距離があるとはいえ差し向かい。一対一。しかも自分も祖父も、陽気な雰囲気を持つ人間ではなく、重たい空気にせっかくの美味しい食事がまずくなる危うさが常にあった。

「学校での生活は上手くやっているかどうか聞いているんだ」

 それくらい察しろ、という無言の嫌味にロイドの眉もぎゅっと寄せられる。

(なんでこの人はいちいちこんな偉そうな言い方するんだ……)

 と自分とそっくりな面に気づかず、ロイドは「まぁまぁですよ」と答えた。

「生徒会にも入ったそうだな」
「はい。将来何かしらの役に立つと思いまして」
「将来の伴侶を探すのにもか」

 伴侶という言葉に思わず肉を詰まらせそうになる。慌ててグラスの水を飲み、すかさず後ろに控えていた使用人が水を注ぐ。

「……突然何をおっしゃるんですか」
「私はおまえの年齢に相応しい話題を口にしただけだ」
「……だからって唐突すぎるでしょう」

 一体何を企んでいるんだと怪訝な顔で祖父を見れば、彼は白々しく空咳をした。

「実はおまえに見合いの話がきている」
「は? 見合い?」

 冗談だろと思った。

「俺は両親のせいで社交界からは嫌厭されているんでしょう?」

 ロイドの母親は幼い頃から決められていた婚約者がいたにも関わらず、商人であった父と恋に落ち、ギルバートに反対されても駆け落ちするという恋愛に生きた女性であった。そんな二人の息子であるロイドも親の血を引いているに違いないと、年頃の娘を持つ親たちは彼を結婚候補から除外していたのだった。当然と言えば、当然かもしれない。

「それなのに見合いだなんて……まさか借金だらけの家とか、訳ありのご令嬢を厄介払いさせるつもりでこちらに押し付ける魂胆じゃないでしょうね?」

 よくない噂はあっても、公爵家。地位と名誉は喉から手が出るほど欲しいと思う欲深い人間は大勢いる。逆に結婚してやるんだからこれくらいの瑕疵は目を瞑れと上から目線の輩がいてもおかしくない。

「馬鹿もん。そんな人間、たとえ土下座されようが、金を積まれようが、こちらから願い下げだ」
「じゃあ、相手は誰なんです?」

 じっ、とギルバートは何かを見極めるように目を細めた。

「コンラッド伯爵のご息女だ」
「コンラッド伯爵って……」
「ヘレナ嬢は、お前のご学友なのだろう?」

 ヘレナ……ヘレナ・コンラッド。ご学友。

「あっ、あの人か」

 リディアにしつこく絡んで、ついでに自分にもいろいろ言ってきて、頬を叩いてきた女性。同じクラス。クラスメイトの名前だと理解して、ロイドはようやくすっきりした。

(いや、なんで……?)

 あの時は自分もむしゃくしゃしてつい彼女に酷いことを言ってしまった。その後反省して謝ったものの、ヘレナはいまだ根に持っているのか、よくチラチラとロイドの方を見てきて、たまに目があったりすると、顔を赤くして怒ったように睨みつけてくるのだ。誰がどう見たって嫌われている。そんな相手が自分を結婚候補に選んだなんて……

「彼女の家、何かあったんですか?」

 領民が暴徒化したとか、父親が急にギャンブル依存症になったとか、それで追いつめられたヘレナは大嫌いなロイドにも嫁がざるをえなくなり……

「見合いの話を持ちかけてきたのは向こうの方からだ。娘が気に入った相手だから、どうか考えて欲しいと」
「は?」

 ヘレナが自分を気に入っている?

「何かの冗談ですか」
「どこの親が冗談で見合いを持ちかけるというんだ」

 それはそうだが……やっぱりロイドには釈然としなかった。

「それで? どうするんだ?」
「どうするって……申し訳ありませんが、俺はまだ結婚する気はありません。お断りして下さい」

 公爵は肉を切り分けていた手を止めたまま、ロイドをじっと見てくる。どうも居心地が悪い。

「何ですか。言いたいことがあるのなら、はっきりおっしゃって下さい」
「ヘレナ嬢のことが嫌いなのか?」
「嫌いというか……正直に言って、彼女のことは何とも思っていません」
「だったらこの機会に好きになればいい。彼女の婚約者となって――」
「ハウレス卿」

 他人行儀な言い方で、ロイドは会話を遮った。

「私はまだ結婚するつもりはありません。するとしても、あなたが選ぶのではなく、自分で相手は選びます。だから余計なお節介は焼かないで下さい」
「これはお前だけの問題じゃない。ハウレス家全体に関わる問題なんだ。そんなこともわからないのか」

 うるさいと怒鳴り返したくなる自分を必死に抑えて、ロイドは冷静になれと言い聞かせた。感情を乱した所で、この爺には何の攻撃にもならないし、敗北することと同じだ。

「……わかっています。だからそうしたことも踏まえて、私が自分で選びたいんです」

 貴族のしがらみも、一緒に乗り越えてくれる女性。自分の面倒な性格も受け入れて、いつも隣で朗らかに笑ってくれる――

「誰か、相手がいるのか?」

 瞬間、ここにはいない少女のことが思い浮かんで、ロイドは顔が熱くなった。

「なっ、違いますよ!」
「私は別に相手の名前を出してはいないが?」
「っ……」

 くそっと顔を背ける。

「……リディア・ヴァウルという女性か?」

 ひゅっと急に喉元を締め付けられた気がした。

「どうしてその名前を……」
「お前と一緒に生徒会に入部したと聞いた」
「調べたんですか」
「お前の身辺についてはある程度報告させている。貴族の娘や息子を持つ家なら、どこもやっていることだ」

 気持ち悪いな、と思った。離れていても、決して逃げきれない。常に監視されている。それは貴族として生きていくなら、慣れなくてはいけないことだった。この家に帰ってくると、嫌でも自覚させられる。

(だから帰りたくなかったんだ……)

「それで、その子と一緒になりたいのか」
「……まだはっきりと思っているわけじゃありません」

 いきなりそんなこと言われても困る。ロイドだって今初めて意識したことなのだ。

「では今後その子と付き合うのはやめなさい」
「は?」

 なんであんたにそんなこと言われなくちゃならない。

「平民で、しかも一年留年しているそうじゃないか」
「だから相応しくないって言うんですか? 彼女がどうして留年したのか、あなたは知っているんですか?」
「いいや、知らない。そんなこと知ってどうする。どんな事情があれ、結果がすべてだ」

 感情のこもらない声に、ロイドの頭はカッとなる。
 何も知らないくせに。知ろうともしないくせに。そんなんだから――

「あんたはあの時と何も変わらない。頑固で、ちっともこちらの話に耳を傾けようともしない。そんなんだから母さんも駆け落ちなんて馬鹿な真似する羽目になったんだろ!」

 ばんっとテーブルを叩いて立ち上がった。最悪だった。結局感情を制御できなかった自分が情けないし、逃げるように背を向ける自分はとんでもなください。でももう一度席へ戻って食事をする気にもなれなかった。

「――ロイド」

 扉を開けて部屋を出る寸前、わずかばかり冷えた頭で、ロイドは足を止めた。振り返ることはできなかったけれど。

「何ですか」

「たしかに時代は変わってきている。男性も女性も、昔ほど身分にこだわらず結婚できるようになってきた。だが、それでも女性にはいまだ貞淑さを求める。いつになっても。お前が彼女に期待するということは、彼女の自由を縛り、未来を狭めるということだ。周りにも、あらぬ誤解を招く。お前ではなく、彼女が傷つくことになるんだ。無責任なことはするな」

 こんな時でも冷静で、嫌になるくらいの正論だ。だからこそ、ロイドは祖父にいつまでたっても敵わない。

「……わかっていますよ、お爺さま」

 振り返り、ピンと背筋を伸ばした公爵にロイドは力なく笑った。

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