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本編(ノーマルエンド)

45、迎えに来てくれた人

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 ロイドはすぐに見つかった。いつもの屋上へ続く階段で顔を伏せるようにして蹲っており、手には眼鏡を持っていた。

「――泣いてるの?」

 リディアの言葉にぴくりとロイドの肩が震えた。

「泣いてないし」

 顔を上げた彼の顔は、どこか不貞腐れた子どものようで思わず微笑んでしまった。彼のところまで階段を上り、そっと隣に腰を下ろす。

「頬は大丈夫ですか」
「大丈夫じゃないけど、大丈夫」
「……そうですか」

 そのまましばらく沈黙が続いた。

「なに? 心配になって追いかけてきたの?」

 やがて痺れを切らしたかのようにロイドが口を開いた。リディアは迷ったものの、素直に頷いた。

「……はい。新聞記事に書かれたの、わたしのせいでもありますし」

 マリアンの恨みを買わなければ、ロイドも巻き込まれることはなかっただろう。自分の過去を暴露されることも。

「そうだね。あんたなんかに関わったから、あれこれ書かれた」
「……ごめんなさい」

 申し訳なさそうに謝るリディアに、ロイドが呆れた表情をする。

「よわ。あっさり認めんなよ。そこは関係ない、って否定するとこでしょ」
「いや、でも……」
「別にあんたのせいじゃないし。俺があのピンク頭の地雷ぶち抜いたから恨み買っただけだし。俺があそこで媚売ってたら、あの女はこんな真似しなかったでしょ。あとクラスメイトに普段からもっといい顔していれば」
「……」
「いま確かに、って納得したでしょ」
「いえ、そんなことは」

 リディアは目を逸らしながら否定した。ばればれだから、とロイドがため息をつく。

「それに、暴こうと思えば、暴ける内容だったしね。親世代の間では有名な話らしいし? いずれは知られる話だったんだよ」
「でも……嫌ですよ。こんな、面白がるような書き方」
「経験者は語るって? はは。そう言えば、親に捨てられたって、あんたと同じだね」

 ロイドは口元を歪めながら言った。

「あんたなら、俺の苦しみが理解できるって駆けつけてきたの?」

 お前にわかるわけないだろ。一緒にするな。同情するな。

 眼鏡をかけていないロイドの目はそう言っていた。灰色がかった青ではなく、爛々と輝く赤い色。

 怖いとは思わなかった。むしろか弱い獣が傷つくのが怖いと必死で威嚇しているようにリディアには見えた。

「……たしかにわたしは自分の父親に売られましたけど、それでロイドの苦しみがぜんぶわかるとは思っていませんよ」

 彼が受けた苦しみは彼にしかわからない。たとえ彼の過去をすべて知っていたとしても、それは事実として知っているだけで、同じ苦しみを分かち合ったことにはならない。わかった振りをして可哀想などと同情されても、嘘だと思ってしまう。リディアだってロイドと同じような態度をとるだろう。

「あなたの苦しみはあなただけのものですから……わたしには一生わかってあげることはできません」
「……あんたの過去もそうだって言うの?」
「はい」

 リディアがそう答えると、再び沈黙が落ちた。

「……さっき」

 今度はリディアから口を開いた。

「蹲って泣いているのかと思ったんですけど……」
「言っとくけど、泣いてないからね」

 わかってます、とリディアは苦笑いした。

「そうじゃなくて……わたしは泣いたなぁって思い出して……」

 リディアが幼かった頃、まだ父親に捨てられて、キャスパーと暮らし始めた頃の話だ。もう会えないとわかっていても、どうしても父親のことが忘れられず、リディアは街中を歩き回って父の姿を探していた。

「いくらクズでも、やっぱり父親ですし、寂しいって思ったんでしょうね……」

 けれど当然父は見つからず、自分はやっぱり捨てられたのだという虚しさだけが胸に残った。

「それでそのまま家に帰る気にもなれなくて、近所の公園のベンチにぼんやりと座っていたんです」

 公園にはリディアと同い年くらいの子どもがいて、母親と思われる女性に手を引かれていた。二人の仲良さげな姿を、自然と目で追っていた。自分にも母がいた。けれど病気で死んでしまって、もうこの世にはいない。リディアの家族は父だけだった。

「その人にも捨てられたんだって思ったら、苦しくなって、気づいたら泣いていました」
「……」
「自分が泣いてるって気づいたら、よけいに苦しくなって、恥ずかしいやら悔しいやらで、顔を伏せたんです」

 リディアはその時の自分を再現するように顔を俯かせた。泣くのを止めるための行動だったが、重力に従うようにして涙は次から次へと頬を伝った。

「……それで、一人で寂しく帰っていったの」

 ロイドの抑揚のない声に、リディアは顔を上げて微笑んだ。

「いいえ。師匠が、わたしを引き取ってくれた人が迎えに来てくれました」

 あの時のキャスパーは今でもよく覚えている。いつもは涼しい顔をして焦りとは無縁のような彼が、汗だくになって、髪も乱れて、実に酷い有様で。あちこち探し回った姿が一目で伝わってきて。自分を見つけた時の驚いた表情。それが一瞬で安堵へと変わったこと。リディアはたぶん一生忘れない。

「迎えに、来てくれたんだ……」
「ええ」

 キャスパーは帰りが遅いので心配しましたよ、とぜえぜえ息を吐きながら言った。次いで咎めるような顔をして、でもリディアが泣いていたと気づくと、無事でよかったですといつものように優しく微笑んでくれた。一緒に帰ろうと、手を差し伸べてくれた。

「……で、なに。結局いい話を俺に聞かせたかっただけ?」

 はっ、とロイドが笑った。
 いい話。そう。いい話で終わったらよかった。

「父じゃなかった、って心の中で思ったんです」

 目を瞠るロイドに、リディアは困ったように微笑んだ。我ながら酷いなと思う。だがそれは正直で、嘘偽りないリディアの本心だった。

「わたしは、父に迎えに来てほしかったんです」

 自分の手を握って、帰ろうと言って欲しかった。それだけで、リディアはきっと許せたのだ。母のことも。自分を手放したことも。ぜんぶ。

「……でも父親は来なかったんだろ」
「はい。それから一度も」

 当然だ。売ったのだから。捨てたのだから。

「昔は自分を無理矢理納得させるためにお父さんはわたしを売った手前、会いたくても会えないんだって自分に言い聞かせていました」

 それも結局は都合のいい幻想だとわかっていた。自分の金遣いの荒さで母を苦労させて、薬代すら満足に払えなかった人間にそんな親の心があるわけない。

 それでも心のどこかでずっと待っている自分がいた。そしてその自分はこれからも消えずに残り続けるだろう。捨てられたという悲しみは、きっと消えやしない。

「それでも……いえ、だからこそ、代わりに迎えに来てくれた人のことを大切にしようって思ったんです」

 帰ろうと言ってくれたキャスパー。彼が今日から自分の家族なのだ。父のことは、もういない人として忘れよう。幼かったリディアはそう思って、キャスパーの手を握り返したのだ。

「……ずいぶん、あっさりと割り切れたね」
「やけくそだったんだと思いますよ。まあ、結局その人にもいろいろ問題があって、その後いろいろ苦労させられるんですけどね」
「……あの書かれた記事の内容、ぜんぶが嘘ってわけじゃなかったんだ」
「禁断の関係、とかそういうのは全くの事実無根ですけど、親に捨てられたとか、拾われたとか、留年したとかは本当です」

 あはは、とリディアは苦笑いした。ほんと、人生って上手くいかない。

「でも、まあ、何だかんだ今わたしは元気ですし、大丈夫ですよ」

 だからロイドも元気出して欲しい。というのは雑な慰めだろうか。

(こういう時、師匠みたいにすっと元気が出るようなこと言えたらいいのになぁ……)

 いつも思う。他人の痛みや苦しみに触れた時、どんな態度をとるのが正解なのだろう。セエレの話を聞いた時だって、もっと別の言葉をかけるべきだったのではないかとリディアはずっと答えが出ないでいる。

 自分はロイドと一つしか年が変わらない。人生経験が豊富なわけでも、立場だって貴族である彼の方がずっと複雑だ。そんな自分が言えることなど、本当は何もない気がした。追いかけずに、そっとしておいてやるのが正しかったのかもしれない。

(でも、放っておけなかった……)

 苦しそうで、そばにいてあげたかった。たとえ何もできなくても。

 あの時自分を迎えに来てくれたキャスパーもこんな気持ちだったのだろうか。

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