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本編(ノーマルエンド)
32、帰り道
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「はぁ、はぁ……ほんっとに、あなたって人は……」
ひいひい言いながら学園を飛び出し、人気のない道端でリディアはグレンを睨み上げた。
「いきなり相手を殴る人がありますか!」
「まだ殴ってねえよ。頭突きしただけだ」
体力のある彼は澄ました表情で突っ立っている。それもまた腹立たしいことこの上ない。
「人を傷つけたことに変わりはありません!」
「あー、はいはい。俺が悪かったですよぉ」
なんだその謝罪は! 本当に反省しているのか!? とリディアの怒りは収まらない。
「つーか。なんで逃げてきたんだよ」
「へっ」
だってそうだろうとグレンは呆れたようにリディアを見返した。
「俺だけおいて、お前だけさっさと逃げればよかったじゃねえか」
(た、たしかに……!)
「それなのにわざわざ俺の手を取って……お前、馬鹿なの?」
うぐっ、とグレンの言葉にショックを受けるリディア。たしかに馬鹿だ、と思う。いつも苦しめられている諸悪の根源をよりにもよって自分が助けてしまうなんて。
(でも一応危ないところを助けてもらったし……いや、それでもいきなり相手を殴るのはありえないけど! そのせいで結局逃げる羽目になったんだから……)
なんとか自分のとった行動に正当な理由を見つけようと、リディアは頭を抱えた。
(……なんていうか、たぶん、逃げることに、慣れていたんだ……師匠がピンチに陥った時も、こちらが悪いってわかっていても庇うからそれで……)
はぁー、とリディアは大きなため息をついて自身の顔を覆った。
「お前ってほんっと肝心なところで抜けてるよなー。そんなんだからあいつらに襲われそうなったんだろ」
「その前に逃げるつもりでしたよ……」
まさか物理的に危害を加えるつもりだったとはさすがに想像していなかったが。
(ほんのちょっと嫌味を言われるくらいだと……あれもマリアン様の指示だったんだろうか……)
「……とにかく、額の血を拭いて下さい」
ポケットからハンカチを取り出し、リディアはグレンに押し付けた。
「これくらい別にいいだろ」
「あなたはよくても、わたしが気になるんですよ!」
面倒くさそうに顔を背けるグレンに、リディアは背を伸ばし、無理矢理顔をこちらへ向けさせた。目を見開いてピシッと固まるグレンに気づかぬまま、額の血を拭い始めたのだった。
(くっ……この体勢、なかなかにきつい……)
「……ほら」
リディアが必死に背を伸ばしているのに気づくと、グレンが腰を屈めてくれた。
「優しく丁寧に、よーく拭いてくれよ」
「はいはい……」
最初は驚いていたグレンも、やがて目を爛々――いや、ギラギラさせ、なぜか嬉しそうにしてリディアに血を拭われていた。
(なんか……犬みたいだな)
普通の犬ではなく、もっと獰猛な、狂犬が尻尾を振っているようになぜか見えてしまう。絶対気のせいだと思うが。
「ちょっと。動かないで下さい」
身じろぎするグレンにそう言えば、彼は驚くほど素直に言うことを聞いた。それもまた調子が狂う。
「……よし。とれた」
幸いすでに出血は収まっており、乾いた血がハンカチを汚しただけだった。満足気にハンカチをポケットにしまい、それじゃあとリディアは言った。
「わたし、これで帰りますんで。あなたもほとぼりが済んだ頃に学園へ戻って下さいね」
「待て」
じゃ、と背を向けるリディアを、予想はしていたがやっぱりグレンは止めたのだった。勘弁してくれ、と思いながら渋々とリディアは振り返る。
「あの、今日はわたし、本当にすごーく疲れているんです。用事だったらまた付き合いますから今日は――」
「知ってる。具合が悪いんだろ? だから家まで送ってやる」
「は?」
どういうことだ、と聞く間もなく、突然グレンがリディアを持ち上げたのだった。
「うわっ」
突然ぐっと高くなった目線と不安定な姿勢にリディアは思わずグレンの制服をぎゅっと掴んだ。
「お、おろして下さいっ!」
「しっかり掴まっとけよー」
いや、降ろしてよ!
まるで重い荷物を担ぐようにして移動し始めたグレンに、嘘だろうとリディアは思った。
(なんでこうなるの!?)
***
「――あの、本当に家まで運ぶつもりですか」
リディアは死んだような目をしながらグレンの背中に問いかけた。人通りに出てから、すれ違う人々の視線をずっと浴びている。当然だ。百八十を超える男が制服を着た女子生徒を担ぎ上げるようにして街中を闊歩しているのだから。逆に無関心でいられる方がすごい。リディアはすでに恥ずかしさを通り越して無の境域に達していた。
「当たり前だろ。お前は寮に住んでねえんだから」
「でも学園の外に出る場合は、寮の先生に許可を取る必要があるでしょう?」
「ンなもん俺が今まで一度でも守ったことがあると思うか?」
「……思いません」
グレンが誰かに許しを請う姿など、リディアには想像できなかった。
「そもそも逃げ出した時点で規則を破ってるだろ」
誰かさんのせいで、と言われてリディアも言葉につまる。
「だからこのまま行っても何の問題もない」
(いや、問題はあるでしょ)
そうは思ったものの、グレンに聞き入れる様子は見当たらない。はぁ、とリディアは諦めてため息をついた。
「あの、せめてもう少し抱え方を変えてくれませんか」
力があるので落としはしないだろうが、どうしたって体勢が不安定で、リディアは怖かった。落ちないようグレンにしがみつかなければならないのも嫌であった。
「ああ? 一々注文が多いやつだな」
「わたしは一度もおぶってくれなんて頼んでません!」
仕方ねえな、と一度グレンが立ち止まり、リディアは抱え直した。
「おら、これで満足だろ?」
「…………」
違う。端正なグレンの顔が先ほどよりもずっと近くにあって、身体も密着して、リディアの腕はなぜか彼の首に回されていた。
(いや、これはどう見ても違うでしょ!)
誰が見ても恥ずかしい抱っこの仕方だった。恋人同士がよくやるやつだった。自分とグレンがやるようなものでは決してなかった。
「や、やっぱりさっきのでいいです! 戻して下さい!!」
「はぁ? 運んでもらってるくせにさっきから何あれこれ文句言ってんだ。我慢しろ」
「だから誰も運んでくれなんて頼んでません! 嫌なら降ろして下さい!」
「あ~。はいはい。しっかり捕まっておけよ」
ぎゅっとリディアの腰を引き寄せ、グレンはまた歩き出した。きゃあ、という黄色い悲鳴も今度は聞こえ、リディアはいっそ殺してくれと思った。
「つうか、こうしてると一年の頃思い出すな」
(この人には周りの視線とか見えていないの?)
なぜか昔話を語り始めたグレンを、リディアは正気を疑うような目で見上げた。
「お前さ、あん時も熱が出て今にも倒れそうになってんのに授業に出席してて、真っ赤な顔でノートとってんの」
「そんなことありましたっけ……」
グレンやメルヴィンと過ごした時の記憶はほぼ覚えていない。たぶんあまりにも辛すぎて脳が忘れるべきだと判断したのだ。
「覚えてねえのかよ。お前、ぶっ倒れて俺に保健室まで運ばれたんだぞ」
「……うそ」
嘘じゃねえよ、と笑うようにグレンは言った。
「メルヴィンじゃ力がねえし、他のやつも誰も運びたがらなかったからな。優しい俺が運んでやったんだよ」
(え、じゃあ何? わたし、この人にこうして運ばれるの二回目なの?)
衝撃の事実を知らされ、リディアはショックだった。その様子に、グレンがため息をつくように言った。
「お前、まじで覚えてないんだな」
「はい……」
保健室に運び込まれた後、果たして自分は無事だったのだろうか。どうやって家まで帰ったのだろうか。何一つリディアは覚えていなかった。
「あの、それって本当なんですか」
いっそすべてこの男の冗談とかであって欲しい。リディアはそう願ったが、
「安心しろ。ぜんぶ本当だ」
とグレンに笑顔で言われた。
(ああ~最悪だあああ……)
リディアは天を仰いだ。
「じゃあ、あれも覚えてねえのか……」
「何ですか。あれって」
思い出したくはない。けれどグレンが知って自分が何も知らないというのも気持ちが悪い。というか危険だ。ごくりと唾を飲み込んでリディアはグレンを見上げた。
「んー。何だろな?」
「ちょ、何ですか。その笑み! 一体何があったんですか!?」
「はいはい。病人は大人しくしてて下さいねー」
結局家に着くまでグレンははぐらかして、何が起きたのか教えてはくれなかった。
***
「たしかこの家だったよな?」
「……はい。よく覚えていましたね」
ぐったりとした様子でリディアは答えた。通行人の視線をこれでもかと浴び続け、すでに疲労は限界を突破していた。もはや本当に病気になった気分だ。
「おいおい。大丈夫か?」
「はい。大丈夫ですから。もう、降ろして下さい」
「遠慮するなって、中まで運んでやるよ」
「……」
もう断るのも面倒なのでリディアはポケットから鍵を取りだした。グレンに渡し、玄関を開けてもらう。
(部屋まで運んでもらえば、彼も帰るだろう……もう任せよう……)
幸いキャスパーも今日は出かける予定があっていない。というかこの時間帯はまだ王宮で仕事をしているはずだ。
「……あれ、開いてるぞ」
「えっ」
ほら、とグレンは玄関扉を開けて、中へと入った。
「物騒だな。朝鍵かけ忘れたのかよ?」
「そんなはずは……」
泥棒など入ったら大変だとリディアはこの家に住み始めた時から出かける時は必ず鍵をかけるようにしてきた。途中できちんとかけたか不安になった時は、わざわざ家に戻るくらいの用心深さだ。
(まさか……)
「あれ、リディア。もう帰ってきたんですか?」
嫌な予感がした時、二階から陽気な声が降りてきた。
「ぼくも今日は珍しく上司から早く帰っていいよって言われましてね、ついでに美味しいお肉も帰りに買ってきましたから一緒に――」
階段から降りてきたキャスパーが、グレンに横抱きに抱えられたリディアを見てぴしゃーんと、まるで雷に撃たれたかのように固まったのだった。
ひいひい言いながら学園を飛び出し、人気のない道端でリディアはグレンを睨み上げた。
「いきなり相手を殴る人がありますか!」
「まだ殴ってねえよ。頭突きしただけだ」
体力のある彼は澄ました表情で突っ立っている。それもまた腹立たしいことこの上ない。
「人を傷つけたことに変わりはありません!」
「あー、はいはい。俺が悪かったですよぉ」
なんだその謝罪は! 本当に反省しているのか!? とリディアの怒りは収まらない。
「つーか。なんで逃げてきたんだよ」
「へっ」
だってそうだろうとグレンは呆れたようにリディアを見返した。
「俺だけおいて、お前だけさっさと逃げればよかったじゃねえか」
(た、たしかに……!)
「それなのにわざわざ俺の手を取って……お前、馬鹿なの?」
うぐっ、とグレンの言葉にショックを受けるリディア。たしかに馬鹿だ、と思う。いつも苦しめられている諸悪の根源をよりにもよって自分が助けてしまうなんて。
(でも一応危ないところを助けてもらったし……いや、それでもいきなり相手を殴るのはありえないけど! そのせいで結局逃げる羽目になったんだから……)
なんとか自分のとった行動に正当な理由を見つけようと、リディアは頭を抱えた。
(……なんていうか、たぶん、逃げることに、慣れていたんだ……師匠がピンチに陥った時も、こちらが悪いってわかっていても庇うからそれで……)
はぁー、とリディアは大きなため息をついて自身の顔を覆った。
「お前ってほんっと肝心なところで抜けてるよなー。そんなんだからあいつらに襲われそうなったんだろ」
「その前に逃げるつもりでしたよ……」
まさか物理的に危害を加えるつもりだったとはさすがに想像していなかったが。
(ほんのちょっと嫌味を言われるくらいだと……あれもマリアン様の指示だったんだろうか……)
「……とにかく、額の血を拭いて下さい」
ポケットからハンカチを取り出し、リディアはグレンに押し付けた。
「これくらい別にいいだろ」
「あなたはよくても、わたしが気になるんですよ!」
面倒くさそうに顔を背けるグレンに、リディアは背を伸ばし、無理矢理顔をこちらへ向けさせた。目を見開いてピシッと固まるグレンに気づかぬまま、額の血を拭い始めたのだった。
(くっ……この体勢、なかなかにきつい……)
「……ほら」
リディアが必死に背を伸ばしているのに気づくと、グレンが腰を屈めてくれた。
「優しく丁寧に、よーく拭いてくれよ」
「はいはい……」
最初は驚いていたグレンも、やがて目を爛々――いや、ギラギラさせ、なぜか嬉しそうにしてリディアに血を拭われていた。
(なんか……犬みたいだな)
普通の犬ではなく、もっと獰猛な、狂犬が尻尾を振っているようになぜか見えてしまう。絶対気のせいだと思うが。
「ちょっと。動かないで下さい」
身じろぎするグレンにそう言えば、彼は驚くほど素直に言うことを聞いた。それもまた調子が狂う。
「……よし。とれた」
幸いすでに出血は収まっており、乾いた血がハンカチを汚しただけだった。満足気にハンカチをポケットにしまい、それじゃあとリディアは言った。
「わたし、これで帰りますんで。あなたもほとぼりが済んだ頃に学園へ戻って下さいね」
「待て」
じゃ、と背を向けるリディアを、予想はしていたがやっぱりグレンは止めたのだった。勘弁してくれ、と思いながら渋々とリディアは振り返る。
「あの、今日はわたし、本当にすごーく疲れているんです。用事だったらまた付き合いますから今日は――」
「知ってる。具合が悪いんだろ? だから家まで送ってやる」
「は?」
どういうことだ、と聞く間もなく、突然グレンがリディアを持ち上げたのだった。
「うわっ」
突然ぐっと高くなった目線と不安定な姿勢にリディアは思わずグレンの制服をぎゅっと掴んだ。
「お、おろして下さいっ!」
「しっかり掴まっとけよー」
いや、降ろしてよ!
まるで重い荷物を担ぐようにして移動し始めたグレンに、嘘だろうとリディアは思った。
(なんでこうなるの!?)
***
「――あの、本当に家まで運ぶつもりですか」
リディアは死んだような目をしながらグレンの背中に問いかけた。人通りに出てから、すれ違う人々の視線をずっと浴びている。当然だ。百八十を超える男が制服を着た女子生徒を担ぎ上げるようにして街中を闊歩しているのだから。逆に無関心でいられる方がすごい。リディアはすでに恥ずかしさを通り越して無の境域に達していた。
「当たり前だろ。お前は寮に住んでねえんだから」
「でも学園の外に出る場合は、寮の先生に許可を取る必要があるでしょう?」
「ンなもん俺が今まで一度でも守ったことがあると思うか?」
「……思いません」
グレンが誰かに許しを請う姿など、リディアには想像できなかった。
「そもそも逃げ出した時点で規則を破ってるだろ」
誰かさんのせいで、と言われてリディアも言葉につまる。
「だからこのまま行っても何の問題もない」
(いや、問題はあるでしょ)
そうは思ったものの、グレンに聞き入れる様子は見当たらない。はぁ、とリディアは諦めてため息をついた。
「あの、せめてもう少し抱え方を変えてくれませんか」
力があるので落としはしないだろうが、どうしたって体勢が不安定で、リディアは怖かった。落ちないようグレンにしがみつかなければならないのも嫌であった。
「ああ? 一々注文が多いやつだな」
「わたしは一度もおぶってくれなんて頼んでません!」
仕方ねえな、と一度グレンが立ち止まり、リディアは抱え直した。
「おら、これで満足だろ?」
「…………」
違う。端正なグレンの顔が先ほどよりもずっと近くにあって、身体も密着して、リディアの腕はなぜか彼の首に回されていた。
(いや、これはどう見ても違うでしょ!)
誰が見ても恥ずかしい抱っこの仕方だった。恋人同士がよくやるやつだった。自分とグレンがやるようなものでは決してなかった。
「や、やっぱりさっきのでいいです! 戻して下さい!!」
「はぁ? 運んでもらってるくせにさっきから何あれこれ文句言ってんだ。我慢しろ」
「だから誰も運んでくれなんて頼んでません! 嫌なら降ろして下さい!」
「あ~。はいはい。しっかり捕まっておけよ」
ぎゅっとリディアの腰を引き寄せ、グレンはまた歩き出した。きゃあ、という黄色い悲鳴も今度は聞こえ、リディアはいっそ殺してくれと思った。
「つうか、こうしてると一年の頃思い出すな」
(この人には周りの視線とか見えていないの?)
なぜか昔話を語り始めたグレンを、リディアは正気を疑うような目で見上げた。
「お前さ、あん時も熱が出て今にも倒れそうになってんのに授業に出席してて、真っ赤な顔でノートとってんの」
「そんなことありましたっけ……」
グレンやメルヴィンと過ごした時の記憶はほぼ覚えていない。たぶんあまりにも辛すぎて脳が忘れるべきだと判断したのだ。
「覚えてねえのかよ。お前、ぶっ倒れて俺に保健室まで運ばれたんだぞ」
「……うそ」
嘘じゃねえよ、と笑うようにグレンは言った。
「メルヴィンじゃ力がねえし、他のやつも誰も運びたがらなかったからな。優しい俺が運んでやったんだよ」
(え、じゃあ何? わたし、この人にこうして運ばれるの二回目なの?)
衝撃の事実を知らされ、リディアはショックだった。その様子に、グレンがため息をつくように言った。
「お前、まじで覚えてないんだな」
「はい……」
保健室に運び込まれた後、果たして自分は無事だったのだろうか。どうやって家まで帰ったのだろうか。何一つリディアは覚えていなかった。
「あの、それって本当なんですか」
いっそすべてこの男の冗談とかであって欲しい。リディアはそう願ったが、
「安心しろ。ぜんぶ本当だ」
とグレンに笑顔で言われた。
(ああ~最悪だあああ……)
リディアは天を仰いだ。
「じゃあ、あれも覚えてねえのか……」
「何ですか。あれって」
思い出したくはない。けれどグレンが知って自分が何も知らないというのも気持ちが悪い。というか危険だ。ごくりと唾を飲み込んでリディアはグレンを見上げた。
「んー。何だろな?」
「ちょ、何ですか。その笑み! 一体何があったんですか!?」
「はいはい。病人は大人しくしてて下さいねー」
結局家に着くまでグレンははぐらかして、何が起きたのか教えてはくれなかった。
***
「たしかこの家だったよな?」
「……はい。よく覚えていましたね」
ぐったりとした様子でリディアは答えた。通行人の視線をこれでもかと浴び続け、すでに疲労は限界を突破していた。もはや本当に病気になった気分だ。
「おいおい。大丈夫か?」
「はい。大丈夫ですから。もう、降ろして下さい」
「遠慮するなって、中まで運んでやるよ」
「……」
もう断るのも面倒なのでリディアはポケットから鍵を取りだした。グレンに渡し、玄関を開けてもらう。
(部屋まで運んでもらえば、彼も帰るだろう……もう任せよう……)
幸いキャスパーも今日は出かける予定があっていない。というかこの時間帯はまだ王宮で仕事をしているはずだ。
「……あれ、開いてるぞ」
「えっ」
ほら、とグレンは玄関扉を開けて、中へと入った。
「物騒だな。朝鍵かけ忘れたのかよ?」
「そんなはずは……」
泥棒など入ったら大変だとリディアはこの家に住み始めた時から出かける時は必ず鍵をかけるようにしてきた。途中できちんとかけたか不安になった時は、わざわざ家に戻るくらいの用心深さだ。
(まさか……)
「あれ、リディア。もう帰ってきたんですか?」
嫌な予感がした時、二階から陽気な声が降りてきた。
「ぼくも今日は珍しく上司から早く帰っていいよって言われましてね、ついでに美味しいお肉も帰りに買ってきましたから一緒に――」
階段から降りてきたキャスパーが、グレンに横抱きに抱えられたリディアを見てぴしゃーんと、まるで雷に撃たれたかのように固まったのだった。
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