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本編(ノーマルエンド)

29、意外な優しさ

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 お嬢様方の圧力に膝を屈しようとした瞬間、不機嫌な声がリディアと女子生徒たちを振り返らせた。ロイド・ハウレスが眉間に皺を寄せ、邪魔だからどけという表情をしていた。

 リディアはもうだいぶ慣れた顔だが、あまり接点のない彼女たちからすればなかなかに怖い顔なのだろう。ひっ、と一気に怯えた表情で彼女たちは後退った。

「い、今大事な話をしているの。邪魔しない下さい」

 ただ一人、この話の中心人物であるヘレナは勇猛果敢にロイドに言い返した。すでに声が震えている時点で負けているような気もしたが。

「はぁ?」

 喧嘩売ってんの? という顔だった。グレンといい勝負である。言われたヘレナだけじゃなく、リディアまでどきりとした。もちろん怖さのために。

「他人のことに構ってる暇があったら、もっと自分のこと気にしたらどう? あんた、たしか有名な貴族の一人娘なのに、まだ婚約者いないんでしょう? 独りで寂しく老後を迎えることになってもいいの? そのお節介な性格じゃあ、もらってくれる人なんか誰もいないよ?」

「なっ……よ、余計なお世話よ!」

 ふん、とヘレナは自分の席へと戻っていく。ロイドが残った他の女子生徒へ視線を向けると、彼女たちもそそくさと退散していった。その後ろ姿をロイドは冷めた目で見送った。

「自分の弱みを指摘された途端これだもん。ばっかみたい」
「……あの、ありがとうございます。助かりました」
「別に。席に座れなくて邪魔だっただけ」
「でも助かりましたから……」

 彼女たちに対する言い方はどうかと思ったものの、土下座せずに済んだのでリディアはほっとした。やむなしと思っていた行為だが、さすがにクラスメイトにするには失うものが多すぎる。回避できてよかった。

「それより、これからどうするの」

 席に着き、鞄から教科書を取り出しながらロイドが言った。

「どうするとは?」
「校内新聞で自分の過去をあることないこと書かれて、今後の学園生活どうするかってこと」

 わざわざ言わせないでよ、とロイドは苛立たしげにこちらを見た。ああ、そういうことかとリディアは苦笑いする。

「別にどうもしませんよ。新聞のネタなんて数週間経てばみんな忘れるでしょうし、一時の辛抱ですよ」

 大丈夫だと笑うリディアに、ロイドは何か言いたげであった。だがその前に予鈴がなり、先生が入ってきたことで彼が何かを言うことはなかった。リディアもまた、いつも通りの日々を送るため、前を向いたのだった。

 大丈夫、と自分に言い聞かせて。

(――さすがにしんどくなってきたかも)

 わざわざ振り返ってこちらを見てくる生徒が何人もいる。前後で顔をくっつけるようして話している内容は絶対自分のことだ。授業中はまだこれくらいだからいい。隣にロイドがいるからか、朝突っかかってきた女子生徒も声をかけてこなかった。

 いつもは冷たいと思うロイドの態度も、今はとてもありがたく感じた。誰にも興味がない彼のことだからリディアの過去もどうでもいいのだろう。

(せめて今だけはみんな彼みたいに無関心だったらなぁ……)

 問題は合間の休み時間だ。これがまた地獄だった。校内中に貼られた効果のおかげか、余所のクラスからもわざわざ見物人がリディアを一目見ようとやってくる始末なのだ。意識しまいとしても無理な話である。

(ああー……もう嫌だよぉ……)

 胃が本格的にキリキリしてきた。この感覚には覚えがある。ストレスだ。一年前の苦しみがじわじわと蘇ってくるのをリディアは感じ、額に汗が浮かんできた。

 一時の辛抱だ、なんてロイドにはかっこつけたものの、今日一日でこれである。まだ午前中の授業も終わっていないというのに…… リディアは情けなくて笑えてきた。授業の内容も、もはやどこか遠くに聞こえる。

「――先生」

 じっと息を潜めて耐え忍んでいると、凛と響くような声が授業中の教室に響いた。

「なんだ。ロイド・ハウレス」

 声の主は隣の席のロイドだった。彼はリディアをちらりと見た後、はっきりとした口調で言ったのだった。

「リディア・ヴァウルが、具合が悪そうなので保健室へ連れて行ってもいいですか」

 ロイドの言葉にぎょっとする。中年の教師がリディアへと視線を向ける。

「リディア・ヴァウル。具合が悪いなら無理をせず、速やかに保健室へ行きなさい」
「えっ、いえ、わたしは……」
「ほら、行くよ」

 半ば強引にロイドはリディアの腕を掴み椅子から立ち上がらせた。クラス全員が注目する中、リディアは教室を後にしたのだった。

 ***

「――あの、わざわざ付き添ってくれなくても、一人で行きますから大丈夫ですよ」
「あんたが途中でぶっ倒れて、後で俺に責任問われるの嫌だから」

 そう言われるとお願いするしかない。リディアは数歩先を行くロイドの後をとぼとぼついていく。沈黙が辛い。

「あの……」
「なに」
「……連れ出してくれて、ありがとうございます。あと、後でたぶんいろいろ言われるかもしれないので、先に謝っておきますね」
「いろいろって何」
「いや、それは、ほら……」

 ロイドがちらりと後ろを振り返る。

「俺がこうして付き添っていることで、あんたがやっぱり男を誑かしたとんでもない女だ、ってこととか?」
「ええ、まあ。そういうところです……」

 わかっているなら今からでも引き返すべきでは、とリディアは思った。だがロイドは馬鹿らしいと鼻で笑った。

「見ず知らずの他人にどう思われようが、俺は気にしない。逆にこいつは口も聞いたことのない赤の他人に関心を持てる心底暇な人間なんだって内心見下すだけだよ」
「あはは……先ほどもそういう態度でしたね」

 ロイドらしい言葉にリディアは苦笑いした。彼なら何倍も毒のある言葉を吐き返して、どんな相手にも怯まないのだろう。強いなあ、とリディアには羨ましくも思えた。

「あんたも平民とかそういうの気にしないで、違うなら違うって言いなよ。あの噂、ほとんど捏造なんでしょう?」
「捏造だって思うんですか?」
「あいつらはあんたが男を誑かしたって思ってるみたいだけど、俺にはそうは思えない。あんた、どうみても男に振り回される立場でしょ」

 絶対そうでしょ、と言わんばかりにロイドは言い切った。

「グレン・グラシアとメルヴィン・シトリーに絡まれたあんたの顔、基本死んでるしね」
「死んでるって……」

(まあ、否定はできないけど……)

 たしかに彼にはあの二人から逃げ回るところをばっちり見られた。実際の光景を見れば、校内新聞に書かれた内容には首を傾げざるをえないだろう。

「こんな時くらい、堂々とさぼればいいんじゃないの」

 ロイドの言葉にリディアは目を丸くした。真面目な彼がそんなことを言うなんて……

「……そんなのダメですよ。少し休んだらまた出ますから」

 大丈夫です、とリディアは安心させるつもりでロイドに明るく言った。すると彼は急に立ち止まり、振り返った。

「あんたの大丈夫、っていう言葉は、俺からするとただのやせ我慢に聞こえる」

 何の感情も浮かんでいないようでいて、レンズの奥の瞳にはリディアに対する苛立ちが隠せないでいた。

「そんなこと……」
「一年前もそうやって今まで誰にも頼らず、一人で我慢してきて……結果もう一年繰り返すはめになったんでしょ」
「……わたしが怠けていたって思わないんですか」

「最初はそう思ってたけど、ずっと隣で見てきたら違うなってなんとなくわかるよ。さぼって留年するような性格じゃないって…………前に言ったこと、撤回する」

 ――あんたみたいな留年した人間と関わるとこっちまで堕落しそうだし? 友達ごっこやりたいなら、他の人間を探しなよ。というか、その前にきちんと勉強するべきでしょ。

「事情も知らないくせに、失礼なこと言って……悪かった」
「ロイド……」

 気づいてくれた。そのことにリディアはうっかり泣きそうになった。ちょろいやつめ、と自分で思うも、仕方がないじゃないかとも思った。だってそれくらいもうずっとリディアは一人だった。学校にはキャスパーもいない。頼れるのは、自分だけだったのだから。

「……ありがとうございます」
「謝ってんのにお礼言われても困るんだけど……」

 困惑した表情を浮かべる彼が珍しく、次第になんだかおかしくなってきてリディアは笑ってしまった。

「ロイドは意外と優しいんですね」
「うるさい」

 赤くなった頬を隠すように彼は保健室の扉を開いた。

「とにかく。今は休みなよ」
「……休んだ分のノート、後で見せてくれますか」

 不安そうにリディアがそう尋ねると、ロイドは当たり前でしょと怪訝な顔で聞き返してきた。それにリディアはまた泣きそうになったのだった。

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