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本編(ノーマルエンド)

24、意外な過去。運命の相手

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 決して大きくはない声だが、リディアたちは一瞬口をつぐんだ。マリアンが氷のような冷え切った目でグレンたちを、いや、自分を睨みつけていた。そして冷たい瞳の奥にはすべてを焼き尽くす炎が渦巻いていた。

「あ、ご、ごめんなさい、マリアン様。うるさくしてしまって。お食事の邪魔だった――」
「どうしてそんなどこにでもいるような平凡な女を選ぶんですか!?」

 マリアンの声は、今まで溜まりに溜まった不満をぶちまけるように辺りに響き渡った。

「なに、じゃああんたはこいつよりずっといい女だって自惚れてんの?」

 先ほどの軽々しく嫌味を言う感じではなく、静かに確かめるようにグレンはマリアンを見た。普段はへらへらしているからこそ、真顔の彼には静かな迫力があった。マリアンはそんなグレンの態度に一瞬押し黙ったものの、すぐに余裕のある笑みを浮かべた。

「ええ。だってわたくしの方が容姿も身分もずっと勝っているのは一目瞭然ですもの」

 グレンとメルヴィンが顔を見合わせる。

「まあ、否定はしない」
「そうだね。客観的に見れば誰だってそう思うだろうし」

(こいつら……)

 言いたい放題言いやがって。たしかに自分は容姿も身分も劣っているだろうか、お前らと比べればずっとましな性格をしている。

「でしたらどうして!」
「でもだからってお前と付き合う理由にはなんねえだろ」
「それにきみのような身分ある令嬢と迂闊に付き合いでもしたら、すぐに結婚しろとか言われて面倒くさそうだしね」
「……」
「何か言いたげだね、リディア?」
「えっ、いや……だってあなたが言うのかと……」

 自分は散々婚約者のいる貴族令嬢と遊んで泣かしてきたというのに…… メルヴィンによって将来の人生設計が滅茶苦茶になった男女を思えば、彼にマリアンを責める資格などあるのか甚だ疑問である。

「何度も言ってるけど、僕から誘ったことは一度だってないよ? 彼女たちの方から僕にすり寄って来たんだから。おおかた自分の婚約者と一緒になるのが嫌だから代替品にしようって目的で近づいたんだろうけど、そのうち本気で好きになったの! とか言い出してさ……ほんと、傑作だよね」

 メルヴィンの曇りない笑みにリディアは胃の中に無理矢理詰め込んだものを吐き出したくなった。

 メルヴィンという男は本当に恐ろしい。蜘蛛の巣にかかった憐れな蝶を演じているようで、美しい見た目と甘い蜜で餌を引き寄せる食虫植物のようだ。気づいた時にはもう逃げられず、罠にかかった哀れな獲物はただ己の死を待つしかない。

 この男と関わって恐らく大抵の人間は勝ち目がないだろう。万が一逃げ出せたとしても、強烈なトラウマを植え付けられるだけだ。できるだけ距離を置き、向こうが近づいてきたら全力で逃げるのが最善だ。

「わたくしだったら、何の問題もありませんわ。婚約者もいません。メルヴィン様一人だけを愛せますわ」

(それなのにマリアン様は自分から飛び込んじゃうんだもんなぁ……)

 さすがのメルヴィンも予想外だったのか、マリアンの直球な告白に目を見開いた。だがすぐにふふっ、と面白そうに笑った。その笑みだけは、天使のように美しい。

「きみは他の女性とは違って、僕だけを愛してくれるの?」
「はい」
「そっか。それなら僕と一緒に死んでくれる?」
「え?」

 マリアンは何を言っているの? と困惑し、リディアもぎょっとした。グレンだけはまた始まった、と慣れた様子で片肘をついている。

「……何をおっしゃっているんですか」
「僕の母親は若くして亡くなっているんだけど、マリアン嬢はご存知かな?」
「え、ええ。ご病気で亡くなったと……」

 なぜここで母親の名前が、と戸惑うリディアたちにメルヴィンはふっと微笑んだ。

「世間ではそういうことになっているみたいだね。でもね、あれ本当は自殺なんだ。しかも若い男と一緒に」
「うそ……」

 リディアも初めて聞いた。知り合いの母親が心中自殺だなんてあまりにも衝撃的な話だった。貴族であるマリアンも知らなかったのか、大きな目を真ん丸と見開いている。グレンだけが、ふうんとどうでもよさそうに聞いていた。

「嘘じゃないよ。母の愛人の一人だった。その頃母の精神はすでにおかしくなっていてね、この世に嫌気が差したんじゃないかな。でも一人であの世に行く勇気はなかった。だから愛人である男に縋った。一緒に死んでくれって。僕はね、その時の母の気持ちが知りたいんだ。本当に母がその男を愛していたのか、あるいはただ逃げるために男の気持ちを利用したのか」

「で、でも、だからって!」

「僕の容姿は父に生き写しだって言われているけど、性格なんかは母にそっくりなんだ。だから母と同じことをすれば、自然とわかるんじゃないかって思って」

 だから一緒に死んで欲しい。

 メルヴィンに見つめられ、マリアンの身体が震えた。

「で、でもそれはあくまでも比喩ですよね。それくらいの覚悟で自分を愛して欲しい。そういうことですよね?」
「いいや。本気だよ。僕を愛せるというなら……僕のために死んで欲しい」

 マリアンは答えなかった。当然だ。死んで欲しいと言われて、はい、一緒に死にますと頷く人間がどこにいるというのか。

(だけど、彼のお母さんと一緒にいた男の人は死んだ)

 それだけメルヴィンの母を愛していたという証拠か。リディアにはわからなかった。母に先立たれたメルヴィンも、行き場のない思いに苦しんだのだろうか。

(なんか、あんまり想像できないけど……)

 どちらかというと、そんな過去があったからこそ今の彼が形成された気がした。まっとうな人間として苦しむのではなく、受け入れて歪な人間へと。メルヴィンはマリアンに微笑んでいる。対して彼女は黙り込んでいる。

「何も言えないだろう? 他の子もそうだったよ。何でもしてあげるって言いながらも、僕がいざそのお願いを口にすると、みんな我に返ったように現実へ引き戻された。だから、きみが躊躇うのも当然さ」

「で、ですがわたくしは本当に!」

「僕は無理だけど、グレンなら代わりに引き受けてくれるんじゃない?」

 自分の話は終わったとばかりに、メルヴィンはグレンへと矛先を変えさせた。向けられたグレンは露骨に嫌そうな顔をした。

「はあ? なんで俺なんだよ」
「だって彼女の婚約相手はそこそこ地位のある、容姿の整った男性でしょう? きみにぴったりじゃないか」

(性格は問題じゃないんだな……)

「別に俺じゃなくても、そんなの他にいくらでもいるだろう?」
「いいえ、メルヴィン様かグレン様じゃないとダメなんです!」

(マリアン様も打たれ強いなあ……)

 他にもマシな男性は星の数ほどたくさんいるだろうになぜよりにもよってこの二人にこだわるのだろうか。リディアだけでなく、グレンたちも疑問に思ったようだ。

「なんで俺たちじゃないとだめなんだよ」
「そ、それは、う、運命の相手だからです!」
「はあ?」

 運命の相手。マリアンはそう言った。

「お前、頭大丈夫か?」

 マリアンには悪いが、リディアもグレンの言葉に同意してしまった。

(こいつらが運命の相手だなんて、わたしなら死んでも嫌だ)

 もし自分がマリアンの両親だったら、何が何でも反対する。

「運命の相手って、普通は一人なんじゃないの?」
「だよな。お前、誰彼構わず媚売ってんじゃん」

(たしかに。マリアン様、レナード殿下のことも気があるようだったし……)

 それともただの憧れだろうか。リディアには何とも判断できなかったが、マリアンは焦ったように言い放った。

「と、とにかく! リディアさんなんかよりも、ずっとわたくしの方がお二人に相応しいと思います!」

 何度も自分を引き合いに出され、さすがのリディアも腹が立ってきた。

(というかわたしだってこの二人は絶対に嫌だよ!)

 そもそも身分が違い過ぎるし、何より性格が最悪だ!

「勝手に決めつけんなよ」

 ガタリとグレンが立ち上がった。上から見下ろす形でマリアンを見た彼は、冷たい声で一蹴した。

「自分で言うならまだしも、なんで余所の他人にそんなこと言われねぇといけないわけ? お前が俺に相応しいって、たとえ運命の相手だったとしても俺は死んでもお断りだね」
「そっ、そんな――」
「ていうか、お前に俺はもったいないわ。だから諦めて、他の運命の相手とやらを当たるんだな」
「っ……」
「そういうことみたいだから、僕たちは運命の相手から外しておいてくれると助かるな。ごめんね」

 ちっともそう思っていない様子でメルヴィンもお断りの言葉を述べ、グレンと同じように席を立った。

「じゃあ、そろそろ午後の授業が始まるから僕たちは行くね。また放課後に会おうね、リディア」
「え」
「おう。今日も放課後迎えに行くから、逃げんなよ」
「え、いや。待っ……」

 にこやかに手を振るメルヴィンに、くしゃりとリディアの頭を撫でて立ち去っていくグレンをリディアは呆然と見つめた。残されたのは自分と、今しがた男二人に思いっきり振られたマリアンのみ。

(こ、こんな状況で置いていかないでよ!!!!)

 あんなばっさりと、酷い振り方をしておきながら後は任せたと言わんばかりの放置だ。冗談じゃない!

(ど、どうしよう。逃げたい。こんな重苦しい雰囲気耐えられないよ!)

 でも、とマリアンの方を見る。彼女は顔を伏せたまま、小刻みに震えている。表情はわからないが、もしかしたら泣いているのかもしれない。

(無理もないよ。あんなクソ野郎どもにあれだけ言われて……わたしだったら怒りと屈辱で発狂する自信あるもん)

 リディアはもう言われすぎて感情が麻痺しているのだが、マリアンのようなお嬢様には衝撃的だったはずだ。何かフォローの言葉をかけた方がいいのではないか。

(でも、わたしなんかが慰めてもただ惨めになるだけかもしれない)

 ……うん。そうに違いない。やはりここはさっさと撤収した方が賢明だろう。

「あの、それじゃあ、わたしも次の授業があるので……」
「なんであなたみたいな人がグレン様やメルヴィン様に好かれているんですか」

 静かだが、殺気立った声。そそくさと立ち去ろうとしたリディアはぎくりと固まった。マリアンが顔を上げ、自分を見た。

 彼女は泣いてはいなかった。怒っていた。グレンやメルヴィンではなく、リディアに。

(これはやばい)

 リディアの培われてきた生存本能がそう訴えた。過去、キャスパーに惚れた女性が家まで押しかけて、彼に振られてしまい、その原因がたまたま一緒に居合わせたリディアにあると思って見た時の目とそっくりだった。

「いや、誤解ですよ。あの二人にとって、わたしは玩具みたいなもので、珍しいから構っているだけです。マリアン様の方が……」
「絶対に許さないわ」

 マリアンの目には、いまや憎悪の炎が爛々と燃えさかっていた。

「わたくしを敵に回したこと、後悔させてあげますわ」

 そう言って、マリアンもリディアを置いて立ち去っていく。背筋をピンと伸ばした彼女は貴族としての品位が感じられ、周囲の生徒の目を引いていた。残されたリディアはただ唖然とするしかない。

「な、なんでこうなるの……」


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