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本編(ノーマルエンド)
21、兄弟
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「――お前とセエレは知り合いだったんだな」
生徒会室の椅子に腰掛けると、レナードはそう切り出した。その言い方がいつもよりほんの少し柔らかく、今までにあまり見たことのない穏やかな表情だったので、あれ、とリディアは首をかしげる。
(同じ生徒会だから仲がいいのかな?)
だがあのレナードが……と疑問に思っていると、セエレがにっこりと笑い、とんでもないことを言ったのだった。
「ええ。地面で寝ていたところを、リディアが助けてくれたんですよ。兄上」
「あ、あにうえ?」
一瞬聞き間違いだろうかとリディアはセエレを凝視した。だが彼はにこにこと笑みを浮かべたままだ。
「そうか。弟が迷惑をかけたな」
「お、おとうと?」
二人して芝居でもうっているのだろうか。リディアが目を真ん丸と見開き固まっているのを平然と眺めながらレナードが種明かしした。
「そうだ。私たちは血の繋がりがある兄弟だ。もっとも、母親は違うから異母兄弟といった方が正しいかもしれないな」
リディアの住むランスター王国は宗教的価値観のもと一夫多妻制は認められていない。正式な妻ではない女性から生まれた子どもは庶子としてみなされ、権利は制限される。たとえ王の血を引いていたとしても、継承権は認められなかった。
だから誠実な男性ならば妻一人だけを愛するのが当然……というのが表向きの考え方だが、実際には何人もの愛人を抱え、国を巻き込んで修羅場を作ってきた王の方が少なくない。
だが現国王ローレンスは違っていた。彼にはレナードとウィリアムの母であるフェリシア王妃がいる。夫婦仲はとてもよく、理想の夫婦像として国民からは広く支持されていた。リディアも新聞や噂で聞いて世の中にはこんな素晴らしい夫婦が存在するのだと感動したものだった。
それなのに王に愛人がいたなんて……しかも子どもまでいるとは、とても信じられなかった。
「……それは、本当なんですか」
仮に二人が兄弟だとして、セエレが王族の血をひいているのならば、彼もまたこの国の王子である。たとえ王になれなくとも無視できる存在ではない。学園に入学してきたとすれば、もっと注目を浴びるのが普通だ。
(でもさっきセエレの姿を見ても、誰も驚いた様子を見せなかった……)
平民出身であるリディアはともかく、レナードたちと幼い頃から付き合いのあるグレンやメルヴィンといった貴族の彼らもセエレの存在自体知らないようであった。
「私の母は国民から非常に人気があった。いっそ母が父に代わってこの国の女王として統治すべきだ、とまで言われるほどに……だから、かどうかはわからないが、不倫がばれて国民の反感を買うことを恐れた父は当初女性の存在がばれないように付き合っていたそうだ」
たしかにフェリシア王妃の人気はすごい。美しく聡明で、慈善活動にも寄付を惜しまないと絶賛されていた。そんな女性を蔑ろにしていたと知れば、王の人気は急降下するだろう。たった今真実を聞かされたリディアも内心ショックであった。こちらが勝手に誠実な人だと思っていたにすぎないが、まさかあの王が……と裏切られた気分だった。
「でも、いくら国民には隠せても、同じ王宮内では隠し通せない。オレの母はフェリシア王妃を慕っていた侍女や貴族から敵視され、孤立していくようになる」
リディアは淡々と話すセエレをちらりと見た。いくら王の愛人とはいえ、自分の母親である。その母が正妃の側近に恨まれ、厳しい立場に置かれていた。息子である彼は今どんな気持ちで自分の過去を話しているのだろう。
「それで……セエレの母親はどうなったんですか」
「それから紆余曲折あり、母の計らいでセエレの母親は王宮から出て行くことになった」
「だけどお腹の中にはオレがいて、王がまた呼び戻した」
「その生まれた子には非常に強い魔力があり、王宮内で保護すべきだという結論が出た」
「オレの存在は世間には発表されず、王宮内で目立たずひっそりと生きることを命令じられた」
「成長したセエレの存在を私が知り、父や臣下を説得してこの学園に通うよう手配した」
「オレは表向き生徒会役員ってことにして、裏では兄上の手伝いをしていたってこと」
「……」
レナードとセエレ、交互に怒涛の事実を明かされ、リディアは頭が追いつかなかった。
(世間には発表されていない……そんな話本当にあるんだ……目立たずひっそりと……それって要は監禁に近い形での生活ってことだよね……それでレナード殿下と会って…会う時どんな感じだったんだろ…絶対気まずいよね……レナード殿下はいつ知ったんだろ…とにかくこの学園に入学させて……生徒会も入って……あ~…もう、情報量多すぎるよっ……!)
酷いとか、可哀想だとか思うよりも、あまりにも自分とは違う世界の話に理解が追いつかなかった。
「驚いた?」
「ええ。とっても……」
セエレは悪戯が成功したように無邪気に笑った。自分の身の上話なのにまるで他人事のように語った彼にもリディアは困惑を隠せない。
「でも、なんでまたわたしにそんな話を……」
貴族のお坊ちゃんたちでも知らないようなことを自分は知ってしまった。考えてみれば一国の王子であるという秘密は大変重要な事実だ。下手すれば国を揺るがす大事件にもなる――かどうかはリディアの平凡な頭では今のところ判断がつかないが、とにかく簡単に話していい問題ではないはずだ。
「もちろん誰彼構わず話すつもりはない。お前だから話したんだ」
「わ、わたしだからですか」
嫌な予感である。今までの経験上、きみだから、あなただから、お前だから、という台詞にはろくな思い出がない。絶対突っ込んではいけない面倒な事が待ち構えている。
「まあ、そんな顔をするな」
一体自分はどんな酷い顔をしているのだろう。
「お前には感謝している。マリアン嬢とその取り巻きを無事に鎮静化することができたからな」
「どうしてここでマリアン様の話が出てくるんですか」
「彼女がこの学園に戻ってきて以来、他の男子生徒がみな彼女に心を奪われたようでな。婚約者がいる身にも関わらず度を越した付き合いを迫る男子生徒が後を絶たなかったんだ」
どこかで聞いたような話である。
「あくまでも相手の方から話しかけるよう仕向けるのが、あの女の怖いところだよ」
あの女、とセエレは言った。リディアはずっとセエレとマリアンが仲の良い友人だと思っていた。でも今の彼はまるでそんな素振りがない。むしろ面倒な相手だったと言わんばかりだ。
「……もしかして今日の出来事も、あなた方が仕向けたことですか」
恐る恐る尋ねると、セエレとレナードが互いに顔を見合わせて、ふっと微笑んだ。
「まさか。そんなわけないじゃないか」
「リディアってば考えすぎだよ」
「で、ですよね」
ほっと胸をなで下ろす。いくら何でも考えすぎだったみたいだ。
「こんなに上手くいくとは、さすがの私たちでも想像していなかった」
「……」
「ええ。あの二人ならもう少しマリアンから逃げ回るかなあって思っていましたけど、予想より早く正面突破してきましたね」
「ど、どういうことですか」
勝手に話を進めていく二人にリディアは待ってくれと言った。
「マリアン嬢の存在は、婚約関係にある男女の仲を引き裂き、この学園の風紀を乱していた。女子生徒の保護者からも学園側に苦情がきており、教師も手をこまねいていた。早急に何らかの対処をする必要があった。そこで、セエレを彼女に近づかせ、興味のある振りをさせ、少しでも他の男子生徒との接触を避けようと試みた」
セエレとマリアンはリディアの知らないところでも会っているようだった。セエレはマリアンのことを異性として好いているのだろうと思っていたが、すべてレナードの指示だったというわけだ。
「まあ、あんまり意味なかったけどね。彼女、オレ以外にもたくさん興味ある男いたみたいだったし」
グレンやメルヴィンの顔が思い浮かんだ。
「今お前の頭に浮かんだ二人だが、その二人は頑なにマリアンを突っぱねた。最初は侯爵令嬢だからと辛抱強く相手をしていたみたいだが、そのうち煩わしくなって彼女から逃げるようになった」
あの二人がしばらくの間どうして自分の元へ現れなかったのか、リディアはようやく理解できた。彼らはマリアン・レライエという女性から逃げていたのだ。
(じゃあ、マリアン様がいつも遅れて部屋にやって来たのは、グラシアたちを追いかけていたから……?)
面倒な男にしつこく迫られていたから。マリアンが話してくれた内容は、実はまるっきり逆であったのだ。
「そしてそれもついに我慢の限界がきて、彼らは意中の相手の元へ行こうとした」
「い、意中の相手?」
「そう。お前だ。リディア」
ポカンとリディアは王子の前なのに間抜けな面を晒した。そしてすぐにゾッとする。
「わたしが意中の相手? 冗談でもそんなこと言わないで下さいよ!」
「だが事実だろう。二人はお前と食事がしたくて、わざわざ一年の教室までやって来た」
「それはただの暇つぶしです! 遊び相手ですよ!」
リディアが必死で否定しても、レナードは涼しい顔のままだ。
「まあ、呼称は何でもいいが、とにかくマリアン・レライエも一緒に現れた。そして今度こそ、と彼女は涙を浮かべてグレンたちに迫り、周囲の取り巻き連中も彼らを責めた。この騒ぎに、さすがの二人も折れるかと思った。――お前が現れるまではな」
リディアは恐ろしかった。一体自分は何をしてこんな騒動に巻き込まれたというのか。
「リディアがちょうど教室から出てきたところを見計らって、オレが二人の嫉妬心を煽るように抱き着いた。そして見事二人はマリアンそっちのけでリディアに構い始めた」
「自分の思い通りに行かず、不満が爆発したところでマリアン嬢が本性を露わにした。必死に言い訳していたようだが、周囲の取り巻きも自分が彼女にまったく相手にされていないことがこれで理解できたはずだ。少しは頭も冷えるだろう。本当にお前のおかげだ」
「わたしは何もしていませんよ……」
ただ勝手に利用されて、友人だと思っていた人物に裏切られただけである。ただそれだけである。
(何だろう。すごく怒りたいのに、それ以上に疲れて、もうどうでもよくなってくる……)
「すべて、殿下の計画どおりだったんですね……」
マリアン嬢と彼女に夢中の男子生徒をどう引き離すか。ただ注意しても、余計に燃え上がらせるだけになると考え、わざとマリアン嬢の醜い部分を引きずりだした。
思春期の恋なんて、憧れと偶像でできている。妖精のようだと思わせた彼らに、マリアン嬢もまた他の令嬢と変わらぬ冷酷で、計算高い女性だという一面を見せたのだ。抱いていた幻想は崩れ去り、彼らは現実へ引き戻された。そうして自ら彼女を崇拝することをやめたのだ。
それがレナードの計画だった。本当に末恐ろしい人である。
「馬鹿を言うな。先ほども言ったが、こんなに事が上手く進むとは考えていなかった。セエレと彼女の仲を引き立てたのも、グレンやメルヴィンが強情に拒絶したのも、すべてお前の存在があったからだ。彼女の感情があれほど乱れたのも、ただの平民出身のお前がグレンやメルヴィンの気を引いていたからだろう」
「そうだよ。むしろ恐ろしいのはリディアの方だとオレは思うな」
セエレは目を輝かせ、リディアの顔を覗き込んでくる。
「キミのこと、この学園に入学するにあたって兄上から聞いていたんだ。仲良くなっておけ、って言われたからいずれは接触するつもりだったけど、その前にキミの方からオレに会いに来てくれた。心底驚いたよ。まるで用意されていた物語より早く登場人物が飛び出してきたみたいにさ」
「……あなたがわたしと友達になりたいって言ったのも、レナード殿下に命じられたからですか」
「うん。リディアに会うまではそのつもりだった。でも、オレの目を見てもキミは驚かなくて、自然と友人になりたいなって思ったんだ」
本当だろうか。リディアには信じられなかった。誰も彼もが目的のために平気で自分を利用する。セエレだって結局はそうだ。それを友人関係などと言い切っていいものか。
「一応終息はついたものの、今後マリアン・レライエがどう行動するかはわからない。もしかしたら逆恨みしてお前に辛く当たってくるかもしれない。どうか気をつけて行動して欲しい。……それからセエレとも、仲良くしてやってくれ」
ずいぶん虫のいい話だ。勝手に利用して、今後も騒ぎがあったらお前を利用させてもらう。被害があっても自分で対応してくれ。ずいぶん横暴な態度じゃないか。
(なんでわたしばっかりこんな目に……)
「不満そうな顔だな」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
だがはいわかりました、とすんなり受け入れることもできなかった。いくら相手が王子だからといって、何でもかんでも従うのは間違いじゃないのか。リディアの胸に初めて反発心のようなものが芽生えつつあった。
(そうだ。ここはガツンと言ってやればいいじゃないか。もうわたしを巻き込むのはやめて下さいと)
言え。言うんだ。リディアは意を決して口を開いた。
「レナード殿下、わたしは――」
「お前が留年した件についてだが――」
「今後ともセエレ様と仲良くさせていただきます」
「そうか。それは助かる」
この暴君め、とリディアは満足気に笑みを浮かべるレナードに内心毒づいた。
生徒会室の椅子に腰掛けると、レナードはそう切り出した。その言い方がいつもよりほんの少し柔らかく、今までにあまり見たことのない穏やかな表情だったので、あれ、とリディアは首をかしげる。
(同じ生徒会だから仲がいいのかな?)
だがあのレナードが……と疑問に思っていると、セエレがにっこりと笑い、とんでもないことを言ったのだった。
「ええ。地面で寝ていたところを、リディアが助けてくれたんですよ。兄上」
「あ、あにうえ?」
一瞬聞き間違いだろうかとリディアはセエレを凝視した。だが彼はにこにこと笑みを浮かべたままだ。
「そうか。弟が迷惑をかけたな」
「お、おとうと?」
二人して芝居でもうっているのだろうか。リディアが目を真ん丸と見開き固まっているのを平然と眺めながらレナードが種明かしした。
「そうだ。私たちは血の繋がりがある兄弟だ。もっとも、母親は違うから異母兄弟といった方が正しいかもしれないな」
リディアの住むランスター王国は宗教的価値観のもと一夫多妻制は認められていない。正式な妻ではない女性から生まれた子どもは庶子としてみなされ、権利は制限される。たとえ王の血を引いていたとしても、継承権は認められなかった。
だから誠実な男性ならば妻一人だけを愛するのが当然……というのが表向きの考え方だが、実際には何人もの愛人を抱え、国を巻き込んで修羅場を作ってきた王の方が少なくない。
だが現国王ローレンスは違っていた。彼にはレナードとウィリアムの母であるフェリシア王妃がいる。夫婦仲はとてもよく、理想の夫婦像として国民からは広く支持されていた。リディアも新聞や噂で聞いて世の中にはこんな素晴らしい夫婦が存在するのだと感動したものだった。
それなのに王に愛人がいたなんて……しかも子どもまでいるとは、とても信じられなかった。
「……それは、本当なんですか」
仮に二人が兄弟だとして、セエレが王族の血をひいているのならば、彼もまたこの国の王子である。たとえ王になれなくとも無視できる存在ではない。学園に入学してきたとすれば、もっと注目を浴びるのが普通だ。
(でもさっきセエレの姿を見ても、誰も驚いた様子を見せなかった……)
平民出身であるリディアはともかく、レナードたちと幼い頃から付き合いのあるグレンやメルヴィンといった貴族の彼らもセエレの存在自体知らないようであった。
「私の母は国民から非常に人気があった。いっそ母が父に代わってこの国の女王として統治すべきだ、とまで言われるほどに……だから、かどうかはわからないが、不倫がばれて国民の反感を買うことを恐れた父は当初女性の存在がばれないように付き合っていたそうだ」
たしかにフェリシア王妃の人気はすごい。美しく聡明で、慈善活動にも寄付を惜しまないと絶賛されていた。そんな女性を蔑ろにしていたと知れば、王の人気は急降下するだろう。たった今真実を聞かされたリディアも内心ショックであった。こちらが勝手に誠実な人だと思っていたにすぎないが、まさかあの王が……と裏切られた気分だった。
「でも、いくら国民には隠せても、同じ王宮内では隠し通せない。オレの母はフェリシア王妃を慕っていた侍女や貴族から敵視され、孤立していくようになる」
リディアは淡々と話すセエレをちらりと見た。いくら王の愛人とはいえ、自分の母親である。その母が正妃の側近に恨まれ、厳しい立場に置かれていた。息子である彼は今どんな気持ちで自分の過去を話しているのだろう。
「それで……セエレの母親はどうなったんですか」
「それから紆余曲折あり、母の計らいでセエレの母親は王宮から出て行くことになった」
「だけどお腹の中にはオレがいて、王がまた呼び戻した」
「その生まれた子には非常に強い魔力があり、王宮内で保護すべきだという結論が出た」
「オレの存在は世間には発表されず、王宮内で目立たずひっそりと生きることを命令じられた」
「成長したセエレの存在を私が知り、父や臣下を説得してこの学園に通うよう手配した」
「オレは表向き生徒会役員ってことにして、裏では兄上の手伝いをしていたってこと」
「……」
レナードとセエレ、交互に怒涛の事実を明かされ、リディアは頭が追いつかなかった。
(世間には発表されていない……そんな話本当にあるんだ……目立たずひっそりと……それって要は監禁に近い形での生活ってことだよね……それでレナード殿下と会って…会う時どんな感じだったんだろ…絶対気まずいよね……レナード殿下はいつ知ったんだろ…とにかくこの学園に入学させて……生徒会も入って……あ~…もう、情報量多すぎるよっ……!)
酷いとか、可哀想だとか思うよりも、あまりにも自分とは違う世界の話に理解が追いつかなかった。
「驚いた?」
「ええ。とっても……」
セエレは悪戯が成功したように無邪気に笑った。自分の身の上話なのにまるで他人事のように語った彼にもリディアは困惑を隠せない。
「でも、なんでまたわたしにそんな話を……」
貴族のお坊ちゃんたちでも知らないようなことを自分は知ってしまった。考えてみれば一国の王子であるという秘密は大変重要な事実だ。下手すれば国を揺るがす大事件にもなる――かどうかはリディアの平凡な頭では今のところ判断がつかないが、とにかく簡単に話していい問題ではないはずだ。
「もちろん誰彼構わず話すつもりはない。お前だから話したんだ」
「わ、わたしだからですか」
嫌な予感である。今までの経験上、きみだから、あなただから、お前だから、という台詞にはろくな思い出がない。絶対突っ込んではいけない面倒な事が待ち構えている。
「まあ、そんな顔をするな」
一体自分はどんな酷い顔をしているのだろう。
「お前には感謝している。マリアン嬢とその取り巻きを無事に鎮静化することができたからな」
「どうしてここでマリアン様の話が出てくるんですか」
「彼女がこの学園に戻ってきて以来、他の男子生徒がみな彼女に心を奪われたようでな。婚約者がいる身にも関わらず度を越した付き合いを迫る男子生徒が後を絶たなかったんだ」
どこかで聞いたような話である。
「あくまでも相手の方から話しかけるよう仕向けるのが、あの女の怖いところだよ」
あの女、とセエレは言った。リディアはずっとセエレとマリアンが仲の良い友人だと思っていた。でも今の彼はまるでそんな素振りがない。むしろ面倒な相手だったと言わんばかりだ。
「……もしかして今日の出来事も、あなた方が仕向けたことですか」
恐る恐る尋ねると、セエレとレナードが互いに顔を見合わせて、ふっと微笑んだ。
「まさか。そんなわけないじゃないか」
「リディアってば考えすぎだよ」
「で、ですよね」
ほっと胸をなで下ろす。いくら何でも考えすぎだったみたいだ。
「こんなに上手くいくとは、さすがの私たちでも想像していなかった」
「……」
「ええ。あの二人ならもう少しマリアンから逃げ回るかなあって思っていましたけど、予想より早く正面突破してきましたね」
「ど、どういうことですか」
勝手に話を進めていく二人にリディアは待ってくれと言った。
「マリアン嬢の存在は、婚約関係にある男女の仲を引き裂き、この学園の風紀を乱していた。女子生徒の保護者からも学園側に苦情がきており、教師も手をこまねいていた。早急に何らかの対処をする必要があった。そこで、セエレを彼女に近づかせ、興味のある振りをさせ、少しでも他の男子生徒との接触を避けようと試みた」
セエレとマリアンはリディアの知らないところでも会っているようだった。セエレはマリアンのことを異性として好いているのだろうと思っていたが、すべてレナードの指示だったというわけだ。
「まあ、あんまり意味なかったけどね。彼女、オレ以外にもたくさん興味ある男いたみたいだったし」
グレンやメルヴィンの顔が思い浮かんだ。
「今お前の頭に浮かんだ二人だが、その二人は頑なにマリアンを突っぱねた。最初は侯爵令嬢だからと辛抱強く相手をしていたみたいだが、そのうち煩わしくなって彼女から逃げるようになった」
あの二人がしばらくの間どうして自分の元へ現れなかったのか、リディアはようやく理解できた。彼らはマリアン・レライエという女性から逃げていたのだ。
(じゃあ、マリアン様がいつも遅れて部屋にやって来たのは、グラシアたちを追いかけていたから……?)
面倒な男にしつこく迫られていたから。マリアンが話してくれた内容は、実はまるっきり逆であったのだ。
「そしてそれもついに我慢の限界がきて、彼らは意中の相手の元へ行こうとした」
「い、意中の相手?」
「そう。お前だ。リディア」
ポカンとリディアは王子の前なのに間抜けな面を晒した。そしてすぐにゾッとする。
「わたしが意中の相手? 冗談でもそんなこと言わないで下さいよ!」
「だが事実だろう。二人はお前と食事がしたくて、わざわざ一年の教室までやって来た」
「それはただの暇つぶしです! 遊び相手ですよ!」
リディアが必死で否定しても、レナードは涼しい顔のままだ。
「まあ、呼称は何でもいいが、とにかくマリアン・レライエも一緒に現れた。そして今度こそ、と彼女は涙を浮かべてグレンたちに迫り、周囲の取り巻き連中も彼らを責めた。この騒ぎに、さすがの二人も折れるかと思った。――お前が現れるまではな」
リディアは恐ろしかった。一体自分は何をしてこんな騒動に巻き込まれたというのか。
「リディアがちょうど教室から出てきたところを見計らって、オレが二人の嫉妬心を煽るように抱き着いた。そして見事二人はマリアンそっちのけでリディアに構い始めた」
「自分の思い通りに行かず、不満が爆発したところでマリアン嬢が本性を露わにした。必死に言い訳していたようだが、周囲の取り巻きも自分が彼女にまったく相手にされていないことがこれで理解できたはずだ。少しは頭も冷えるだろう。本当にお前のおかげだ」
「わたしは何もしていませんよ……」
ただ勝手に利用されて、友人だと思っていた人物に裏切られただけである。ただそれだけである。
(何だろう。すごく怒りたいのに、それ以上に疲れて、もうどうでもよくなってくる……)
「すべて、殿下の計画どおりだったんですね……」
マリアン嬢と彼女に夢中の男子生徒をどう引き離すか。ただ注意しても、余計に燃え上がらせるだけになると考え、わざとマリアン嬢の醜い部分を引きずりだした。
思春期の恋なんて、憧れと偶像でできている。妖精のようだと思わせた彼らに、マリアン嬢もまた他の令嬢と変わらぬ冷酷で、計算高い女性だという一面を見せたのだ。抱いていた幻想は崩れ去り、彼らは現実へ引き戻された。そうして自ら彼女を崇拝することをやめたのだ。
それがレナードの計画だった。本当に末恐ろしい人である。
「馬鹿を言うな。先ほども言ったが、こんなに事が上手く進むとは考えていなかった。セエレと彼女の仲を引き立てたのも、グレンやメルヴィンが強情に拒絶したのも、すべてお前の存在があったからだ。彼女の感情があれほど乱れたのも、ただの平民出身のお前がグレンやメルヴィンの気を引いていたからだろう」
「そうだよ。むしろ恐ろしいのはリディアの方だとオレは思うな」
セエレは目を輝かせ、リディアの顔を覗き込んでくる。
「キミのこと、この学園に入学するにあたって兄上から聞いていたんだ。仲良くなっておけ、って言われたからいずれは接触するつもりだったけど、その前にキミの方からオレに会いに来てくれた。心底驚いたよ。まるで用意されていた物語より早く登場人物が飛び出してきたみたいにさ」
「……あなたがわたしと友達になりたいって言ったのも、レナード殿下に命じられたからですか」
「うん。リディアに会うまではそのつもりだった。でも、オレの目を見てもキミは驚かなくて、自然と友人になりたいなって思ったんだ」
本当だろうか。リディアには信じられなかった。誰も彼もが目的のために平気で自分を利用する。セエレだって結局はそうだ。それを友人関係などと言い切っていいものか。
「一応終息はついたものの、今後マリアン・レライエがどう行動するかはわからない。もしかしたら逆恨みしてお前に辛く当たってくるかもしれない。どうか気をつけて行動して欲しい。……それからセエレとも、仲良くしてやってくれ」
ずいぶん虫のいい話だ。勝手に利用して、今後も騒ぎがあったらお前を利用させてもらう。被害があっても自分で対応してくれ。ずいぶん横暴な態度じゃないか。
(なんでわたしばっかりこんな目に……)
「不満そうな顔だな」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
だがはいわかりました、とすんなり受け入れることもできなかった。いくら相手が王子だからといって、何でもかんでも従うのは間違いじゃないのか。リディアの胸に初めて反発心のようなものが芽生えつつあった。
(そうだ。ここはガツンと言ってやればいいじゃないか。もうわたしを巻き込むのはやめて下さいと)
言え。言うんだ。リディアは意を決して口を開いた。
「レナード殿下、わたしは――」
「お前が留年した件についてだが――」
「今後ともセエレ様と仲良くさせていただきます」
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この暴君め、とリディアは満足気に笑みを浮かべるレナードに内心毒づいた。
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