いじめられて、婚約者には見捨てられました。

りつ

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5、らしくないこと

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「ねえ」

 二人きりになり、私はニコルの腕を引っ張った。振り返った彼のもっさりとした前髪の間から一瞬目が見えた気もするが、その色まではよくわからなかった。

「きみ、お昼どこで食べてるの」
「えっと、教室だけど」

 馬鹿じゃないの。という言葉が一瞬出そうになった。だってそんなところで食べていたら、彼女たちに攻撃して下さいって頼むようなものじゃないか。

「……第三校舎なら誰もいないから、そこで食べなよ」
「第三校舎って?」
「校舎の説明、受けていないの?」

 転校してきたばかりの生徒には、同じ部屋の寮生が案内する決まりになっている。それとも案内されたが覚えきれず、忘れてしまったとかだろうか。

「……ごめん。そもそも案内されていないんだ」

 非常に申し訳なさそうな声でニコルが答えた。前髪で眉が見えないけど、見えていたらきっと八の字を描いていたはずだ。

「…………いや、謝らないでいいよ」
「うん」
「あの、よかったら、私が案内しようか?」

 自分がらしくないことをしている自覚はある。息を呑んで固まっているニコルの姿に、気まずさで死にたくなる。

「迷惑ならいいの。余計なこと言って、ごめん」
「あっ、ううん! 助かるよ。その、お願いします……」
「そう? ……じゃあ、放課後に」

 こうして私はニコルに第三校舎を教えるついでに学園を案内してやることとなった。

「――えっと。わざわざ放課後にごめんね、えっと……」

 私の数歩後ろを遠慮がちに着いてくるニコル。ちなみに案内している時間は放課後。彼女たちによるいつもの日課を済ませた後だった。

「ドーラでいいよ」

 彼女たちは男のニコルにも容赦なかった。複数とはいえ、男女差を考えればニコルはきっと反抗できるはずだ。いくら彼が痩せていて、力がなさそうでも。

 それでもニコルは、逆らわずただじっと耐えていた。

 下手に反抗すれば、力加減で彼女たちを怪我させてしまうかもしれない。そして彼女たちはそれを逆に利用して、さらにニコルを追いつめようとするだろう。じっと耐えておくことが、最善の策にも思えた。

「あと、気にしなくていいよ。どうせ帰ったって勉強することくらいしかないもの」

 それに、謝るのはこちらの方だろう。

「私を庇ったせいで、きみまで標的にされちゃったでしょう。ごめんね」

 あれが第三校舎だよ、と指さす。返事がないので振り返ると、ニコルはぼうっとした表情(目が隠れているのでいまいち自信がないが)で私を見ていた。

「何?」
「あ、いや。ドーラって最初会った時とずいぶん印象が違うなあって」
「もっとお嬢様かと思った?」
「うん。あ、いや、別に今がそう見えないって意味じゃなくて、見かけよりだいぶフレンドリーなんだなあって」

 身振り手振りで必死に伝えようとするニコルがおかしくて、私は思わず吹き出した。

「ニコルって、もっと無口かと思ったら、意外とたくさん話すよね」
「うっ、ごめん」
「ううん。責めている訳じゃないの」

 そうなの? と首をかしげるニコル。眉と目は前髪に隠れて見えないけど、思ったより表情ゆたかな顔なのかもしれない。

「私、どっちかっていうとこっちの方が地だから。ニコルが抱いていたお嬢様も、そう見えるように振る舞っていただけ」

 本当、いつまでたっても慣れないものだ。

「嫌なら、今からでもお嬢様演じようか?」
「ううん。ドーラが過ごしやすい方でいいよ」

 首を振って、ニコルは微笑んだ。まあ、そうはいってもニコルと話すことは、もうないだろう。

 と、思っていたのだけれど。




 ガラリと扉が開かれる音が聞こえ、私は顔を上げた。

「なに?」

 困ったように相手は一瞬押し黙ったが、意を決したように口を開いた。

「あ、あの、僕もここで食べていいかな?」
「嫌」

 ええっ、とニコルは意外と大きな声を出して驚いた。
 声が大きい、と私が眉を寄せると、慌てて自身の口を手で塞いだ。

「二人で一緒にいるところ見られたら、勘違いされちゃうでしょ。空き教室なら他にもたくさんあるんだから、そこで食べなよ」

 その方が、ニコルのためでもある。自分のためでもあるけれど。

「……うん。でも、僕、ドーラと話してみたいから」

 ニコルはそう言うと、私の目の前の席に着いた。そして食堂の売店で買ったと思われるサンドイッチの包みをはがしていく。

「意外と図々しいんだね」
「ごめん」

 そこは謝るのか。

「別に責めていない。あなたがいいなら、それでいいよ」

 ニコルはぱあっと顔を輝かせ、うんと頷いた。

 どうしてそんな嬉しそうな顔をするんだろう。むずむずした感じがして、私はいつもより早く昼食を終えてしまった。手持ち無沙汰で、一緒に持ってきた本をぱらりとめくる。

「それ、大学の本?」

 ニコルがじいっと本の方へ視線を向ける。目は相変わらず見えないけど。

「知っているの?」
「うん。家にも同じ本があった」

 ニコルの言うとおり、父の書棚からこっそりと拝借させてもらった本だ。女性はあまり学をつけるなというのが父の考えなので、家では読まず、毎回学校でこっそり読んでいた。

 以前も述べたが、珍しい魔法を使う人間は、国家で研究対象として保護される。そのことについて詳しく記述されている本だ。

 でも、ニコルが知っているなんて。しかも家に同じ本があったという。

「――あなたって、本当に何の魔法も使えないの?」
「うん。本当だよ」

 特に気にしたふうもなく、あっさりとニコルは答えた。前髪にすっぽりと覆われた目が、どんな色をしているのか、私にはわからなかった。というか、その長さできちんと見えているのだろうか。

「ねえ、初めて会った時から気になっていたんだけど、前髪、目にかかってかゆくない?」
「かゆいけど、慣れたかな」
「……切ったりしないの?」

 それか、結んだりとか。

「しない、かな。目、見られたくないんだ」

 私はそこではっとした。もしかして目のあたりに傷とかあって、わざと隠しているのかもしれなかった。

「ごめん。余計なお世話だったね。……魔法のことも」
「あっ、別にいいんだよ」

 なんとも気まずい沈黙が落ちた。自分の気の利かなさがつくづく嫌になる。

「あの、ドーラはどんな魔法が使えるの?」
「私は……水の魔法」
「へえ……その、よかったら見せてもらえる?」

 断る理由も特にないので、私は指先に意識を注意してくるりと水の輪っかを見せた。すごい、とニコルの無邪気な声が二人ぼっちの教室に響いた。

「すごいね、ドーラ」

 前も、そうやって褒めてくれる人がいた。

 ――すごいな、ドーラ。もうそんなこともできるんだな。
 ――俺、お前の魔法好きだ。

 もうずいぶんと昔のことに思える。

「これ、使って」

 ニコルは私にハンカチを差し出した。大丈夫? と聞くこともせず、ただごく当たり前に手渡した。彼も、かつて誰かにハンカチを渡してもらったのだろうか。

「……ありがとう」

 目元の水分をじんわりと吸い取っていくと、ふわりと洗剤の良い香りがした。

「私、ニコルに助けてもらってばかりだね」

 ――ごめんね、ありがとう。

 情けなくて、せっかく拭った水分が、また目から溢れてくる。ぼやけた視線の先で、ニコルが笑みを浮かべているのが見えた。

「いいんだよ、ドーラ」

 優しい声がとても辛くて、私は顔を覆って肩を震わせた。ニコルは何度も大丈夫だよと言ってくれた。


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