記憶を失った悪女は、無理矢理結婚させた夫と離縁したい。

りつ

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憎しみ

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 屋敷は大変な騒ぎであったという。王宮で知らせを聞いた国王やジョシュアもどういうことだと説明を求めた。

 マティアスはその途中でひどく責められ、同情され、慰められ、いろんな言葉をかけられたが、どこか夢でも見ている気分であった。

 王女が自殺したことも、今まさに死の淵を彷徨っていることも、あまりにも予想外の出来事で、逆に他人事のように思う自分がいた。

「マティアス。父上がブランシュを王宮で治療したいと言っている。屋敷から移しても構わないか?」

 そう言われても、マティアスにはどうでもよかった。どのみち国王はマティアスが反対しても耳を貸さず実行するだろう。構わないと答えたマティアスの顔を見て、ジョシュアは辛そうに目を伏せた。

「すまない。そなたに、こんな思いをさせてしまって」

 それは何に対する謝罪だろう。婚約者と無理矢理別れさせ、好きでもないのに妹を娶らされ、勝手に自殺を図られて、父親から責められていることだろうか。

(今さら……)

 もともと王女が過ごしていた部屋に、一人で眠るには大きすぎる寝台の上に、彼女の身体は寝かされた。そこに毎日王は通っている。兄であるジョシュアも週に一度は足を運んでいる。

 しかしマティアスはどうしても彼女を見舞う気にはなれなかった。

 安らかに眠り続ける彼女の姿――こちらの苦しみなど一切知らず、一人旅立とうとする彼女を見ると、その細い首に手をかけて、自らの手で殺してしまいたくなるから……。

 いっそもう、二度と目覚めなければいい……憎むことに疲れ、やり場のない怒りを胸に抱えながら、半ば死んだような気持ちで、ただ息をしているから生きているという繰り返しの中で、唐突に、彼女の意識が戻ったと聞かされた。

 どうして、今さら。また、彼女の言いなりになる日々が始まる。ふざけるな。もう、逃げられない。あんなに苦しめられたのに。逃げたい。自分は一生、このまま彼女の奴隷だ。

 恐怖や怒りがないまぜになって、混乱しながらも、マティアスの足は彼女のもとへ向かっていた。見たくない。会いたくない。声など聴きたくない。……そう思っているはずなのに、なぜか、足は止まらない。

 すでに大勢いた人間がマティアスの姿を見るなり、スッと道を開け、その奥に、彼女はいた。宝石のような輝きを放つ目にマティアスを映して――

「あなたは、誰ですか」

 ブランシュは、記憶を失っていた。

 自分との出会いも。自分にしてきたことも。すべて。何もかも。

 無垢な瞳で自分を見つめるブランシュに、マティアスは今までのどんな所業よりずっと深く胸を抉られ、これ以上にないほどの裏切りと屈辱を感じた。

 その時、だろうか。必死で抑えつけていた憎悪が一気に溢れ出したのは。今までは恐怖が上回っていたのに、もう恐れる必要はないのだと悟った瞬間でもあった。

 かつての自分がどんな人間で、何をしてきたのか、軽蔑も露わに聞かされたブランシュはひどくショックを受け、マティアスに報復されるのではないかと恐怖を抱いた。

(あぁ……)

 自分と彼女の立場は、逆転した。

 今まではマティアスが彼女の言うことを何でも聞かねばならなかったが、これからは違う。ブランシュは己の犯した罪を贖うためにマティアスの命令に逆らえない。耐え難い屈辱も、すべて従順に受け入れた。

 マティアスはブランシュが己の醜さを突きつけられ、打ちのめされる姿に嘲笑した。

 記憶を失くしたせいで閨事など全く知らない状態で犯されているのに、屈辱的な行為をさせられているのに、喘いで呆気なく達する姿に、快感に抗えない自分がいることに、そのことに深く絶望している様子に、仄暗い悦びを見出した。

 今まで自分を苦しめてきたのだから、同じようにブランシュを汚してやりたいと思った。

「お願い。もうやめて……」

 それはマティアスの台詞だった。でも彼女はやめなかった。だからマティアスもやめない。

 嫌だ、やめて、と言いながら自分のものを受け入れ、締め付け、涎を垂らす彼女を内心軽蔑しながらも、マティアスもひどく興奮し、一緒に堕ちていく気がした。

 ほっそりとした手足がマティアスの腰や脚にいやらしく絡みつき、華奢な身体なのに胸元は豊かで、汗ばんだマティアスの肌と触れ合い、先の蕾が押しつぶされて擦れると、耐え切れず漏らされる声にこちらの頭までおかしくなる。ブランシュの香りが全身に纏わりつき、快感に抗おうとする表情と身体はマティアス自身の姿でもあった。

「マティアス。おまえまで引きずられることはないのだぞ」

 夜な夜なブランシュのもとへ足を運んでいると知ったジョシュアが一度、警告と心配を兼ねてそう告げたことがあったが、意味のないことだと思った。

 ブランシュには――他の誰にも伝えていなかったが、マティアスはもうブランシュ以外の女性では身体が反応しない。

 記憶を失う前の彼女が飲ませ続けた薬のせいだ。麻薬のように強い中毒性があり、同じように飲用していた彼女との行為でしか射精できない。快感を得られない。

 こんな状態ではとても他の女性とやり直すことなどできるはずがない。再婚なんて一生無理に決まっている。忌まわしい。憎らしい。おまえのせいで。

「わたくしはもう、あなたを解放したいのです」

 それはおまえの望みだろう。偽善者ぶって罪悪感から解放されたがっている。自分から逃げようとしている。

(そんなこと、絶対に許すものか――!)

 激しい憤りをぶつけるように、マティアスはブランシュを辱しめた。もっと欲にまみれた顔を晒せ。そして絶望しろ――

 このまま彼女を壊してしまうかもしれない。いいや、それよりも自分の心が先か。わからぬまま、マティアスはブランシュとの行為に溺れた。

 ブランシュは今まで以上にマティアスに余所余所しくなり、距離を置こうとした。

 嫌われる行為をしているのだから当然だが、壁を作り、心を見せない態度にどうしようもなく腹が立ち、無理矢理抱いて、彼女の弱い所を何度もしつこく責めて、人形のような作りものの表情ではなく、本当の感情を――憎しみでも怒りでもいいから、引き出そうとした。

 けれどそんなことをしてもブランシュとの心の距離はますます広がるばかりで、疲弊して、追いつめられた結果、弱った彼女が侍医から言い募られている場面に出くわした。

「姫様。私は、ずっと以前から貴女のことを――」

 二人の姿を見た瞬間、すべての感情が消え、ブランシュの肌に触れたロワールの手を、腕ごと切り落としたいとただ思った。

 あくまでも冷静に、嫌味交じりに、隙を見せたブランシュの振る舞いを責めていた。でも、大嫌いだと告げられて、その瞳に自分を拒絶する色を見たら、マティアスの理性は呆気なく吹き飛び、むき出しになった本能が牙を剥き、我を忘れて、強姦するように彼女と身体を繋げていた。荒れ狂う激情を持て余して、理性を失っていた。

「あなたはわたくしをどうしたいの」

 途方に暮れたように呟かれた言葉に対する答えを、マティアスは持ち合わせていなかった。

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