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34、報告
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王都へ戻ってきた二人は揃ってジョシュアに謁見した。彼はブランシュの顔を見ると、ほっとしたように表情を緩ませた。
「少しは気分も晴れたか」
「ええ。もう大丈夫です。ご心配をおかけいたしまして、申し訳ありませんでした」
「いや、謝ることではない……」
沈黙が落ちる。こうして久しぶりに再会しても、ブランシュにはやはり兄という気持ちを抱けなかった。
「陛下に、お伝えすることがあります」
「なんだ?」
ブランシュはちらりとマティアスを見た。できれば彼には席を外してほしかったのだが、彼は微笑むだけでそのまま続けるよう促した。彼女はため息をつきたくなるのを抑え、仕方がないとジョシュアに向き合う。
「これからどうするのか、ずっと悩んでいましたが、マティアスの妻として、ルメール公爵夫人として生きていくことに決めました」
ジョシュアは目を見開いて驚きを露わにするかと思ったが、あまり取り乱さず、むしろ予想していたというように「そうか」と静かに頷いた。その反応にブランシュは拍子抜けしてしまう。
「なんだ、その顔は。私が反対するとでも思っていたのか」
「そう、ですね。もう一度よく考えろとか、本当にいいのか、などしつこく確かめられると思っておりました」
「おまえなぁ……」
はぁ、と彼はサラサラの髪をかき混ぜながらため息をつく。
「まぁ、そうだな……以前のおまえならば、マティアスを脅して無理矢理決めさせたのだと疑っただろう。だが今は、いろいろ考えた末に出した答えだと思っている」
ブランシュは複雑な気持ちになった。マティアスもだが、ジョシュアもブランシュに甘すぎるのではないか。
(記憶が戻って、また以前のように変わってしまうかもしれないのに……)
「言っておくが、おまえだけを見て決めたわけではないぞ」
ジョシュアはそう言うと、ブランシュのすぐ後ろに控えるマティアスにも目をやった。
「おまえたちにどういうやり取りがあったかは知らないし、詮索するつもりもない。私が最終的に決めたのは、ここへ戻ってきたおまえたちの寄り添う姿を見たからだ」
「それで、安心したと?」
「ルメール公爵はお人好しで優しいからな。同情だけでおまえと一生を共にするのならば、友としてやめておけと忠告しておくつもりだった」
妹より友人の幸せを優先する兄にブランシュは何とも言えない気持ちになったが、それまでの所業を踏まえれば仕方がないかとも思った。
(わたくしも、同じことを思ったもの……)
ブランシュを許すということはマティアスが愛してきたエレオノール嬢への仕打ちを許すことにもなる。それは彼女に対する裏切りではないか。結局王女に絆されたのだ。そうした非難をマティアスは周囲から受け、背負っていくことになる。
(そんな茨の道をわざわざ進む必要はないのに……)
一緒の道を歩くと決めたけれど、正直今でもブランシュには迷う気持ちがある。引き返すのならば今からでも遅くないとマティアスに伝えもした。そうすると手痛いしっぺ返しを夜に受けたわけだけど……
「だが、いろいろあって、今はそうでもないらしい」
いろいろあって、というところをジョシュアは強調して述べる。
「むしろ今では公爵の方が――」
「陛下。そろそろお時間です。お話はそこまでにした方がよろしいかと」
不自然に口を挟んできたのはマティアスであった。
「はて。もうそんな時間か?」
「長旅で私たちも疲れておりますので、家へ帰ってゆっくりしたいのです」
(けっこうはっきり言うのね)
ジョシュアとは友人なので、それゆえ、だろうか。
「なるほど。一理ある。しかし疲れているのならば、今日はここに泊まっていったらどうだ」
「いえ。私の家の者も心配しておりますので」
「ならばそなただけ先に帰り、ブランシュは王宮に泊まるがいい」
「いえ。妻である彼女を残して帰るわけにはいきませんから」
「ならばやはりそなたも一緒に泊まるといい」
(何というか……)
すごく、ジョシュアの顔が生き生きしているように見える。マティアスを揶揄って楽しんでいるような……。
「ブランシュ。おまえはどうしたい?」
「えっ」
二人のじゃれ合いを楽しそうだな、と思い始めたブランシュは突然ジョシュアに尋ねられ、言葉に詰まる。
(どうしましょう……)
「……私としては、最後に食事くらい共にしたいのだがな」
もう当分王宮には来られなくなるのだから。
ジョシュアの言葉に彼女は悩む。どこか寂しそうな顔で言われてしまえば、断りづらい。
「ちなみに王太子殿下も、おまえの帰りを待っていたぞ」
「えっ」
キルデリク殿下が? とブランシュはびっくりしてしまう。
(あの人、まだ帰っていなかったの……?)
「まだ、帰国していらっしゃらなかったんですか」
マティアスも同じことをやや険のある声で呟く。
「ああ。ブランシュのことを心配して、というのが表向きの事情であるが、本音としてはこちらでまだいろいろ学んでいたいのだろう」
(それは王太子としていいのかしら……)
ブランシュが言えることではなかったので黙っていたが、マティアスは納得がいかなそうでさらに深く尋ねる。
「いつ、帰国する予定で?」
「ブランシュも帰ってきたから、もうそろそろ帰るだろう。その前に一度、おまえと話がしたいと言うはずだ」
どうする? とジョシュアが視線で問いかける。
(もう一度……)
「ブランシュ。無理をして会う必要はありません」
まだ異性が怖い、と言ったことを気にしてマティアスが止めようとする。ブランシュも本音を言えば、気が進まなかった。このまま黙って帰ってくれるなら、そちらの方がいい。
(でも……)
ジョシュアの顔を見れば、何かを訴えかけるように自分を見ている。たぶん、できれば断らないでほしいと望んでいる。
「わかりました。お会いしますわ」
「ブランシュ!」
振り返り、ブランシュはマティアスに微笑んだ。
「大丈夫よ、マティアス。少し話をするだけだから」
「……少しで済むとは思えません」
たしかに。舞踏会の時に長々と付き合わされたことを思い出す。
「でも、どのみちもう一度きちんとお話しなければならないとは考えていたから、都合がいいわ」
「しかし」
「マティアス。ブランシュのことを信じてやれ」
「陛下まで……」
「おそらく向こうは、ブランシュの言葉でしか納得しないだろう」
ジョシュアの言葉にマティアスは納得せざるを得なかった。
「少しは気分も晴れたか」
「ええ。もう大丈夫です。ご心配をおかけいたしまして、申し訳ありませんでした」
「いや、謝ることではない……」
沈黙が落ちる。こうして久しぶりに再会しても、ブランシュにはやはり兄という気持ちを抱けなかった。
「陛下に、お伝えすることがあります」
「なんだ?」
ブランシュはちらりとマティアスを見た。できれば彼には席を外してほしかったのだが、彼は微笑むだけでそのまま続けるよう促した。彼女はため息をつきたくなるのを抑え、仕方がないとジョシュアに向き合う。
「これからどうするのか、ずっと悩んでいましたが、マティアスの妻として、ルメール公爵夫人として生きていくことに決めました」
ジョシュアは目を見開いて驚きを露わにするかと思ったが、あまり取り乱さず、むしろ予想していたというように「そうか」と静かに頷いた。その反応にブランシュは拍子抜けしてしまう。
「なんだ、その顔は。私が反対するとでも思っていたのか」
「そう、ですね。もう一度よく考えろとか、本当にいいのか、などしつこく確かめられると思っておりました」
「おまえなぁ……」
はぁ、と彼はサラサラの髪をかき混ぜながらため息をつく。
「まぁ、そうだな……以前のおまえならば、マティアスを脅して無理矢理決めさせたのだと疑っただろう。だが今は、いろいろ考えた末に出した答えだと思っている」
ブランシュは複雑な気持ちになった。マティアスもだが、ジョシュアもブランシュに甘すぎるのではないか。
(記憶が戻って、また以前のように変わってしまうかもしれないのに……)
「言っておくが、おまえだけを見て決めたわけではないぞ」
ジョシュアはそう言うと、ブランシュのすぐ後ろに控えるマティアスにも目をやった。
「おまえたちにどういうやり取りがあったかは知らないし、詮索するつもりもない。私が最終的に決めたのは、ここへ戻ってきたおまえたちの寄り添う姿を見たからだ」
「それで、安心したと?」
「ルメール公爵はお人好しで優しいからな。同情だけでおまえと一生を共にするのならば、友としてやめておけと忠告しておくつもりだった」
妹より友人の幸せを優先する兄にブランシュは何とも言えない気持ちになったが、それまでの所業を踏まえれば仕方がないかとも思った。
(わたくしも、同じことを思ったもの……)
ブランシュを許すということはマティアスが愛してきたエレオノール嬢への仕打ちを許すことにもなる。それは彼女に対する裏切りではないか。結局王女に絆されたのだ。そうした非難をマティアスは周囲から受け、背負っていくことになる。
(そんな茨の道をわざわざ進む必要はないのに……)
一緒の道を歩くと決めたけれど、正直今でもブランシュには迷う気持ちがある。引き返すのならば今からでも遅くないとマティアスに伝えもした。そうすると手痛いしっぺ返しを夜に受けたわけだけど……
「だが、いろいろあって、今はそうでもないらしい」
いろいろあって、というところをジョシュアは強調して述べる。
「むしろ今では公爵の方が――」
「陛下。そろそろお時間です。お話はそこまでにした方がよろしいかと」
不自然に口を挟んできたのはマティアスであった。
「はて。もうそんな時間か?」
「長旅で私たちも疲れておりますので、家へ帰ってゆっくりしたいのです」
(けっこうはっきり言うのね)
ジョシュアとは友人なので、それゆえ、だろうか。
「なるほど。一理ある。しかし疲れているのならば、今日はここに泊まっていったらどうだ」
「いえ。私の家の者も心配しておりますので」
「ならばそなただけ先に帰り、ブランシュは王宮に泊まるがいい」
「いえ。妻である彼女を残して帰るわけにはいきませんから」
「ならばやはりそなたも一緒に泊まるといい」
(何というか……)
すごく、ジョシュアの顔が生き生きしているように見える。マティアスを揶揄って楽しんでいるような……。
「ブランシュ。おまえはどうしたい?」
「えっ」
二人のじゃれ合いを楽しそうだな、と思い始めたブランシュは突然ジョシュアに尋ねられ、言葉に詰まる。
(どうしましょう……)
「……私としては、最後に食事くらい共にしたいのだがな」
もう当分王宮には来られなくなるのだから。
ジョシュアの言葉に彼女は悩む。どこか寂しそうな顔で言われてしまえば、断りづらい。
「ちなみに王太子殿下も、おまえの帰りを待っていたぞ」
「えっ」
キルデリク殿下が? とブランシュはびっくりしてしまう。
(あの人、まだ帰っていなかったの……?)
「まだ、帰国していらっしゃらなかったんですか」
マティアスも同じことをやや険のある声で呟く。
「ああ。ブランシュのことを心配して、というのが表向きの事情であるが、本音としてはこちらでまだいろいろ学んでいたいのだろう」
(それは王太子としていいのかしら……)
ブランシュが言えることではなかったので黙っていたが、マティアスは納得がいかなそうでさらに深く尋ねる。
「いつ、帰国する予定で?」
「ブランシュも帰ってきたから、もうそろそろ帰るだろう。その前に一度、おまえと話がしたいと言うはずだ」
どうする? とジョシュアが視線で問いかける。
(もう一度……)
「ブランシュ。無理をして会う必要はありません」
まだ異性が怖い、と言ったことを気にしてマティアスが止めようとする。ブランシュも本音を言えば、気が進まなかった。このまま黙って帰ってくれるなら、そちらの方がいい。
(でも……)
ジョシュアの顔を見れば、何かを訴えかけるように自分を見ている。たぶん、できれば断らないでほしいと望んでいる。
「わかりました。お会いしますわ」
「ブランシュ!」
振り返り、ブランシュはマティアスに微笑んだ。
「大丈夫よ、マティアス。少し話をするだけだから」
「……少しで済むとは思えません」
たしかに。舞踏会の時に長々と付き合わされたことを思い出す。
「でも、どのみちもう一度きちんとお話しなければならないとは考えていたから、都合がいいわ」
「しかし」
「マティアス。ブランシュのことを信じてやれ」
「陛下まで……」
「おそらく向こうは、ブランシュの言葉でしか納得しないだろう」
ジョシュアの言葉にマティアスは納得せざるを得なかった。
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