記憶を失った悪女は、無理矢理結婚させた夫と離縁したい。

りつ

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24、悪夢

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 あれから侍女に身体を清められ、医者から治療を施され、睡眠薬を飲まされて、強制的に眠らされた。

「いやっ、やめて……!」

 そして気づけばブランシュはあの部屋に――男に襲われた空間に居た。そこで透明人間になったみたいに突っ立って、男が女に馬乗りになって、犯されている光景を見ていた。

 女の姿はブランシュではない。自分と同じくらいの年頃。美しい顔立ちをした女性は恐怖で顔を歪ませて、涙を流している。悲鳴を上げて、泣き叫んでいる。助けを呼んでいる。ブランシュは男を止めたいのに身体が動かない。耐え切れず、必死に声を出していた。

「やめて! そんなことしないで!」

 男がぴくりと動きを止め、こちらをゆっくりと振り返る。

「やめてだって? これはおまえが命じたことだろ」
「そんなこと望んでいない!」
「嘘だ」

 男が口元を指差す。

「今おまえは、笑っているじゃないか」

 そんなはず……ブランシュは唇に手を当てて口角が吊り上がっていることに気づいた。自分は笑っている。女が犯されて喜んでいる。

(違う。わたくしは……)

「それが貴女の本性だったのです」

 長椅子に押さえつけられていた女がむくりと起き上がる。ドレスは無惨に引き裂かれ、胸元には痛々しい赤い痕がつけられている。繊細で可憐な面立ちは今や涙に濡れてブランシュを睨みつけている。

 か弱げで、力などまるでない女性に自分を傷つけることはできない。それなのにブランシュは何より恐ろしい存在に見えて、圧倒された。逃げ出したい思いに駆られ、思わず一歩後ろへ下がれば、彼女は軽蔑するように吐き捨てた。

「卑怯者」

 気づけば女がいた位置にブランシュがいた。男が物凄い力で手首を押さえつけ、ブランシュの目と鼻の先に顔を近づける。悲鳴すら出ず、彼女は男のゾッとするほど冷たい目に魅せられた。

「貴女はこうしたかったんでしょう」

 その目は空色で、マティアスの顔をしていた。ブランシュは絶叫した。

「――シュ。ブランシュ!」

 揺さぶられ、きつく瞑っていた目をぱっと開いた。目の前にマティアスの顔があり、彼女はまた悲鳴を上げた。

「いやっ! ごめんなさい! 許して!」
「ブランシュ。落ち着いて」

 もう大丈夫だ、貴女を傷つける者は誰もいないと、マティアスは耳元で何度も囁き、ブランシュを抱きしめた。彼女はガクガク身体を震わせ、半ば過呼吸になりながらも、彼の言葉に従いながら、ゆっくりと息を吐き出し、気持ちを落ち着かせていった。

「マティアス……」
「はい」

 ここにいるというように彼は抱擁を強める。彼女は彼の身体を押し、顔を上げた。幾分疲れた顔の輪郭を掌で確かめるように触れ、ひしと見つめる。

「ブランシュ?」

 空色の瞳はただ自分を心配している。夢の中で最後に見た彼とは違う。そう思うとブランシュはみるみるうちに涙を溢れさせ、嗚咽した。マティアスの慌てる声に胸が締めつけられる。

(ごめんなさい……)

「ブランシュ。どこか痛いのですか? 医者を呼んできましょうか?」

 首を振って、彼の胸元のシャツをくしゃりと握りしめる。

「ブランシュ……?」

 彼女は何度かしゃっくりを上げながらも、ふうふうと必死で呼吸を整え、彼と目を合わせた。

「もう、大丈夫だから……だから、どうか部屋に戻って……」
「そんな状態で大丈夫なはずがないでしょう」

 真っ赤になった目を痛ましげに見つめ、目元を優しく指の腹で撫でた。

「私が怖いなら、侍女を呼んで参ります」
「……怖くないわ」

 なら、と彼は優しい声で告げた。

「一緒にいさせてください」

 ブランシュの沈黙を了承と受け取ったのか、マティアスは一度寝台を下り、水を注いだコップを持って戻ってきた。飲むよう促し、水の冷たさに自分がひどく喉が渇いていたことに気づく。

「もっと飲みますか」
「いいえ。もう、大丈夫……」

 コップをサイドテーブルに置くと、彼はブランシュを横にさせ、自分は縁に腰かけた。

「貴女が眠るまではそばにいますから」

 彼の優しさに呻きたくなる。

「そんなこと、しなくていいわ……」
「いいえ。します」
「どうしてそこまで……」

 彼は少し黙り、静かに答えた。

「私が貴女の夫だからです」
「あなたは……」

 ブランシュが無理矢理夫にさせたのだ。

「わたくしは、そんなことしてもらえる人間じゃないわ」

 また男の言葉と夢の中の出来事を思い出して、涙がつーっと頬を伝った。それをマティアスの指がそっと拭ってくれる。辛いことから逃れさせるようにブランシュの目元を優しく掌で覆い隠す。

「今はいろいろ考えることはやめて、しっかりと休んでください」

 ブランシュはその言葉にぎゅっと目を閉じて、そばにいてくれる彼の温もりに縋った。そうして永遠とも思える暗闇に身を委ね、やがて静かに、意識を手放した。今度は悪夢を見なかった。

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