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16、他人の死

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 ブランシュは寝室で一人、寝台の縁に腰かけていた。中途半端に閉められたカーテンの隙間から月の光が漏れ、室内はそれほど暗くはなかった。

「寝ないのですか」

 静かに声のした方を見れば、マティアスがいた。ブランシュはまた視線を自分の膝の上へ戻し、小さく頷いた。

「眠れないの」

 国王が亡くなった。

 医師によると、ずいぶん前から病を患っていたらしい。知っていたのはその医師と、側近の者だけ。自分の息子にすら、彼は容態を明かさなかった。

 もういつ死んでもいいほど、王太子であるジョシュアは立派にこの国のことを考え、執務を担っていたから、その必要もないと判断したのだろう。

(わたくしだけが、王の心残りだった……)

 だからこそ、王宮に留め、あれこれ昔話に話を咲かせた。寂しい、という気持ちもあったのだろう。でも、一番伝えたかったのは、自分を大切にすること。

『ブランシュ……』

 息を引き取ろうとする王は、何度も娘の名を繰り返した。その存在をそばに感じたいと手を伸ばした。ブランシュはジョシュアに促される形で、王の近くへ寄って、今にも息絶えようとしている顔を覗き込んだ。

『ブランシュ……わしの、自慢の娘……』

 途切れ途切れに何とか紡がれる言葉は、すべてブランシュに向けたもの。ブランシュを気遣うもの。ブランシュの幸せを願うものばかりだった。

『ブランシュ……どうか……』

 もうこの世から去ろうとする瞬間、彼は縋るような目で、何かを期待するように、自分を見つめた。だから――

『お父様……』

 ブランシュの呟きが確かに聴こえたのか、王は目を細め、穏やかな表情で息を引き取った。医師が亡くなったことを告げ、王を囲んでいた面々は泣き崩れ、あるいはすすり泣いた。

 息子であるジョシュアも、この時ばかりは冷静さを失い、目を潤ませて、父の名を呼んでいた。

 ただ一人、ブランシュだけが呆然としていた。

 亡くなったことが受け止めきれなかったからではない。

(わたくしは国王のことを……)

「ブランシュ」

 顔を上げれば、マティアスがすぐ目の前にいた。いつもは無表情で、冷めた眼差しが、今はどこか自分を心配しているように見え、彼女はくしゃりと笑った。

「父親だと、思えなかったの」

 国王はブランシュにとって最期まで、赤の他人であった。
 それが何より、ブランシュを打ちのめした。

「あの人、わたくしにお父様と呼ばれて、とても嬉しそうだった……本当はずっと、呼ばれたかったのよ……」

 でも、ブランシュはどうしても父親だとは思えなくて、それを国王も理解していたから無理強いすることはしなかった。

「あんなに、わたくしのこと、心配してくれていたのに……わたくしは……」

 ブランシュが我儘に育ったのは、彼のせいでもある。親として、いけないことした時に叱ることができなかった。怒ることすら考えなかったのかもしれない。欲しいものは何でも与えて、甘やかしてばかりだった。

 でもそれは裏を返せばブランシュをとても可愛がっていたということであり、愛していた証拠でもある。

 たとえそんなの愛ではないと他人から非難されても、娘である自分だけは、父に愛されていたと反論するべきだった。

(それなのに、わたくしは……)

 父との記憶を全て忘れ、娘として彼の死を悼んでやることができない。

「こんな親不孝な娘、他にいるかしら……」

 やるせなくて、仕方がない。ぶつけるべき怒りは自分自身でしかないのに、もう彼女はいない。父が愛していた娘は死んでしまったのだ。

 こんな馬鹿なことがあるかと、ブランシュは丸めた指の爪を思いきり皮膚に突き刺した。俯いたまま、強く握った拳が小刻みに震える。

 胸に渦巻く感情をどこへ向ければいいかわからないブランシュの隣に、マティアスがそっと腰かけた。そうしてブランシュの強く握りしめた指をゆっくりと開かせ、傷になった爪痕を労わるように撫でた。

「陛下は貴女が傷つくことを何より恐れた。だから、彼のためを思うなら、こんなことはするべきではありません」

『ブランシュ。決して自分を傷つけてはいけないよ……』

 約束してくれ、と言った父の顔を思い出し、ブランシュの目から涙が零れた。葬儀の間も出なかった涙が堰を切ったように溢れ出す。頬を伝い、膝へ落ちて染みを作る。彼女は顔を覆った。嗚咽を殺して、肩を震わせた。

 そんなブランシュをマティアスは何も言わず、黙って抱き寄せた。彼女は何もかも忘れ、ただ泣き続けた。

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