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12、怒り
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「――さま、姫様」
ブランシュははっとする。ロワールがこちらを心配そうに見つめていた。今は診察の時間。いつも通りの問いかけに答えなければいけなかった。それなのにブランシュはぼんやりとしてしまい、ロワールの言葉を聞き逃してしまった。
「ごめんなさい。少しぼうっとしてしまったわ」
「夜、眠れていないのですか」
「いいえ。大丈夫」
今は眠れている。というか、マティアスとの行為に疲れ果てて気を失っているというのが正しいかもしれないが。
(こんなこと、いくらなんでも言えないけれど……)
「今日は暖かな天気だから、眠くなってしまったのかも」
「暖かな……」
ちらりとロワールが窓の方へ目をやる。外はどんよりと曇っており、少し肌寒い。
「……わたくしにとっては、調子のいい天気なの」
ブランシュは言い訳するように説明したが、ロワールの不安はますます増したようだ。
「やはり、どこかお体の調子が良くないのでは……」
「大丈夫だと言っているでしょう」
「姫様。無理をせず、私には正直に打ち明けてください」
しつこく尋ねるロワールに、ブランシュは少々鬱陶しさを覚える。
「姫様。他の人間が貴女のことを疎ましく思っていても、私は……私だけは、貴女の味方です」
殿下、という呼び方からいつの間にか姫様、と呼ばれるようになった。昔を思い出してくれるように、だそうだ。医者としての冷静で、落ち着いた眼差しはいつしかねっとりとした熱を持って、自分を見つめるようになった。
「姫様」
突然ロワールの掌が、ブランシュの手の甲に重ねられる。彼女はぞわりとして、パシッと払いのけた。ロワールが傷ついた顔をするも、ブランシュは我慢できなかった。
「ロワール。控えなさい」
「姫様。私は、ずっと以前から貴女のことを――」
「何をしているのですか」
鋭い声に振り返れば、戸口にマティアスがおり、こちらを険しい顔で見ていた。彼は素早くこちらへ近づいてくると、ロワールとブランシュを引き剥がすように間に入った。そうして椅子に腰かけるロワールを冷ややかな目で見下ろした。
「診察は終わったのですか」
「は、はい。ですが姫様の具合がまだ悪いようなので、詳しく調べる必要があるかと……」
恐る恐る進言するロワールを置いて、マティアスはブランシュの方を見た。彼女は少々居心地の悪さを感じる。
「殿下。どこか具合が悪いのですか」
「いいえ。わたくしはどこも悪くありません。診察も、必要ないと言っているの」
「……だそうですが?」
「ですが!」
「殿下が必要ない……診察されたくないと、おっしゃっている。医者として、患者の意思を尊重することは、大事なことだと私は思いますが、あなたは違うのですか」
穏やかな口調であったが、妙に圧迫感があった。
ロワールもそれを感じ取ったのか、ごくりと唾を飲み込み、頭を下げた。
「謝るべきは、私ではない」
「姫様。出過ぎた真似を致しまして、申し訳ありません」
そう言ってロワールはブランシュに謝罪した。マティアスは変わらず冷たい眼差しで見下ろしていた。
「それから、彼女に対してはもう少し距離を置いて接するように。いくら昔の付き合いがあろうと、あなたはただの臣下に過ぎず、彼女は王族であらせられるのだから」
おまえとは身分が違う。思い上がるなとマティアスは釘を刺したのだ。ロワールは一瞬強い感情を目の奥に宿したが、マティアスの顔を見ると悔しそうに顔を歪め、もう一度ブランシュに頭を下げて、部屋を退出した。
マティアスは侍女にも目をやり、二人きりにさせた。ブランシュは気まずく、ただ俯いていた。
「貴女は王女ですよ。あんな相手に、何を好き勝手させているのですか」
それとも、と彼は声を低める。
「彼の気を、引きたかったのですか」
「違うわ!」
パッと弾けるように顔を上げて叫んでいた。怒りすら込められたブランシュの顔にも、マティアスの態度は冷淡であった。
「貴女は彼のことを、幼い頃とても慕っていたようですよ」
「っ、わたくしはそんなこと、覚えていない!」
「何とも思っていない男性を、その気にさせようとしたことがあります」
またそれか、とブランシュはうんざりする。いい加減にしてほしいと思った。
「ええ、以前のわたくしはそうだったみたいね。でも今のわたくしはそんなこと、少しも考えていない。一緒にしないで……!」
悲鳴を上げるように彼女は叫んだ。
「わたくしの知らないことを押し付けないで! 記憶を失ったからといって可哀想な目で見ないで! わたくしは記憶を取り戻したいなんて思っていない! わたくしとあの女を一緒にしないで!」
ブランシュの言葉に、マティアスは大きく目を見開き、息を呑んだ。それはマティアスにではなく、国王や乳母のイネス、ロワールに向けられた怒りだったかもしれない。
けれど次に発した言葉は、間違いなくマティアスへ向けたものだった。
「同じ報いを受けさせたいなら、思う存分わたくしを辱しめればいい! でもそれで気が済んだのなら、わたくしを解放して! わたくしはただ静かに暮らしたいだけ! わたくしはあなたのことなんて、好きでも何でもない! 何とも思っていない!!」
むしろ大嫌いよ! とブランシュは感情が昂るがまま、マティアスに心から叫んで訴えた。
ブランシュははっとする。ロワールがこちらを心配そうに見つめていた。今は診察の時間。いつも通りの問いかけに答えなければいけなかった。それなのにブランシュはぼんやりとしてしまい、ロワールの言葉を聞き逃してしまった。
「ごめんなさい。少しぼうっとしてしまったわ」
「夜、眠れていないのですか」
「いいえ。大丈夫」
今は眠れている。というか、マティアスとの行為に疲れ果てて気を失っているというのが正しいかもしれないが。
(こんなこと、いくらなんでも言えないけれど……)
「今日は暖かな天気だから、眠くなってしまったのかも」
「暖かな……」
ちらりとロワールが窓の方へ目をやる。外はどんよりと曇っており、少し肌寒い。
「……わたくしにとっては、調子のいい天気なの」
ブランシュは言い訳するように説明したが、ロワールの不安はますます増したようだ。
「やはり、どこかお体の調子が良くないのでは……」
「大丈夫だと言っているでしょう」
「姫様。無理をせず、私には正直に打ち明けてください」
しつこく尋ねるロワールに、ブランシュは少々鬱陶しさを覚える。
「姫様。他の人間が貴女のことを疎ましく思っていても、私は……私だけは、貴女の味方です」
殿下、という呼び方からいつの間にか姫様、と呼ばれるようになった。昔を思い出してくれるように、だそうだ。医者としての冷静で、落ち着いた眼差しはいつしかねっとりとした熱を持って、自分を見つめるようになった。
「姫様」
突然ロワールの掌が、ブランシュの手の甲に重ねられる。彼女はぞわりとして、パシッと払いのけた。ロワールが傷ついた顔をするも、ブランシュは我慢できなかった。
「ロワール。控えなさい」
「姫様。私は、ずっと以前から貴女のことを――」
「何をしているのですか」
鋭い声に振り返れば、戸口にマティアスがおり、こちらを険しい顔で見ていた。彼は素早くこちらへ近づいてくると、ロワールとブランシュを引き剥がすように間に入った。そうして椅子に腰かけるロワールを冷ややかな目で見下ろした。
「診察は終わったのですか」
「は、はい。ですが姫様の具合がまだ悪いようなので、詳しく調べる必要があるかと……」
恐る恐る進言するロワールを置いて、マティアスはブランシュの方を見た。彼女は少々居心地の悪さを感じる。
「殿下。どこか具合が悪いのですか」
「いいえ。わたくしはどこも悪くありません。診察も、必要ないと言っているの」
「……だそうですが?」
「ですが!」
「殿下が必要ない……診察されたくないと、おっしゃっている。医者として、患者の意思を尊重することは、大事なことだと私は思いますが、あなたは違うのですか」
穏やかな口調であったが、妙に圧迫感があった。
ロワールもそれを感じ取ったのか、ごくりと唾を飲み込み、頭を下げた。
「謝るべきは、私ではない」
「姫様。出過ぎた真似を致しまして、申し訳ありません」
そう言ってロワールはブランシュに謝罪した。マティアスは変わらず冷たい眼差しで見下ろしていた。
「それから、彼女に対してはもう少し距離を置いて接するように。いくら昔の付き合いがあろうと、あなたはただの臣下に過ぎず、彼女は王族であらせられるのだから」
おまえとは身分が違う。思い上がるなとマティアスは釘を刺したのだ。ロワールは一瞬強い感情を目の奥に宿したが、マティアスの顔を見ると悔しそうに顔を歪め、もう一度ブランシュに頭を下げて、部屋を退出した。
マティアスは侍女にも目をやり、二人きりにさせた。ブランシュは気まずく、ただ俯いていた。
「貴女は王女ですよ。あんな相手に、何を好き勝手させているのですか」
それとも、と彼は声を低める。
「彼の気を、引きたかったのですか」
「違うわ!」
パッと弾けるように顔を上げて叫んでいた。怒りすら込められたブランシュの顔にも、マティアスの態度は冷淡であった。
「貴女は彼のことを、幼い頃とても慕っていたようですよ」
「っ、わたくしはそんなこと、覚えていない!」
「何とも思っていない男性を、その気にさせようとしたことがあります」
またそれか、とブランシュはうんざりする。いい加減にしてほしいと思った。
「ええ、以前のわたくしはそうだったみたいね。でも今のわたくしはそんなこと、少しも考えていない。一緒にしないで……!」
悲鳴を上げるように彼女は叫んだ。
「わたくしの知らないことを押し付けないで! 記憶を失ったからといって可哀想な目で見ないで! わたくしは記憶を取り戻したいなんて思っていない! わたくしとあの女を一緒にしないで!」
ブランシュの言葉に、マティアスは大きく目を見開き、息を呑んだ。それはマティアスにではなく、国王や乳母のイネス、ロワールに向けられた怒りだったかもしれない。
けれど次に発した言葉は、間違いなくマティアスへ向けたものだった。
「同じ報いを受けさせたいなら、思う存分わたくしを辱しめればいい! でもそれで気が済んだのなら、わたくしを解放して! わたくしはただ静かに暮らしたいだけ! わたくしはあなたのことなんて、好きでも何でもない! 何とも思っていない!!」
むしろ大嫌いよ! とブランシュは感情が昂るがまま、マティアスに心から叫んで訴えた。
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