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45、息子と父
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ビアンカの計画どおり、ユーディットは茶会に誘われた。彼女はよりにもよって、ベルンハルトに行くべきかどうかたずねてきた。
(スヴェンのこと、聞いていないのか?)
それとも聞いた上で、夫である自分に確かめているのか。だとしたらなんて残酷なんだろう。
(いや、ビアンカのことだからすべてを隠したうえで誘ったはずだ)
だからユーディットは何も知らない。けれどもしかしたら……疑念がベルンハルトをいっそう苦しめる。それでもやはり彼女にたずねることはできなかった。
「きみが行きたいなら、行ってくればいい」
ユーディットはわかりましたと頷いた。
――行かないでくれ。
何度、そう懇願しそうになってしまったか。
彼女が出かけて行っても、ベルンハルトは落ち着かず、書斎をうろうろ歩き回った。ユーディットは今頃、何をしているだろう。スヴェンとはもう会ったのか。さぞ驚いたことだろう。そうして喜びで胸がいっぱいになったはずだ。
なにせもう一緒になれないと思っていた相手が目の前にいるのだから。涙をためて、スヴェンの頬に触れ、わたしもずっとあなたのことが好きだったと……
「くそっ!」
机の上に置かれた細々としたものを、ベルンハルトは思いきり床へ払い落とした。完全に八つ当たりだ。実に見苦しい姿だと嘲笑していると、コンコンと控えめに叩かれる。家令だろう。入るなと冷たく命じれば、「父上」というエアハルトの声が返ってきた。
「失礼します」
息子は父の命令を無視して、中へ入ってきた。室内の惨状を、とくに驚くこともなく、冷静に見渡している。情けない父親だと呆れているのだろう。ベルンハルトもそう思う。
「これ、」
けれどエアハルトは、ふいに腰を下ろし、手を伸ばした。動物園で記念に買った、カバの置物に。
「父上も、同じものを買ったんですか」
「……ああ、そうだ」
「母上も、ご自身の部屋に飾っているとおっしゃっていました」
エアハルトの言葉に、胸を衝かれる。ベルンハルトさま、と呼ぶ彼女の儚げな微笑。
「とても楽しかったから、よく目にする所に飾っていると」
父上、とエアハルトが置物を手にしたまま立ち上がる。自分よりもずっと大きい存在を堂々と見上げ、息子は物怖じせず意見する。
「僕は以前あなたに言いました。母上を大切にして欲しいと」
「……ああ」
大切に、しているつもりだ。だからこそ、彼女を送り出した。彼女の幸せを思って……
「そしてこうも言いました。相手が大切であればあるほど、信じてあげることも大切だと」
「そうだ」
「母上を、信じているから父上は送り出したんですか」
思わず息子の顔をまじまじと見つめる。
「おまえ」
「僕は何も知りません。父上が何を実行しようとしているのか、母上が何を不安に思っているのかも……」
でも、と彼はカバの置物をぎゅっと握りしめた。
「失くしたものは、もう二度と手に入らない。帰って来ない。……僕の母さんがそうだったように」
陶磁器でできたそれは、机の角にぶつかったせいか、耳の部分が小さく欠けてしまっていた。
「エアハルト……」
「僕はもう、大切なものを失いたくありません。父上も、そうでしょう?」
「ああ」
「だったら!」
「エアハルト」
跪き、息子の目線と同じになる。冷静さを貫いていた息子の目が、初めて動揺に揺れる。だがすぐに何ですかというふてぶてしい顔になり、こういう所も自分に似ているのだろうかとふと思った。
「私は今から、大変我儘で、自分勝手な振る舞いを決行しようとしている」
「そんなの今さらじゃないですか」
ふん、と呆れたように息子は言った。
「今さら父上が何をしようと、周囲は誰も驚きはしませんよ。だから後で、母上にうんと叱られてください」
「……ああ、そうだな。おまえにも、叱ってもらう」
「はい。母上は甘いので、母上以上に、僕が父上を叱ります」
ベルンハルトは笑って、そうだなと頷いた。そして行ってくると部屋を後にしたのだった。
(スヴェンのこと、聞いていないのか?)
それとも聞いた上で、夫である自分に確かめているのか。だとしたらなんて残酷なんだろう。
(いや、ビアンカのことだからすべてを隠したうえで誘ったはずだ)
だからユーディットは何も知らない。けれどもしかしたら……疑念がベルンハルトをいっそう苦しめる。それでもやはり彼女にたずねることはできなかった。
「きみが行きたいなら、行ってくればいい」
ユーディットはわかりましたと頷いた。
――行かないでくれ。
何度、そう懇願しそうになってしまったか。
彼女が出かけて行っても、ベルンハルトは落ち着かず、書斎をうろうろ歩き回った。ユーディットは今頃、何をしているだろう。スヴェンとはもう会ったのか。さぞ驚いたことだろう。そうして喜びで胸がいっぱいになったはずだ。
なにせもう一緒になれないと思っていた相手が目の前にいるのだから。涙をためて、スヴェンの頬に触れ、わたしもずっとあなたのことが好きだったと……
「くそっ!」
机の上に置かれた細々としたものを、ベルンハルトは思いきり床へ払い落とした。完全に八つ当たりだ。実に見苦しい姿だと嘲笑していると、コンコンと控えめに叩かれる。家令だろう。入るなと冷たく命じれば、「父上」というエアハルトの声が返ってきた。
「失礼します」
息子は父の命令を無視して、中へ入ってきた。室内の惨状を、とくに驚くこともなく、冷静に見渡している。情けない父親だと呆れているのだろう。ベルンハルトもそう思う。
「これ、」
けれどエアハルトは、ふいに腰を下ろし、手を伸ばした。動物園で記念に買った、カバの置物に。
「父上も、同じものを買ったんですか」
「……ああ、そうだ」
「母上も、ご自身の部屋に飾っているとおっしゃっていました」
エアハルトの言葉に、胸を衝かれる。ベルンハルトさま、と呼ぶ彼女の儚げな微笑。
「とても楽しかったから、よく目にする所に飾っていると」
父上、とエアハルトが置物を手にしたまま立ち上がる。自分よりもずっと大きい存在を堂々と見上げ、息子は物怖じせず意見する。
「僕は以前あなたに言いました。母上を大切にして欲しいと」
「……ああ」
大切に、しているつもりだ。だからこそ、彼女を送り出した。彼女の幸せを思って……
「そしてこうも言いました。相手が大切であればあるほど、信じてあげることも大切だと」
「そうだ」
「母上を、信じているから父上は送り出したんですか」
思わず息子の顔をまじまじと見つめる。
「おまえ」
「僕は何も知りません。父上が何を実行しようとしているのか、母上が何を不安に思っているのかも……」
でも、と彼はカバの置物をぎゅっと握りしめた。
「失くしたものは、もう二度と手に入らない。帰って来ない。……僕の母さんがそうだったように」
陶磁器でできたそれは、机の角にぶつかったせいか、耳の部分が小さく欠けてしまっていた。
「エアハルト……」
「僕はもう、大切なものを失いたくありません。父上も、そうでしょう?」
「ああ」
「だったら!」
「エアハルト」
跪き、息子の目線と同じになる。冷静さを貫いていた息子の目が、初めて動揺に揺れる。だがすぐに何ですかというふてぶてしい顔になり、こういう所も自分に似ているのだろうかとふと思った。
「私は今から、大変我儘で、自分勝手な振る舞いを決行しようとしている」
「そんなの今さらじゃないですか」
ふん、と呆れたように息子は言った。
「今さら父上が何をしようと、周囲は誰も驚きはしませんよ。だから後で、母上にうんと叱られてください」
「……ああ、そうだな。おまえにも、叱ってもらう」
「はい。母上は甘いので、母上以上に、僕が父上を叱ります」
ベルンハルトは笑って、そうだなと頷いた。そして行ってくると部屋を後にしたのだった。
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