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魔物
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「おお、アニエス!」
神殿の外には父となぜかトリスタンまでいた。他にも王国軍が控えており、出てきた者たちを次々と捕えていく。
「一体どうして……」
「ユーグ様! アニエス様!」
言葉を遮ったのは目にいっぱいの涙を溜めた少年、マルセルであった。彼はルドヴィクを兵に引き渡していたユーグのそばまで駆け寄ると、しゃっくりを上げながら泣き始めた。
「彼が教えてくれたのだ。ルドヴィクと、教会がよからぬ企みをしているのではないかと」
父はそこまで言うと、マルセルと同じように涙目で娘を見つめた。
「おまえがいなくなってしまって、四方八方探し回った。どこかへ連れ去られたのではないかと思って気が気ではなかった……」
無事でよかったと父は自分を抱きしめて言った。身体を震わせて泣く父の姿にアニエスは罪悪感が押し寄せてくる。
「心配かけてごめんなさい、お父様。……トリスタンも」
そばで成行きを見守っていた従兄にばつが悪そうな顔で謝れば、肩を竦められる。
「まったくだよ。知らせを聞いた時は心臓が止まりそうなほど驚いたんだから。……けど、本当に無事でよかった」
トリスタンはちらりと、ぐすぐすと泣いているマルセルに何やら話しかけて慰めているユーグの方を見て言った。
「さっき、見間違いかもしれないけれど、神殿から上空へ向けて竜が飛び上がったように見えたんだ。水飛沫が上がったのが、そう見えただけかもしれないけれど……」
「見間違いなんかではないわ。本当に、いたのよ」
アニエスは空を見上げてそう呟いた。
久しぶりに外へ出て、太陽の眩しさと空の青さを思い出した気がする。あの竜も同じであろう。地下に封じ込められていた彼は、もう二度とこの土地へは戻って来ない。
「いろいろと、知らなくてはいけないことがありそうだね」
トリスタンの言葉に、アニエスは本当にと深く頷き返した。
◇
神殿は破壊され、神樹も根元を引き抜かれて、もともと兵たちが放った火矢によって燃焼していたのが、水を浴びたことで完全に消滅してしまった。ユーグの推測通り、地下の水は神樹にとって毒となる聖水だったのだ。
竜が去った大地はそのまま枯れ果てるのではないかと思われたが、意外にもその逆の結果となった。清らかな泉が滾々と湧きだし、周りを囲うように種々の樹々が育ち始めているのだ。
「神樹というのは一種の魔物のような存在になっていたのだと思います」
当事者であるユーグはそう見解を示した。
「最初はただの植物だったと思います。竜が出てこられないように上から押さえつけて、地中に根を張り巡らせて身体を拘束していた。ですが、ある時から意思を持つようになった」
それは竜の呪いかもしれないと彼は言った。
「初代ダルトワ王や、彼の子孫はみな自分の王位が奪われることをいつからか恐れるようになった。竜は言うなればその土地の神であったから。それを力で捻じ伏せ、成立したのが最初の王朝でした」
神話では人々は竜の支配に苦しんだとあるが、土地神として崇拝していた可能性もある。竜はおそらく、大地に水を呼び起こす存在でもあったのだろう。
その竜を地下深くへ封印したことで泉は枯れ、土地もやせ細っていった。元々そこで暮らしていた人間にとっては、国王は神殺しの英雄として映ったのではないか。
ユーグはそう自分の考えを述べた。
「もっと正統性のある人間が――力ではなく崇高な理想や言葉で人を導こうとする人間が、横から奪い取るかもしれない……事実その後、身内の争いから王権は他の一族の手に渡ってしまった」
世俗を捨て教会の人間になることで命まではどうにか奪われずに済んだ。だが胸中は決して穏やかとは言えなかったのだろう。自分が受け継ぐはずだった王位を他者に簒奪され、嫉妬で身を焼かれる思いだった。
「だから藁にも縋る思いで神樹のもとへ足を運んだのだと思います。以前とは比べものにならないほど大きく育った大樹は恐らく神の化身に見えたことでしょう。この身を捧げるからどうか我ら一族をもう一度王にしてくれ……そうして自らを幹に括りつけ、神樹の一部になることを望んだ」
狂気とも言える願いが通じたからか、その男は無事に神樹の一部となれた。だが王になれたかというと……それは歪んだ形で叶えられた。
「幹に括りつける手助けをしたのは教会の人間です。神殿の地下には初代の王たちが捧げた財貨がたくさんあり、彼らは自分たちだけのものにしようと企んだ。あの神樹を神と見立て、数年か数十年に一度、生贄を捧げる。養分をもらえた神樹はますます肥え太り、たくさんの人間たちの意思を――心臓をもらい、やがて大樹自身も一つの自我を芽生えさせていった」
神樹は養分を欲する。生贄とされる人間は王位が欲しい。教会の人間は宝を誰にも奪われない堅牢な宝物庫が欲しい。
三者の願いが絡み合い、歪みを生じさせながらも、今まで王国の大事な儀式として続けられてきた。
「ぐろいね」
すべての話を聞き終えたトリスタンが端的にそう感想を述べた。
アニエスも同じだった。
何も知らず、神子が神殿へ入ることは意味のあることだとして、自分たちは大事に大事にその伝統を守ってきたのだ。
それによって守られてきたのは何だったのか、犠牲となったのは誰だったのか、すべてを知った今、嫌悪感でいっぱいだった。
「陛下もすごくショックを受けているようだ」
長年隠されていた事実を知っただけではない。
自分の子どもたちがもう少しで犠牲になろうとしていたこと。ルドヴィクが本当のことを知っておきながら見過ごして、自分も罪に加担しようとしていたことが、何より父の心を傷つけたのだろう。
(可哀想なお父様……)
「しかし、起きてしまったことはどうにもできない。問題はこれからどうするかということだ。――ユーグ」
トリスタンは経緯を話してくれたユーグにお礼を述べ、改めて謝罪した。
「知らなかったとはいえ、きみたち一族にはとんでもない犠牲を強いてきた。今までの王家に代わって、謝罪しよう。すまなかった」
「……トリスタン様。我が一族は確かに命を捧げてきました。本来全く関係ない命も犠牲となった。その者たちについては深くお詫びしなければならないと思っておりますが……先ほど話したように、私たちにも欲があったのです。儀式をやめたいと思えば、どこかでやめることはできたのではないか……そう、思えてならないのです」
「しかしきみは……言葉は悪いが洗脳されていたのだろう? おそらく、先代の神子たちも同じだ。おかしいと思ってやめることは、難しかったと僕は思うよ」
トリスタンの意見にアニエスも同意した。
「わたくし、幼いあなたに残酷な未来を繰り返し言い聞かせてきた司教たちがとてつもなく許せないの」
「今回のことに関与していた聖職者はみな取り調べをして、相応の罰を与えるつもりだ。でも主犯格の司教たちはみなあの神殿へ向かった者たちばかりでね……」
彼らは神樹に捕えられ呑み込まれそうになったものの、命だけは無事であった。
「だけどみんなこう、どこかぼんやりとしていてね……あの神樹に生気を吸い取られてしまったのかな」
「私も幹に括りつけられている間は頭がおかしくなりかけましたから、一理あると思います」
「そうか……まぁ、今までの報いというやつかもしれないね。ああ、そうだ。神殿の地下にあったお宝は、回収できる分は回収して、すべて貧しい子どもたちや病人のために使うことが決まったから。ああいうのは貯めすぎちゃだめだね。やっぱり世の中のためにどんどん使っていかないと」
そこまで言ってトリスタンは疲れたようにため息をついた。
「トリスタン。大丈夫?」
「ああ、うん。急に帰国したと思ったらとんでもない秘密を知ってしまって、後処理を任されて、いや、それは別にいいんだけれど……」
彼は困ったようにアニエスを見た。
「アニエス。もしかしたら僕が次の国王になるかもしれないんだ」
「それは……そうね。あなたが適任でしょうね」
あまり驚いた様子を見せなかった従妹にトリスタンは苦笑いした。
「まさかきみが伯父上に打診したの?」
「いいえ。わたくしはまだ何も聞いていないわ……けれど、今回のことでお父様も、さすがにお兄様にはもう任せられないとお思いになったでしょうから……」
まだ即位前であるし、若気の至りと称して不問にすることもできるだろうが、父は許さないだろう。優しい一面もあるが、見逃せない厳しさを持ち合わせている。
他者を犠牲にしたことは、守るべき立場に即く者ならば決して許してはいけないのに、兄はむしろ迎合してしまった。
「まさかルドヴィクが自ら教会に近寄るなんてね……情けなくて怒りもあるんだけれど、幼い頃から兄弟みたいにして接してきたから、可哀想だという気持ちもあってね……」
それはアニエスも同じだった。馬鹿なことをしたとも思うが、同時にどこかでもっと悔い改めさせることができたのではないかと思ってならない。
「お兄様は……わたくしなら理解してくださるとおっしゃっていたわ」
「ルドヴィクは自分がきちんと王位を継げるか不安だったんだろうね。きみに八つ当たりしていたのも、自分の苦しみに気づいてほしかったんだろう」
(面倒なお兄様……)
そんなのわかるわけない。昔のようにはっきり言ってくれなければ……でも自分たちはいつからか本音をぶつけあうことを避けるようになっていた。だから心の距離ができてしまったのだろうか。
「僕も彼から距離を置いた方が周りから比べられずに済むと思って王都を離れていたんだけれど……孤独を深めてしまうだけになった」
兄のやったことは馬鹿だと思うが、それでも神樹に殺されてほしいとまでは思わなかった。
「最初に神樹に身を捧げた人間も、ルドヴィクのように苦しんでいたんだろうね」
「そうね……」
もしかすると教会に上手く言いくるめられて兄が生贄になっていた道もあったかもしれない。そう考えると、王になれないことはかえってよかったように思えた。
「トリスタンは大変かもしれないけれど……あなたなら立派な王になれると思うわ」
「きみが、女王になるという道もあるんだよ」
アニエスは目を丸くした。だってそうだろう? とトリスタンは悪戯っぽく微笑む。
「きみはルドヴィクの妹だ。兄が無理ならば、順番的にはきみが一番相応しい」
「そんな。でもわたくしは女で……」
「きみが女王になり、僕が王配になる道もある」
「お待ちください」
それまでずっと黙っていたユーグが横から口を挟んでくると、トリスタンはさらに笑みを深めた。
「なんだい」
「トリスタン様とアニエス様は従兄妹です」
「うん。そうだね」
「そうだね、とは……」
「兄妹なら禁忌とされているけれど、従兄妹だから。過去に似たような結婚はいくらでもあったよ?」
「それはそうですが……」
納得できない。不満だとユーグの顔ははっきりと告げていた。
「何なら、きみがこの国の王になるかい?」
「は?」
「トリスタン?」
ユーグだけではなく、アニエスも従兄の顔を凝視する。彼は何ら不思議ではないというように言った。
「きみは初代王朝の血筋でしょう? 正統性だけで言うならば、実に適任だ。アニエスと結婚すれば反発も少ないだろうし、国王が嫌ならば、王配でもいい。どちらにせよ、今までの奉仕活動とか、きみの美貌とかで、国民の支持はばっちり得られるだろう。若くて可憐な女王の誕生に貴族たちも協力を惜しまないと思うし、当然僕も力を貸す。王国の秩序は守られ、これ以上なく栄えていく。完璧な未来だと思うけれど?」
アニエスはユーグと顔を見合わせ、どちらともなく苦笑いした。
「悪いけれど、わたくしにもその資格はないわ」
「どうして?」
「わたくしは……ユーグのために神殿へ向かったもの」
「そんなの、後からいくらでも言い訳できるよ。それに愛する人を助けようとしただなんて美談じゃないか」
「そうね……でも、やっぱりわたくしではなく、あなたの方が相応しいと思うわ」
「うーん。どうしてもだめ?」
「逆にどうしてそこまで拒むの?」
そりゃあ、と彼は肩を竦めた。
「面倒くさいからだよ。いろいろとね」
「まぁ」
ルドヴィクは実に権力志向の強い持ち主であったが、トリスタンはその逆らしい。
どうしたものかと思っていると、ユーグがまた控え目に尋ねてきた。
「トリスタン様。先ほど、謝罪してくれたということは、償いもなさってくれるということでしょうか」
「うん? まぁ、そうなるかな」
「では、私を還俗させて、アニエス様と結婚させてください」
「それは王配として?」
「いいえ。貴族の爵位を授けて、アニエス様を降嫁させてほしいのです」
降嫁するということは、王族の籍から外れることを意味する。
「女王の王配ではだめなの?」
「女王は、国民の幸せを願う地位にあるのでしょう? 彼らを愛し、同じくらいの愛を受け取る。私は、それは嫌なのです。アニエス様には、私だけを愛して、私だけの愛を受け取ってほしいのです」
アニエスへの熱烈な愛の告白にトリスタンは呆気にとられる。まさかあのユーグがこんなにも情熱的に愛の言葉を言えるなど思いもしなかったのだろう。彼はまた、隣で赤く頬を染めて羞恥に耐えうる従妹にも目を向けた。
「なんとなくそういうことだろうとはわかっていたけれど……本当に、あの神殿で何があったか、神樹の正体よりも気になってきたよ」
「それは残念ながらお教えできません」
「そっか……それは残念」
あっさりと引いたトリスタンは諦めがついた様子で肩を竦めた。
「わかったよ。今度は我が従妹殿が、きみの幸せのために捧げられるということだね」
トリスタンはアニエスの了承は得なかった。そんなことせずとも、彼女がユーグを望んでいることは十分理解したようだから。
「けれど僕もまさか自分に王位が巡ってくるとは思わなかったから、正直きちんとやっていけるかどうか自信がない。教会の上層部も軒並み廃人になってしまって、いろいろごたついていてそちらも気がかりだ。つまり、きみたちの結婚は許すけれど、その前に、いやその後も手を貸してもらう。それが条件だけれど、いい?」
二人はもちろんだと頷いた。
一緒になれるのならば、生きていくことが許されるのならば、何でもやるつもりだった。
神殿の外には父となぜかトリスタンまでいた。他にも王国軍が控えており、出てきた者たちを次々と捕えていく。
「一体どうして……」
「ユーグ様! アニエス様!」
言葉を遮ったのは目にいっぱいの涙を溜めた少年、マルセルであった。彼はルドヴィクを兵に引き渡していたユーグのそばまで駆け寄ると、しゃっくりを上げながら泣き始めた。
「彼が教えてくれたのだ。ルドヴィクと、教会がよからぬ企みをしているのではないかと」
父はそこまで言うと、マルセルと同じように涙目で娘を見つめた。
「おまえがいなくなってしまって、四方八方探し回った。どこかへ連れ去られたのではないかと思って気が気ではなかった……」
無事でよかったと父は自分を抱きしめて言った。身体を震わせて泣く父の姿にアニエスは罪悪感が押し寄せてくる。
「心配かけてごめんなさい、お父様。……トリスタンも」
そばで成行きを見守っていた従兄にばつが悪そうな顔で謝れば、肩を竦められる。
「まったくだよ。知らせを聞いた時は心臓が止まりそうなほど驚いたんだから。……けど、本当に無事でよかった」
トリスタンはちらりと、ぐすぐすと泣いているマルセルに何やら話しかけて慰めているユーグの方を見て言った。
「さっき、見間違いかもしれないけれど、神殿から上空へ向けて竜が飛び上がったように見えたんだ。水飛沫が上がったのが、そう見えただけかもしれないけれど……」
「見間違いなんかではないわ。本当に、いたのよ」
アニエスは空を見上げてそう呟いた。
久しぶりに外へ出て、太陽の眩しさと空の青さを思い出した気がする。あの竜も同じであろう。地下に封じ込められていた彼は、もう二度とこの土地へは戻って来ない。
「いろいろと、知らなくてはいけないことがありそうだね」
トリスタンの言葉に、アニエスは本当にと深く頷き返した。
◇
神殿は破壊され、神樹も根元を引き抜かれて、もともと兵たちが放った火矢によって燃焼していたのが、水を浴びたことで完全に消滅してしまった。ユーグの推測通り、地下の水は神樹にとって毒となる聖水だったのだ。
竜が去った大地はそのまま枯れ果てるのではないかと思われたが、意外にもその逆の結果となった。清らかな泉が滾々と湧きだし、周りを囲うように種々の樹々が育ち始めているのだ。
「神樹というのは一種の魔物のような存在になっていたのだと思います」
当事者であるユーグはそう見解を示した。
「最初はただの植物だったと思います。竜が出てこられないように上から押さえつけて、地中に根を張り巡らせて身体を拘束していた。ですが、ある時から意思を持つようになった」
それは竜の呪いかもしれないと彼は言った。
「初代ダルトワ王や、彼の子孫はみな自分の王位が奪われることをいつからか恐れるようになった。竜は言うなればその土地の神であったから。それを力で捻じ伏せ、成立したのが最初の王朝でした」
神話では人々は竜の支配に苦しんだとあるが、土地神として崇拝していた可能性もある。竜はおそらく、大地に水を呼び起こす存在でもあったのだろう。
その竜を地下深くへ封印したことで泉は枯れ、土地もやせ細っていった。元々そこで暮らしていた人間にとっては、国王は神殺しの英雄として映ったのではないか。
ユーグはそう自分の考えを述べた。
「もっと正統性のある人間が――力ではなく崇高な理想や言葉で人を導こうとする人間が、横から奪い取るかもしれない……事実その後、身内の争いから王権は他の一族の手に渡ってしまった」
世俗を捨て教会の人間になることで命まではどうにか奪われずに済んだ。だが胸中は決して穏やかとは言えなかったのだろう。自分が受け継ぐはずだった王位を他者に簒奪され、嫉妬で身を焼かれる思いだった。
「だから藁にも縋る思いで神樹のもとへ足を運んだのだと思います。以前とは比べものにならないほど大きく育った大樹は恐らく神の化身に見えたことでしょう。この身を捧げるからどうか我ら一族をもう一度王にしてくれ……そうして自らを幹に括りつけ、神樹の一部になることを望んだ」
狂気とも言える願いが通じたからか、その男は無事に神樹の一部となれた。だが王になれたかというと……それは歪んだ形で叶えられた。
「幹に括りつける手助けをしたのは教会の人間です。神殿の地下には初代の王たちが捧げた財貨がたくさんあり、彼らは自分たちだけのものにしようと企んだ。あの神樹を神と見立て、数年か数十年に一度、生贄を捧げる。養分をもらえた神樹はますます肥え太り、たくさんの人間たちの意思を――心臓をもらい、やがて大樹自身も一つの自我を芽生えさせていった」
神樹は養分を欲する。生贄とされる人間は王位が欲しい。教会の人間は宝を誰にも奪われない堅牢な宝物庫が欲しい。
三者の願いが絡み合い、歪みを生じさせながらも、今まで王国の大事な儀式として続けられてきた。
「ぐろいね」
すべての話を聞き終えたトリスタンが端的にそう感想を述べた。
アニエスも同じだった。
何も知らず、神子が神殿へ入ることは意味のあることだとして、自分たちは大事に大事にその伝統を守ってきたのだ。
それによって守られてきたのは何だったのか、犠牲となったのは誰だったのか、すべてを知った今、嫌悪感でいっぱいだった。
「陛下もすごくショックを受けているようだ」
長年隠されていた事実を知っただけではない。
自分の子どもたちがもう少しで犠牲になろうとしていたこと。ルドヴィクが本当のことを知っておきながら見過ごして、自分も罪に加担しようとしていたことが、何より父の心を傷つけたのだろう。
(可哀想なお父様……)
「しかし、起きてしまったことはどうにもできない。問題はこれからどうするかということだ。――ユーグ」
トリスタンは経緯を話してくれたユーグにお礼を述べ、改めて謝罪した。
「知らなかったとはいえ、きみたち一族にはとんでもない犠牲を強いてきた。今までの王家に代わって、謝罪しよう。すまなかった」
「……トリスタン様。我が一族は確かに命を捧げてきました。本来全く関係ない命も犠牲となった。その者たちについては深くお詫びしなければならないと思っておりますが……先ほど話したように、私たちにも欲があったのです。儀式をやめたいと思えば、どこかでやめることはできたのではないか……そう、思えてならないのです」
「しかしきみは……言葉は悪いが洗脳されていたのだろう? おそらく、先代の神子たちも同じだ。おかしいと思ってやめることは、難しかったと僕は思うよ」
トリスタンの意見にアニエスも同意した。
「わたくし、幼いあなたに残酷な未来を繰り返し言い聞かせてきた司教たちがとてつもなく許せないの」
「今回のことに関与していた聖職者はみな取り調べをして、相応の罰を与えるつもりだ。でも主犯格の司教たちはみなあの神殿へ向かった者たちばかりでね……」
彼らは神樹に捕えられ呑み込まれそうになったものの、命だけは無事であった。
「だけどみんなこう、どこかぼんやりとしていてね……あの神樹に生気を吸い取られてしまったのかな」
「私も幹に括りつけられている間は頭がおかしくなりかけましたから、一理あると思います」
「そうか……まぁ、今までの報いというやつかもしれないね。ああ、そうだ。神殿の地下にあったお宝は、回収できる分は回収して、すべて貧しい子どもたちや病人のために使うことが決まったから。ああいうのは貯めすぎちゃだめだね。やっぱり世の中のためにどんどん使っていかないと」
そこまで言ってトリスタンは疲れたようにため息をついた。
「トリスタン。大丈夫?」
「ああ、うん。急に帰国したと思ったらとんでもない秘密を知ってしまって、後処理を任されて、いや、それは別にいいんだけれど……」
彼は困ったようにアニエスを見た。
「アニエス。もしかしたら僕が次の国王になるかもしれないんだ」
「それは……そうね。あなたが適任でしょうね」
あまり驚いた様子を見せなかった従妹にトリスタンは苦笑いした。
「まさかきみが伯父上に打診したの?」
「いいえ。わたくしはまだ何も聞いていないわ……けれど、今回のことでお父様も、さすがにお兄様にはもう任せられないとお思いになったでしょうから……」
まだ即位前であるし、若気の至りと称して不問にすることもできるだろうが、父は許さないだろう。優しい一面もあるが、見逃せない厳しさを持ち合わせている。
他者を犠牲にしたことは、守るべき立場に即く者ならば決して許してはいけないのに、兄はむしろ迎合してしまった。
「まさかルドヴィクが自ら教会に近寄るなんてね……情けなくて怒りもあるんだけれど、幼い頃から兄弟みたいにして接してきたから、可哀想だという気持ちもあってね……」
それはアニエスも同じだった。馬鹿なことをしたとも思うが、同時にどこかでもっと悔い改めさせることができたのではないかと思ってならない。
「お兄様は……わたくしなら理解してくださるとおっしゃっていたわ」
「ルドヴィクは自分がきちんと王位を継げるか不安だったんだろうね。きみに八つ当たりしていたのも、自分の苦しみに気づいてほしかったんだろう」
(面倒なお兄様……)
そんなのわかるわけない。昔のようにはっきり言ってくれなければ……でも自分たちはいつからか本音をぶつけあうことを避けるようになっていた。だから心の距離ができてしまったのだろうか。
「僕も彼から距離を置いた方が周りから比べられずに済むと思って王都を離れていたんだけれど……孤独を深めてしまうだけになった」
兄のやったことは馬鹿だと思うが、それでも神樹に殺されてほしいとまでは思わなかった。
「最初に神樹に身を捧げた人間も、ルドヴィクのように苦しんでいたんだろうね」
「そうね……」
もしかすると教会に上手く言いくるめられて兄が生贄になっていた道もあったかもしれない。そう考えると、王になれないことはかえってよかったように思えた。
「トリスタンは大変かもしれないけれど……あなたなら立派な王になれると思うわ」
「きみが、女王になるという道もあるんだよ」
アニエスは目を丸くした。だってそうだろう? とトリスタンは悪戯っぽく微笑む。
「きみはルドヴィクの妹だ。兄が無理ならば、順番的にはきみが一番相応しい」
「そんな。でもわたくしは女で……」
「きみが女王になり、僕が王配になる道もある」
「お待ちください」
それまでずっと黙っていたユーグが横から口を挟んでくると、トリスタンはさらに笑みを深めた。
「なんだい」
「トリスタン様とアニエス様は従兄妹です」
「うん。そうだね」
「そうだね、とは……」
「兄妹なら禁忌とされているけれど、従兄妹だから。過去に似たような結婚はいくらでもあったよ?」
「それはそうですが……」
納得できない。不満だとユーグの顔ははっきりと告げていた。
「何なら、きみがこの国の王になるかい?」
「は?」
「トリスタン?」
ユーグだけではなく、アニエスも従兄の顔を凝視する。彼は何ら不思議ではないというように言った。
「きみは初代王朝の血筋でしょう? 正統性だけで言うならば、実に適任だ。アニエスと結婚すれば反発も少ないだろうし、国王が嫌ならば、王配でもいい。どちらにせよ、今までの奉仕活動とか、きみの美貌とかで、国民の支持はばっちり得られるだろう。若くて可憐な女王の誕生に貴族たちも協力を惜しまないと思うし、当然僕も力を貸す。王国の秩序は守られ、これ以上なく栄えていく。完璧な未来だと思うけれど?」
アニエスはユーグと顔を見合わせ、どちらともなく苦笑いした。
「悪いけれど、わたくしにもその資格はないわ」
「どうして?」
「わたくしは……ユーグのために神殿へ向かったもの」
「そんなの、後からいくらでも言い訳できるよ。それに愛する人を助けようとしただなんて美談じゃないか」
「そうね……でも、やっぱりわたくしではなく、あなたの方が相応しいと思うわ」
「うーん。どうしてもだめ?」
「逆にどうしてそこまで拒むの?」
そりゃあ、と彼は肩を竦めた。
「面倒くさいからだよ。いろいろとね」
「まぁ」
ルドヴィクは実に権力志向の強い持ち主であったが、トリスタンはその逆らしい。
どうしたものかと思っていると、ユーグがまた控え目に尋ねてきた。
「トリスタン様。先ほど、謝罪してくれたということは、償いもなさってくれるということでしょうか」
「うん? まぁ、そうなるかな」
「では、私を還俗させて、アニエス様と結婚させてください」
「それは王配として?」
「いいえ。貴族の爵位を授けて、アニエス様を降嫁させてほしいのです」
降嫁するということは、王族の籍から外れることを意味する。
「女王の王配ではだめなの?」
「女王は、国民の幸せを願う地位にあるのでしょう? 彼らを愛し、同じくらいの愛を受け取る。私は、それは嫌なのです。アニエス様には、私だけを愛して、私だけの愛を受け取ってほしいのです」
アニエスへの熱烈な愛の告白にトリスタンは呆気にとられる。まさかあのユーグがこんなにも情熱的に愛の言葉を言えるなど思いもしなかったのだろう。彼はまた、隣で赤く頬を染めて羞恥に耐えうる従妹にも目を向けた。
「なんとなくそういうことだろうとはわかっていたけれど……本当に、あの神殿で何があったか、神樹の正体よりも気になってきたよ」
「それは残念ながらお教えできません」
「そっか……それは残念」
あっさりと引いたトリスタンは諦めがついた様子で肩を竦めた。
「わかったよ。今度は我が従妹殿が、きみの幸せのために捧げられるということだね」
トリスタンはアニエスの了承は得なかった。そんなことせずとも、彼女がユーグを望んでいることは十分理解したようだから。
「けれど僕もまさか自分に王位が巡ってくるとは思わなかったから、正直きちんとやっていけるかどうか自信がない。教会の上層部も軒並み廃人になってしまって、いろいろごたついていてそちらも気がかりだ。つまり、きみたちの結婚は許すけれど、その前に、いやその後も手を貸してもらう。それが条件だけれど、いい?」
二人はもちろんだと頷いた。
一緒になれるのならば、生きていくことが許されるのならば、何でもやるつもりだった。
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彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
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