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泉と宝物庫
しおりを挟む(ん……)
さわさわと頬を撫でられる感触にくすぐったくなり、アニエスはゆっくりと目を開けた。
(ここは……)
花びらがひらひらと散っては、地面に降り積もっている。昨夜はわからなかったが、白や薄桃色のもあって、でも血のように赤い花弁が一番多くて……。そんなことをぼんやりと考えていたアニエスはハッと身を起こした。
(そうだ、わたくし!)
ユーグを助けるために森の奥深くにある神殿へと飛び込んだのだった。そこで気持ち悪い植物に足首を捕えられて……いろいろあって、ユーグが無事だと知って、気が抜けたように疲れて眠ってしまっていたらしい。
(ユーグは……)
立ち上がろうとして顔を顰める。昨夜全力疾走したことも、転んで痛めつけられたことも、猫のように丸まって寝ていたことも、すべて身体に返ってきており、あちこち痛くて重い。
だがそんなことは些細な問題だと彼女はユーグのそばへ駆け寄った。
「ユーグ」
彼の目は閉じられたままだった。彼女は昨日と同じように心臓へ耳を押し当て、彼が生きていることを確かめた。
「これ、どうやったら解けるかしら……」
彼の胴体に巻きついている枝も神樹の一部だろう。小さな棘のある蔓も複雑に絡み合っており、手でどうにかできるとは思えなかった。
「何か鋏とか、そういうのないかしら……」
短剣でも持ってくればよかった。着の身着のままで神殿に来てしまったことを今更ながら無謀であったと後悔する。
(お父様たち、今頃心配しているわよね)
それともまだ寝ている時間帯だろうか。
アニエスは樹の根元から下りて上を見上げてみた。一面覆い尽くすほどの花が咲いており、よく見えないが天井付近からわずかばかり陽光が差し込んでいる。
(こんなに大きな樹が生えているというのに太陽の光はほんの少ししか当たらない……)
陽光が栄養ではないのかもしれない、と考えた所でゾッとした。
恐らく、いや、この神樹の養分は生贄とされる人間なのだ。
確証はないが、恐らくそうだろう。アニエスはそこまで結論を出して、打ち切った。これ以上詳しいことを知るのはあまりにも恐ろしく、今はまだ受け入れられる冷静さがなかった。
(とにかく、どうにかしてユーグの拘束を解こう)
あまりにも先のことを考え続けると何もできなくなってしまうので、アニエスは自分にもできそうな、身近な問題から考えていくことにした。
(それにしても、王女であるわたくしがこんな所で夜を明かすなんて……)
自分の人生において野宿をする機会があるなど思ってもみなかった。手紙でトリスタンが遺跡調査のために外で寝泊まりしたことを知らされた時もあり得ないと思ったものだが、まさか自分がその立場になるとは……本当に人生とは何が起きるかわからない。
ともかく何か切るものを探そうとあたりをきょろきょろ見渡す。神樹が生えている空間は劇場や王宮の大広間を思わせた。
吹き抜けがあり、丸く円を描いている。その広さについぼおっと眺めてしまうが、視界の隅にぽっかりと空いた穴を見つけると我に返り、走り寄った。彼女が入ってきた二階とは反対の方向、一階に位置していた。
(この穴。どこに通じているのかしら……)
薄暗い通路の先はどこか異界へと繋がる道に見え、何かの罠のようにも思えた。
しかしじっとしていても埒が明かないだろうと、勇気を出して進みだす。考えてみれば、神殿は人の手で建造されたものだ。もしもの時に、出入り口くらい作っておくはずだ。そう前向きに考え進んでいくと、明るい光が先に見え、アニエスの心も救われる思いがした。
出口の先には、斜めから切り落としたように高い位置の天井が崩れ、光が燦々と降り注いで水面をきらきらと輝かせている光景が広がっていた。中庭として設計されたのだろうか。神樹のある場所とは雰囲気があまりにも違っていた。
「こんなところに泉が湧いているなんて……」
地下に水が流れているのだろうか。
(飲んでも、大丈夫かしら……)
そっと近寄って水面を覗き込むと、驚くほど透き通っており、自分の顔を鏡のように映し出した。アニエスはごくりと唾を飲み込む。急に喉の乾いていることを意識した。我慢できずに両手で掬い、一口口にしてしまう。
(美味しい……)
冷たくて、生き返る心地だった。
(ユーグにも、飲ませてあげたい……)
玉のような汗をかいて魘されていた姿を思い出し、アニエスは器になるようなものがないか探した。
しかしそういったものは見当たらず、一度ユーグのいる場所まで戻ろうかと思って立ち上がると、自分が来た入り口とは別の出入り口があることに気がついた。
導かれるまま通っていくと、何もない場所に突き当たる。別に部屋のようにも見えなかった。意味もなく、ただ繋ぎとして作った通路なのか。
(なにかありそう)
アニエスは直感的に、壁に身体をぴたっとくっつけて押すように歩いてみる。すると一か所、手応えを感じた。えいっ、と今度は強めに押してみると、壁は奥へと進んでいく。
人一人入ることのできる隙間に身を滑り込ませると、足元には地下へと続く階段があった。怖くもあったが、先ほど陽の光を見て、命の水で喉を潤したおかげか、好奇心の方が勝り、アニエスは急な階段をゆっくりと降りていく。そして度肝を抜かれた。
地下には黄金財貨が山のように積まれていたのだ。
「こんなにたくさん……」
見ると金貨や銀貨の他に宝石や大剣短剣、金の器、金の王冠、金の糸で紡がれたマントなども見受けられた。
「すごい……」
ここは恐らく宝物庫なのだろう。国中の宝をこの神殿に持ち運んだのかもしれない。
「これだけのお金があれば、貧困者たちのために思う存分使えるわ……でも、お父様たちはこのことを知っているのかしら」
それとも奉納のような物なのだろうか。
ともかくアニエスはこれで水を汲もうとちょうどいい器を探し出し、蔓や枝を切る鋏や短剣も見つけて宝物庫を後にした。罰当たりな気もしたが、ユーグを助けるためには気にしていられなかった。
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