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天使との出会い
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ユーグと初めて会った時、アニエスはまるで人形みたいだと思った。
「姫様! 姫様どこですか!」
アニエスは教会で大司教が話す神の教えとやらを聞くのが嫌で、侍女の目を盗み、こっそりと逃げ出している最中であった。別に一時間程度したら戻るつもりだった。とにかく教会に行くのが嫌だったのだ。
(とりあえず、どこかに……)
王都に建てられた大聖堂はやけに豪勢な造りで、他にもたくさんの細々とした建物が司教や信徒たちが暮らす区画内にはあった。下手したら父や自分たちが暮らす王宮よりも立派で、広いかもしれない。
(もう! なんでこんな入り組んでいるのよ!)
当時十歳だったアニエスは軽く道に迷っていたのだが、決してそんなことはないと歩き続け、やがて侍女の声が近くで聴こえたので、これはまずいと長い廊下を抜け、庭のような所に出た。
手入れされた芝生を踏みながら、アニエスはやみくもに走った。そしてふと立ち止まった先に、彼がいた。
真っ直ぐと伸びた背筋。薔薇を見る横顔。長い睫毛に縁どられた、少し伏せられた目。ちょうどお昼時で、真上から降り注ぐ陽光によって白銀の髪には光輪ができていた。おまけに真っ白な服装に身を包んでいたから、アニエスは天使が舞い降りたのだと思った。
言葉も出ず固まっていると、その天使がこちらを振り向いた。美しい金色の瞳が、真っ直ぐと自分だけを映す瞬間。アニエスは心臓を強く掴まれた気がした。痺れたようにその場を動けなかった。――だがそんな自分が嫌で、お腹に力を込めて天使に話しかけた。
「あなた、誰。ここで何をしているの」
それは詰問するような鋭い口調であった。少年の目が瞬きを繰り返し、ほんの少し首を傾げる。まるで下賤な人間の言葉など聴こえないというように……。
アニエスはなんだか腹が立って、つかつかと少年に歩み寄って、高らかに言い放った。
「わたくしはアニエスよ。この国の第三王女、アニエス・ルネ・ラトゥアール」
自分がいかに高貴な身分であるかを示し、アニエスは今度はおまえの番だと促した。
「私の名前はユーグと申します」
天使の声は声変わり前の高く澄んだ少年の声で、どこか大人びた口調であった。むしろ淡々としすぎて、アニエスはどこか不気味に感じた。しかし自分の弱さを相手には知られるのは嫌だったので、「そう」とあくまでもそっけなく答えた。
「それで、一体どこの家の者かしら」
少年は目を瞬いた。
「家……」
「そうよ。公爵? 伯爵? それとも男爵の息子?」
「……」
「なぁに。もしかして貴族ですらないの」
たかが平民が教会の区画をうろついていたのか。もしや信徒の家族なのか。アニエスと同じように大司教の教えを聞くのが嫌になって……。
「あなたも、道に迷ったのかしら」
「私は――」
「いえ、別にわたくしは迷ったわけじゃないわ。ただ少し、面倒なことから逃げたくて、気分転換に散歩していただけなの」
少年はぺらぺら一人で捲し立てるアニエスを不思議そうに見ており、彼女は我に返り、居心地悪く目を逸らしてコホンと咳払いした。
「まぁ、わたくしのことはいいわ。それより問題はあなたよ。迷っているのならば、わたくしが目的の場所まで一緒に連れて行ってもよくてよ?」
「ですが私は……」
遠慮しようとする少年に、幼いアニエスはいいからと無理矢理手を握った。いきなり掴まれて少年は驚くかと思ったが、されるがままだった。そういうところもまるで人形みたいだとアニエスが思っていると――
「猊下! 猊下!」
何やら騒がしい声が聴こえてくる。黒や赤紫のカソック姿をした男性たちがアニエスたちの姿を見ると、ぎょっとした様子であった。
「猊下!」
(猊下?)
アニエスは殿下、あるいは姫様と呼ばれる。猊下など、一度も言われたことがない。一体何を勘違いしているのか。
「ちょっと、あなたたち。わたくしは――」
「ああ、こちらにいらしたのですね!」
しかし彼らはアニエスのことなど目に入らない様子で、むしろ邪魔な存在だとばかりにユーグから引き剥がし、端へと追いやると、あとはもうユーグのことばかり構い始めた。
「本当に、あちこち探しましたぞ」
「一体何をしておられたのですか」
「突然お部屋からいなくなったとお聞きして、心配しました」
矢継ぎ早に話しかける大人たちに、ユーグはただぼんやりとした様子で聞いていた。アニエスはなんだか彼らがユーグを虐めているようにも見え、また王女である自分の存在をぞんざいに扱ったことが許せず、「ちょっと」と冷え冷えとした声で咎めた。それに面倒くさそうに男たちは振り返る。
「なんだ。子ども。我々は今大事なお方と話をしているのだ。そもそも猊下がこんなところにいたのは貴様が――」
追い払おうとした男の一人がそこではたと何かに気づいたように言葉を途切れさせた。
「お、王女殿下……!」
「そうよ。貴様、と言われたわたくしはこの国の王女よ」
「こ、これは大変失礼いたしました!」
先ほどとは打って変わって恐縮した様子でぺこぺこ頭を下げてくる大人たちにアニエスは内心呆れてしまう。
「もういいわ。それより、その子は誰なの」
「は。この子は我らにとって神にも等しい存在で……」
「ふざけているの?」
僅かな苛立ちを込めて問い返せば、とんでもないというように彼らは首を振った。
「ユーグ様は我々にとって、とても尊いお方なのです」
「なにせダルトワ王国を築いた国王の血を引いておられるのですから」
「ものすごく高貴なお方なのです」
「ふぅん……それってわたくしのお父様より?」
アニエスのスッと細められた眼差しに、えっ、と彼らは虚をつかれる。
「だってあなたたち、先ほどその子のことを猊下、なんて言っていたでしょう? 王女であるわたくしよりもずいぶんと気にかけて……国王であるお父様と一体どちらが偉いか気になってしまったの」
「そ、それは……」
「それは?」
まだほんの少女にすぎぬアニエスに射竦められ、挙動不審になる司教たち。
「それは……もちろん王女殿下の父君であらせられる国王陛下でございます」
アニエスはにっこり微笑んだ。
「それはそうよね。当たり前のことを聞いてしまってごめんなさい」
「い、いえ……」
「もしあなたたちがそんな子どもをお父様よりも偉いだなんて言ったら、わたくしはこのことをお父様たちに報告しなくてはならないもの」
「そ、そんなっ!」
「だからあなたたちがそうではないと言ってくれて、きちんと自分たちの立場を理解しているようで安心したわ」
アニエスは胸に手を当て、実にわざとらしい態度でほっと安堵のため息をついてみせた。そしてどうにか誤魔化すことができたというように目配せし合っている彼らにこう付け加えた。
「その子が初代ダルトワ王とどういう関係かは知らないけれど、今この国を治めているのはお父様よ。そのことを、決して忘れないことね」
子どもとは思えぬほど刺々しく、冷えた眼差しに彼らはごくりと息を呑んだ。
「姫様! 姫様!」
遠くから侍女の声が聴こえ、アニエスはふんと肩にかかった髪を払いのけ立ち去ることにした。背後から「魔女だ……」「亡き王妃の蘇りだ……」などと聴こえてくる。ピタッと立ち止まり振り向くと、「ひいっ……」と大げさなほど震え上がったので微妙にイラッとしてしまう。
嫌味でも言ってやろうかと思ったがアニエスはやめた。ただ少年の顔を今一度見ておこうと気紛れに思ったのだ。
そして動くものに自然と目が引かれたというように、少年もアニエスを見ていた。
(人形みたい)
睨むようにしばし見つめると、ふいと今度こそ立ち去った。
「姫様! 姫様どこですか!」
アニエスは教会で大司教が話す神の教えとやらを聞くのが嫌で、侍女の目を盗み、こっそりと逃げ出している最中であった。別に一時間程度したら戻るつもりだった。とにかく教会に行くのが嫌だったのだ。
(とりあえず、どこかに……)
王都に建てられた大聖堂はやけに豪勢な造りで、他にもたくさんの細々とした建物が司教や信徒たちが暮らす区画内にはあった。下手したら父や自分たちが暮らす王宮よりも立派で、広いかもしれない。
(もう! なんでこんな入り組んでいるのよ!)
当時十歳だったアニエスは軽く道に迷っていたのだが、決してそんなことはないと歩き続け、やがて侍女の声が近くで聴こえたので、これはまずいと長い廊下を抜け、庭のような所に出た。
手入れされた芝生を踏みながら、アニエスはやみくもに走った。そしてふと立ち止まった先に、彼がいた。
真っ直ぐと伸びた背筋。薔薇を見る横顔。長い睫毛に縁どられた、少し伏せられた目。ちょうどお昼時で、真上から降り注ぐ陽光によって白銀の髪には光輪ができていた。おまけに真っ白な服装に身を包んでいたから、アニエスは天使が舞い降りたのだと思った。
言葉も出ず固まっていると、その天使がこちらを振り向いた。美しい金色の瞳が、真っ直ぐと自分だけを映す瞬間。アニエスは心臓を強く掴まれた気がした。痺れたようにその場を動けなかった。――だがそんな自分が嫌で、お腹に力を込めて天使に話しかけた。
「あなた、誰。ここで何をしているの」
それは詰問するような鋭い口調であった。少年の目が瞬きを繰り返し、ほんの少し首を傾げる。まるで下賤な人間の言葉など聴こえないというように……。
アニエスはなんだか腹が立って、つかつかと少年に歩み寄って、高らかに言い放った。
「わたくしはアニエスよ。この国の第三王女、アニエス・ルネ・ラトゥアール」
自分がいかに高貴な身分であるかを示し、アニエスは今度はおまえの番だと促した。
「私の名前はユーグと申します」
天使の声は声変わり前の高く澄んだ少年の声で、どこか大人びた口調であった。むしろ淡々としすぎて、アニエスはどこか不気味に感じた。しかし自分の弱さを相手には知られるのは嫌だったので、「そう」とあくまでもそっけなく答えた。
「それで、一体どこの家の者かしら」
少年は目を瞬いた。
「家……」
「そうよ。公爵? 伯爵? それとも男爵の息子?」
「……」
「なぁに。もしかして貴族ですらないの」
たかが平民が教会の区画をうろついていたのか。もしや信徒の家族なのか。アニエスと同じように大司教の教えを聞くのが嫌になって……。
「あなたも、道に迷ったのかしら」
「私は――」
「いえ、別にわたくしは迷ったわけじゃないわ。ただ少し、面倒なことから逃げたくて、気分転換に散歩していただけなの」
少年はぺらぺら一人で捲し立てるアニエスを不思議そうに見ており、彼女は我に返り、居心地悪く目を逸らしてコホンと咳払いした。
「まぁ、わたくしのことはいいわ。それより問題はあなたよ。迷っているのならば、わたくしが目的の場所まで一緒に連れて行ってもよくてよ?」
「ですが私は……」
遠慮しようとする少年に、幼いアニエスはいいからと無理矢理手を握った。いきなり掴まれて少年は驚くかと思ったが、されるがままだった。そういうところもまるで人形みたいだとアニエスが思っていると――
「猊下! 猊下!」
何やら騒がしい声が聴こえてくる。黒や赤紫のカソック姿をした男性たちがアニエスたちの姿を見ると、ぎょっとした様子であった。
「猊下!」
(猊下?)
アニエスは殿下、あるいは姫様と呼ばれる。猊下など、一度も言われたことがない。一体何を勘違いしているのか。
「ちょっと、あなたたち。わたくしは――」
「ああ、こちらにいらしたのですね!」
しかし彼らはアニエスのことなど目に入らない様子で、むしろ邪魔な存在だとばかりにユーグから引き剥がし、端へと追いやると、あとはもうユーグのことばかり構い始めた。
「本当に、あちこち探しましたぞ」
「一体何をしておられたのですか」
「突然お部屋からいなくなったとお聞きして、心配しました」
矢継ぎ早に話しかける大人たちに、ユーグはただぼんやりとした様子で聞いていた。アニエスはなんだか彼らがユーグを虐めているようにも見え、また王女である自分の存在をぞんざいに扱ったことが許せず、「ちょっと」と冷え冷えとした声で咎めた。それに面倒くさそうに男たちは振り返る。
「なんだ。子ども。我々は今大事なお方と話をしているのだ。そもそも猊下がこんなところにいたのは貴様が――」
追い払おうとした男の一人がそこではたと何かに気づいたように言葉を途切れさせた。
「お、王女殿下……!」
「そうよ。貴様、と言われたわたくしはこの国の王女よ」
「こ、これは大変失礼いたしました!」
先ほどとは打って変わって恐縮した様子でぺこぺこ頭を下げてくる大人たちにアニエスは内心呆れてしまう。
「もういいわ。それより、その子は誰なの」
「は。この子は我らにとって神にも等しい存在で……」
「ふざけているの?」
僅かな苛立ちを込めて問い返せば、とんでもないというように彼らは首を振った。
「ユーグ様は我々にとって、とても尊いお方なのです」
「なにせダルトワ王国を築いた国王の血を引いておられるのですから」
「ものすごく高貴なお方なのです」
「ふぅん……それってわたくしのお父様より?」
アニエスのスッと細められた眼差しに、えっ、と彼らは虚をつかれる。
「だってあなたたち、先ほどその子のことを猊下、なんて言っていたでしょう? 王女であるわたくしよりもずいぶんと気にかけて……国王であるお父様と一体どちらが偉いか気になってしまったの」
「そ、それは……」
「それは?」
まだほんの少女にすぎぬアニエスに射竦められ、挙動不審になる司教たち。
「それは……もちろん王女殿下の父君であらせられる国王陛下でございます」
アニエスはにっこり微笑んだ。
「それはそうよね。当たり前のことを聞いてしまってごめんなさい」
「い、いえ……」
「もしあなたたちがそんな子どもをお父様よりも偉いだなんて言ったら、わたくしはこのことをお父様たちに報告しなくてはならないもの」
「そ、そんなっ!」
「だからあなたたちがそうではないと言ってくれて、きちんと自分たちの立場を理解しているようで安心したわ」
アニエスは胸に手を当て、実にわざとらしい態度でほっと安堵のため息をついてみせた。そしてどうにか誤魔化すことができたというように目配せし合っている彼らにこう付け加えた。
「その子が初代ダルトワ王とどういう関係かは知らないけれど、今この国を治めているのはお父様よ。そのことを、決して忘れないことね」
子どもとは思えぬほど刺々しく、冷えた眼差しに彼らはごくりと息を呑んだ。
「姫様! 姫様!」
遠くから侍女の声が聴こえ、アニエスはふんと肩にかかった髪を払いのけ立ち去ることにした。背後から「魔女だ……」「亡き王妃の蘇りだ……」などと聴こえてくる。ピタッと立ち止まり振り向くと、「ひいっ……」と大げさなほど震え上がったので微妙にイラッとしてしまう。
嫌味でも言ってやろうかと思ったがアニエスはやめた。ただ少年の顔を今一度見ておこうと気紛れに思ったのだ。
そして動くものに自然と目が引かれたというように、少年もアニエスを見ていた。
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