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気に食わない男
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「あら。ユーグ様。今日もずいぶんと見目麗しいことですわね」
波打つ金色の髪を背中に優雅に垂らし、毒々しい色合いの扇子で口元を隠しながら、ダルトワ王国の王女アニエスは目の前から歩いてくる青年に声をかけた。
言葉は褒めているのにどこか厭味ったらしく聞こえるのは、アニエスの放つ刺々しい雰囲気のせいか、あるいは翡翠色をした少し釣り目がちの大きな瞳がスッと細められているからか。
いずれにせよ、後ろに控えて居る侍女たちはみな顔を見合わせて、困ったように小さく肩を竦めた。それは青年の後ろについてきた男性たちも同じだった。いや、彼らの方は王女に対して敵意を抱くような、強い苛立ちを込めた目でアニエスのことを見ていた。まるでおまえごときが我が主に話しかけるなというように。
しかしアニエスはそうした外野の感情など一切気にせず、また青年の方も、朗らかな笑みを浮かべてこう述べた。
「いいえ、王女殿下。私よりも、貴女の方がずっとお美しい。貴女に比べれば、私など霞んでしまうでしょう」
その言葉にアニエスは頬を引き攣らせるよりも、真顔になってしまった。
(この男、本気で言っているのかしら)
たしかにアニエスは、自分の顔が客観的に見ても悪くないと思っている。白くきめ細かな肌も、折れ曲がったりせずきちんと筋の通った鼻の形も、赤く色づいた蠱惑的な唇も、少し釣り目がちだが、長い睫毛に覆われている大きな目も、それぞれ品よく卵型の顔に収まっている。勝気な美少女、といって間違いないだろう。
(でもこの男の前では全部霞んでしまうわ)
透き通るような白金の髪は癖がなく、後ろで一つに結んで歩く度にさらさらと揺れる。アニエスは癖っ毛なので、毎回見るたびに何やら嫉妬心に似た気持ちが湧く。
髪質だけではない。顔のつくりもまた憎らしいほど完璧なのだ。吹き出物など一つも見当たらないきれいな肌に、眉は細すぎず太すぎず、睫毛は長く、絶えず静謐さを感じる金色の瞳に、薄く微笑みを浮かべている唇など……本当に神が作りたもうたと言われても信じるくらい、美しい青年と言えた。
そんな相手からあなたの方が綺麗ですよと言われても、嫌味にしか聞こえない。
「ふん。本心ではどう思っていることだか」
「王女殿下! 貴女は猊下のお心をお疑いになられるというのですか!」
後ろにいた取り巻きの一人――まだ少年とも言える司教見習いの人間が吠えるように突っかかってきた。
「あら、別にそんなんじゃないわ。ただ、猊下ほどお美しい方に言われると、薄っぺらい言葉に聴こえてしまうの」
おまえの言葉には説得力ないのだ、というアニエスの言い分はあくまでも容姿に関してのみであったが、彼らはそうは思わなかったようだ。
「たかが王女の身分に過ぎぬくせに! 貴女などついこの間も隣国の王子に――」
「やめなさい、マルセル」
マルセルと言われた少年はショックを受けたように怯む。
「っ、しかし猊下!」
「それ以上の言葉は私が許しません」
「っ……」
決して強い口調で窘めたわけでもないが、ユーグの静かな眼差しにマルセルはあっという間に制されてしまった。ユーグは諭すように言葉を紡いだ。
「相手の品位を下げるような言葉は、自分自身にも跳ね返ってくるのです。私はあなたに、そのような言葉を使ってほしくありません」
「はい……以後気をつけます……」
ユーグはアニエスの方に向き直ると、流れるような仕草で頭を下げた。
「殿下。どうぞこの者の無礼な言動をお許しください」
「ここでわたくしが許さないと言ったらあなたはどうするの?」
ユーグは顔だけ上げ、微笑を浮かべた。その笑みにアニエスはどきりとする。だがちらりと後ろを振り返り、ぽおっと見惚れている侍女たちの顔にスッと心が冷えた。
「殿下はお優しい方です。ですから私がどうする必要もありません」
そしてユーグの言葉が止めとなり、アニエスは興醒めした心地で「そう」と答えた。
「ええ、あなたの言う通りよ。わたくしは寛大だから、子どもらしく我慢できなかった言葉一つで罰することなどいたしません」
そんなことしても無駄だもの、と棘を含ませて言ってもユーグの穏やかな表情は変わらなかった。後ろにいるマルセルは眉をぴくぴく吊り上げていたけれど。
「寛大なお心に深く感謝いたします」
「……ふん。もういいわ」
アニエスは無駄な時間を使ってしまったとユーグの隣を通り過ぎた。だがマルセルたちのそばを通る際に「ああ、そうだわ」というように足を止め、内緒話するようにこう言った。
「おまえたちは自分の主を国王陛下よりも上の存在だと思っているようだけれど、それは大きな間違いよ」
ユーグは王族に――アニエスに従属する立場なのだ。
「勘違いしないことね」
王女の見下すような物言いに、マルセルたちは殺気立った雰囲気を纏う。侍女たちは怯えたが、アニエスは愉快だった。しかしユーグだけは何も変わらない様子だったので、そんな彼にやはり腹が立つのだった。
波打つ金色の髪を背中に優雅に垂らし、毒々しい色合いの扇子で口元を隠しながら、ダルトワ王国の王女アニエスは目の前から歩いてくる青年に声をかけた。
言葉は褒めているのにどこか厭味ったらしく聞こえるのは、アニエスの放つ刺々しい雰囲気のせいか、あるいは翡翠色をした少し釣り目がちの大きな瞳がスッと細められているからか。
いずれにせよ、後ろに控えて居る侍女たちはみな顔を見合わせて、困ったように小さく肩を竦めた。それは青年の後ろについてきた男性たちも同じだった。いや、彼らの方は王女に対して敵意を抱くような、強い苛立ちを込めた目でアニエスのことを見ていた。まるでおまえごときが我が主に話しかけるなというように。
しかしアニエスはそうした外野の感情など一切気にせず、また青年の方も、朗らかな笑みを浮かべてこう述べた。
「いいえ、王女殿下。私よりも、貴女の方がずっとお美しい。貴女に比べれば、私など霞んでしまうでしょう」
その言葉にアニエスは頬を引き攣らせるよりも、真顔になってしまった。
(この男、本気で言っているのかしら)
たしかにアニエスは、自分の顔が客観的に見ても悪くないと思っている。白くきめ細かな肌も、折れ曲がったりせずきちんと筋の通った鼻の形も、赤く色づいた蠱惑的な唇も、少し釣り目がちだが、長い睫毛に覆われている大きな目も、それぞれ品よく卵型の顔に収まっている。勝気な美少女、といって間違いないだろう。
(でもこの男の前では全部霞んでしまうわ)
透き通るような白金の髪は癖がなく、後ろで一つに結んで歩く度にさらさらと揺れる。アニエスは癖っ毛なので、毎回見るたびに何やら嫉妬心に似た気持ちが湧く。
髪質だけではない。顔のつくりもまた憎らしいほど完璧なのだ。吹き出物など一つも見当たらないきれいな肌に、眉は細すぎず太すぎず、睫毛は長く、絶えず静謐さを感じる金色の瞳に、薄く微笑みを浮かべている唇など……本当に神が作りたもうたと言われても信じるくらい、美しい青年と言えた。
そんな相手からあなたの方が綺麗ですよと言われても、嫌味にしか聞こえない。
「ふん。本心ではどう思っていることだか」
「王女殿下! 貴女は猊下のお心をお疑いになられるというのですか!」
後ろにいた取り巻きの一人――まだ少年とも言える司教見習いの人間が吠えるように突っかかってきた。
「あら、別にそんなんじゃないわ。ただ、猊下ほどお美しい方に言われると、薄っぺらい言葉に聴こえてしまうの」
おまえの言葉には説得力ないのだ、というアニエスの言い分はあくまでも容姿に関してのみであったが、彼らはそうは思わなかったようだ。
「たかが王女の身分に過ぎぬくせに! 貴女などついこの間も隣国の王子に――」
「やめなさい、マルセル」
マルセルと言われた少年はショックを受けたように怯む。
「っ、しかし猊下!」
「それ以上の言葉は私が許しません」
「っ……」
決して強い口調で窘めたわけでもないが、ユーグの静かな眼差しにマルセルはあっという間に制されてしまった。ユーグは諭すように言葉を紡いだ。
「相手の品位を下げるような言葉は、自分自身にも跳ね返ってくるのです。私はあなたに、そのような言葉を使ってほしくありません」
「はい……以後気をつけます……」
ユーグはアニエスの方に向き直ると、流れるような仕草で頭を下げた。
「殿下。どうぞこの者の無礼な言動をお許しください」
「ここでわたくしが許さないと言ったらあなたはどうするの?」
ユーグは顔だけ上げ、微笑を浮かべた。その笑みにアニエスはどきりとする。だがちらりと後ろを振り返り、ぽおっと見惚れている侍女たちの顔にスッと心が冷えた。
「殿下はお優しい方です。ですから私がどうする必要もありません」
そしてユーグの言葉が止めとなり、アニエスは興醒めした心地で「そう」と答えた。
「ええ、あなたの言う通りよ。わたくしは寛大だから、子どもらしく我慢できなかった言葉一つで罰することなどいたしません」
そんなことしても無駄だもの、と棘を含ませて言ってもユーグの穏やかな表情は変わらなかった。後ろにいるマルセルは眉をぴくぴく吊り上げていたけれど。
「寛大なお心に深く感謝いたします」
「……ふん。もういいわ」
アニエスは無駄な時間を使ってしまったとユーグの隣を通り過ぎた。だがマルセルたちのそばを通る際に「ああ、そうだわ」というように足を止め、内緒話するようにこう言った。
「おまえたちは自分の主を国王陛下よりも上の存在だと思っているようだけれど、それは大きな間違いよ」
ユーグは王族に――アニエスに従属する立場なのだ。
「勘違いしないことね」
王女の見下すような物言いに、マルセルたちは殺気立った雰囲気を纏う。侍女たちは怯えたが、アニエスは愉快だった。しかしユーグだけは何も変わらない様子だったので、そんな彼にやはり腹が立つのだった。
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