73 / 74
72.手に入れた幸せ
しおりを挟む
今回は前回よりもずっと早く帰国することができたが、リアンにはやはり前回同様――いや、あの時よりももっと長い時を感じた。早く会いたいと思う人がいたからだと思う。自分の帰りを待ってくれている人がいるから。
ジョナスと国王に手短に挨拶を済ませると、彼はジョナスに呼び止められるより早く謁見の間を退出し、とある部屋へ足を運んだ。そこに目当ての人物がいないと知ると、あちこち探し回る。きっと中庭だろうと侍女に聞くと、走るように向かった。
(――ああ、いた)
彼女はしゃがんで、花を摘んでいた。おそらく孤児院の子に花の冠を作って欲しいとねだられたのだ。かつて彼女が暮らしていた故郷の子どもたちを思い出して、ついつい甘やかしてしまうと困った顔で零していた。
「ナタリー」
もう人目を憚ることなく、愛しい人の名を呼べる。振り返って目を見開く様。呟いた名前は己のもの。考えるより先に立ち上がったせいか、摘んでいた花が指から零れ落ち、それが風に巻き上げられて、彼女の柔らかな髪と一緒にくすぐる光景。まるで絵画のとある一場面のようだとリアンは思った。
「ただいま、ナタリー」
駆け寄ってくる彼女をリアンは腕を広げて抱きとめた。首に回された腕の力は彼女にしては強く、しがみついて離れまいという意思が感じられた。リアンもそれに応えるよう彼女の身体を抱きしめ返す。
「お帰りなさい、リアン」
「うん。ただいま」
胸に広がる温かい気持ち。幸福をリアンは噛みしめた。
「――大丈夫だった?」
王宮の中庭には噴水もあり、ふちに二人で腰かけると、ナタリーはそっと伺うようにたずねてきた。
「ああ。何とかわかって下さった。……心配させてごめんな」
そばにいると誓ったばかりなのに、リアンはさっそくナタリーを置き去りしてしまった。むろん一緒に連れていくなどは危険すぎるので待っていてもらうしか他になかったのだが、それでも離れている間は心細かったと思う。
「ううん。いいの。無事に帰ってきてくれて、よかった」
はにかむナタリーの姿に、リアンはそっと腰を引き寄せて頬に口づけた。彼女はくすぐったそうに身をよじり、周りの目があるからと頬を赤く染めた。
「誰もいないよ。ここはきみがよく来る所だからって、護衛も気を遣って遠巻きにしかいないだろうし、俺が帰ってきたから今日はもう仕事から外れているさ」
「そういえば、ずいぶんと早かったね」
知らせでは数日後の予定であったから、彼女が驚くのも無理はない。
「国境を越えた辺りから、待てずに馬を飛ばして帰ってきた」
「まぁ、そうだったの?」
身体の方は大丈夫なのかと心配するので、笑って平気さと答える。
「それよりも早くナタリーに会いたかったから」
「もう、リアンったら……」
ナタリーは困ったような、恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔をして、リアンの胸に顔を寄せた。彼女の髪を優しく撫でながら、リアンはあることに気づいた。
「それ、……以前より薄くなっていないか?」
ナタリーの右の掌にあった、刃物で切られたような赤い傷痕。聖女の証である聖痕が、以前見た時より薄くなっている気がした。
「ええ。以前から少しずつ」
赤くなった線を、そっとなぞる。この傷が消えた時、彼女の力も消えたりするのだろうか。早くなくなればいいと思う。けれどリアンはその考えを口にすることはしなかった。
「俺が留守の間、変わりはなかった?」
「特になかったけれど……ジョナス様からお話を頂いたの。また地方に出向いて力を貸してほしいと」
そう言えば退出する際に何か言いかけていたような……このことだったのかもしれない。
「そうか。わかった。ならいろいろと準備しないとな」
あっさり承諾したリアンにナタリーはちょっと不安そうな顔をした。
「身体の方は大丈夫?」
「平気だよ。むしろナタリーと離れている方が健康に良くない」
それまで重職に就いていた貴族たちが処刑され、空いた空席を埋めるべく今一度適切な人間を決める話し合いが行われた。そこでリアンは聖女の――というかナタリーの専属護衛を願い出た。他の役職に就くべきだと勧められたが、リアンの意志は固く、ジョナスも「彼より相応しい者は他にいないでしょう」と認めてくれた。
「出立まではまだ時間があるだろうし、十分休めるよ」
久しぶりにきみの手料理が食べたいと零せば、ナタリーはわかったわと笑って了承してくれた。今二人は王宮からさほど離れていない場所に屋敷を貰い受けて暮らしている。ナタリーには王家という後ろ盾がある。それは以前のように監視して従わせるのとは違う。彼女の意思を尊重し、聖女としての最低限の務めを果たせば後は好きにしていい。
だから以前は何時間も王宮の教会で祈りを捧げていたナタリーであるが、今は敷地内に建てられた礼拝堂で済ませているし、日中は孤児院や救貧院を支援する活動をしており、国内でもさらに普及していけるよう王家と話を進めているそうだ。
(前よりずっと生き生きしている)
「なぁに? 人の顔じっと見て」
あまりにもじっと見ていたからだろう。ナタリーがちょっと怒ったようにリアンを見上げる。可愛いなとリアンは思いながら彼女の手を取って指を絡めた。左手の薬指。銀色の指輪が彼女だけではなく自分の指にもはめられている。
ユグリットへ旅立つ前にリアンはナタリーに結婚を申し込んだ。そういう状況ではなかったが、もう待てなかった。籍だけ入れて式は落ち着いてからしようと話していたが、ジョナスとオーウェンにユグリットへ行く前に挙げろと言われて、結局教会でみんなに祝福されることとなった。
「幸せだなぁって思って」
純白のドレスに身を包んだナタリーはとても美しく、嬉しそうに涙ぐむのでリアンもつられて泣いてしまった。ジョナスに呆れられ、オーウェンに揶揄われたのは恥ずかしかったが、良い思い出でもある。
「わたしも……とても幸せ」
怖いくらいに、と零す彼女の気持ちは痛いほどわかった。またすぐに引き裂かれてしまうのではないかと思うと怖くてたまらない。
(でも、もう絶対に離れない)
「何があっても、ナタリーのそばにいる。きみが国の端まで人を助けに行くというのならば、俺は喜んでお供するさ」
お道化て言えば、ナタリーは笑ってありがとうと答えた。
二人はそのまま何も言わず、互いの温もりを感じあった。今日はもう休んでいいと言われているので、先に屋敷に帰ってナタリーを待っているのもいいかもしれない。手料理はまた作ってもらうとして、今日は街の食堂へ食べに行くのもいい。でもやっぱり一緒に同じ場所へ帰りたいなと思った。
「あのね、リアン」
「うん?」
「わたしはね、神から与えられたこの治癒力はいつかなくなるべきだと思うの」
ジョナスと国王に手短に挨拶を済ませると、彼はジョナスに呼び止められるより早く謁見の間を退出し、とある部屋へ足を運んだ。そこに目当ての人物がいないと知ると、あちこち探し回る。きっと中庭だろうと侍女に聞くと、走るように向かった。
(――ああ、いた)
彼女はしゃがんで、花を摘んでいた。おそらく孤児院の子に花の冠を作って欲しいとねだられたのだ。かつて彼女が暮らしていた故郷の子どもたちを思い出して、ついつい甘やかしてしまうと困った顔で零していた。
「ナタリー」
もう人目を憚ることなく、愛しい人の名を呼べる。振り返って目を見開く様。呟いた名前は己のもの。考えるより先に立ち上がったせいか、摘んでいた花が指から零れ落ち、それが風に巻き上げられて、彼女の柔らかな髪と一緒にくすぐる光景。まるで絵画のとある一場面のようだとリアンは思った。
「ただいま、ナタリー」
駆け寄ってくる彼女をリアンは腕を広げて抱きとめた。首に回された腕の力は彼女にしては強く、しがみついて離れまいという意思が感じられた。リアンもそれに応えるよう彼女の身体を抱きしめ返す。
「お帰りなさい、リアン」
「うん。ただいま」
胸に広がる温かい気持ち。幸福をリアンは噛みしめた。
「――大丈夫だった?」
王宮の中庭には噴水もあり、ふちに二人で腰かけると、ナタリーはそっと伺うようにたずねてきた。
「ああ。何とかわかって下さった。……心配させてごめんな」
そばにいると誓ったばかりなのに、リアンはさっそくナタリーを置き去りしてしまった。むろん一緒に連れていくなどは危険すぎるので待っていてもらうしか他になかったのだが、それでも離れている間は心細かったと思う。
「ううん。いいの。無事に帰ってきてくれて、よかった」
はにかむナタリーの姿に、リアンはそっと腰を引き寄せて頬に口づけた。彼女はくすぐったそうに身をよじり、周りの目があるからと頬を赤く染めた。
「誰もいないよ。ここはきみがよく来る所だからって、護衛も気を遣って遠巻きにしかいないだろうし、俺が帰ってきたから今日はもう仕事から外れているさ」
「そういえば、ずいぶんと早かったね」
知らせでは数日後の予定であったから、彼女が驚くのも無理はない。
「国境を越えた辺りから、待てずに馬を飛ばして帰ってきた」
「まぁ、そうだったの?」
身体の方は大丈夫なのかと心配するので、笑って平気さと答える。
「それよりも早くナタリーに会いたかったから」
「もう、リアンったら……」
ナタリーは困ったような、恥ずかしそうな、でも嬉しそうな顔をして、リアンの胸に顔を寄せた。彼女の髪を優しく撫でながら、リアンはあることに気づいた。
「それ、……以前より薄くなっていないか?」
ナタリーの右の掌にあった、刃物で切られたような赤い傷痕。聖女の証である聖痕が、以前見た時より薄くなっている気がした。
「ええ。以前から少しずつ」
赤くなった線を、そっとなぞる。この傷が消えた時、彼女の力も消えたりするのだろうか。早くなくなればいいと思う。けれどリアンはその考えを口にすることはしなかった。
「俺が留守の間、変わりはなかった?」
「特になかったけれど……ジョナス様からお話を頂いたの。また地方に出向いて力を貸してほしいと」
そう言えば退出する際に何か言いかけていたような……このことだったのかもしれない。
「そうか。わかった。ならいろいろと準備しないとな」
あっさり承諾したリアンにナタリーはちょっと不安そうな顔をした。
「身体の方は大丈夫?」
「平気だよ。むしろナタリーと離れている方が健康に良くない」
それまで重職に就いていた貴族たちが処刑され、空いた空席を埋めるべく今一度適切な人間を決める話し合いが行われた。そこでリアンは聖女の――というかナタリーの専属護衛を願い出た。他の役職に就くべきだと勧められたが、リアンの意志は固く、ジョナスも「彼より相応しい者は他にいないでしょう」と認めてくれた。
「出立まではまだ時間があるだろうし、十分休めるよ」
久しぶりにきみの手料理が食べたいと零せば、ナタリーはわかったわと笑って了承してくれた。今二人は王宮からさほど離れていない場所に屋敷を貰い受けて暮らしている。ナタリーには王家という後ろ盾がある。それは以前のように監視して従わせるのとは違う。彼女の意思を尊重し、聖女としての最低限の務めを果たせば後は好きにしていい。
だから以前は何時間も王宮の教会で祈りを捧げていたナタリーであるが、今は敷地内に建てられた礼拝堂で済ませているし、日中は孤児院や救貧院を支援する活動をしており、国内でもさらに普及していけるよう王家と話を進めているそうだ。
(前よりずっと生き生きしている)
「なぁに? 人の顔じっと見て」
あまりにもじっと見ていたからだろう。ナタリーがちょっと怒ったようにリアンを見上げる。可愛いなとリアンは思いながら彼女の手を取って指を絡めた。左手の薬指。銀色の指輪が彼女だけではなく自分の指にもはめられている。
ユグリットへ旅立つ前にリアンはナタリーに結婚を申し込んだ。そういう状況ではなかったが、もう待てなかった。籍だけ入れて式は落ち着いてからしようと話していたが、ジョナスとオーウェンにユグリットへ行く前に挙げろと言われて、結局教会でみんなに祝福されることとなった。
「幸せだなぁって思って」
純白のドレスに身を包んだナタリーはとても美しく、嬉しそうに涙ぐむのでリアンもつられて泣いてしまった。ジョナスに呆れられ、オーウェンに揶揄われたのは恥ずかしかったが、良い思い出でもある。
「わたしも……とても幸せ」
怖いくらいに、と零す彼女の気持ちは痛いほどわかった。またすぐに引き裂かれてしまうのではないかと思うと怖くてたまらない。
(でも、もう絶対に離れない)
「何があっても、ナタリーのそばにいる。きみが国の端まで人を助けに行くというのならば、俺は喜んでお供するさ」
お道化て言えば、ナタリーは笑ってありがとうと答えた。
二人はそのまま何も言わず、互いの温もりを感じあった。今日はもう休んでいいと言われているので、先に屋敷に帰ってナタリーを待っているのもいいかもしれない。手料理はまた作ってもらうとして、今日は街の食堂へ食べに行くのもいい。でもやっぱり一緒に同じ場所へ帰りたいなと思った。
「あのね、リアン」
「うん?」
「わたしはね、神から与えられたこの治癒力はいつかなくなるべきだと思うの」
13
お気に入りに追加
313
あなたにおすすめの小説
追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている
黎
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
冤罪で殺された聖女、生まれ変わって自由に生きる
みおな
恋愛
聖女。
女神から選ばれし、世界にたった一人の存在。
本来なら、誰からも尊ばれ大切に扱われる存在である聖女ルディアは、婚約者である王太子から冤罪をかけられ処刑されてしまう。
愛し子の死に、女神はルディアの時間を巻き戻す。
記憶を持ったまま聖女認定の前に戻ったルディアは、聖女にならず自由に生きる道を選択する。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

素顔を知らない
基本二度寝
恋愛
王太子はたいして美しくもない聖女に婚約破棄を突きつけた。
聖女より多少力の劣る、聖女補佐の貴族令嬢の方が、見目もよく気もきく。
ならば、美しくもない聖女より、美しい聖女補佐のほうが良い。
王太子は考え、国王夫妻の居ぬ間に聖女との婚約破棄を企て、国外に放り出した。
王太子はすぐ様、聖女補佐の令嬢を部屋に呼び、新たな婚約者だと皆に紹介して回った。
国王たちが戻った頃には、地鳴りと水害で、国が半壊していた。

愚か者の話をしよう
鈴宮(すずみや)
恋愛
シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。
そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。
けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?

強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる