72 / 74
71.新たな時代
しおりを挟む
国王と王女、そして重職を担う貴族たちは聖女の力を独り占めしようと彼女を塔へ閉じ込めた。聖女は心身ともに疲労し、万能の治癒力も失われようとしていた。どんな病や怪我でも治すという奇跡の力を。
未来を憂える若者たち――高位貴族ではなく下級貴族や騎士の身分の者たちはこのままではいけないと危惧した。ただでさえ王家は民に重税を課し、苦痛を強いている。その上民を救える力まで奪おうとするのは許しがたい行為であった。
然るべき処置が王家と貴族に施され、たった十歳の少年がラシア国の次の王となった。王家の遠い血筋。優秀ではあったがまだ若い彼は政治の導き手となる補佐役を必要とした。その役にかつて王女の相談役も担っていた男が選ばれ、新たな王を支えると共に、腐敗していた政治体制を一掃した。
民には王と王女は不治の病にかかったと告げた。そしてそれを治そうとした聖女の力は効かなかった。なぜなら彼女は王家に不当に扱われ、神の怒りを買ったから。救うのに値しない人間だと判断されたから。
聖女は神からの贈り物。決して傷つけてはいけないし、常にその存在に感謝しなければならない。
「これまで不遇な扱いを受けていた聖女も、これからはラシア国の民の一人として、手厚く保護することを約束しましょう」
新しい王は聖女に約束した。聖女もその誓いが守られる限り、そして自身の力が続く限り、傷つく民を癒すことを誓った。
「――いっそのこと、聖女を王に据えればよかったではないか」
以前俺が言ったように。
ユグリット国の王、アレクシスは興味深そうに話を聞き終えると、リアンにそう言った。婚姻の話を断るため、再度リアンが使者として遣わされたのだ。
ラシアの王が殺されたと告げても、アレクシスが驚くことはなかった。
「我が国の聖女に対するお前の態度を見ていれば、いずれは上への反逆を企てると思っていた」
ディアナはアレクシスが王となったから魔女として殺された。リアンは非道だと詰った。その時にアレクシスは言ったのだ。
『――もし、そなたがラシアの聖女を魔女にしたくないのならば、聖女を絶対視する者を王にするしかないな。あるいは聖女を王として祀り上げるかだ』
「王を挿げ替えた所で、また良いように利用されるだけかもしれぬぞ? あるいは王に成り代わる者が聖女の利を享受する。どちらにせよ、聖女自身が頂点に立った方が上手くいったのではないか?」
「我が国の聖女はそのようなこと、望んでおりませんから」
ナタリーはあくまでも聖女として、人々を救うだけだ。為政者として民を導きたいわけではない。
「それに聖女の力は子に受け継がれていくわけではありません」
ナタリーの治癒力は彼女一代限り。子どもを産んだ所で、聖女の力は引き継がれない。力があるからこそ王位に即けた、というならば後の世代には当てはまらない。
「能力がないから上に立つ資格がないと? それは以前の王家もそうだ。むしろ民を思いやる気持ちがあるだけ、聖人の方が相応しいと思うがな」
そうかもしれない。けれどやはり、これでよかったのだと思う。
王家を断絶し、また新たな誰かを王に選定するとなると争いのもとになる。余計な無駄は省きたかった。だから血の繋がりから新王を決めたのは一番妥当な策であった。
『無能な王になるかどうかは、教育次第ですから』
まだ年若き王を補佐するジョナスの言葉である。彼からすれば、国王やアリシアはすでに矯正するのに間に合わなかった人物だった。だから今度こそ、彼の理想とする――民を思いやり、自分の役目を全うする人間に育て上げるだろう。
「彼女は王になりたいわけではない」
平凡に、静かに暮らしたいだけだ。
「欲のないことだ」
けれどアレクシスはどこか愉しむように口元を緩めた。
「それで? そちらの国の実情は理解した。嫁いでくる相手もすでに殺されてしまったと。ならば代わりに聖女を寄こせばよかろう?」
「いいえ、それは不敬に当たります」
「なぜ」
「陛下は以前、聖女の存在を否定しました。神の力など不要。自分たち自身の力だけで次の時代を創り上げていくのだと。ですからあなた様にとって聖女はただの人であり、どこにでもいる平民の一人。ユグリット国の王の伴侶として相応しくないと判断したのです」
アレクシスはじっとリアンを見つめていたが、やがて声を立てて笑い始めた。
「そうだな。そなたの言う通りだ。もしアリシアではなく他の女など寄こしたら、しかもそれが神の声が聴くことができる女などとしたら――殺していたかもしれないな」
ごくりと唾を飲み込む。おそらく嘘や冗談ではなく、本当にアレクシスはナタリーを殺しただろう。聖女を殺して王になった彼には、神経を逆なでさせる存在でしかない。
「まぁ、俺が殺さずとも教会の連中が難癖をつけて処罰しようとするだろう。あるいは才能だけは生かしておこうと、飼い殺しにするか。どちらにせよ、ろくな末路ではないな」
アリシアも国王も一体どこまで理解していたのだろう。ナタリーがこの国で受ける扱いを彼らはほんの少しでも想像したのか。――きっとしなかった。想像できても、仕方がないと見捨てた。
「リアン。王家にばかり気を取られていると、痛い目を見るぞ」
「どういうことでしょうか」
「教会の監視を怠るな。やつらは簡単にのさばろうとするからな」
なるほど。いかにアレクシスといえど、教会相手では一筋縄ではいかぬようだ。
「肝に銘じておきます」
ユグリット国と違い、ラシアはまだそれほど教会の存在が大きくない。こちらでは過去に熱心な布教活動があったせいか、信者も多く、週末には必ず近くの教会へ足を運び、司祭を通して神へと祈りを捧げる習慣がある。
そうした積み重ねの結果、いつしか教会関係の人間が力をつけ、一つの巨大な組織を作り上げてしまった。その力は王家に匹敵すると言っても過言ではなく、聖女の扱い次第では、危うい均衡が崩れていたかもしれない。
(ジョナスは王家の邪魔になる存在は潰しておくだろう)
聖女を保護するのは王家の役目である。彼女を害するのであるならば、教会の人間であっても容赦はしない。
「話は以上だ。ラシアの新しい治世、楽しみにしておるぞ」
「はっ。陛下にお伝えしておきます」
リアンは挨拶を済ませ、退出しようとした。だがその前にもう一度名を呼ばれる。
「何か他に俺に聞きたいことはなかったのか」
「……名誉を回復なさるのですか」
誰の、とは言わなかった。けれどアレクシスは微笑んだ。彼にしては穏やかな笑みであった。
「どうだろうな。俺が生きている限りは、許さないつもりだ」
だが――と彼は先を続けることはしなかった。けれどリアンには、彼の言いたいことが伝わった。それが恐らく、今の彼にできる最大限の譲歩であったのだと思う。だからリアンは黙って頭を下げた。
未来を憂える若者たち――高位貴族ではなく下級貴族や騎士の身分の者たちはこのままではいけないと危惧した。ただでさえ王家は民に重税を課し、苦痛を強いている。その上民を救える力まで奪おうとするのは許しがたい行為であった。
然るべき処置が王家と貴族に施され、たった十歳の少年がラシア国の次の王となった。王家の遠い血筋。優秀ではあったがまだ若い彼は政治の導き手となる補佐役を必要とした。その役にかつて王女の相談役も担っていた男が選ばれ、新たな王を支えると共に、腐敗していた政治体制を一掃した。
民には王と王女は不治の病にかかったと告げた。そしてそれを治そうとした聖女の力は効かなかった。なぜなら彼女は王家に不当に扱われ、神の怒りを買ったから。救うのに値しない人間だと判断されたから。
聖女は神からの贈り物。決して傷つけてはいけないし、常にその存在に感謝しなければならない。
「これまで不遇な扱いを受けていた聖女も、これからはラシア国の民の一人として、手厚く保護することを約束しましょう」
新しい王は聖女に約束した。聖女もその誓いが守られる限り、そして自身の力が続く限り、傷つく民を癒すことを誓った。
「――いっそのこと、聖女を王に据えればよかったではないか」
以前俺が言ったように。
ユグリット国の王、アレクシスは興味深そうに話を聞き終えると、リアンにそう言った。婚姻の話を断るため、再度リアンが使者として遣わされたのだ。
ラシアの王が殺されたと告げても、アレクシスが驚くことはなかった。
「我が国の聖女に対するお前の態度を見ていれば、いずれは上への反逆を企てると思っていた」
ディアナはアレクシスが王となったから魔女として殺された。リアンは非道だと詰った。その時にアレクシスは言ったのだ。
『――もし、そなたがラシアの聖女を魔女にしたくないのならば、聖女を絶対視する者を王にするしかないな。あるいは聖女を王として祀り上げるかだ』
「王を挿げ替えた所で、また良いように利用されるだけかもしれぬぞ? あるいは王に成り代わる者が聖女の利を享受する。どちらにせよ、聖女自身が頂点に立った方が上手くいったのではないか?」
「我が国の聖女はそのようなこと、望んでおりませんから」
ナタリーはあくまでも聖女として、人々を救うだけだ。為政者として民を導きたいわけではない。
「それに聖女の力は子に受け継がれていくわけではありません」
ナタリーの治癒力は彼女一代限り。子どもを産んだ所で、聖女の力は引き継がれない。力があるからこそ王位に即けた、というならば後の世代には当てはまらない。
「能力がないから上に立つ資格がないと? それは以前の王家もそうだ。むしろ民を思いやる気持ちがあるだけ、聖人の方が相応しいと思うがな」
そうかもしれない。けれどやはり、これでよかったのだと思う。
王家を断絶し、また新たな誰かを王に選定するとなると争いのもとになる。余計な無駄は省きたかった。だから血の繋がりから新王を決めたのは一番妥当な策であった。
『無能な王になるかどうかは、教育次第ですから』
まだ年若き王を補佐するジョナスの言葉である。彼からすれば、国王やアリシアはすでに矯正するのに間に合わなかった人物だった。だから今度こそ、彼の理想とする――民を思いやり、自分の役目を全うする人間に育て上げるだろう。
「彼女は王になりたいわけではない」
平凡に、静かに暮らしたいだけだ。
「欲のないことだ」
けれどアレクシスはどこか愉しむように口元を緩めた。
「それで? そちらの国の実情は理解した。嫁いでくる相手もすでに殺されてしまったと。ならば代わりに聖女を寄こせばよかろう?」
「いいえ、それは不敬に当たります」
「なぜ」
「陛下は以前、聖女の存在を否定しました。神の力など不要。自分たち自身の力だけで次の時代を創り上げていくのだと。ですからあなた様にとって聖女はただの人であり、どこにでもいる平民の一人。ユグリット国の王の伴侶として相応しくないと判断したのです」
アレクシスはじっとリアンを見つめていたが、やがて声を立てて笑い始めた。
「そうだな。そなたの言う通りだ。もしアリシアではなく他の女など寄こしたら、しかもそれが神の声が聴くことができる女などとしたら――殺していたかもしれないな」
ごくりと唾を飲み込む。おそらく嘘や冗談ではなく、本当にアレクシスはナタリーを殺しただろう。聖女を殺して王になった彼には、神経を逆なでさせる存在でしかない。
「まぁ、俺が殺さずとも教会の連中が難癖をつけて処罰しようとするだろう。あるいは才能だけは生かしておこうと、飼い殺しにするか。どちらにせよ、ろくな末路ではないな」
アリシアも国王も一体どこまで理解していたのだろう。ナタリーがこの国で受ける扱いを彼らはほんの少しでも想像したのか。――きっとしなかった。想像できても、仕方がないと見捨てた。
「リアン。王家にばかり気を取られていると、痛い目を見るぞ」
「どういうことでしょうか」
「教会の監視を怠るな。やつらは簡単にのさばろうとするからな」
なるほど。いかにアレクシスといえど、教会相手では一筋縄ではいかぬようだ。
「肝に銘じておきます」
ユグリット国と違い、ラシアはまだそれほど教会の存在が大きくない。こちらでは過去に熱心な布教活動があったせいか、信者も多く、週末には必ず近くの教会へ足を運び、司祭を通して神へと祈りを捧げる習慣がある。
そうした積み重ねの結果、いつしか教会関係の人間が力をつけ、一つの巨大な組織を作り上げてしまった。その力は王家に匹敵すると言っても過言ではなく、聖女の扱い次第では、危うい均衡が崩れていたかもしれない。
(ジョナスは王家の邪魔になる存在は潰しておくだろう)
聖女を保護するのは王家の役目である。彼女を害するのであるならば、教会の人間であっても容赦はしない。
「話は以上だ。ラシアの新しい治世、楽しみにしておるぞ」
「はっ。陛下にお伝えしておきます」
リアンは挨拶を済ませ、退出しようとした。だがその前にもう一度名を呼ばれる。
「何か他に俺に聞きたいことはなかったのか」
「……名誉を回復なさるのですか」
誰の、とは言わなかった。けれどアレクシスは微笑んだ。彼にしては穏やかな笑みであった。
「どうだろうな。俺が生きている限りは、許さないつもりだ」
だが――と彼は先を続けることはしなかった。けれどリアンには、彼の言いたいことが伝わった。それが恐らく、今の彼にできる最大限の譲歩であったのだと思う。だからリアンは黙って頭を下げた。
14
お気に入りに追加
313
あなたにおすすめの小説
追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている
黎
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

素顔を知らない
基本二度寝
恋愛
王太子はたいして美しくもない聖女に婚約破棄を突きつけた。
聖女より多少力の劣る、聖女補佐の貴族令嬢の方が、見目もよく気もきく。
ならば、美しくもない聖女より、美しい聖女補佐のほうが良い。
王太子は考え、国王夫妻の居ぬ間に聖女との婚約破棄を企て、国外に放り出した。
王太子はすぐ様、聖女補佐の令嬢を部屋に呼び、新たな婚約者だと皆に紹介して回った。
国王たちが戻った頃には、地鳴りと水害で、国が半壊していた。
冤罪で殺された聖女、生まれ変わって自由に生きる
みおな
恋愛
聖女。
女神から選ばれし、世界にたった一人の存在。
本来なら、誰からも尊ばれ大切に扱われる存在である聖女ルディアは、婚約者である王太子から冤罪をかけられ処刑されてしまう。
愛し子の死に、女神はルディアの時間を巻き戻す。
記憶を持ったまま聖女認定の前に戻ったルディアは、聖女にならず自由に生きる道を選択する。

愚か者の話をしよう
鈴宮(すずみや)
恋愛
シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。
そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。
けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです
秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。
そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。
いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが──
他サイト様でも掲載しております。

悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる