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66.助けを求める

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 聖女の役目は大勢の人間を救うことだった。

(でも、それももうできない……)

 国王は言った。アリシアの代わりにユグリットへ行き、アレクシスの伴侶となれと。
 それが、今度は果たすべき役割なのだろうか。

(どうして、)

 神の命を受け入れたはずだ。そして言われたから従うのではなく、自分の意思でも救いたいと思った。そうすると目の前が明るく開けた気がした。ようやく、一歩踏み出せたと思ったのに。それなのに――

(それすらも、奪うの?)

 もう自分の存在は必要ないというのか。それとも今度はユグリット国で、アレクシスの妻として、名も知らぬ人間を救い続けなければならないのか。

(そんなの、)

 唇をグッと噛んだ。血が滲んでも構わなかった。今自分の中にわき起こっている感情は神に背くものであったから。

 どれくらいそうしていただろう。扉がぎいっと音を立てて開けられたのも、ナタリーは遠くで発せられた音として聞いていた。

「ナタリー」

 囁くような優しい声。抗い切れず、のろのろと顔を上げる。彼は自分を黙って見下ろしていた。大丈夫だと言ってあげたいのに「リアン」と掠れた声しか出ない。

 リアンは膝をついてナタリーを見つめる。かさついた掌で頬を撫でると、ゆっくりとナタリーの身体を自身の方へ引き寄せた。彼の身体は熱かった。そうして初めて自分の身体が死人のように凍えていたことを彼女は知った。

「リアン、わたし……」

 何か言おうとして、何も言葉が浮かんでこない。

「なぁ、ナタリー」

 沈黙を破ったのはリアンだった。彼はナタリーを抱きしめたまま、懐かしむような口調で問いかける。

「きみは昔、俺に言ったよな? 押し付けられた役割を果たすのは、大切な人の幸福にも繋がるからだって」

『わたしは……大切な人のためだって思うようにしている。誰かのため、じゃなくて、この人ためだって明確に思うと、結局自分の幸せにも繋がるし、我慢できる気がするの』

「……うん。言ったよ」

 自分が騎士になるのは父親に押し付けられた夢のせいだと嘆いていたリアン。暗い顔をしていた少年を少女は慰めてあげたかった。そしてなぜかその時、苦悩する彼の気持ちがわかる気がしたのだ。もしかすると聖女としての役目を心のどこかで理解していたからかもしれない。

 いずれにせよ、もうずいぶんと昔の話だ。リアンは騎士になって、ナタリーも聖女になった。二人の距離は遠くて、交わることは許されない。

(リアンは王女殿下のために一生を捧げるんだから……)

 もう自分を守ってくれていた少年はいない。今度こそ本当に、彼はナタリーの手を放してしまう。一目見ることすら許されない。

 未来の女王の隣に立つ彼はさぞ立派であろう。輝かしい将来であるに違いない。

(おめでとう、って祝福しなきゃいけないのに……)

 リアンの幸せを願っていたはずだ。彼が幸福であるならば、ナタリーは何だって耐えられるはずだった。

(それなのに、)

 どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。リアンがアリシアの隣に立って、ナタリーに向けていてような笑顔を浮かべているかと思うと、頭の中が真っ白になる。とても耐えられそうになかった。

(ああ、わたしは……)

「ナタリー」

 彼の掌が自分の頬を包み込む。俺を見てと、視界いっぱい彼が映り込む。夜空を思わせる瞳がナタリーを強く見つめている。

「ナタリー。俺が騎士になったのは国に忠義を示すわけでもなく、王女殿下に気に入られるためでもない。きみを守りたいと思ったからなんだ」

 彼の言葉に胸がつまった。
 わたしも、と言いそうになった。

(ちがう)

 でもリアンはナタリーの胸の内を聞いたように、くしゃりと顔を歪ませた。泣きそうにも見えた。

「俺はおまえが力を使うたびに消耗していって、とても辛そうに見える。俺は、ちっとも幸せじゃない」
「リアン……」
「誰がなんと言おうと、俺はナタリーの幸せを選ぶよ」

 だから、と彼はナタリーに優しく問いかけた。

「教えてくれ。おまえがどうしたいのか。本当の、嘘偽りない気持ちを」

 ナタリー、と懇願するようなリアンの声。

「……わたし、ユグリット国へなんか行きたくない」

 ナタリーはほろほろと涙を流し、静かにつぶやいた。

 王妃なんかなりたくない。
 ラシア国にずっといたい。

「リアンのそばに、ずっといたい……」

 服の裾を縋りつくように握りしめる。

「お願い、リアン。どうか助けて」

 聖女は傷ついた人間を救う。でも聖女を救ってくれるのは――ただの「ナタリー」を守ってくれるのは、幼馴染のリアンだけだった。彼にだけは、救いを求めることができた。

「ああ、わかった。おまえを助けるよ」

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