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65.かつての友と
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リアンは王女の部屋を後にすると、教会方面へと足を向けた。ラシア国で一番大きな教会。休みの日には大勢の信徒が足を運び、神へと祈りを捧げる。けれど今日に限っては誰もおらず、中はがらんとしていた。
リアンは気にせず中央の通路をまっすぐと進み、祭壇の辺りで立ち止まった。祈りを捧げるつもりはなかった。
(ここで彼女は毎日祈りを捧げていた)
毎日毎日、何時間も神に祈ったのだろう。どうか人々が平穏に暮らせますように。幸せでありますように、と。
上を見上げる。ステンドグラスの神秘的な色合いは、夕暮れの色と混じりあってリアンを遠い過去へと戻らせる。自分と彼女が選んできた道。後悔や苦しみが静かな怒りへ変わっていく。
(何でもないただの平凡な女の子にあなたは途方もない役目を押し付けた)
そしてそれも、もう終わろうとしている。
(役目が終わったから、ナタリーはもう聖女である必要はないというのか)
ディアナのように殺される最期であっても構わないのか。それが運命だというのか。
「俺は認めない」
リアンはそう言うと、くるりと背を向けた。教会を出て、もう長いこと足を踏み入れていなかった場所へと向かう。巨大な教会の影になって、陰鬱な雰囲気が漂う塔が見えてくる。アリシアや国王が寝食する華やかな離宮とは違い、まるで罪人が収容される建物みたいだ。
「お待ちください」
リアンの姿を見ると、まだ年若い男は強張った顔でリアンの行く手を阻んだ。
「通してくれ」
「申し訳ありませんがそれはできません」
聖女の護衛――監視に当たっている騎士は塔の中へリアンを通すことはできない。アリシアの命令であるからだ。リアンも知っていたから会いに来ることはしなかった。ナタリーが不利な立場に追い込まれるのを避けたかったから。だからずっと我慢していた。
でも、もうやめた。
「通してくれないなら、その鍵を奪うことになる」
「そ、そんな! おやめください!」
リアンの一歩も引かない様子に騎士は縮み上がった。
「わ、私は聖女様のために!」
「マーク。通してやれ」
声のした方を見ればオーウェンがいた。彼はナタリーと共に外の教会へ出向いていたが、王女の命でそれも取りやめになり、王宮へ戻ってきていた。
「オーウェンさん! なぜですか!」
「彼はナタリーにとって大切な人だからいいんだ」
マークと呼ばれた男は目を真ん丸とさせてリアンの顔を見つめた。リアンはオーウェンの方を見ていいのかと無言で問いかける。オーウェンは肩を竦めて「いいんじゃないか」と砕けた調子で言った。ずいぶんと懐かしい感じがした。
「俺じゃあ、もうナタリーを慰められないからな」
おまえの役目だ、とオーウェンはマークの手にしていた鍵をひょいと掻っ攫う。あ、という声を青年はあげたけれど、それ以上は何も言わず口を噤んだ。ただ不安そうな表情で上司の顔を伺い、視線に気づいたオーウェンが軽く手を振って応えた。
「大丈夫だ。おまえはここにいろ」
行くぞ、とオーウェンはリアンを招き入れた。薄暗く、土と岩のかび臭いにおいがして、外より寒い気がした。
「ナタリーは聖女の役目を最期まで果たすつもりだ」
長い階段をのぼりながらオーウェンが口を開く。
「でもその役目も終わろうとしている」
オーウェンも聞いたのだろうか。ナタリーがアレクシスと結婚するよう命じられたこと。もうこの国に聖女は必要ないと切り捨てられたこと。
「俺はナタリーに頼まれた。どうか自分が聖女であることを見張っていてくれって」
「ナタリーが?」
「そう。役目を放棄しそうになったら、責めてくれ、って……酷いよな。でも、言わせたのは俺が原因。だから、俺はナタリーがこの国に留まることを望む。他の国に今さら逃げるなんて許さない」
だから、とオーウェンはそこで黙った。
「オーウェン」
立ち止まって彼の背中に呼びかける。振り返ってオーウェンはリアンを見下ろした。
「俺はナタリーが好きだ」
「……知ってる」
「だから俺も、ずっと彼女にはこの国にいて欲しい」
おまえと同じだろう、とリアンは心の中で言った。オーウェンは一瞬泣きそうな顔をして、そうだなと答えた。
リアンは気にせず中央の通路をまっすぐと進み、祭壇の辺りで立ち止まった。祈りを捧げるつもりはなかった。
(ここで彼女は毎日祈りを捧げていた)
毎日毎日、何時間も神に祈ったのだろう。どうか人々が平穏に暮らせますように。幸せでありますように、と。
上を見上げる。ステンドグラスの神秘的な色合いは、夕暮れの色と混じりあってリアンを遠い過去へと戻らせる。自分と彼女が選んできた道。後悔や苦しみが静かな怒りへ変わっていく。
(何でもないただの平凡な女の子にあなたは途方もない役目を押し付けた)
そしてそれも、もう終わろうとしている。
(役目が終わったから、ナタリーはもう聖女である必要はないというのか)
ディアナのように殺される最期であっても構わないのか。それが運命だというのか。
「俺は認めない」
リアンはそう言うと、くるりと背を向けた。教会を出て、もう長いこと足を踏み入れていなかった場所へと向かう。巨大な教会の影になって、陰鬱な雰囲気が漂う塔が見えてくる。アリシアや国王が寝食する華やかな離宮とは違い、まるで罪人が収容される建物みたいだ。
「お待ちください」
リアンの姿を見ると、まだ年若い男は強張った顔でリアンの行く手を阻んだ。
「通してくれ」
「申し訳ありませんがそれはできません」
聖女の護衛――監視に当たっている騎士は塔の中へリアンを通すことはできない。アリシアの命令であるからだ。リアンも知っていたから会いに来ることはしなかった。ナタリーが不利な立場に追い込まれるのを避けたかったから。だからずっと我慢していた。
でも、もうやめた。
「通してくれないなら、その鍵を奪うことになる」
「そ、そんな! おやめください!」
リアンの一歩も引かない様子に騎士は縮み上がった。
「わ、私は聖女様のために!」
「マーク。通してやれ」
声のした方を見ればオーウェンがいた。彼はナタリーと共に外の教会へ出向いていたが、王女の命でそれも取りやめになり、王宮へ戻ってきていた。
「オーウェンさん! なぜですか!」
「彼はナタリーにとって大切な人だからいいんだ」
マークと呼ばれた男は目を真ん丸とさせてリアンの顔を見つめた。リアンはオーウェンの方を見ていいのかと無言で問いかける。オーウェンは肩を竦めて「いいんじゃないか」と砕けた調子で言った。ずいぶんと懐かしい感じがした。
「俺じゃあ、もうナタリーを慰められないからな」
おまえの役目だ、とオーウェンはマークの手にしていた鍵をひょいと掻っ攫う。あ、という声を青年はあげたけれど、それ以上は何も言わず口を噤んだ。ただ不安そうな表情で上司の顔を伺い、視線に気づいたオーウェンが軽く手を振って応えた。
「大丈夫だ。おまえはここにいろ」
行くぞ、とオーウェンはリアンを招き入れた。薄暗く、土と岩のかび臭いにおいがして、外より寒い気がした。
「ナタリーは聖女の役目を最期まで果たすつもりだ」
長い階段をのぼりながらオーウェンが口を開く。
「でもその役目も終わろうとしている」
オーウェンも聞いたのだろうか。ナタリーがアレクシスと結婚するよう命じられたこと。もうこの国に聖女は必要ないと切り捨てられたこと。
「俺はナタリーに頼まれた。どうか自分が聖女であることを見張っていてくれって」
「ナタリーが?」
「そう。役目を放棄しそうになったら、責めてくれ、って……酷いよな。でも、言わせたのは俺が原因。だから、俺はナタリーがこの国に留まることを望む。他の国に今さら逃げるなんて許さない」
だから、とオーウェンはそこで黙った。
「オーウェン」
立ち止まって彼の背中に呼びかける。振り返ってオーウェンはリアンを見下ろした。
「俺はナタリーが好きだ」
「……知ってる」
「だから俺も、ずっと彼女にはこの国にいて欲しい」
おまえと同じだろう、とリアンは心の中で言った。オーウェンは一瞬泣きそうな顔をして、そうだなと答えた。
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