23 / 74
22.嫉妬
しおりを挟む
ナタリーは意識を取り戻すと、またすぐに病人を治し始めた。王宮の医師たちや司教たちから命じられたからでもあるが、一番の理由は彼女自身が苦しむ人を放っておくことはできなかったから。
「おお、まさに奇跡だ!」
先ほどまで熱に浮され、壊疽し始めていた手足の黒さも、元の皮膚の色へと戻っている。無事に動く指先を見ながら、宰相の息子だとかいう男は涙を浮かべながらナタリーにお礼を言った。
「聖女様のおかげです。本当にありがとうございます」
「それは、よかった……」
「聖女様。次の者が控えております」
「ええ、どうぞ呼んで下さい」
力を与えるのと比例して、ナタリーの体力は奪われていくようだったが、リアンに会えると思うと自然と我慢できる気がした。耐えることは、今までずっと彼女が繰り返してきたこと。耐えた先に褒美があるとわかっていれば、このくらい何も辛くはなかった。
(早く、早く、リアンに会いたい……)
もう真夜中を過ぎた頃、彼女はようやく解放され、一人部屋に残された。身体は悲鳴をあげているが、疲れすぎて目が冴えている。いや、一目だけでもリアンに会いたいという気持ちが、眠りから遠ざけているのだ。
(リアン……)
彼女はじっと扉の先に耳を澄ませた。そして、カツカツという音が響き、ナタリーはぱっと顔を上げた。待ち焦がれた気持ちが、扉へと足を向かわせる。
「リアン……!」
だが部屋に訪れたのはリアンではなかった。
「ア、アリシア様」
ナタリーはアリシアから思わず一歩後ずさる。どうして王女殿下がこんな所に、こんな時刻に自分を訪ねてきたのだ。
(ううん、それよりも……)
彼女の目にはありありと自分を嫌悪する色が浮かんでいた。
身に覚えのない嫌悪ほど恐ろしいものはない。自分は彼女に何かしてしまっただろうか。ナタリーは手を握りしめて、必死に敬う意を示した。だがアリシアは構わずにナタリーに近づいてくる。
「どうしてあなたなの」
アリシアはナタリーの肩を掴む。綺麗に整えられた爪が、痛い。人形のように整った顔が恐ろしい。
「どうして、こんな娘のためにリアンは懸命になるのですか」
「王女殿下……」
立場上振り払うこともできず、ナタリーは必死に無礼のないように全身に力を入れる。アリシアは震える娘の様子にいくらか溜飲が下がったのか、落ち着きを取り戻した。
「ナタリー。わたくしが今日、こんな場所へ足を運んだのは、あなたにお願いがあるからなのです」
「お願い?」
嫌な予感がした。王女殿下から願いなど、ナタリーに断る権利はない。
「それは一体、どのようなものでしょうか」
「リアンを解放して欲しいのです」
ひゅっと息を呑むナタリーに、アリシアは困ったように微笑んだ。
「優しいリアンは、不幸なあなたのことをいつまでも気にかけ、放っておけません。だから、こっそりと夜中にここへ訪れて、あなたに会いに来る。まるで夜盗のような真似を平気で仕出かすのです。あなたはいつまで経っても、リアンの幸せを奪っている」
リアンとこっそり会っていたことがばれたのだ。ナタリーは顔を真っ青にさせた。彼女は王女の言葉を繰り返す。
(わたしが、リアンの幸せを奪っている……)
そんなことはない、とは言い切れなかった。初めて会った時から今に至るまで、リアンはいつもナタリーのことを気にかけてくれた。選ばせているのは自分の不遇さを気にかけてか。
(違う。彼はそんな人じゃない……)
リアンは言ってくれた。自分のことが――
「大丈夫。あなたには、専属の騎士を与えますわ」
アリシアが後ろを振り返り、部屋に入ってくるよう合図した。その人物にナタリーは目を丸くする。
「オーウェン……」
オーウェンは感情の読み取れない表情でナタリーをちらりと見た。ナタリーはその目に不安を覚えながらも、アリシアに視線を戻す。自分がこれから述べようとしていることがどれほど認められないか、ナタリーは重々承知の上だったが、自分の心に嘘はつけなかった。
「アリシア様、お心遣いは大変有り難いのですが……わたしには、お話をお受けすることはできません」
「どうして? オーウェンが嫌いなのですか」
違う。嫌いではない。何の力もなかった自分を守ってくれた。大好きだった人だ。今でも、大切な人であることには変わりはない。けれど。
「わたしにとって、リアンはもはやかけがえのない存在なのです。彼を苦しませることになっても、わたしは彼のそばにいたいと思っております」
リアンはナタリーを愛していると言ってくれた。その想いにナタリーも応えたい。
「ナタリー。あなた……」
はあ、とアリシアは大げさにため息をついた。王女として、淑女として、無礼な行為を当然のようにアリシアはナタリーに対して振る舞った。
「あなたは、ご自分が置かれている立場がまるでわかっていませんのね」
「わたしの置かれている立場……」
だってそうでしょうと、アリシアは冷ややかに微笑んだ。
「あなたが寝込んだ原因は、リアンとこっそりと会っていたからだ、とみな思っていますわ」
アリシアの言葉に、ナタリーは一瞬意味がわからなかった。だがすぐに聖女が世間に求められる姿を思い出し、絶句した。
「わたしはリアンとそんな……」
いや、思い当たる節はある。けれど、それは聖女の力に何の影響もない。
「わたしが倒れたのは、ただの疲労です」
「事実がどうであれ、可哀想なリアンは、その責任をたった一人で背負っていますの。あなたは大切な聖女ですから、傷つけるわけにはいきませんもの」
ナタリーは目を見開き、アリシアに詰め寄った。
「リアンは、リアンは無事なんでしょうか!?」
アリシアが不愉快そうに顔を歪めても、ナタリーはなおも返答を聞こうとした。自分のせいでリアンが何かしらの罰を受けている。耐え難い事実だった。
「王女殿下、教えて下さい!」
「落ち着け」
そばにいたオーウェンがナタリーを引き離し、彼女は彼の衣服を掴んだ。
「オーウェン、リアンは、リアンは、無事なの!?」
まさか自分の代わりに、と最悪の想像までしたナタリーにオーウェンが大丈夫だと観念したようにつぶやいた。
「謹慎処分が下されているが、無事だ」
「ですが、今度はそうはいきません」
アリシアがはっきりとナタリーの目を見た。嫉妬に燃える女性の目だとナタリーは気づいた。
「もう一度、言います。ナタリー、あなたはリアンのために今後一切会わないと約束して下さい」
「おお、まさに奇跡だ!」
先ほどまで熱に浮され、壊疽し始めていた手足の黒さも、元の皮膚の色へと戻っている。無事に動く指先を見ながら、宰相の息子だとかいう男は涙を浮かべながらナタリーにお礼を言った。
「聖女様のおかげです。本当にありがとうございます」
「それは、よかった……」
「聖女様。次の者が控えております」
「ええ、どうぞ呼んで下さい」
力を与えるのと比例して、ナタリーの体力は奪われていくようだったが、リアンに会えると思うと自然と我慢できる気がした。耐えることは、今までずっと彼女が繰り返してきたこと。耐えた先に褒美があるとわかっていれば、このくらい何も辛くはなかった。
(早く、早く、リアンに会いたい……)
もう真夜中を過ぎた頃、彼女はようやく解放され、一人部屋に残された。身体は悲鳴をあげているが、疲れすぎて目が冴えている。いや、一目だけでもリアンに会いたいという気持ちが、眠りから遠ざけているのだ。
(リアン……)
彼女はじっと扉の先に耳を澄ませた。そして、カツカツという音が響き、ナタリーはぱっと顔を上げた。待ち焦がれた気持ちが、扉へと足を向かわせる。
「リアン……!」
だが部屋に訪れたのはリアンではなかった。
「ア、アリシア様」
ナタリーはアリシアから思わず一歩後ずさる。どうして王女殿下がこんな所に、こんな時刻に自分を訪ねてきたのだ。
(ううん、それよりも……)
彼女の目にはありありと自分を嫌悪する色が浮かんでいた。
身に覚えのない嫌悪ほど恐ろしいものはない。自分は彼女に何かしてしまっただろうか。ナタリーは手を握りしめて、必死に敬う意を示した。だがアリシアは構わずにナタリーに近づいてくる。
「どうしてあなたなの」
アリシアはナタリーの肩を掴む。綺麗に整えられた爪が、痛い。人形のように整った顔が恐ろしい。
「どうして、こんな娘のためにリアンは懸命になるのですか」
「王女殿下……」
立場上振り払うこともできず、ナタリーは必死に無礼のないように全身に力を入れる。アリシアは震える娘の様子にいくらか溜飲が下がったのか、落ち着きを取り戻した。
「ナタリー。わたくしが今日、こんな場所へ足を運んだのは、あなたにお願いがあるからなのです」
「お願い?」
嫌な予感がした。王女殿下から願いなど、ナタリーに断る権利はない。
「それは一体、どのようなものでしょうか」
「リアンを解放して欲しいのです」
ひゅっと息を呑むナタリーに、アリシアは困ったように微笑んだ。
「優しいリアンは、不幸なあなたのことをいつまでも気にかけ、放っておけません。だから、こっそりと夜中にここへ訪れて、あなたに会いに来る。まるで夜盗のような真似を平気で仕出かすのです。あなたはいつまで経っても、リアンの幸せを奪っている」
リアンとこっそり会っていたことがばれたのだ。ナタリーは顔を真っ青にさせた。彼女は王女の言葉を繰り返す。
(わたしが、リアンの幸せを奪っている……)
そんなことはない、とは言い切れなかった。初めて会った時から今に至るまで、リアンはいつもナタリーのことを気にかけてくれた。選ばせているのは自分の不遇さを気にかけてか。
(違う。彼はそんな人じゃない……)
リアンは言ってくれた。自分のことが――
「大丈夫。あなたには、専属の騎士を与えますわ」
アリシアが後ろを振り返り、部屋に入ってくるよう合図した。その人物にナタリーは目を丸くする。
「オーウェン……」
オーウェンは感情の読み取れない表情でナタリーをちらりと見た。ナタリーはその目に不安を覚えながらも、アリシアに視線を戻す。自分がこれから述べようとしていることがどれほど認められないか、ナタリーは重々承知の上だったが、自分の心に嘘はつけなかった。
「アリシア様、お心遣いは大変有り難いのですが……わたしには、お話をお受けすることはできません」
「どうして? オーウェンが嫌いなのですか」
違う。嫌いではない。何の力もなかった自分を守ってくれた。大好きだった人だ。今でも、大切な人であることには変わりはない。けれど。
「わたしにとって、リアンはもはやかけがえのない存在なのです。彼を苦しませることになっても、わたしは彼のそばにいたいと思っております」
リアンはナタリーを愛していると言ってくれた。その想いにナタリーも応えたい。
「ナタリー。あなた……」
はあ、とアリシアは大げさにため息をついた。王女として、淑女として、無礼な行為を当然のようにアリシアはナタリーに対して振る舞った。
「あなたは、ご自分が置かれている立場がまるでわかっていませんのね」
「わたしの置かれている立場……」
だってそうでしょうと、アリシアは冷ややかに微笑んだ。
「あなたが寝込んだ原因は、リアンとこっそりと会っていたからだ、とみな思っていますわ」
アリシアの言葉に、ナタリーは一瞬意味がわからなかった。だがすぐに聖女が世間に求められる姿を思い出し、絶句した。
「わたしはリアンとそんな……」
いや、思い当たる節はある。けれど、それは聖女の力に何の影響もない。
「わたしが倒れたのは、ただの疲労です」
「事実がどうであれ、可哀想なリアンは、その責任をたった一人で背負っていますの。あなたは大切な聖女ですから、傷つけるわけにはいきませんもの」
ナタリーは目を見開き、アリシアに詰め寄った。
「リアンは、リアンは無事なんでしょうか!?」
アリシアが不愉快そうに顔を歪めても、ナタリーはなおも返答を聞こうとした。自分のせいでリアンが何かしらの罰を受けている。耐え難い事実だった。
「王女殿下、教えて下さい!」
「落ち着け」
そばにいたオーウェンがナタリーを引き離し、彼女は彼の衣服を掴んだ。
「オーウェン、リアンは、リアンは、無事なの!?」
まさか自分の代わりに、と最悪の想像までしたナタリーにオーウェンが大丈夫だと観念したようにつぶやいた。
「謹慎処分が下されているが、無事だ」
「ですが、今度はそうはいきません」
アリシアがはっきりとナタリーの目を見た。嫉妬に燃える女性の目だとナタリーは気づいた。
「もう一度、言います。ナタリー、あなたはリアンのために今後一切会わないと約束して下さい」
23
お気に入りに追加
312
あなたにおすすめの小説
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
死に戻りの魔女は溺愛幼女に生まれ変わります
みおな
恋愛
「灰色の魔女め!」
私を睨みつける婚約者に、心が絶望感で塗りつぶされていきます。
聖女である妹が自分には相応しい?なら、どうして婚約解消を申し込んでくださらなかったのですか?
私だってわかっています。妹の方が優れている。妹の方が愛らしい。
だから、そうおっしゃってくだされば、婚約者の座などいつでもおりましたのに。
こんな公衆の面前で婚約破棄をされた娘など、父もきっと切り捨てるでしょう。
私は誰にも愛されていないのだから。
なら、せめて、最後くらい自分のために舞台を飾りましょう。
灰色の魔女の死という、極上の舞台をー
貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?
蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」
ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。
リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。
「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」
結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。
愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。
これからは自分の幸せのために生きると決意した。
そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。
「迎えに来たよ、リディス」
交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。
裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。
※完結まで書いた短編集消化のための投稿。
小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。
【完結】聖女と結婚ですか? どうぞご自由に 〜婚約破棄後の私は魔王の溺愛を受ける〜
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
【表紙イラスト】しょうが様(https://www.pixiv.net/users/291264)
「アゼリア・フォン・ホーヘーマイヤー、俺はお前との婚約を破棄する!」
「王太子殿下、我が家名はヘーファーマイアーですわ」
公爵令嬢アゼリアは、婚約者である王太子ヨーゼフに婚約破棄を突きつけられた。それも家名の間違い付きで。
理由は聖女エルザと結婚するためだという。人々の視線が集まる夜会でやらかした王太子に、彼女は満面の笑みで婚約関係を解消した。
王太子殿下――あなたが選んだ聖女様の意味をご存知なの? 美しいアゼリアを手放したことで、国は傾いていくが、王太子はいつ己の失態に気づけるのか。自由に羽ばたくアゼリアは、魔王の溺愛の中で幸せを掴む!
頭のゆるい王太子をぎゃふんと言わせる「ざまぁ」展開ありの、ハッピーエンド。
※2022/05/10 「HJ小説大賞2021後期『ノベルアップ+部門』」一次選考通過
※2021/08/16 「HJ小説大賞2021前期『小説家になろう』部門」一次選考通過
※2021/01/30 完結
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
愚か者の話をしよう
鈴宮(すずみや)
恋愛
シェイマスは、婚約者であるエーファを心から愛している。けれど、控えめな性格のエーファは、聖女ミランダがシェイマスにちょっかいを掛けても、穏やかに微笑むばかり。
そんな彼女の反応に物足りなさを感じつつも、シェイマスはエーファとの幸せな未来を夢見ていた。
けれどある日、シェイマスは父親である国王から「エーファとの婚約は破棄する」と告げられて――――?
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!?
元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる