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19.聖女の秘密
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リアンはそれからも看守に金を渡し、ナタリーに会いに行った。ほんの少し、朝が開けるまでのわずかな時間が、二人にとっては何よりの幸せであった。
ある夜のこと、窓からの月明かりのみを頼りに、ナタリーとリアンは身を寄せ合うようにして同じ長椅子に座っていた。ナタリーはリアンの肩に頭をのせ、あのねと内緒話をするような小さな声で言った。
「眠っている間、夢を見ていたの」
「夢?」
うん、とナタリーは頷いた。
「顔も名前も知らない女性がね、怪我をした人たちを一生懸命助ける夢」
「それって……」
「うん。わたしと同じ、聖女になった女性たちの夢」
リアンはどう答えていいかわからず、ナタリーの絡めた指先をぎゅっと握った。
「リアン。わたしね、たぶん最初から知っていたの」
「何をだ」
「聖女になって、多くの人を救うこと」
「……最初からって、いつ」
「たぶんこの世に生まれてからずっと」
リアンは驚いて思わず身を起こした。ナタリーの顔をまじまじと見つめる。
「嘘だ。おまえはうんと小さくて、孤児院に預けられる前はお屋敷で働いていて、そうなったのは泉で拾われて……その時の記憶はなかったと」
「うん。そう。小さかったこともあったけれど……たぶん、忘れていたの」
「忘れていた?」
どういうことだ。ナタリーは何を言おうとしている。
「わたしが生まれたのは、自分の役目を果たすためだよ。そのために、神さまはわたしをこの世界へ連れてきてくれたの。そして、わたしが聖女たる器に相応しいかどうか確かめるために、それまでの記憶をすべて奪った」
「ナタリー。きみは何を言っているんだ」
ナタリーは寂しげに微笑んだ。
「そう、思うよね。でもね、他の聖女たちもみんな同じだったの」
ある日突然「声」が聞こえて、彼女たちは自分たちがなぜこの世に生まれのか、理由を知る。
「多くの人を、与えられた力で救うこと。それが、わたしの、わたしたちの役目であり使命なの」
「……なんだよ。それ」
神がこの世界へ連れて来たのだの、役目だの、使命だの、リアンにはまったく理解できなかった。怒りすら、湧いてくる。
「ナタリーはナタリーだろ。聖女とかそんなの、関係ない!」
「リアン。落ち着いて」
「ナタリーにだって両親がいるだろう? だからきみが生まれた。普通に育って、いきなり万能の治癒能力に開花したから聖女ですって、そんなの無茶苦茶だろ!」
「リアン。わたしがさっき、自分が聖女だということを忘れていたと言ったのは……たぶん、意図的で、普通の人間としての感覚を育てるためだったと思うの」
「は?」
落ち着いて、というようにナタリーはリアンを座らせた。
「人を救うためには、他者の気持ちに寄り添ってあげる必要があるでしょう?」
「それは、まぁ」
「でしょう? だから聖女になる女性は、孤児だったり、家がとても貧しかったりと、辛い生い立ちの者がほとんどなの」
ナタリーも親に捨てられ、屋敷で拾われたと思ったらそこの主人に暴力を受けていた。
「じゃあ、なんだ。神様はわざとナタリーや他の聖女を苦しい環境で生まれさせたっていうのか?」
「そうよ」
否定して欲しかったのに、ナタリーはあっさりと肯定した。
「虐げられる者の痛み、苦しみ、悲しみ、そういったすべてを身をもって知る必要がある。そしてそれに耐えた者にだけ、主は力を授けて下さった。自分たちと同じ苦しみを持った者を、癒して差し上げなさいと」
記憶を思い出したのも、ナタリーが聖女に相応しい器だと神が認めたから。彼女の説明に、リアンは頭がかっとなった。
「なんだよ、それ……!」
勝手に不幸にしておいて、今度は赤の他人を救えだと? ふざけている。
「リアン。リアンは騎士でしょう? 王女殿下を守る責務があるでしょう? それと同じよ」
「同じじゃないだろ」
「同じだよ。リアンだって、最初から騎士になりたいと思ったわけじゃないでしょう?」
「それは……」
ナタリーの言う通りだった。リアンの父親が騎士だから、息子の自分もそうなれと無理矢理騎士の試験を受けさせられた。
「……でも途中からは、本気で騎士になりたいと思って頑張ったんだ」
国に忠義を尽くすことで、ナタリーのようなか弱い存在を守ることに繋がる。リアンはそう信じていた。
「うん。わかってる。わたしも同じだもの」
リアンは顔を上げた。月明かりに照らされて、ナタリーは儚く微笑んだ。
「大変な仕事だけど……多くの人を救えて、わたしはやりがいを感じているの」
だからね、とナタリーはリアンの頬に手を添えて、安心させるように言った。
「わたしは大丈夫。リアンがいてくれれば、わたしは頑張れるの」
「ナタリー……」
健気に自分の使命を果たそうとする彼女の姿に胸が締め付けられ、リアンはナタリーを思わず抱きしめた。
「ナタリー。おまえは俺が守るから」
「うん」
「絶対に、何があっても」
「……うん」
「好きだ」
「うん」
「愛している」
「わたしも……」
抱擁を解き、二人は口づけした。ナタリーの指がリアンの頬に触れ、それを離さぬよう彼は自身のと絡めさせた。触れる所から熱が生まれ、身体を寄せ合い、長椅子に倒れ込む。
「リアン……」
涙をにじませながら自分を見上げる女が愛おしい。誰の目にも触れさせず、自分だけのものにしてしまいたい。他の誰かに奪われるくらいなら、いっそ自分が彼女のすべてを奪い尽くしたい。
「ナタリー……」
好きだ、と心の赴くままリアンはナタリーの身体を貪った。それに彼女も逆らわず、身も心もすべて愛しい男に捧げてくれた。
***
「――長い夢の終わりにね、理想の世界へたどり着いたの」
リアンの胸板に頬を寄せ、囁くようにナタリーが言った。
「理想の世界?」
「ええ。そこに住む人々はありとあらゆる苦しみから解放され、毎日が穏やかに過ぎていくの……」
「穏やかに、か」
ほんの少し前まで、ナタリーと自分にもそんな日々があった。けれどそれは崩れ去り、今思えば夢のように脆く儚い日々でもあった。
「飢えや病気、嫉妬や妬みといった醜い感情も生まれない。愛する者と、ずっとそばにいることができるの」
全ての苦しみが取り除かれなくてもいい。ただずっと、二人で一緒にいたいだけ。それがこんなにも難しいなんて、リアンとナタリーは思いもしなかった。
「……そうか、いつか、行ってみたいな」
「ええ、きっと行けるわ」
きっとその夢が叶うことはない。二人はその事実をわかっていながらも、口にはしなかった。今はただこの瞬間が少しでも長く続いてほしいと、祈るように願うだけだった。
ある夜のこと、窓からの月明かりのみを頼りに、ナタリーとリアンは身を寄せ合うようにして同じ長椅子に座っていた。ナタリーはリアンの肩に頭をのせ、あのねと内緒話をするような小さな声で言った。
「眠っている間、夢を見ていたの」
「夢?」
うん、とナタリーは頷いた。
「顔も名前も知らない女性がね、怪我をした人たちを一生懸命助ける夢」
「それって……」
「うん。わたしと同じ、聖女になった女性たちの夢」
リアンはどう答えていいかわからず、ナタリーの絡めた指先をぎゅっと握った。
「リアン。わたしね、たぶん最初から知っていたの」
「何をだ」
「聖女になって、多くの人を救うこと」
「……最初からって、いつ」
「たぶんこの世に生まれてからずっと」
リアンは驚いて思わず身を起こした。ナタリーの顔をまじまじと見つめる。
「嘘だ。おまえはうんと小さくて、孤児院に預けられる前はお屋敷で働いていて、そうなったのは泉で拾われて……その時の記憶はなかったと」
「うん。そう。小さかったこともあったけれど……たぶん、忘れていたの」
「忘れていた?」
どういうことだ。ナタリーは何を言おうとしている。
「わたしが生まれたのは、自分の役目を果たすためだよ。そのために、神さまはわたしをこの世界へ連れてきてくれたの。そして、わたしが聖女たる器に相応しいかどうか確かめるために、それまでの記憶をすべて奪った」
「ナタリー。きみは何を言っているんだ」
ナタリーは寂しげに微笑んだ。
「そう、思うよね。でもね、他の聖女たちもみんな同じだったの」
ある日突然「声」が聞こえて、彼女たちは自分たちがなぜこの世に生まれのか、理由を知る。
「多くの人を、与えられた力で救うこと。それが、わたしの、わたしたちの役目であり使命なの」
「……なんだよ。それ」
神がこの世界へ連れて来たのだの、役目だの、使命だの、リアンにはまったく理解できなかった。怒りすら、湧いてくる。
「ナタリーはナタリーだろ。聖女とかそんなの、関係ない!」
「リアン。落ち着いて」
「ナタリーにだって両親がいるだろう? だからきみが生まれた。普通に育って、いきなり万能の治癒能力に開花したから聖女ですって、そんなの無茶苦茶だろ!」
「リアン。わたしがさっき、自分が聖女だということを忘れていたと言ったのは……たぶん、意図的で、普通の人間としての感覚を育てるためだったと思うの」
「は?」
落ち着いて、というようにナタリーはリアンを座らせた。
「人を救うためには、他者の気持ちに寄り添ってあげる必要があるでしょう?」
「それは、まぁ」
「でしょう? だから聖女になる女性は、孤児だったり、家がとても貧しかったりと、辛い生い立ちの者がほとんどなの」
ナタリーも親に捨てられ、屋敷で拾われたと思ったらそこの主人に暴力を受けていた。
「じゃあ、なんだ。神様はわざとナタリーや他の聖女を苦しい環境で生まれさせたっていうのか?」
「そうよ」
否定して欲しかったのに、ナタリーはあっさりと肯定した。
「虐げられる者の痛み、苦しみ、悲しみ、そういったすべてを身をもって知る必要がある。そしてそれに耐えた者にだけ、主は力を授けて下さった。自分たちと同じ苦しみを持った者を、癒して差し上げなさいと」
記憶を思い出したのも、ナタリーが聖女に相応しい器だと神が認めたから。彼女の説明に、リアンは頭がかっとなった。
「なんだよ、それ……!」
勝手に不幸にしておいて、今度は赤の他人を救えだと? ふざけている。
「リアン。リアンは騎士でしょう? 王女殿下を守る責務があるでしょう? それと同じよ」
「同じじゃないだろ」
「同じだよ。リアンだって、最初から騎士になりたいと思ったわけじゃないでしょう?」
「それは……」
ナタリーの言う通りだった。リアンの父親が騎士だから、息子の自分もそうなれと無理矢理騎士の試験を受けさせられた。
「……でも途中からは、本気で騎士になりたいと思って頑張ったんだ」
国に忠義を尽くすことで、ナタリーのようなか弱い存在を守ることに繋がる。リアンはそう信じていた。
「うん。わかってる。わたしも同じだもの」
リアンは顔を上げた。月明かりに照らされて、ナタリーは儚く微笑んだ。
「大変な仕事だけど……多くの人を救えて、わたしはやりがいを感じているの」
だからね、とナタリーはリアンの頬に手を添えて、安心させるように言った。
「わたしは大丈夫。リアンがいてくれれば、わたしは頑張れるの」
「ナタリー……」
健気に自分の使命を果たそうとする彼女の姿に胸が締め付けられ、リアンはナタリーを思わず抱きしめた。
「ナタリー。おまえは俺が守るから」
「うん」
「絶対に、何があっても」
「……うん」
「好きだ」
「うん」
「愛している」
「わたしも……」
抱擁を解き、二人は口づけした。ナタリーの指がリアンの頬に触れ、それを離さぬよう彼は自身のと絡めさせた。触れる所から熱が生まれ、身体を寄せ合い、長椅子に倒れ込む。
「リアン……」
涙をにじませながら自分を見上げる女が愛おしい。誰の目にも触れさせず、自分だけのものにしてしまいたい。他の誰かに奪われるくらいなら、いっそ自分が彼女のすべてを奪い尽くしたい。
「ナタリー……」
好きだ、と心の赴くままリアンはナタリーの身体を貪った。それに彼女も逆らわず、身も心もすべて愛しい男に捧げてくれた。
***
「――長い夢の終わりにね、理想の世界へたどり着いたの」
リアンの胸板に頬を寄せ、囁くようにナタリーが言った。
「理想の世界?」
「ええ。そこに住む人々はありとあらゆる苦しみから解放され、毎日が穏やかに過ぎていくの……」
「穏やかに、か」
ほんの少し前まで、ナタリーと自分にもそんな日々があった。けれどそれは崩れ去り、今思えば夢のように脆く儚い日々でもあった。
「飢えや病気、嫉妬や妬みといった醜い感情も生まれない。愛する者と、ずっとそばにいることができるの」
全ての苦しみが取り除かれなくてもいい。ただずっと、二人で一緒にいたいだけ。それがこんなにも難しいなんて、リアンとナタリーは思いもしなかった。
「……そうか、いつか、行ってみたいな」
「ええ、きっと行けるわ」
きっとその夢が叶うことはない。二人はその事実をわかっていながらも、口にはしなかった。今はただこの瞬間が少しでも長く続いてほしいと、祈るように願うだけだった。
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