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2. 暖かな日々
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ナタリーと過ごすようになって気づいたのは、彼女は人と会話する時あまり目を合わせてくれず、聞き取りづらい小さな声で話すということ。大勢の子と遊ぶとたいてい損な役回りを引き受けてしまうこと。一人でいると、いつもぼうっと何かを考えていること。あと――
「ナタリー、何しているんだ?」
オーウェンが話しかけた時だけ、ほんの少し顔を赤くすること。彼女は必死に今しがた読んでいた本の内容をオーウェンに伝えている。二人の姿を目にして、リアンは立ち上がった。
「ナタリー、俺にも教えてくれ」
ナタリーの隣に座り込み、なるべく優しい声で彼女に話しかける。だが結果は思い通りに行かず、彼女はびくりとリアンを怖がる目をした。それに挫けそうになったリアンだが、必死に己を鼓舞し、優しい笑顔を作った。
「俺も、きみが何を読んでいたか、知りたいんだ」
ナタリーは人の反応に敏感だ。相手が自分に悪意を持っていれば刺激しないように身を竦めるし、好意であるならばそれに応えるよう懸命に相手と向き合う。
臆病ではあるけれど、とても優しい子だ。
「う、うん。あのね、」
つっかえながらも話始めたナタリーにリアンはやったと内心ガッツポーズした。ようやく子猫が逃げなくなったような気持ちだった。そんなリアンの心情を知ってか知らずか、オーウェンがナタリーの頭を撫でた。孤児院に来たばかりの頃とは違い、今や彼女の髪は綺麗に整えられていた。
「ナタリーはこんなに物事を知って、偉いなあ」
「そんなことないよ」
また顔を赤くして微笑むナタリーに、リアンはまだまだオーウェンには敵わないなと内心肩を落とした。
それでも孤児院に来た時と比べ、ナタリーはずいぶんとよく笑うようになった。オーウェンやリアンの前だと特にそれがはっきりと感じられ、リアンは誇らしかった。ただ、やはり時折何かに怯えたように周囲を見渡すのが気がかりで、リアンは焦燥感に駆られることが多くなった。
――彼女には笑っていて欲しい。
そう思うのは自分よりも年下の、小さな存在ゆえの庇護欲からか。きっとそうだろうとリアンは思った。
ナタリーはよく暇があると、一人で森の泉へと足を運ぶ。特に何をするわけでもなく、じっと泉の水面を眺めるのだ。その表情がどこか寂しそうで、今にも帰りたいと叫んでいるようで……その日偶然一緒に来ていたリアンは思わず彼女の手を引いた。
「リアン?」
「もう帰ろう、ナタリー」
リアンの真剣な表情に彼女は素直にうなずいた。彼女が離れぬよう手を繋ぎ、もと来た道を戻り始める。考えてみれば、ここは彼女が拾われた場所でもある。泣いている彼女は連れて行かれ、結果的に屋敷の主人に酷い目に遭わされた。
それがもう一度起こらないとは限らない。今日だってたまたま彼女と出会えたからよかったものの、一人だったら無理矢理誰かに連れ去られていたかもしれない。今度はもっと酷い残忍なやつに――
「ナタリー、もうあの泉には行くなよ」
「どうして?」
「それは……」
ナタリーがどこか遠くに行ってしまいそうだったから。自分の隣から忽然と消えてしまいそうに感じたから。そんなのとても耐えられないから。
「……危ないだろ。こんな森の中。だからもう行くな」
リアンは本当の気持ちを素直に言えず、誤魔化すように言った。今言ったことも嘘じゃないと自分に言い聞かせながら。ナタリーは不思議そうにリアンを見つめていたが、やがてわかったと頷いた。
「心配させてごめんね」
別に謝ってほしい訳ではない。ただ彼女がここではないどこか別の場所へとある日ふらりと行ってしまいそうで怖いのだ。
「なあ、ナタリー」
「なあに、リアン」
草木の香り。かさりと踏まれた葉っぱの音に、小鳥のさえずる美しい歌声。暖かな日差しが木々の間から差し込み、昼の森は光であふれていた。ナタリーにはずっとこんな場所にいて欲しいと、漠然とリアンは思った。
「まだ、怖いか?」
何が、とは確かな言葉で伝えることができずに、ひどく曖昧な問いとなってしまった。ナタリーも意味を測りかねたのか、きょとんとした表情でリアンを見上げる。
「リアンは平気だよ」
えっ、と彼は思わずその場に立ち止まる。自然と彼女もリアンと向き合うようにして恥ずかしそうに微笑んだ。その笑みに自然とリアンは何かを期待してしまう。
「だって、女の子みたいに綺麗だもの」
「……それは、あんまり嬉しくないな」
ふふ、とナタリーは微笑んだ。まあ、彼女に怖がられるよりましかとリアンは思い、よしとすることにした。
「ナタリー、何しているんだ?」
オーウェンが話しかけた時だけ、ほんの少し顔を赤くすること。彼女は必死に今しがた読んでいた本の内容をオーウェンに伝えている。二人の姿を目にして、リアンは立ち上がった。
「ナタリー、俺にも教えてくれ」
ナタリーの隣に座り込み、なるべく優しい声で彼女に話しかける。だが結果は思い通りに行かず、彼女はびくりとリアンを怖がる目をした。それに挫けそうになったリアンだが、必死に己を鼓舞し、優しい笑顔を作った。
「俺も、きみが何を読んでいたか、知りたいんだ」
ナタリーは人の反応に敏感だ。相手が自分に悪意を持っていれば刺激しないように身を竦めるし、好意であるならばそれに応えるよう懸命に相手と向き合う。
臆病ではあるけれど、とても優しい子だ。
「う、うん。あのね、」
つっかえながらも話始めたナタリーにリアンはやったと内心ガッツポーズした。ようやく子猫が逃げなくなったような気持ちだった。そんなリアンの心情を知ってか知らずか、オーウェンがナタリーの頭を撫でた。孤児院に来たばかりの頃とは違い、今や彼女の髪は綺麗に整えられていた。
「ナタリーはこんなに物事を知って、偉いなあ」
「そんなことないよ」
また顔を赤くして微笑むナタリーに、リアンはまだまだオーウェンには敵わないなと内心肩を落とした。
それでも孤児院に来た時と比べ、ナタリーはずいぶんとよく笑うようになった。オーウェンやリアンの前だと特にそれがはっきりと感じられ、リアンは誇らしかった。ただ、やはり時折何かに怯えたように周囲を見渡すのが気がかりで、リアンは焦燥感に駆られることが多くなった。
――彼女には笑っていて欲しい。
そう思うのは自分よりも年下の、小さな存在ゆえの庇護欲からか。きっとそうだろうとリアンは思った。
ナタリーはよく暇があると、一人で森の泉へと足を運ぶ。特に何をするわけでもなく、じっと泉の水面を眺めるのだ。その表情がどこか寂しそうで、今にも帰りたいと叫んでいるようで……その日偶然一緒に来ていたリアンは思わず彼女の手を引いた。
「リアン?」
「もう帰ろう、ナタリー」
リアンの真剣な表情に彼女は素直にうなずいた。彼女が離れぬよう手を繋ぎ、もと来た道を戻り始める。考えてみれば、ここは彼女が拾われた場所でもある。泣いている彼女は連れて行かれ、結果的に屋敷の主人に酷い目に遭わされた。
それがもう一度起こらないとは限らない。今日だってたまたま彼女と出会えたからよかったものの、一人だったら無理矢理誰かに連れ去られていたかもしれない。今度はもっと酷い残忍なやつに――
「ナタリー、もうあの泉には行くなよ」
「どうして?」
「それは……」
ナタリーがどこか遠くに行ってしまいそうだったから。自分の隣から忽然と消えてしまいそうに感じたから。そんなのとても耐えられないから。
「……危ないだろ。こんな森の中。だからもう行くな」
リアンは本当の気持ちを素直に言えず、誤魔化すように言った。今言ったことも嘘じゃないと自分に言い聞かせながら。ナタリーは不思議そうにリアンを見つめていたが、やがてわかったと頷いた。
「心配させてごめんね」
別に謝ってほしい訳ではない。ただ彼女がここではないどこか別の場所へとある日ふらりと行ってしまいそうで怖いのだ。
「なあ、ナタリー」
「なあに、リアン」
草木の香り。かさりと踏まれた葉っぱの音に、小鳥のさえずる美しい歌声。暖かな日差しが木々の間から差し込み、昼の森は光であふれていた。ナタリーにはずっとこんな場所にいて欲しいと、漠然とリアンは思った。
「まだ、怖いか?」
何が、とは確かな言葉で伝えることができずに、ひどく曖昧な問いとなってしまった。ナタリーも意味を測りかねたのか、きょとんとした表情でリアンを見上げる。
「リアンは平気だよ」
えっ、と彼は思わずその場に立ち止まる。自然と彼女もリアンと向き合うようにして恥ずかしそうに微笑んだ。その笑みに自然とリアンは何かを期待してしまう。
「だって、女の子みたいに綺麗だもの」
「……それは、あんまり嬉しくないな」
ふふ、とナタリーは微笑んだ。まあ、彼女に怖がられるよりましかとリアンは思い、よしとすることにした。
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