旦那様はとても一途です。

りつ

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第8話

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「アルベルトはすでにあなたのことを愛していたようですね」

 アルベルトがリーゼロッテ嬢に別れを告げた後、彼女の兄であるルッツが私に苦笑いしながらその時の状況を教えてくれた。

「奥方には許しを得てあるから妹と思う存分愛しあってくれと言ったら、顔色をさっと変えて、いったいどういうことだと問い詰められたんです」

 私はなんだか気恥ずかしいやら申し訳ないやらで、話の先を促した。

「妹にはきちんとお別れを告げることもできたから、アルベルトはもう大丈夫だと思います。頼もしい奥方もいるようですしね。……妹も早く吹っ切れて、今の夫と向き合って欲しいんですが」

 どうやらリーゼロッテ嬢はいまだに初恋を引きずっているようである。

 どうか彼女も早く立ち直って、今誰よりも彼女のことを想ってくれている人に気づいてくれるといいのだが。

「それにしても、あのアルベルトが妹以外を好きになるなんて信じられません。最初は冷たくあしらわれていると思っていましたが、上手くやっているようで安心しました」

 嬉しそうに微笑んだルッツに、私はなんとも微妙な心情だった。

 たしかにアルベルトは変わった。今までリーゼロッテ嬢に向けていたアルベルトの情熱が私に向けられるようになった。

 大胆に、人目もはばからず。

「クラウディア、あなたは今日もなんて美しいんだろう。私の愛しい妻よ」

「アルベルト。頼むからそういうことを人前で言わないでください。大声を出さないでください」

「なぜ? 私はただ本当のことを言っているだけだ」

「恥ずかしいからに決まっているでしょう!」

 たまらなくなって叫んでも、アルベルトはきょとんとした顔のままである。くすくすという声が向かい側から聞こえてくる。

「僕のことなら気にしないで。むしろきみのそんな表情を見ることができるなんて、人生で一番愉快なときだ」

 ニヤニヤした表情でフランツは私とアルベルトの様子を眺めていたが、それが気に入らない私の夫はむっとした様子で私を抱きしめた。もちろん私は渾身の力を込めて彼を押し返す。

「きみとクラウディアの距離間には、前々から疑問を抱いていた。その邪な目で、私の妻をじろじろと見ないでくれ」

「おやおや。最初の頃とはずいぶんと変わられましたね」

「当たり前だ。私はもうクラウディアの夫なのだから」

 ふんと胸を張るアルベルトにフランツは笑顔のまま言った。

「そうですね。僕は、あなたがクラウディアなどどうでもよく、リーゼロッテ様のことをずうっと忘れられない未練がましい男なのだと勘違いしておりました」

 にっこりと笑って毒を吐く男に、アルベルトの頬が思いっきりひきつる。私はフランツを止めようとしたが、彼は口を挟むなと手で制した。

「おや、何も言い返しはしないのですか? やはり今でも、リーゼロッテ様のことを」

「今は違う!」

「では過去はそうであったとお認めになられるんですね」

 ぐっと奥歯を噛みしめ、アルベルトは下を向いた。

「……昔はそうだった。だが今は、クラウディアを愛している。彼女のために何でもしてやりたいと思っている」

「その気持ちを決して忘れないでくださいね」

 にこにこと笑みを崩さぬままフランツはなおも言葉を続ける。

「あなたが被害者ぶるのは結構ですが、それで周りがたいへん迷惑したということも、一生忘れないで胸に刻んでおいて下さい」

「わかった」

「一度は許しますが、もし、万が一彼女をないがしろにするようでしたら、僕が彼女を攫ってしまいますので、覚悟しておいてくださいね」

「……わかった」

 可哀そうなくらい肩を下げてフランツの言葉を噛みしめる夫に、私はもうそこまでにしてくれと親友に頼んだ。

「フランツ、あまり私の夫をいじめないで下さい」

「嫌だな。ただ仲良くお話してただけだよ」

 どこがだ。まるで嫁をいじめる姑のようだったではないか。

 私が呆れた目でフランツを見ると、彼はわかったよとため息をつき、仲直りの印だとアルベルトに微笑んだ。

「それから旦那様。僕とクラウディアは唯一無二の親友なのです。一日とて友の姿を見ないのは耐えられませんので、これからも毎日屋敷に訪れようと思っております」

 今まで大人しく聞いていたアルベルトがもう我慢ならぬと立ち上がった。

「なにが親友だ! きみは先ほど、攫うなどという言葉を使ったではないか! きみがクラウディアに向ける目は獲物を狙う獣そのものだ! クラウディアは誤魔化せても私の目は誤魔化せないぞ!」

「アルベルト、落ち着いて下さい。フランツはあなたを揶揄っているだけですよ」

 その証拠にフランツは腹を抱えて笑っているじゃないか。

 彼は新しい玩具が手に入ったと、このところ毎日のように私の屋敷を訪ねては、アルベルトの反応を楽しむのだ。アルベルトはそんなフランツの思うままに翻弄されている。

「クラウディア! なんであなたはそんなに淡白なんだ。私がこんなにも愛をささやいているのに! まさか、この男のことが……」

「いい加減になさいまし」

 ぴしゃりと私が言うと、アルベルトはしゅんとした。

 そんな姿を見せられても以前は鬱陶しいと思っていた私だが、今は可哀そうに、そしてほんの少し可愛いと思ってしまうあたり、私もまた彼にぞっこんであることを本人は気づかないのだ。

 うつむいている彼の顔を両手で優しく持ちあげ、私は優しく微笑んだ。
 アルベルトはどこか不安そうに私を見つめている。

「……あなたは今でも私が他の女性を愛したいと言ったら許すのか?」

 彼は時折不安そうな顔をしてそんなことを聞いてくる。よほどリーゼロッテ嬢のことがトラウマのようだ。別に誰でもいいからと彼を送りだしたわけではないのだが。

「ええ、許しますよ。あなたが誰を愛そうと、私に止める権利はありませんから」

 夫は傷ついたと言わんばかりの表情で目を伏せる。繊細なところは相変わらず変わっていない。

「でも、その時は私に何か非があったのではないかと、一度きちんと話し合うと思います」

 それが、今までの私とは違う変化だ。

「それは……」

「あなたには私だけを愛して欲しいと思っているからですよ」

 目を見つめて甘い声で囁いてやると、彼は照れたように目を泳がせた。

 彼と同じことをしているだけなのだが、どうも彼は私に言われると調子が狂うらしい。

 ふふ、と笑いながら愛しい人を見つめていると、彼がむっとしたようにこちらを睨んでくるのも、私は知っている。本当に可愛い人。

「アルベルト。私も、あなたを愛しておりますよ」

 彼の顔が驚き、真っ赤に染まっていくのを、私は愛おしく思った。

「愛の言葉はそんなに頻繁に囁くものではありません。ここぞという時に言うからこそ、人の心に響くのです。だからこれからは、もう少し……」

「クラウディア!」

 彼は私をソファに押し倒さんばかりの勢いで抱きしめ、やはり愛の言葉をこれでもかと私に送った。

 私のお説教と、フランツの笑い声。そして愛しい旦那様の声で屋敷は騒がしく、もっとこれから賑やかになることを、ここまで読んで下さった読者のみなさんはきっと疑いもなく信じて下さることでしょう。



おわり
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